第四十八話 唇
水中を小さな気泡が埋め尽くして視界を悪くしている。
そんな中、湖の底に向かって垂直に潜っていくアヤト。
途中で水面に向かっている他のメンバーとすれ違う。
一瞬だけ目を合わせ「ルナは任せろ」と目で訴える。
大きな石柱は今も湖の底に向かっている。
(どんだけ深いんだよ…)
すでに先程まで潜っていた水深は過ぎている。
間もなく10mは潜ってきただろうか…
(やばい…これ以上先は光が届かない)
既にルナの影は目で追うことは出来ていない。
どれほど深いかわからない湖をひたすら潜っていく。
水流を操ることに慣れてきたアヤトには、見えない障害物を避けることも可能となっていた。
ルナが沈んでいったであろう方向に神経を研ぎすます。
(…居た!)
大きな石柱と人の影を捉えた。
真っ暗闇の水の中、慎重にならざるを得ないアヤトは接近する速度を落としつつ進む。
(…間に合うか)
はやる気持ちをどうにか抑えつつも、水を蹴る足に力が入る。
(…よし!)
石柱の下に潜り込み、人影の一部を掴んだ。
この時既に20m近く潜ってきただろうか。
光の差し込まない暗闇の水中では上下左右をいくら見回しても色は漆黒の黒。
自分が上を向いているのか、はたまた下を向いているのかも全く分からない。
感覚がおかしくなっていくのがわかる。
(…うぐ)
左足に激痛が走ると、いくら手で水を掴んで押しやっても前に進む気配がない。
人影を掴み、石柱から逃れようとしたアヤトは石柱と湖の底に挟まれてしまっていた。
ようやく底にたどり着いた。
どれだけ潜ったかは定かではない。
(まずい…このままじゃ2人とも)
足を挟まれて身動きの取れないアヤトに、意識があるのか分からないルナ。
はっきりとしていることは、このままでは2人とも湖の底でお陀仏だ。
(なんとかルナだけでも助けられれば…)
石柱に挟まれることは逃れたルナ。
あのまま石柱と共に沈んでいれば確実に圧死していた運命だった。
(ルナ…これくらいは許してくれよ)
この状況を打開する策を試みるアヤト。
これは賭けである…ルナの目が覚めなければ2人とも恐らく死ぬ。
さらにルナが機転を効かせてくれることが助かる条件かもしれない。
どちらにせよなんとかルナだけでも助け出したいアヤトは人影の顔を掴む。
(まさか…前世も合わせて初キスがこんな場面なんてな)
アヤトはルナの唇を探し当てると、お互いの唇を重ねあわせる。
唇と唇からはわずかに気泡が漏れ出ている。
漆黒の暗闇の中、この気泡だけが生きる道を示している。
漏れ出た泡の上がっていく方が水面…これしか方角を示すものは無い。
(ルナ…なんとか目を覚ましてくれ)
ゆっくりと自分の肺にある空気を、ルナの口の中に流し込んでいく。
しかし思ったようには空気を受け付けない肺に焦りを感じる。
(くそ…そう上手くはいかないか)
初めての唇を味わう余裕は全くない。
細くてしなやかなルナの金色の髪が、後頭部を押さえている手の甲をくすぐってくる。
妹のリリーと比べると、綺麗にまとめられたミディアムショートの姿がアヤトの脳裏に浮かんでくる。
(なんとか助けてやる…)
アヤトの送り込む息を受け付けてくれないルナ。
そんなルナの身体にゆっくりと魔力を送り込む。
アヤトの肺にある酸素を風のフレイムにのせて、ゆっくりとルナの肺に強制的に送り込む。
肺と胃に溜まっていた水を、水のフレイムで慎重に逆流させる。
逆流してきた水を唇の隙間から排出させると、ようやく空気を受け入れることの出来た肺。
ルナの肺が大きく酸素を求めるように膨らむと、アヤトの身体から酸素を奪い取る。
(…肺が動いた)
薄れ行く意識の中で、ルナの呼吸が再開された。
ルナの意識が戻るまで、唇を離してしまってはまた水が入っていってしまう。
なんとか意識が続くまで唇を離さず、自分の酸素を与え続ける。
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