ザ・プライベートツアー
よろしくお願いします。
「教授、本当にこの診断は正しいのですか?」
「もちろんだよ。アタイは、いや、私は誤診などしない」(棒読み)
「でも、患者さんの容態は一向に上向いて来てませんよ」
「何を言ってるんだね、チミは。いや、君は。私は教授なんだよ」(棒読み)
若奥さまはフーウと大きく溜め息をついて脱力した。
「ダメッ!下手クソ過ぎて練習にならないわ!せっかく超大作に抜擢されたのに。内助の功も有ったもんじゃないわね」
ハイハイ、使えない奴ですみませんねえ。あのなあ、こちとらしがないリーマンなんだぞ!トウシロ掴まえてブー垂れてんじゃねえよ!読み合わせならプロとやってくれってえの!
学芸会でもポプラの樹しかやったことがないのにさ。樹だぞォ!突っ立ったままで息してるだけ。もちろんセリフなんてありゃしない役だったのに。
亜矢子は医療系映画の超大作「真っ黒な巨塔」の準主役に有名監督から指名されたそうだ。準主役と言っても、オールスター勢揃いの豪華キャストだから身に余る光栄らしい。後世に残る名作になるかも?と若奥さまは俺の襟首を締めて誇らしげに言っていた。
コエエなあ。いちいち締め上げるなよ。だいたいタイトルが「真っ黒な巨塔」ってさあ、パロディにしか思えないんだけど。どうせ腹黒い奴のオンパレードなんでしょ?女医さんの役なら白衣を纏ってコスプレやってよ。欲情するかも知れないのに。
ただ、この映画への彼女の意気込みは相当なものだった。やっぱり女優たるものは映画に出演してナンボだそうだ。テレビドラマも大切だけど、オファーの格が違うらしい。そこで興行収入が良ければテレビのギャラも上がるって算段である。何たって需要と供給の世界だからな。
「真っ黒な巨塔」の撮影は、亜矢子の出番だけで三ヶ月を要した。ドラマでも同じなんだろうが、基本的に俳優さんごとの出番をまとめて撮って行くそうだ。もちろん単独シーンなど少ないけど、それにセットと各俳優さんのスケジュールを調整して撮り溜める。それから継ぎはぎになったフィルムを時系列などを考慮して編集して行くのだが、監督が納得出来なければあとから撮り直すシーンも有るらしい。
結局「真っ黒な巨塔」の撮影期間は半年を要した。もちろんその間にテレビ出演もした。でも、トーク番組や映画の宣伝に関するものだけでドラマには出演しなかった。オファーは有ったそうだが丁重にお断りしたそうだ。
「オフィス・カムレイド」所属の俳優さんは基本的にクイズ番組には出演しない。バラエティも同様だ。これはゴッドマザーであられる智美社長の方針で、何でもかんでも受けて使い捨ての便利屋になって欲しくないからだそうだ。
小さい事務所にもかかわらず芸能界入りを目指す志望者が事務所のオーディションに殺到するのは、八反綾と八村由佳がトーク番組で必ず大切に扱われていると社長への感謝を口にするからだと思う。もちろん俺や勝利にもありがたいことだ。
「真っ黒な巨塔」で若奥さまの役は「黒木祥子」と言う女医だったが、主人公の教授である「石黒真一」を始め、主要人物の苗字には必ず「黒」の一文字が入っている。なるほど。だから「真っ黒な巨塔」なのか!巨匠の考えることはわからん!名監督よ、恐るべしだ!ホントにこんな発想でヒットするのか?
ただし、設定はギャグでも筋はシリアスなもので、ピリピリした大学病院内での覇権争いを描いたものであった。俺でも思いつきそうじゃんと思ったが、さすが名監督はディティールに徹底的にこだわったようで、重厚で面白い映画に仕上がっていた。もちろん亜矢子も公開初日の舞台挨拶に駆り出された。
この映画はそこそこヒットした。おそらく興行収入で年間ベスト3に入るだろう。後世に残る名作になるかはわからないが、前にも増して八反綾の実力も評価されたのは間違いない。
一方の八村由佳は若者向け青春路線をばく進中だ。吸い込まれそうな黒い瞳と意図的に抑えた露出で信者が大増殖している。こうなるとガードも相当なものになり、自分の時間は一層削られて来る。やっぱりプライベートはどんな職業人にも大切なもので、ストレスは溜まる一方みたいだ。
そんなお姫さまのうっ憤を軽減するため、俺と亜矢子、勝利と由香利で一泊二日の旅行に出掛けることになった。水・木のウイークデイなので俺と勝利は有給休暇を取得し、二人のスケジュールの空きに合わせた。絹ちゃんはどうしても出なければならない会議が有るので一緒に行くのを断念した。その代わりにお土産しこたま買って来い!とのミッションがバカ亭主に発令されたのは言うまでもない。
行き先は若奥さまの希望で山陰地方にした。出雲大社とカニ料理である。プライベート空間が欲しいので車で行くことになった。それを聞いて上川先輩が「お前のボロ車じゃ狭いだろう」と白いレクサス600hLを貸してくれた。「ぜってえブツけるなよ!」と胸倉を掴んでスマートキーを渡して下さった。先輩はいつもとってもやさしい方である。
このプライベート旅行の一週間前から、俺と勝利は何度も打ち合わせをした。そりゃそうでしょう!いくら旦那と兄貴の特別な立場だからって、今をトキメく売れっ子女優さん二人を引き連れての旅行なんだよ!彼女たちはテレビ局ならこれで一番組作るであろう有名人なのだから。特に八村由佳が出るとなれば、ネット上で話題になること確実さ。
まあ、俺と勝利の役目はお抱え運転手とお財布に過ぎないんだけどね。あッ、「オフィス・カムレイド」のツートップであられる大女優さまを身を挺してガードするという大役をゴマフ社長から言い渡されていたァ!何処まで行っても報われない俺たちクズダチである。
水曜の朝5時、若奥さまとマンションを出て勝利のボロアパートへ向かう。由香利もここに前泊してるそうだ。ズウォォォ!と野太いV8の排気音を響かせアパートに着くと、階段の下でバカ兄貴とお姫さまの兄妹が待っていた。
亜矢子は広いリヤシートに移り由香利と並んで座った。サイドシートは勝利である。何かつまんないぜェ!大垣インターチェンジから名神高速を下った。一路、日出処である出雲の地を目指すのだが、天候はドシャ降りだった。旅行に同伴出来なかった絹ちゃんが呪いをかけたに違いない!いつも俺は勝の巻き添えを食らう。でも、憎めない親友だ。バカだけど。
吹田ジャンクションから中国道に入り加西サービスエリアまでノンストップで走った。雨が幾分小康状態になったのは助かった。
サービスエリアでレイバンを架けた女優さん二人を連れて売店に行った。彼女たちはキャピキャピやっていたが、俺と勝利はひたすら周囲に目配せし続ける。トイレも交代でしか行けない。ああ、SP稼業は辛いぜェ!
そのあと一度だけサービスエリアで休息し、目的地の出雲大社に着いた。正式名は「いづもおおやしろ」だそうだ。
駐車場にレクサスを置いて正面の大鳥居の前で写メを撮ってから潜った。参道を歩いて行くと右手に大国主神の像が有った。さすが日出処である。
先に進んで銅の鳥居にスリスリしてから子宝に恵まれるらしい神牛を撫でてたら、亜矢子がそっと白い指を重ねて来た。
「そろそろ私たちも子供が欲しいわね。今まで私の仕事のために抑制して来たんだけど、透には色々無理させちゃったと思ってるわ。本当にありがとう」
「いや、俺の方こそありがたいと思ってるよ。亜矢子と暮らせるしあわせに感謝してる」
境内の神聖な空気の中、俺たちは心を通い合わせ愛を確認し合った……ら、お姫さまがムードをブチ壊しやがった。
「何で縁結びの神さまのところへバカ兄貴と来なきゃいけないのよォ!?七福神に誤解されたらしあわせ運んでくれないじゃないィ!」
「お前なあ、俺だってここへ来るなら絹江と一緒に来たかったよ!バカ妹のお供で来てやってるのに少しは感謝しろ!」
さすがだ!この兄妹は神さまの前でもいつものバカっぷりである。直後、由香利の回し蹴りが勝利に炸裂する。
こうして高天原の戦いは暴君スサノオがバカアマテラスを撃沈してアッサリ終結した。
神楽殿の注連縄の下では二人してジャンプしまくっていやがるし。いつかこのバカ兄妹には大国主神より天罰が下るであろう。
それから島根ワイナリーに寄ってお土産を買い込み足立美術館へ行った。ここはすごくファンタスティックだった。本当に趣向が凝ってて、日本庭園は絵画のように美しかった。
夕刻前に予約しておいた高級旅館に着いた。宿帳には本名を書いたがもちろん女優とは気づかれていない。受付もクーポンを持っていたので簡単だった。部屋は六人部屋でお願いしてある。お姫さまが希望したからだ。
入室すると直ぐに女将さんが挨拶にみえた。施設と料理の説明をされたあとサイン色紙を差し出されて驚いた。従業員の一部の方は八反綾と八村由佳に気付いていたそうだ。もちろんプロだからかん口令は敷いてあるし、料理も特別に部屋まで運んで下さるそうだ。ラッキーだったのは個室露天風呂をサービスで貸し切りにしてもらえることだ。そりゃ大浴場が大騒ぎになったらマズイもんなあ。二人のサイン色紙を渡したら女将は「早速ロビーに飾らせて頂きます!」と上機嫌で戻って行った。
ディナーは本当にカニ尽くしだった。とにかくカニのオンパレードで、只でさえ最上級のコースを頼んであるのに、女将さんからの差し入れも追加されたので食べ切れなかった。ビールも飲みまくったし大変満足である。
翌日、早朝より天橋立へ向かった。昼過ぎに着いてレンタサイクルで四人連なって「飛龍」を走った。何か学生に戻ったみたいで楽しかった。ロープウェイに乗って傘松公園に行き、股の間から「斜め一文字」を観た。さすがに女優さん二人はやらないだろうと思っていたら由香利だけはやりやがった。お姫さまは本当に天真爛漫であられる。
帰り路は京都縦貫自動車道から舞鶴若狭自動車道、北陸自動車道から名神高速のルートで大垣インターチェンジで降りた。バカ兄妹をボロアパートで降ろし、マンションに戻って来たのは午後9時を過ぎた頃だった。
フーウ、疲れたぜェ!二日間で千二百キロも走ったよ。荷物とお土産をリビングに放り出しソファにブッ倒れた。そのまま眠ってしまいそうなところに若奥さまがロイヤルミルクティーを運んでくれた。全身に甘い香りの液体が染み渡りわずかながらも疲れを癒す。
「透、お疲れさま。今夜は早く休んでね。お風呂に入ったらもう寝なさい」
「ああ、明日から仕事だからなあ。亜矢子と由香利ちゃんはいつまでオフなの?」
「私たちは日曜日までよ。こんなにゆっくり出来るのってホント久し振りだわ。でも、忙しいのには感謝しなくちゃね」
緊張を強いられたSP業務も終わったせいか、ホッとするあまり若奥さまに甘えてみたくなった。
「いいなあ。俺も明日は休みたいよ。亜矢子と一緒にずっと眠っていたい」
「ダメッ!あなたには大切な仕事が待ってるでしょ?早起きして朝ご飯を作ってあげるからね」
「わかったよ。じゃあ朝は和定食にしてよね。いつもトーストとコーヒーだったから、たまにはお味噌汁が飲みたいな」
「任せて!ねえ透、いつも大好きよ」
亜矢子が耳元で囁いてからキスしてくれた。俺は彼女をギュッと抱きしめた……。
読んで下さりありがとうございます。次のお話でおしまいです。