ザ・再会
よろしくお願いします。
それからは……、そりゃ706号室へ戻れ!だよなあ。わかりましたァ!ご自由にお使い下さいィ!
ゾロゾロ四人で歩きながらマンションへ戻る途中、由香利が親し気に腕を組んで来た。ドキッとした。まあ、鼻の下伸ばせる状況じゃないけどさ。相変わらずお姫さまは小悪魔的である。勝利は当然死亡フラグを立てたままだ。絹ちゃんに睨みつけられてうつむいたまま、目線すら合わせられないらしい。
少し冷静になった俺は由香利に疑問をぶつけてみた。
「何で俺たちがあの店に居るってわかったの?ずっとご無沙汰してたのに。いきなり現れるんでビックリしたよ」
「直感よッ!あのお店から透のフェロモン感じたの!」
絶対に嘘だァ!かと言って、このヒネた女がゲロするはずがない。こういう場合は消去法を用いるのが俺の常とう手段である。直ぐに結論に行き着いた。そうか。上川先輩が裏切りやがったのだ!あのド腐れ外道がァ!
706号室の応接リビングへ三人を通し、コーヒーをお出しする健気な俺である。ええ、家政婦さんくらいやらせて頂きますわよ。だから、亜矢子にだけは黙っててくれェ!
この事態に言い訳は、もちろんマイナスである。潔く謝るしかない。勝利に目線で合図し、俺たちはフロアに頭をこすって「すみませんでしたァ!」と土下座した。プライドもクソもねえんだよ!こちとら未来が掛かってるんだからなァ!
絹ちゃんがウンザリした顔で謎解きをしてくれた。
「終業後に恭子から電話をもらったの。勝君が透君と伊集院さんの三人で月極め駐車場の方へ歩いて行ったよって。帰宅して直ぐ由香利ちゃんに来てもらったわ。自制出来るか不安だったからね。二人でここを訪ねエントランスからインターホンを押したの。応答が無かったから705号室の方も押したわ。そしたら上川先輩が出て下さって「アンフィス」って居酒屋で女と飲んでるよって教えてくれたの。半信半疑で訪れたら、本当にバカ二人が舞い上がってたってわけ。この同期の恥さらしがァ!もうあんたたちなんて知らないわ!裏切りにもほどがあるってもんよ!」
やっぱりそうだったか。直也ァ!絶対殺してやるゥ!まあ、勝は絹ちゃんに殺されるだろうから放っておこうっと。あッ、香典を用意しなくちゃいけないな。
付き合ってた頃より少し大人びた由香利が、楽しんでるかのように笑みを浮かべ続けて来やがる。人をいたぶって楽しむサド気質は相変わらずのようだ。
「だってお義姉ちゃん、包丁をタオルでくるんでるんだもん。さすがに止めなくちゃいけないでしょ?バカ兄貴も一応血が繋がってるんだし」
オイオイ、そんな恐ろしいことシレッと言うなよ。しかし、絹ちゃんってマジコエエ女だ。勝、命が尽きる前に離婚しろッ!どうせお前はまた下手打つに決まってるから。俺んちへ逃げて来るのは勘弁な。すごく迷惑だから。
リビングを見回す由香利が心無し物憂げに映った。
「ふーん、ここで透は亜矢子さんと暮らしてるんだ。実際訪れてみると少し切ないよね」
お姫さまは今更何を言ってるんだ。俺はもう若奥さまに忠誠を誓った身だぞォ!心を揺らすようなセリフは吐かないでくれェ!あらためて思うけど、本当に由香利はイイ女になったよ。付き合ってた高校生の頃から、将来スゴイ美女になると確信してたけどね。プロ女優の亜矢子にだって負けてないもん。以前に若奥さまは、お姫さまにだけは勝てる気がしないって言ってたよなあ。あくまで口を開かなければだけど。
「ねえ透ゥ、私が愛人になってあげようか?亜矢子さんも活動拠点が東京だから不在がちなんでしょ?寂しい時は私が慰めてあげるね」
ちょっと待て!親友である同僚の妹を愛人にするなんて聞いたことねえぞ!何でモラリストの絹ちゃんはスルーするの?義妹に教育的指導してやってよ。
「由香利ちゃん、何言ってるのかわかってるの?それもお義姉さんたちの前で。絹ちゃんは注意してあげなくちゃ。たとえジョークで言ってるんだとしてもね」
意外なことに絹ちゃんはつまらなさそうな顔で返して来た。
「私は干渉なんてしないわよ。由香利ちゃんにも透君にもね。バカ亭主が絡んだら話は別だけど。二人が合意するならうまくやればいいじゃない。亜矢ちゃんに告げ口なんてしないから」
勝の奥さまは色んな意味で過激なんだよなあ。どうやら俺は勘違いしてたようだ。絹ちゃんはモラリストじゃなくて自己都合主義者なのだ。上川先輩と同類だったとはビックリだぜ。
「とにかく、そんな非現実的な話には乗れません。俺は住宅ローンに苦しめられてて遊ぶお金持ってないもん。お先真っ暗ってやつさ」
悲観的な俺をお姫さまは怪訝そうに見つめておられる。
「何か透ってかわいそう。しあわせな結婚じゃなかったの?亜矢子さんはやさしい人じゃなかったの?」
思ったことをそのまま言い放つ由香利を見て自分を振り返る。
確かに毎日が楽しい結婚生活じゃない。正直、寂しい思いもたくさん味わってる。ただ、新婚直後から今のパターンだったので違和感を覚えなかっただけだ。それほど妻が女優業だと言うのは普通の生活に縁遠いわけである。
そりゃ俺だって毎日楽しく過ごしたいよ。でも、人間の欲望なんて限りないものだと言い聞かせ自制してたんだよなあ。いや、あきらめてたんだと思う。やらないことはいつだって簡単だもん。
「由香利ちゃんは今何をやってるの?美容学校を出てビューティープロデューサーとやらになったの?」
勝利がやっと口を挟んで来やがった。話題が移るのは今のお前に好都合だからな。
「由香利は現在プー太郎さ。美容学校は何とか卒業したけど、就職もしないで遊んでるよ。もう二十一才なのに親のすねかじりしやがって。さっさと何処かの美容室で面接受けて来いってえの!」
「へーえ、そうなんだ。決して優雅だとは思ってないけど、本当はどうしたいの?由香利ちゃんの思いが聞きたいよ」
お姫さまはちょっと辛そうな顔を見せ、訴えるように言って来た。
「私は出来れば亜矢子さんたちのようなプロの方にメイクがしたいの。かと言って、こんな地方在住じゃどうにもならないし。東京へ出てもいいと思ってるけど、コネも無ければ先立つものも無いしね。やっぱりお兄ちゃんの言う通り、地元の美容室で雇ってもらうしかないのかな?」
由香利がうつむいて涙をポロポロと零し始めたので、俺は思わずお姫さまの肩に手を掛けた。
「もう少し考えてもいいと思うよ。夢を持つって大切なことだからね。何も始めてないのにあきらめることないよ」
そのまま由香利は俺の胸に顔をうずめ泣き続けた。かわいそうに。きっと勝利と絹ちゃんがアパート暮らしを始めてから、相談相手も無いままに悩み続けていたのだろう。小さな肩を震わせて泣いた夜もあったはずだ。やっぱり守ってあげたくなってしまう。一緒に暮らす夢はついえたけど、嫌いになったわけじゃないんだから。
「亜矢子と智美さんに相談してみるよ。思えば身近に業界人がいるわけだし、利用しない手はないよね。由香利ちゃんの相談なら快く乗ってくれると思うよ。何たってゴマフファミリーのお姫さまなんだから」
「ありがとう。透って相変わらずやさしいね。私、ケイタイ変わってないから連絡して。良い返事じゃなくても構わないから。結果を出さなきゃ前へ進めないものね」
俺は由香利の身体をゆっくりと離し、ニッコリ笑ってうなずいた。絹ちゃんもやっと冷静になってくれて、「義妹をよろしくね。透君だけが頼りだから」とお願いされた。やっぱりやさしいお義姉さんだと思い直した。鬼になるのはバカ亭主に対してだけにしてくれと心より願った。
玄関先で三人を見送り、コーヒーを入れ直してリビングで佇んだ。テレビは好きじゃないので読みかけの小説を手に取った。挟んであったしおりを抜こうとしたところで手を止める。せっかく独りの時間が有るのだから少し考えてみよう。
そもそもお姫さまの件をどうやって亜矢子に切り出すんだ?下手に勘繰られたら最悪だぞ。余裕を見せるのかヒステリックになるのか若奥さまの反応が読めない。やっぱり最初は先輩に相談しよう。それから智美さんも交えて四人で話せばいいんだ。
全くダメならそのまま電話で伝える。脈が有りそうなら由香利を呼んでやればいいのだ。どうせ俺と先輩じゃ力になれる話じゃないんだし。
そのあとも色んなことを考えた。孤独の冷たさを味わってすごく寂しかった……。
金曜日、社内食堂で勝利と昼食を取った。勝は帰宅してからもう一度土下座して謝ったそうだ。更に情けない奴である。お陰で追加攻撃は免れたと喜んでいやがった。バカめ!呆れてたに決まってるじゃん!態度を改めないとマジ死ぬぞ!
そこへ上川先輩がゴメンサインを見せながら寄って来たので、二人してブンむくれてやった。次回の「アンフィス」は全額先輩のおごりとの条件で勘弁してやった。俺たちの心はいつだってパシフィックなのだ!
読んで下さりありがとうございます。