閑話3 春の夜の夢の話
お久しぶりです。
ずいぶん投稿が開いてしまいましたが、難産だった2章閑話を投稿です。
時間軸的には36部の龍人族と風の丘 1~2の間、ラーンと話した後、サクラと別れてギルドに寄って帰った後の出来事になります。
ではどうぞ。
シルケボーはエターニア近郊では外縁に位置する都市である。
当代魔王がギルドに通信装置を設置するまで、ここは早馬を乗り継いで何とか1日でエターニアへ情報を届けられる位置であり、かつてはエターニア地域の南の守りの要であった。
ソーマの勢力地が増えてからは防衛拠点としての重要性は下がっている物の、東から南に流れるクロートスト大河の豊富な水量と穏やかな気候、風の丘をはじめとする牧草地にも恵まれ、人類の一大生産拠点となっている。
そんな街であるから、当然集まってくる人種も多種多様。総人口の多い人間族、妖間族はもとより、エルフにドワーフ、犬人に猫人、爬虫、鳥人、魚人、牙狼に爪猫、妖精族やら不定族やら、はては実体を持たない幽鬼族なんてのも見かけたりする。
それだけ人が集まれば当然揉め事も発生するわけで、そう言うところでは必ず彼ら、彼女らが暗躍していたりするものなのだ。
人の悪意や欲望を喰らう種族。吸魔族が……。
宿から少し離れた所にある風呂屋を出ると、すっかりいい時間になっていた。
街の中で比較的大量の水を使う風呂屋や温室と言った施設は、どこも西側のエリアに集まっている。これはクロートスト大河から汲み上げた水を上水道を使っているかららしい。街並みの所々にあるアーチは上水道で、西から東に向けて伸びている。
この水道水は飲料以外の生活用水として用いられ、飲料水や料理には井戸水が用いられている。
主要都市ではすでに下水も完備されており、捨てられた水はすべて近くの処理場へ送られて浄化した後、大部分が農業用などにリサイクルされている。この下水システムがあるおかげで、エターニアやシルケボーなどのトイレは殆どが水洗となっていて、日本人の俺でも違和感なく使える。ありがたい話だ。
ちなみに、水の浄化には不定族が一役買っている。
不定族は体質がスライムの用に一定の形を持たない種族で、周辺環境を浄化して他の人類が生きられる環境にすることを役割としている。ローカル種族が結構多いが、ひと目に着く所で働いているのは堆肥を作るグリーンスライムさん、炭鉱などで火山性のガスを分解しているファイヤエレメントさんたちだろうか。
そんな不定族の中で、水の浄化に携わって居るのがブルースライムさん達。浄水場や下水処理所に行くと配給を待つ彼らの姿が見られるはずだ。
エターニアではその人口から一時期汚水の量が増加し、それにともなってブルースライムさん達の人口が激増。逆に汚水が足らなくなり彼らが下水を選挙するという自体にまで発展したらしい。
各地への移住が進んで食糧問題は解決したが、彼らに配慮して今でもた地球の技術を用いた浄化設備は半分置物になっているらしい。
それは置いといて。
川から水を引いている関係で風呂屋のような施設は当然西側に集まるわけだが、人が集まるエリアがあれば当然そこで商売をする人たちも増えてくる。
食堂や宿屋など可愛い方で、中にはかなーりいかがわしいサービスをしてくれるところもあって……。
「そこの兄さん!よってかないかい!可愛い子居るよっ!」
すでに深夜になりつつある時間だと言うのに、路上ではこの世界で珍しいカラフルなハッピを来た呼子たちが、道行く人に声かけている。……魔王のセンスはどうなっているんだろう。
「そこの兄さん!どうだい?見ていくだけでも!可愛い子居るよっ!」
呼子のニイサンを追い払ってため息を着いた。
この世界じゃ、魔王の支配地域にあるいわゆる風俗店は全て公営だ。つまり一癖二癖ありそうな呼子のニイサン達もみんな公務員。もちろん、店の中でそういうサービスをしてくれるお姉さんたちも皆さん公務員だ。
魔王城で聞いた話じゃ、ギルドと同じネットワークを使った顧客管理までしているらしい。呼子に誘われてホイホイ着いていったら、数日後には相手からプレイ内容まで魔王に伝わっている可能性がある。どんな地獄だ。おまけに、いま俺の行動を確認しているのはミーナさんとメーナさんの二人。そっちに報告が伝わった日には顔を合わせられない。
そんなわけで、色街は俺にとっては全く縁のない所に成っている。
「ちょっとちょっと、そこの物欲しそうな顔してるお兄さん。少し遊んでいかない〜?」
声を掛けてきたのはゆったりとしたローブに身を包んだ若い女性。くすんだ赤い髪に、羊の角が生えている。年齢定期には10代にも20代にも見える。吸魔族の一種、淫魔の代表的な特徴だ。
「結構ですっ!」
しっ!しっ!寄ってくるんじゃない!
人の性的な欲望を吸収するサキュバス・インキュバス種は、この世界で昔から水商売を生業とする人類だ。
「そうな無下にしない〜の。お兄さん、溜まってるわよねぇ〜」
何がですかね?何がですか。
妙に馴れ馴れしくしなだれかかって来るが、ここで気を許してはいけない。彼女たちは公務員ではないけれど、こういう生物なんだ。漂う甘い香りに騙されては行けない。
「淫魔に絡まれて喜ぶ趣味は無いんですよ」
「あら?あたし達は貴方が望む望まないにかかわらず引き寄せられるものよ〜。そうでしょう?」
「俺にも好みがありますんで」
「それこそ、あたしだったら思いのままじゃない?お店に入るよりずっとお、と、く、よ」
「そういう所が好みじゃないんですよ。自分の欲求管理くらい自分でできます」
「またまた〜。そう言ってる子が一番危ないんだからね。ふとしたきっかけで爆発しちゃわないように〜、お姉さんと遊んでいきましょう〜」
くそっ、妙にしつこい。
「結構です!」
腕を振りほどいて早足に歩く。
しばらく背後から声が聞こえていたが、途中で諦めたのだろう。宿につく頃には姿が見えなくなっていた。
……つかれる。塩でもまいておきたい気分だ。
サクラさんはもう帰っているだろうか。特に何もなければさっさと寝てしまおう。
□□□
トントントン。
包丁がまな板を叩く音がかすかに聞こえる。
薄っすらと目を開けると、リビングのテレビが見えた。
あれ?
辺りを見回すと、自分はどうやらリビングのソファに座ってぼっとしていたようだ。
寝ぼけていたんだろうか?
ちゃんと制服を着ているし……部屋から降りてきて、ソファで寝てしまった?今何時だろう?
「アキト〜、起きてきたなら朝ごはん運んじゃって〜」
キッチンからサクラさんの声が聞こえる?
あれ?……えっと……ここは俺の家で……いや、そもそも転校しなかったっけ?
えっと、それから異世界に召喚されて……魔王の所で地獄を見て……独り立ちしてサクラさんと出会って……なんで帰ってきたんだっけ?
首をかしげながらキッチンに向かう。
そこには白いワンピースの上からエプロンを付けたサクラさんが居た。
「サクラさん?」
「……どうしたの?アキト。変な顔して」
フリルの付いたエプロン姿がとても愛らしい。
「ええっと……あれ?どうしてここに」
記憶がはっきりしない。
「?……寝ぼけてるの?」
「ええ……いやまぁ、どうも頭が動いてないみたいで」
「……まあ、こっちに来てすぐじゃ仕方ないわね。アキトは戻って、だっけ」
戻って……そうか。戻ってきたのか。
「魔王様にお願いして、こっちで二人で暮らせるようにしてもらったんじゃない」
……ああ、そっか。
鬼人との戦いで身の危険を感じた俺は、あの後すぐにレベルアップボタンを押して……。
その報酬の一つとして、サクラさんの呪いを防ぐ手立てを貰って……。
あっちをしばらく放浪した後、なんだかんだでサクラさんと二人、地球に戻ってきたんだっけ。
「今日から学校に戻るんでしょ?早く起きたとは言っても、のんびりしてていいの?」
時計を視ると6時半になろうかと言う所。向こうの世界じゃ動き出してる時間だけれど、こっちじゃまだずいぶん早い。
「大丈夫ですよ。まだ時間は十分あります」
「そう?それなら良いんだけど。はい、これ運んでおいてね」
そう言って差し出さた椀を持つ彼女の左手薬指には、白銀に輝く指輪がはまっていた。
それは受け取るために差し出した俺の左手にも……。
「どうしたの?」
「……いえ、なんでもないですよ」
そっか……俺たち……だから戻って……。
「もうすぐパンが焼けるから、ちょっとまってね」
そう言ってコンロに向かうサクラさんの背中はとても愛おしいものに感じられて、俺は思わず背中から彼女を抱きしめていた。
「きゃっ!……ちょっと〜」
「すいません」
抱きしめた彼女の身体は細く、とても良い香りがする。
「火を使ってるから、危ないわよ」
そう言いつつも、手を振りほどく様子はない。
パチパチと薪の燃える音が、静かな朝の空気に小さく響く。
「止めてしまえば大丈夫ですよ」
「そういう問題じゃ……やん、まだ朝だし、遅れちゃうわよ」
「気にしなくても大丈夫ですよ」
そう、気にしなくたって良い。
「サクラさん……」
俺は彼女に回した手に力を籠める。
「なぁに?」
「…………魚焼きグリルはね、……薪を籠めるところじゃねぇんだよっ!」
「うぎゃっ!」
そのままバックドロップを決めると、サクラさんもどきは悲鳴を上げて床の上を転がりまわった。
夢の中ならこんなことも出来るぜ!
「いたたたたっ、何するのよっ!」
「それはこっちのセリフだっ!」
おかしい。この状況は明らかにおかしい。
制服は前の学校のものだし、家もあのクソな親戚に売り払われた実家だ。
何の脈絡もなく俺とサクラさんは婚約か結婚かしてるし、そもそもグリルに薪突っ込んで調理してるってどういう状況だよ。
「ちっ!やっぱりディテールが甘かったかぁ」
「そういう問題じゃねぇよ!」
常識をディテールと言うのは間違っている。
「この明晰夢。記憶にないけど……あんた、サキュバスだな?」
吸魔族の一種、淫魔種。
夢の中で自らの欲望を体験させることで、その欲望を吸収して邪淫を抑えることを役割とした種族だ。
その性質から数百人規模以上の集落には必ず一人は居るとされるが、普段は他の種族に外見を変えていることも多い。
「さっき、歓楽街で俺に絡んできたやつだろう?いい迷惑だ、さっさと帰れ」
淫魔種の特徴は、淫らな夢を見せてターゲットの欲求不満を解消することだけれど、大きな問題2つある。
ひとつは夢の内容がターゲットの欲望であり、制御が聞かない点。自分自身も気づいていない欲望を彼女たちにぶつけることになる。
そしてもうひとつは、ターゲットが夢の内容を忘れてしまうこと。目が冷めたらきっとこのやり取りも俺は覚えていないだろう。
淫魔種に欲望を吸われた後の朝は、それは清々しい目覚めだ。
そしてなぜそんなにも清々しい目覚めなのか、何一つ覚えていないのだ。せいぜい、少しいい夢を見た気がするくらい。
魔王がまとめていた最新の研究では、自分の欲望を直視することが良いとは言えないかららしいが……。
淫魔種に欲望を吸われるって事は、自分も気づいていない欲望を赤裸々にさらけ出した上に、自分は全く覚えていないということ。ちなみに淫魔種の方にはしっかり記憶が残る。
……誰が喜ぶんだよ。
「そーゆう分けにも行かないのよね〜。ってことで、テイク2行ってみましょうか〜」
「なっ!?」
サクラさんの姿をしたそいつが起き上がると、周囲の空間がぼやけると共に、強烈な睡魔が襲ってくる。
「まてっ……」
「ん〜、どうしようかなぁ〜……あんまり選択しないし〜……」
伸ばした手は空を切り、膝をつくように倒れ込む。
必死の抵抗も虚しく、俺の意識は闇の中へと落ちていった。
………………
…………
……
□□□
薄っすらと目を開けると、随分と見慣れた天井が目に入る。
あれ……ここは……俺の部屋?
そう、魔王城で3ヶ月間俺が使っていた部屋の天井だ。
あれ?俺……出なかったっけ?
3ヶ月かけて試験に合格して、呪いが解けて、城を出て……サクラさんと出会って、鬼人と戦って、シルケボーに付いて……あれ?
まさか……夢?
夢を見ていたんです?
思わず飛び起きようとすると、自分の体が動かないことに気づく。
「あん♪」
それと共に、艶っぽい声が吐息とともに耳元で響いた。
……え?
「どうしたんですか?こんなに朝早く」
声のした方を見ると、腕の中で小さな垂れ耳が2つ、ぴくぴくと動いていた。
俺を見上げた彼女と目が合う。
「……ミーナ……さん?」
「寝ぼけているんですか。ちゃんとミーナって呼んでください」
「え?ああ……ごめん、ミーナ」
「はい♪」
やばい、超かわいい。なに?なんでこんなことに成ってるんだっけ?
微妙に記憶がはっきりしないけど、ここは魔王城の俺の部屋だ。ベッドの感触が妙に柔らかいけど間違えない。
「ん……まだ随分早い時間ですね」
「!?」
体を起こしたミーナさんは何も身に着けていなかった。
透けるように白い肌。腰骨の少し下のあたり、まさに尾骨から生えた尻尾がくるりとひるがえり、微かにお尻の割れ目が……。
「メーナ、起きてる?」
「……ん?」
声を聞いて初めて、自分の左手にもう一人寝ていることに気がついた。
それと同時に、体が動かなかったのは腕枕をしていたせいだと言うことにも気づく。
「……まだ眠い」
俺の隣で、メーナさんがもぞもぞと動く。
薄いシーツの間から、ミーナさんと同じように白い肌とそして……。
「お水、飲みますか?」
掛けられた声に振り返ると、シーツで少しだけ体を隠したミーナさんがグラスを差し出してくれた。
「……ああ、ありがとう。もらうよ」
メーナさんをできるだけ起こさないように体を起こす。
彼女は朝が弱いのか、無くなった腕枕の代わりを探して俺の体に抱きつくと、スリスリと頭を擦り付けた。
……やばい、太ももとかに柔らかいものが当たっている。
乾いたのどに水を流し込む。
「私ももらいますね」
白い喉がなまめかしく動く。
「……私も飲む」
伸ばされる白い腕。肩から鎖骨へ……慌てて目をそらす。
やばい、頭が回ってない。あれ?なんでこんな状態なんだっけ?
目覚める前の事を思い出そうとしても記憶がはっきりしない。
「起きるにはずいぶん早いですけど、どうしましょうか?」
「えっと……この状況の説明をしてほしい……かな」
「……寝ぼけてる?」
いやいや、こっちは大真面目なんだが。
「もうひと眠りしましょうか。えいっ」
「おうっ!?」
抱きついてきたミーナさんを、倒れこむように受け止めた。
柔らかい感触と心地の良い重さ。
「……それもいいけど……寝るにはちょっと元気」
「……ほんどだ。もぅ、これじゃ寝られませんね」
二人の太ももが俺の足に絡みついてくる。待って、それヤバイ。
「昨日もあんなに頑張ったのに、まだまだいけますか?」
「……アキトさんなら、大丈夫」
メーナさんが首に手を回す。
顔が近い。すでに吐息がかかりそうな距離。
「それじゃあ、アキトさんに選んでもらいましょうか?」
「……選んで?」
「え、選ぶって何を?」
まずい!なんかきっとまずい状況なんだろうけど、自由になるのは両手くらいで、それもおいそれと伸ばせないしっ!
よくわからないけど、このまますごい流されたい!
「もぅ、どちらをかわいがって下さるか、ですよ」
「ちがう」
「メーナ?」
「どちらを先にかわいがるか」
「……そうですね♪」
すでに二人との距離は指一本分ほどになって居る。
「それじゃあ、選んだ方に……」
「最初は……口づけを……」
吐息がかかる。
二人が目を閉じる。
部屋を照らすランプの明かりに照らされながら、二人のつややかな唇はかすかにふるえている。
さっき水を飲んだはずなのに、乾いたのどにはつばも通らない。
だめ、これはまずい!これはダメなやつっ!
自由になる両手を、二人の背にそっと回す。
「あっ!」
「ん!」
かかる吐息は火傷をするのではないかと言うくらいに熱を帯びている。
ああ、父さん、母さん、ごめんなさい。
俺は……いまから……。
いまから……この天国のような状況を……不意にします。
「ごめんっ!」
二人の頭を掴むと、思いっきりたたきつけた!
「あいたっ!」
その瞬間、影がぶれる。部屋が崩れる。
二人の体は溶け合い、やがて俺にのしかかるように座る一つの影になる。
「いった〜っ!もう少しだったのにっ!なにすんの!」
「それはこっちのセリフだ!」
これを夢だと把握して、おぼろげな記憶をたどる。
くそっ!あんまり思い出せない!でも、たぶん最初じゃないな!
「お前、サキュバスだな!俺の安眠妨げやがって!」
「せやから!せっかくいい夢見せてあげようってのに無駄にしてっ!」
ぼやけた陰から羊の角が見える。
そう、きっと宿に戻る前にあったサキュバスだ。しつこく声をかけてきていると思ったら、夜襲までかけてくるとは。
「今度はもう少しでいけると思ったのに!」
「ざっけんな!」
危なかった。
整合性はともかく、勢いだけで流されるところだった。
この先どうルートを進めたらあの状況になるかわからねえのが救いだったな。
淫魔種の夢は、夢と認識されたら効果が薄れる。
だから登場人物も導入も比較的リアルに作られる。そしてだからこそ夢を媒体に邪淫を吸いとることができるのだ。
逆に無理なシチュエーションで夢と気づかれては意味がない。そこが唯一と言っていい弱点である。
「もうっ!そんな頑張らないでおとなしく食べられちゃいなさい!えいっ!」
「てめっ!」
組み伏せられた俺に吹きかけられた甘い息。
夢の中で眠りを誘う魔術。
身動きが取れないまま、俺の意識は再び……。
………………
…………
……
□□□
気づくとソファの上で押し倒されていた。
「それでは始めましょうか」
栗毛色の髪をした20代前半くらいの女性が、俺の上にのしかかっていた。
え?なにこの状況!?
「け……ケイティさん!?」
そう、この人ケイティさんだ!エターニアのギルド職員の!
「大丈夫ですよ。すぐに……は終わらないように頑張ってくださいね」
そういうと俺の腰に手を回し、素早く鎧をはずしてっ!
「魔王様から大事なマジックアイテムを預かっているのでしょう。旅先で誘惑に負けないためにも、少しは耐性を付けていただかないと」
気づいた時には彼女の服もはだけている。
日本人に近い、少し黄色味がかった艶やかな肌。
吸魔族の中でもバク種は色事は専門外なはずだけど、彼女の妖艶さはきっと淫魔種にも劣らない。
「さぁ、元気もよくなったところで……」
彼女の顔がゆっくりこちらに近づいてくる。
柔らかい下腹の感触が、すでに準備万端整った俺の息子に小刻みにこすりつけられている。
「最初の口づけは私から。そのあとはあなたの好きに……」
そう言って目の前に迫った彼女の顔に……。
「さすがに無理があるっ!」
思いっきりヘッドバットをかました。
ゴンッ!
「あいた〜っ!!!」
こっちも額が痛い!
だけど周囲の風景は崩れ、彼女の姿も陰になる、
やっぱり!淫魔種か!
「もう!ええかげんにしてっ!」
「そっくりそのまま熨斗付けて返すぜっ!」
これ何度目だ!?
「もうええやん。ぶちまけてしまえばええやん!溜まってるの事実なんやし!」
なぜか似非っぽい関西弁で怒りをぶちまける。
「そりゃ、あたしの不手際もあるーよ?いっちばん良さそうなシチュエーションは、うまく表現できなかったけど!しゃーなーやん!異世界人なんて初めてやし!」
「ならその時点であきらめろっ」
一番良さそうなって……サクラさんが魚焼きグリルに薪つっこんでたあれか。
「だいたい!あんたの記憶、女の子少なすぎ!最近でまともに話した相手って数人だし!」
「余計なお世話だっ!」
文句は魔王に言ってくれ。
この世界に来てから一番長く接しているのはサクラさんで、ミーナさん、メーナさん、それに3回目に出てきたケイティさんはそれぞれ二日……つか顔を合わせたのは2〜3回の相手だ。
「記憶もあんまり遡ると、今度はあたし達の仕事じゃない感じだし!」
どこまで覗いたか知らないけど、サクラさんのシチュエーションが俺の家だったことを思えば、だいぶ前まで見たのだろう。
父さん母さんが行方不明になって、頭ん中ぐちゃぐちゃしているときの記憶から引っ張り出せるものなんてそうありはしない。
このデリカシーの無さ!だから淫魔種は嫌なんだっ!
「夢を見れる回数にだって限度があるんやからね!」
「俺が余計なお世話だって言ってんだよ!いいから帰れ!」
わかんねぇやつだな。
「そういうわけにはいかん!」
「なんで!別に俺じゃなくてもいいだろう!?」
淫魔種は邪淫とともに魔力も吸う。
魔力ってのはこっちの人類にとっては生命力の代わりにもなるようなものだから、すべての吸魔族は役割を果たすことでそれなりのメリットが得られる仕組みになっている。
だから役割を果たすわけだが、相手は別に俺じゃなくてもいい。
「あかんて。あんた、自分で思ってる以上に疲れてるし、ストレスも感じてるんよ!」
「…………」
「欲望や悪意を理性でコントロール出来るのは、健康で心に余裕があるからよ?あたしらは夢の中で、そのための手伝いをするんよ」
「………………」
「夢をコントロールしてまであたしら跳ねのけられる精神力は、そりゃりっぱやけど!夢の中でもこれじゃ心が疲れてまう!」
「……………………」
「大人しく良い夢見とき。あたしらなら、どんな夢でも……お手の物よ〜」
ぼんやりと見えていた影が、赤髪のグラマスなお姉さんに代わる。
「街ですれ違った可愛い子も、メイドさんも、意中のあの娘も……どんな欲望にだってこたえられる。吐き出して楽にして挙げられる、よ?」
目まぐるしく姿は変わり、やがてサクラさんの姿で落ち着いた。
レースの刺繍が入ったワンピース姿の彼女を見て、俺は思わずため息をついた。
「……そういうデリカシーの無い所が一番嫌いなんだよ」
淫魔種の見せる夢は現実の続きだ。
だから『現実の誰か』を媒体に化ける。
「俺は夢の中だって……いや、夢の中だからこそ、自分の欲望を自分の大切な人たちにぶつけるだけなんて、ごめんだね」
淫魔種の見せる夢を忘れてしまうのは、自らの欲望を認識させないためらしい。
自分の隠れた欲望を認識することは心に負荷をかける。
だから夢の記憶はかすれて消える。
でも……俺はその事実を知ってしまったから。自分の大切な人たちを都合のいい人形に仕立て上げて、自分の欲望をぶつけるこいつらのやり方を受け入れることはできない。
「どうせ夢よ。欲望、欲求、邪淫……それはあなたから生まれても、あなたの一要素に過ぎないもの。あなたの思いを汚すようなものじゃないわよ」
「そうやって他人の姿で勝手に語る」
「そういう種族だもの」
サクラさんの姿のそれは、ため息をつくと肩をすくめた。
「今日はもう厳しいかしら。夢を見られる時間はそんなにないわ」
「ようやくあきらめて帰る気になったか」
「諦めないわよ?」
そう言ってニタリと笑う。
「あなたが諦めるまで、明日だって、明後日だって、夢で会いに来るから」
「……迷惑だと言っているだろうが」
「こんなに心の強い人、あたしは初めてだもの。必ず落として見せるわ!」
握り拳を掲げてエイエイオーと声を上げている。
あー……くそ。朝起きたらめっちゃ疲れてそうだなこれ。
諦めてもらう方法は……ぶっちゃけ、何も考えずにやっちゃうことなんだけど……あ、そういえば。
ふと、思い出した。
こいつらに関しては、その存在を知ってから−−いっぺん襲われてから−−対策を考えていたことがあったっけ。
「……明日も明後日も来られるのも迷惑だ」
「あら?そんなこと言っても駄目よ?」
「だから、今日口車に乗ってやるよ」
彼女の頭を両手でつかむ。
ここは二人の夢の中だ。
彼女は夢を通して俺の心に干渉する。そして、理論上は逆も可能。これだけ意識のはっきりした明晰夢ならなおの事。
「あら、急にどうして素直に……え?」
夢が揺らぐ。
彼女の側頭部からは羊の角が生え、赤く短い癖毛が跳ねる。
「え?なに?なにがどうなってるん?」
瞳は金色に、わずかにそばかすの跡が残る、俺と似たような年齢の少女。口調が似非関西弁なのは、訛りと翻訳のせいだろう。
「夢の共有は記憶の共有。お前が俺の記憶を覗くとき、俺もまたお前の記憶を覗いているんだ」
「ええっ!?ウソ?それはあかんて」
身長は少し低い。体型は……それなり。まぁ、実際はわからないけど、彼女の認識ならこれくらいなのだろう。
場所は……魔王城かな?ちょっと豪華なお城の一室。服装はシンプルだけど上品なドレス。お姫様願望があるんだろうか。
「はい、できた」
どこからともなく取り出した手鏡を渡すと、彼女の顔が驚愕に染まる。
普段は現実でさえ、精神干渉系や視覚干渉系の魔術を使ってごまかしている彼女の素顔。
「なんで?あたしがそのまま写っとる!これどないなっとるん!?」
その姿に驚いている。たぶん、そこまで経験豊富ではないんだろうな。3回も俺が夢に干渉できるくらいだし。
プロのサキュバスだったら、前置き無くこのシチュエーションにもってくるだろう。
「淫魔の夢は、現実の続きなら効果があるんだろ?」
「え?……そうやけどぉ……もしかして?」
「せっかくなら、着ぐるみじゃなくて君自身にお相手を願おうか」
「え?ええっ!?あかん、ソレダメなやつや!」
「ははは、何をいまさら!」
逃げようとする彼女を抱きしめると、ベッドに押し倒す。
「二度と俺の夢に入ろうなんて思わないくらい、恥ずかしい夢を見せてやるぜ」
「さわやかな笑顔で言われてもうれしゅうない!」
ばたばたと暴れるが、それで逃げられるわけもない。
夢への干渉は、結局は精神干渉系の魔術や魔法だ。しかも術者が自我を持って干渉した相手の記憶内を動き回れる、箱庭作成のようなもの。
こういった魔術は外身、つまり箱庭を作る効果がメインで、中での力関係はぶっちゃけ意思や目的が明確な方が強くなる。
「どうせ忘れちまうだろうけど……一応名前を聞いておこうか?」
「だぁかぁら!ダメ、あかんてぇ〜。近いっ!近い!」
「……名前は?」
「……あかんて」
「名前は?」
「…………――ん!?」
彼女がその名を口にした瞬間、その愛らしい唇を口づけでふさぎ……。
あふれ出した欲望は、夢の中へと溶けて行った。
………………
…………
……
□□□
小鳥の囀りで目を覚ます。
まどろみの中、柔らかな寝心地のベッドの上でゆっくりと意識が覚醒していく。
ああ、なんか久しぶりにとてもよく寝た気がする。
寝返りを打ちながら体をほぐし、ぶつからないように伸びをする。
なんか……夢を見ていた気がする。
それも飛び切り幸せな感じの奴を。
あ〜……なんだったかなぁ。なんで覚えてない……か。
ガバッ!
効果音がつくぐらいの勢いで飛び起きて……。
「……やられた」
わずかに開いた窓から入り込む風に吹かれながら、かすかに残った確かな痕跡に、俺は思わず崩れ落ちたのだった。
頑張りましたが俺にはこのくらいが限界でした。
予定ではもう一話・サクラさんとのお買い物&うさぎに名前を付ける話、の閑話を予定してましたが、こっちも難産になりそうなので先に3章の掲載を始めるかもしれません。
3章はプロットは決まり執筆中です。少々仕事が忙しくなっていて掲載開始までもう少しかかりそうです。
今しばらくお待ちください。