大蜘蛛の巣
一角狼の背に跨って森の中を駆ける。
村を出てからおそらく一時間以上は経っただろうか。蜘蛛の通った後は木々が倒れていてはっきりとわかる物の、いまだに追いつくことはできない。
ところどころ、糸の残った樹木を見つけるたびに足を止め、麻痺の糸かを確認しているから、追いかけているのは間違いないのだけれど、どれだけの速度で移動しているのだろう。
「かなり離れているわね」
何度目か、足を止めて糸を確認していると、サクラさんが眉間にしわを寄せて空を見ていた。
「ええ、ちょっと予想外でしたね」
日はかなり傾きだしている。日没までに村に戻ることは出来るだろうか。
「どこまで続くと思う?」
「寝床にしている巣があればそこまで……その周りが、似た感じの獣道になって居るくとちょっと厄介ですね」
今のところは一本道。だけどこれが分岐していれば、大蜘蛛がどこにいるか分からなくなる。
今所は魔獣に襲われてはいないけど、夜間の行軍や野宿は出来れば避けたいところ。臭いでの追跡は期待できないので、早く追いつきたいが……。
『……森の中に住処は無いかもしれぬな』
「どういうことです?」
木々の匂いを確かめていたイゴールさんは、顔を上げるとそう口にした。
『移動でこれだけ大きな後を残すのに、これまでその痕跡が無い』
……確かにそうだ。ここが蜘蛛の行動範囲なら、もう少しその痕跡が見つかってもいいかもしれない。
ただ、そう考えると……。
「村からここはだいぶ東の地点ですよね。村の商人が襲われたのは西側……あっちには、こんな痕跡は有りませんでした」
「そういえばそうね。村の周りも、確かに蜘蛛は出てたけど……」
「メアリーさんの火炎矢のダメージがあって、痕跡が残ってしまっている可能性もありますよ」
『可能性は否定しないが……過去の経験からすると違和感は感じるな。もっとも、あれはおそらく縄張りを持たぬから明言は出来ん』
かなりの年数を行き、冒険者としての経験もあるイゴールさんでも分からないことはあるか。
確かに、妙な感じはする。何か見落としてるものがあるか……いや、でも村人が蜘蛛にさらわれたのは間違いない。
「追いかけましょう。ゆっくりしていると、本当に日が暮れてしまいます」
再度歩みを進める。
道なりは平たんではない。村からこっち、しばらくは登りが続いていた。それが下りに代わり、平坦な場所が増えてくるころに辺りの景色が変わりだす。
むき出しの岩がいくつも転がるようになってきた。森と言うよりは、岩山。先には赤く切り立った崖が見える。バイオームが変わるのか。
村を出てからどれだけ移動したのだろう?
既に日は陰り始めている物の、森の中の冷たい空気から一転、梅雨の無いこの地域で初夏の日差しに熱せられた空気は未だ熱気をはらんでいる。防寒のマントは脱いでおけば良かったか。
「蜘蛛が居るわ」
サクラさんの言葉にあたりを見回すと、壁に張り付いた大蜘蛛が獲物を食べている真っ最中だった。サイズは2メートルほど。食べている獲物も小さな蜘蛛の様だ。
『ところどころに居るな。臭いでわかる。どうやら当たりの様だ』
「分かりますか?」
『森から抜け、香の匂いも遠のいた。風下から距離を詰める』
岩から岩へ。いまだに大蜘蛛の姿は見えないが、確実に近づいては居るらしい。辺りは既に渓谷と言っていい地形だ。ところどころに洞窟が見える。おそらくだが、ここは望郷の渓谷と呼ばれるエリアだろう。
村の狩人が全力で移動して1日かかると言っていた場所だ。予想よりずいぶん離れている。
『居たぞ』
3匹が足を止める。
「ええ、見えてます」
渓谷に入ってからしばらく、ちょうど谷が窪んで抉られたところに大蜘蛛の姿が見えた。モノクルでサイズを図ってみると、幅は5メートル以上ある。高さは3メートル前後か。足元や岩陰には、卵が入っているとみられる繭が転がっていた。
「一応聞いておきますけど、アレで間違いないです?実は別にもっといたとか言いません?」
『そう言われても分からんな』
「レオンは?」
『知らぬ。……が、お前の仲間が放った火の矢の傷が顔にあればそいつだろう』
「……なるほど」
望遠モードにして蜘蛛の様子を見ると、確かに複数あるうち一つの目が焼けただれていた。どうやらあいつで間違いないらしい。
「どうするの?がっちり守っちゃってて、こっそり漁れそうにないけど」
「あの地形だと誘き出さないと厳しいですね」
大蜘蛛が通ればいっぱいになりそうな渓谷の裂け目。その奥は10メートルくらいか。たぶん少し広くなっているけれど、戦闘には向かない。
手前はところどころに岩陰がある物の広い。ここから蜘蛛までは300メートルほどだろうか。
「レオン。お前や村の人が捕まった蜘蛛の糸ってどれぐらい飛んだ?」
『……我を愚弄するか?』
「こういう時にそういうの良いから。作戦建てないと、無策で突っ込んで被害を出したくない」
狼の背から降りて、あたりをうかがう。足場はしっかりしているから、戦闘には問題ない。土や砂利ではなく、岩盤の様な感じだ。これなら機動力の低下は無いだろう。
『……我が受けたのは、広がる糸だ。この距離よりずっと短い。だが、人の戦士は遠くまで飛ぶ糸で絡めとられた。この半分より短いほどは飛んだはずだ』
100メートルから150メートルくらいか。……単純に大きさによって能力が上がるわけじゃないだろうけど、子蜘蛛のスペックとの差を考えると、飛ばす糸が100メートル強、広がる糸でも20メートルほどは見ておいた方がいいだろう。麻痺の毒を持った糸だ。中々に厄介だな。
「サクラさん、この辺の岩とか投げてあれ倒せたりしません?」
「……無茶言わないでよ」
「ほら、鬼人の時に倒木ぶん投げてたじゃないですか」
アレだって相当な重さだったし、行けたりはしないだろうか。
「……たとえばね、これくらいの石だったら片手で持てるのよ?」
サクラさんが拾ったのはバレーボールくらいは有りそうな石。うん、人が片手で軽々持つものじゃない。
「これを、こう全力で投げるじゃない」
ぶんっ!っと音がして、岩は50メートルほど遠くへ落下した。うん、普通に砲丸投げで世界新が取れる。
「でも、これより大きいとこう、バランスが悪くてね」
手の小さいサクラさんだと、いくら力が強くても片手で持つのは辛いか。
「両手だったらまぁ、ほらこれくらいは持ち上げられるけど」
サクラさんが持ち上げたのは二抱えは有りそうな岩の塊だ。たぶん、彼女が体育座りで丸くなったらそっちの方が小さい。
「投げるのは難しいのよ」
不器用なスローイングの様なフォームで投げられた岩は、20メートルほど先に落ちた。すごい音がしたけど、どうやら蜘蛛は気にしていないらしい。……離れていてよかった。
『……すげぇ』
レオンとサーヤが目を丸くしている。単純な力比べでも、この中でトップの実力だろうしなあ。
「ん~……この飛距離だと蜘蛛の糸の餌食ですね。片手で投げられる方はともかく大岩は抱えて動くのは難しそうですし」
「いつものように動こうと思ったらさすがに無理ね」
投げ方によってはもっと飛ばせるだろうけど、さすがに100メートル以上投げるのは人の人体構造的に無理か。
そして正面切って戦わないなら、サクラさんは近接攻撃で殴った方が強い。
「……となると、遠距離からおびき寄せて、側面から急襲で仕留める、もしくは行動不能にする。ですかね」
幸いにして、あいつが居座っている谷のくぼみの出入り口には岩陰も多いし、それなりに広い。
「問題はどうやって誘き出すか、じゃないの?」
「そうですね……まあ、これを使って何とかしましょう」
村長さんから預かった小さな革袋には、残りのありったけの魔石が入っていた。
「ええっと……これで最後、かな?」
魔王剣で地面に最後の印を刻み、見様見真似で書いた魔法陣を完成させる。モノクルの識別モードで確かめると、どうやらうまくいっているようだった。
「発火……これで集めた枯れ枝に火をつけてください。そしたら、位置について作戦開始です」
「りょーかい」
サクラさんと一緒に、自分も焚火に火をつけて回る。
前後を空けた6つの焚火に火が灯る。これで一通り準備は完了だ。
互いに頷き合うと、サクラさんは岩陰に隠しながら崖のくぼみに近づいていく。彼女にも、狼たちにもすでに隠れ身を掛けてある。150メートルほど先に居る大蜘蛛が捕らえているのは、既に俺だけになって居るだろう。
蜘蛛は動く気配はない。気づいては居るはずだ。準備の間も偶に子蜘蛛が寄って来ていたが、それは俺の背後を守っているサーヤが駆除してくれていた。レオンとイゴールさんは既に定位置についている。
「さて……それじゃあ始めますか。光熱保持」
キーワードを唱えて魔術を発動させると、地面に描いた魔法陣が反応し、焚火の光と熱が小さくなった。が、燃焼して灰になっていく速度は変わらない。
この世界も魔術には、魔力のほかにエネルギーを消費する。そしてその量は魔術によって起る現象そのものが必要なエネルギーと等価である。どういうことか。魔素なんてよくわからない要素が存在している世界であるが、この世界でも質量保存の法則やエネルギー保存の法則と言った物理的な制約に縛られるのだ。
例えば火を着ける魔術を使った場合、基本的には着火に必要なエネルギーが体力から奪われる。奪われる効率は自力で火をおこす――例えば木の棒を使って摩擦で火をおこす――よりずっと少ないが、大きな現象を起こそうとすれば、それだけ体力が奪われる。
この世界で攻撃魔術が不遇な理由はここに有る。ラーンさんが使う魔弾や俺のが愛用している炎弾のように、威力の低い魔術は必要なエネルギー量も少ない。しかし、逆に大きな破壊をもたらすような魔術については、魔力より体力の消費が大きすぎて使いづらいのだ。メアリーさんが符で発動させていた火炎矢など、普通は数発も打てば息が上がってしまうだろう。
そのままでは威力のある魔術など使っていられないが……まあ、そこは裏技と言うか、別の魔術と組み合わせる事によって解決する術がある。それが、わざわざ時間を掛けて書いたこの直径5メートルになる魔法陣だ。
さっき発動させた光熱保持は光や熱エネルギーを一定時間保持すると共に、のちの魔術で使用する魔術。これにより目には見えないエネルギーは、空間に伝播することなく今も俺の周りに漂っている事になる。熱は原子の振動、光は光子でありどちらも質量は非常に小さい。これを逃がさないだけならば、体力の消費は微々たるもの、と言うわけだ。逆に魔力は結構食うのだけれど。
「魔素吸収」
ステータスカードの魔術リストを組み替えながら、手に持った魔石から魔力を補填する。すでに魔石は1個を消費し、現在は2個から同時に供給をしている状態だ。これによっていつもの魔力34よりも一時的に体に魔素をため込むことができる。
「標的」
残り少ない矢の一本に標的を発動。これは直接触れていなくても、対象に魔術がかけられたり、それを目標にして魔術を発動させたり、そこから魔術を発動させたりと言ったことが出来る魔術。
俺がメアリーさんの店で探していた回路接続や共鳴連結と言った魔術の遠隔操作を行うものの一つ。二つに比べると一方通行で秘匿性も無い上効果時間も短いが、魔力消費が少ないのがメリットだ。
基本的に、魔術は自分を中心に発動して、離れれば離れるほど魔力と体力を消費する。150メートル先の蜘蛛に対して魔術を直接かけたり、攻撃するような術を今のところ俺は知らない。
だからこういう小細工が必要になる。
大きく矢を掲げて振り、最後の合図を出す。さて、ここからは一気だな。
「遅延詠唱・十秒、飛ぶ剣」
遅延詠唱は指定した時間遅れて魔術を発動させる補助魔術。矢に発動させた飛ぶ剣に効果がかかる。
飛ぶ剣はあくまで対象を目標方向に加速して打ち出す魔術だから、別に対象が剣じゃなくても構わない。重い物は無理だし、矢などは弓で射った方が初速が早いから普通はメリットがないけれど、この使い方なら飛距離を伸ばせる。
出来る限り思い切り弓を引く。狙いはあとから飛ぶ剣とモノクルで着ければいいのだ。今は遠くに飛ばすダ事だけを考えればいい。
びんっ!っと弦をはじく音と共に、矢が高らかと宙を舞う。
後はタイミングをミスらなければいける。
「指定・標的!」
魔術の起動場所に標的をかけて放った矢を指定。それと同時に発動した飛ぶ剣で、矢は蜘蛛に向かって進路を変え加速する。
「解放!」
光熱保持でため込んだエネルギーを次の魔術に指定。ここから見ただけで先は試してない。魔力値は58。説明通りならいけるはずだ。
「いけっ!火炎球!」
力ある言葉を唱えた瞬間、矢は火の玉へと姿を変えさらに加速する。
そして次の瞬間、あたりに爆音が轟いた。
遠距離から最大火力の魔術で狙撃。それが今回俺が選択した作戦だった。
魔力消費量55。魔石の力を借りて、エネルギー代替の魔術を使って、俺が何とか打つことが出来る最大威力の魔術。
炎と煙は大蜘蛛を覆うように広がり、あたり一体に火の粉をまき散らす。
壁に張り付いていた蜘蛛の体がグラっと傾き、大きな音を立てて地面に落ちた。
「……やったか?」
魔術によって発生した煙と、大蜘蛛が落ちた時に生じた土煙で良く見えない。
身体にはどっと疲れが出る。ストックしていたエネルギーと、周囲の外気からもエネルギーを回収する設定で放ったが、それでも足りない分の体力を持っていかれている。
火炎球によって発生する炎と衝撃は、炎弾や火炎矢の比ではない。出来ればこの一発で片付いて欲しいが……。
「相変わらず世知辛いっ!」
煙の向こうから、大蜘蛛が飛び出してくるのが見えた!
『乗ってください!』
弓を放り出してサーヤに飛び乗ると、彼女は俊敏な動きて飛来した蜘蛛の糸を避ける。くっそ!予定より飛ぶじゃないかっ!
「予定通り下がって!あれから見えるようにっ」
どれだけダメージになって居るか分からない。あっちは随分ご立腹の様で、何本もの糸を飛ばしてこちらを捕らえようとして来る。ベルトを止める余裕は無いな。
『振り落とされないでくださいね!』
ベルトを固定している余裕は無かった。弓もいつも通り放り出したままだ。全く楽はさせてもらえない。
岩から岩へと飛び移る背中にしがみつく。大蜘蛛は弾数制限など無い様に糸を飛ばしてくる。こんなんじゃ剣は当然として、炎弾の一つも撃てやしない。そもそも、握りしめたままの魔石からどれだけの魔力が供給されているか見る余裕すらないのだ。
「あと20メートルです!」
蜘蛛はこっちに向かって距離を詰め始めている。まだこっちとの距離は100メートル以上ある。でも、目標は逃げ切る事じゃない。あいつを前に進ませれば……。
「っ!?」
大蜘蛛から放たれた糸は3つに分かれ、こちらの移動先をつぶしてくる。なんて器用な!
「次も来てます!」
弾速は無いのでギリギリのところで糸を躱してはいるけれど、直接狙ってくる糸と上から覆いかぶさるように振って来る糸を同時に避け続けるのは厳しい。
「体力持ってくれよ……炎障膜!」
魔術を発動させた瞬間、身体にどっと疲労が押し寄せる。しかし生み出された炎の膜は飛んでくる蜘蛛の糸を阻み、燃焼させる。
炎障膜は風障膜から派生した防御魔術だ。風障膜が渦巻く風で飛来物を防ぐのに対し、炎障膜は風の力による阻害は弱めで、燃焼させて飛来物を防ぐ。
ただし火力が低いため、投石などは防げないし、矢は全部火の矢となってこちらに降り注ぐという曲者。そのうえ体力の消費が大きく、ぶっちゃけ虫よけ位にしか使えない。
それでもこの魔術を選んだのは、糸の麻痺効果を少しでも弱められればと思ったからだ。レオンが貰った糸の麻痺効果はだいぶ弱まっていた。それを剥いでいた子供たちに影響が出ていなかったのがその証拠だ。そうすると、中和出来るのは熱か、それとも電気か。どちらにせよ、燃えて気化して効果が広がることはない。
「上手くいった!今のうちに!」
燃え上がった炎は糸を伝い大蜘蛛まで迫る。根元はすぐに乾き始めていて火の勢いは次第に弱くなるが、それでも蜘蛛は警戒したようで、こちらに向けて歩みを進めてきた。
「引き返してください!始まります」
『心得て!』
サーヤが踵を返し大蜘蛛へと走り出す。
その瞬間、大蜘蛛の巨体を雷撃が貫いた。
『フーハハッ!先ほどの狩りを返させてもらうぞっ!』
レオンの景気のいい叫びがこっちまで聞こえてくる。崖の近くに隠れていたレオンとイゴールさんが、挟み撃ちにする形で雷撃を浴びせ始めたのだ。
『……まったく、あんなに一方的に撃ったら、すぐに息が上がってしまうのに』
その様子を見てサーヤはため息をついた。なるほど、狼の雷撃もやはり体力は消耗するのか。
大蜘蛛は糸を吐いて応戦をしようとしているが、移動しながら放たれる雷撃狙いが定まらない。その上、当たり所によっては雷撃によって発火するので随分と窮屈そうだ。予想以上にうまく立ち回れている。
しかし、雷撃自体はあまり有効打になって居る様子がない。だいぶ体表面を流れている感じがする。
近づいてみると蜘蛛の背中がはっきり焼けているのが分かる。火炎球はそれなりの効果があったようだ。
それでも即死には至らないし、動きにも大きな支障が出ているようには見えない。普通だったら致命傷だろうが、この世界の魔獣は生命力も自己治癒能力も高い。逃げていれば倒れる、なんて希望は持たず、確実に仕留めるべきだろう。
「雷撃に俺とサクラさんを巻き込まないように!」
『分かっていますよ』
十分に近づいたところでサーヤの背中から飛び降りる。
魔力は12。すでに魔石は魔力を吐き出し切って、ただの石に代わっている。
代わりの魔石をポケットから摘まみだして魔素吸収を発動。これで残りの魔石は4つ。村長さんが残りの報酬分も先渡ししてくれて助かった。
「サクラさん!行けますよ!」
「待ってたわよっ」
岩陰に隠れていたサクラさんが飛び出すと、全力でハルバートを振るう。ぐちゃりと潰れる様な音がして、後ろ足の一本が切り落とされた。
隠れ身からの奇襲。ただ、いくら何でも殴れば気づかれる。
「足!一本横からっ!」
「っ!?」
器用に振るわれた大蜘蛛の足を、声に反応してぎりぎりのところで避ける。
「束縛糸」
その足に光の糸が絡みつき動きを止めた。あの巨体だ。効果は一瞬しかない。けれどサクラさんにはそれで十分な時間がある。
「もういっちょー!」
サクラさんの雄たけびと共に振るわれたハルバートが、2本目の足を切断した。
「雷撃が来ます!離れて!炎矢!」
メアリーさんが焼いたであろう側の目を狙って炎の矢を放つ。それはわずかにずれて標的に当たり、小さな爆発と炎を巻き上げる。
しかし煙が晴れた後に殆どダメージは見られない。やっぱり炎弾から1段階上げた程度じゃ効果は薄いか。
大蜘蛛から距離を取ると、すぐに狼たちの雷撃が走る。傷口から漏れる体液が焼け、焦げたニオイが漂う。それでも動きは全く衰える様子がない。
「地面に落ちた糸は踏まないで!足を取られますよ」
岩陰に身を隠してばらまかれる糸を避ける。どんだけ糸を吐きだすんだこいつは。
魔力は……2!?やっぱり一つじゃ回復が追い付かない。束縛糸も炎矢も魔力を喰い過ぎだっ。
『いい加減倒れぬかっ!』
レオンが大蜘蛛の足に向かって牙を突き立てる。しかし数百キロにはなるであろうレオンを大蜘蛛はものともしない。
「もう一回行くわっ!」
「焼けてる側の足を狙ってください。あと1、2本落とせば歩けなくなるはずです!」
再度飛び出していくサクラさんを目で追いかける。くそっ、フォローしなきゃけないのに体が重い。炎矢は地味に体力の消費が大きい。
雷撃を受けてか、大蜘蛛の体が沈み込む。そこへサクラさんが飛び込んでハルバートを振るう。
「これであとっ!?」
が、ハルバートが振り切られた瞬間、蜘蛛の体は彼女の目の前から忽然と消えていた。
「上ですっ!」
巨体からは想像もつかない俊敏な動きで、大蜘蛛は頭上高く跳ね上がっていた。蜘蛛の口元がやけにスローに動くのが見えた。
いけないっ、こいつは射程内だ。
拡散する麻痺の糸は遠くに飛ばない分、広域にばら撒かれる。俺やサクラさん、狼たちも射程内の可能性がある。
炎障膜は魔力も体力も足りるか不明。上手くいっても、燃える糸が俺たちの上に降り注ぐことになる。
打てる手立ては……
「束縛糸!」
魔術が発動した瞬間、強烈な目眩に倒れそうになるのを気力だけで踏ん張る。
もう体力の残りがヤバイ。いつもは体力に影響が出るほど魔術を撃てないから、こうもキツイとは思わなかった。
だけど目を離すわけにはいかない。
生み出された光の糸は、蜘蛛の口元にある付属肢に絡みつく。
蜘蛛はあの巨体には似合わない小さな腕のような機関で、巧みに糸を飛ばしていた。当然と言えば当然か。内圧で糸を自分の体長の数十倍も飛ばすのには無理がある。その動きを止めてしまえば、吐き出した糸の元を飛ばす事は出来ない。
蜘蛛の口から、ダラリと体液がこぼれた。
「あと頼みます」
「任せといて!」
蜘蛛の巨体が落下を始め、その体をサクラさんの投げたハルバートが貫いたのを見届けて、俺は地面に倒れ伏した。
……ダメ。もう一歩も動けない。
突き刺さったハルバートを避雷針に、体内まで焼かれた大蜘蛛が動きを止めたのはすぐ後のことだった。
お久しぶりです。hearoです。毎回この挨拶をしてますね。
ひと月以上開いてしまいましたが、大蜘蛛戦は1話でかたが付きました。いやぁ、難産だった。
落書きをしたり、pixivの方で2次創作を始めてしまったりといろいろ手を出し過ぎてますが、引き続き書いていきますのでよろしくお願いいたします。
□予約語
特定の魔術をステータスカードにセットしている場合に使用できる指示語の事。
遅延詠唱は全ての魔術で利用でき、指定時間(十秒等)魔術の発動を遅らせる。
指定は標的を含め離れたところにある物体と魔術的なパスを通す場合に利用される。
解放は光熱保持の予約語。次に使われる魔術に保持したエネルギーをつぎ込む。
□アキトの魔術リスト(大蜘蛛戦)
炎矢
火炎球
炎障膜
魔素吸収
応急手当
標的
光熱保持
束縛糸
魔石で魔力が普段よりあるので、炎弾から炎矢にグレードアップ。飛ぶ剣と入れ替えたのは束縛糸。使い終わった標的や光熱保持は外したかったけれど、そう余裕は無かった。