鬼と鬼人 4
それから……。
夕方までかけて村の周りを囲う柵の補強を終えた後、見張りを立てて交代で休憩を取りながら救援を待つことになった。
俺とサクラさんは交代で風呂を借りて汗を流し、宿の雑魚寝部屋に陣取って仮眠を取る。
こういう時個室を使わない理由は、何かあった時に全員を一度にたたき起こせるようにだそうだ。
俺、サクラさんの見張りの時間は明け方4時ごろから。
疲れているのもあるし、目標時間が決まっているなら、最大戦力であるサクラさんをできるだけ長く休ませたほうが良い。
村で唯一まともに戦闘向きの魔術が使える俺も同じらしい。
ラルフさんは夜目も鼻も利くからとほぼ徹夜するようだった。
そんなわで、やったことと言えば早めの夕飯を貰ってさっさと寝る。深夜に起きて、夜食を貰って更に寝る。
8時間以上の睡眠と過剰な食事を取って、見張りの時間になる頃には体力と魔力は多少回復していた。
体力:117
魔力:25
うん、体力は最大値(120)まで後ちょっと。魔力は予想以上に戻ってる。これならなんとかなるだろう。
鎧を身につけてから宿の厨房で二人分の朝食と水筒を貰って、先に見張り櫓へ向かったサクラさんの後を追う。
外はまだまだ暗い。
蟲人に気づかれないように村の中の明かりは消されているため、頼りになるのは月明かりと、行きがけに渡されたロウソクもどきだけだ。
ティーソーサーにカップの取手を付けたような金属製の燭台の上に、いびつな形の蝋らしき物体が盛られ、かすかな炎が灯っている。
整形された白いロウソクが簡単に手に入るほど工業が発展してはいないか。
そういえば、村の宿屋の部屋の明かりは浅皿張った油に糸を浸したランプだった。……本当に稼ぎが厳しくなったら灯屋も考えるかな。
日の出までは後2時間弱。ラルフさんの話だと、救援は日の出とともに近くの村を経つだろうとの話。後3時間も頑張れば俺達の役目も終わる。
担当になっている東側の櫓に向かう。
森のある、最も蟲人がやってくる可能性が高い方角だ。
ロウソクの明かりを消してから、細い樹をそのまま使って組まれたハシゴを登り見張り櫓へと上がる。
「お待たせしました」
「そんなに待ってないわよ」
上がるとサクラさんが一人、村の外を眺めている。
「ラルフさんは?」
初めの話では、ここに居ることに成っていたはずだ。
「ここに3人は多いから、南の方に行くって。ここ風上に成っちゃってて鼻が役に立たないって嘆いてたわ。会わなかった?」
「残念ながら」
通ってきた道が違ったか。
「食事をもらってきましたよ。後、温かいお茶も。どうします?」
「お茶だけ貰うわ」
布にくるまれた竹の水筒からお茶を注いで、サクラさんに渡す。
俺は自分の分のサンドイッチを貰ってしまおう。
「……食べられる時に食べるのが必要とはいえ、よく入るわね。私は夜食は要らなかったわ……」
「食べないと魔力が足らないので」
なにせこっちの人類と違って、生きてるだけで急速に魔力が回復したりしない。とにかく食べないとダメなのだ。
「様子はどうです?」
サクラさんの隣に座って櫓から柵を超えて東へのびるあぜ道の方を見る。やはり暗くてよく見えないか。
「今のところ異常はないわね。それらしい影の目撃情報も無い。このまま朝を迎えてくれれば楽でいいわねぇ」
「……そうは問屋が、って予測ですか?」
「こういうのは、ギリギリでやってくるものよ。9割終ってようやく半分って言うじゃない」
なんだろうね。この世界でもそういうフラグっぽい何かはあるのか。
「……そういえば、時間は図ってないんですね」
「無かったのよ。私達が来た時点で残り2時間だからね。村長の家では火を灯してるだろうけど、あれも貴重品だから」
機械式の時計なんてない世界だ。夜中の時間を計るのは一定時間で燃えるロウソクを用いた火時計だが、やっぱりそういうのも貴重品に成るのか。
まぁ、もう交代もないから夜明けまで時間を気にすることもそう無いだろう。
今は辺りも平和なもんだ。虫の鳴き声や蛙の声以外何も聞こえない。
「……可視化・暗視」
モノクルを下げて暗視モードを起動しておく。これはあまり遠くまでは見えないが、柵の外100メートルくらいまでなら効果範囲内。
暗視は僅かな光の増幅がメインのモードだ。
はっきり捉えるなら熱源の方がよいかもしれないけれど、蟲人は体温が外気と比べてそこまで高くないからとりあえずはこちらを使う。
「……しかし、5月半ばだってのに夜は冷えますね」
櫓の風通しが良いのもあるのだろうが、昼は暖かくなっていても夜の冷え込みはかなりのものだ。多分、今の気温は5〜6度ってところじゃないだろうか。
「毛布が置いてあるから使ったら?」
確かに登ってきたハシゴの側にグレーっぽい毛布が置いてある。
「サクラさんは要らないんですか?」
「1枚しか無いじゃない」
「それなら、サクラさんが使ってくださいよ」
自分だけ毛布にくるまるのは流石に情けない。
「私は大丈夫よ。野宿もそれなりに慣れてるしね」
「野宿の出来そうな装備じゃ無いですよね?」
サクラさんは結構荷物が少ない。普段ハルバードを背負っているためリュックが使いづらいこともあるのだろうが、大きめのウエストポーチ2つとウェストバックパック1つ持っているだけだ。
「……まあ、イラーナからエターニアの間は結構村も多いし」
確かにここまでは徒歩で移動できる間隔で村があった。シルケボーより南は馬車も出てないし、村も少ないらしい。
あまり荷物は増やせないけど、しっかり装備は整えたいところではあるな。
さて……それはともかく、毛布はどうするかね。
「……肩からかけるだけでも多少はマシですよ」
広げた毛布の端をサクラさんに渡す。幸い、それなりの大きさがあるから、そんなにひっつかなくても二人で使える。
そもそも櫓が狭いからそんなに離れることも出来ないんだけどな。
「私は大丈夫って言ってるのに」
「こういうのは男の見栄でもあるんですよ」
「……私だって、一応冒険者の先輩としての見栄が……」
「なにか言いました?」
「なんでもないわよ」
そっぽ向かれてしまった。何か気に障ることでも言ってしまっただろうか。
虫の声を聞きながら、ただただ夜明けを待つ。
気づかないうちにあいつが近くまで来ていたら……見張り櫓の目の届かないところから村へ侵入されたら……俺は何が出来るだろう?
カミキリムシはあまり飛行が上手くないらしいが、それでも飛べるのだ。村の囲いなど、運良く壊してくれれば気づく、程度のものでしか無い。
……ダメだな。こう、暗い中で黙っていると気が滅入る。
出来ることといえば……むぅ。サクラさんに話しかけようにも……話題がない。
冷静に考えると、俺はサクラさんの事そんなに知らないし、それ以上にこの世界の事を知らない。
自分がこの世界の人間でないことを話せればいろいろと話も弾むんだろうけど……話さないほうがいいって言われてるしなぁ。
そもそも、女の子を楽しませるようなトークの訓練はしていない。
話題だって、『あの番組知ってる?みたいなこと話しかけても首をかしげられるだろう。なにせテレビが無いし。
共通の文化的な背景が無いからなぁ。こっちの人類って、子供の頃とか何して遊んでるんだろう?成人が早いし、家の手伝いで遊んでいることなんか少ないのかねぇ。
……やっぱり知らないことが多すぎるな。だからこそ冒険者に成って世界を見て回ろうと思ったんだけどさ。
地道にやっていくしか無いか。
…………。
……。
「……悪かったわね」
「……はい?」
サクラさんが話しかけてきたのは、それからしばらくしての事だった。
「……俺、謝られる事有りましたっけ?」
「普通は人間族の……それも駆け出しの冒険者が鬼対策に関わることなんて無いはずだからね。私と仕事したせいで、こんな碌でもない事に巻き込んじゃってさ」
「別にサクラさんのせいじゃないですよ?」
「自分のためにあなたを誘って依頼を受けたのは私よ。それに、蟲人がああなったのは鬼の呪いのせいだもの。……生きてても、死んでも、他の人類に迷惑をかけてばっかり……そのくせ自分たちじゃ滅び去ることさえ出来ない。嫌になるわよね」
サクラさんはそっぽを向いてため息をつく。
鬼族か。始まりの女神は、どうして彼ら彼女らにこんな役割を与えたのかね。
「……俺はサクラさんに出会うまで、鬼族の人とあったことはありませんでした」
魔王城にも居たのだろうが、実際に会った中に鬼族の人が居た記憶は無い。
「家族や、大切な人たちが鬼族に関わったって話も聞きません」
この世界の人間じゃないのだから当然ではあるけれど、鬼族への恨み言も聞いた覚えはない。
「だからこんなこと言えるのかもしれませんが……鬼族が悪いわけでも、ましてやサクラさんが悪いわけでもありません」
彼女の決意は、その首輪に現れている。
魔王は鬼族を呪いから解き放つために、ステータスカードを創りだした。
もし、誰かを責めるべきなのだとしたら、俺が責めるのは未だにレベルアップボタンを押せない俺自身だ。
こんな状況であっても、自分が人間でなくなることに踏ん切りが付かない俺自身なんだ。
「それに、最初に受けた依頼はちゃんと完遂出来ました。あいつに気づいてしまった原因は俺にも有ります」
1匹目の蟲人をサクラさんが倒した時点で帰っていれば、何も気にせずに居ただろう。発見が遅れて被害が出たかもしれないが、俺達がかかわらなかった可能性は高い。
あの時、異常を確認に行くことには俺も同意したのだ。
しかも魔術を使って何かがあるのを確認したのは俺自身。ここに残っているのも含めて、自分で選択した結果だ。謝られるようなことじゃあない。
「それに……サクラたち鬼族が望んでそうあるわけじゃないでしょう?」
生まれを自分の力で変えることは出来ない。わかりきった話だ。
「……望んでそうあれたら、幸せだったかもしれないわね」
始まりの女神は鬼族に人の心を与えたから。
人類の脅威であるはずの鬼族に、人を愛する心を与えたから。
鬼族は自らの役割に忠実であることが出来なかった。
「……もし、ある日突然鬼族が人の心を失って、役割に忠実な種族になったとしたら……それは不幸以外の何物でもないでしょう?」
それは今と変わらない。
「そしてもし初めから鬼族がそういう存在だったとしたら、これまで何とかして鬼族が築いてきた幸せも、俺とサクラさんがこうして話していることも幻に消える……それは俺にとっては悲劇でしかありませんよ」
「……アキト」
「どのみち、後戻りは出来ないですからね。後で泣かないで済むように頑張るしかないでしょう」
俺が言えたセリフじゃないけどさ。
「……そうね。まぁ、悲観してもどうにも成らないわね。状況は悪くない。運が良ければ、このまま朝までなにもないわ。そうすればこのお仕事も終わりっ!シルケボーまで出てギルドに行けば懐もあったまるし……」
「……?サクラさん?」
「…………なんでもない。ちょっと冷えるわね」
サクラさんが毛布を引っ張って、肩が触れる。さっきよりも少しだけ、距離が縮んでいる気がする。
月明かりに照らされる彼女の横顔はとても幻想的だ。さらさらした白い髪が風になびく。
どこか儚げで、目を話したら消えてしまいそうで、ずっと見つめていたくなる雰囲気を秘めている。
こうしていると、この人が俺なんかよりずっと強いなんて想像もつかない。
昼間、蟲人と戦った時には驚くほどの力を見せてくれたけど、一体彼女の小さな体のどこにそんな力が秘められているんだろうか。
「……アキト?」
「っ……なんでもありません」
いかんいかん。一応見張りなんだから周囲を警戒しないと。
「ねぇ、アキト……」
「なんです?」
森へと続くあぜ道を見回しながら、サクラさんに返事を返した。
辺りは静まり返っている。
月の明かりに照らされた原野に動く影はなく、モノクルの視界には何も捉えては居ない。
火時計が無いからわからないけど、夜明けまではもう1時間を切っているはずだ。このまま何事も無ければいいけど……。
「……もしさ……もし……」
「?もし……っ!?」
サクラさんの方に顔を向けたその時、モノクルに小さく白い影がよぎる。
距離が遠くて解らない。小動物?……いや、そうでは無いか?
「……アキト?」
……動きは遅い。少し動いて、すぐ止まる。まるで蟲のような動きだ。
いつの間にか、辺りからカエルの声が聞こえなくなっていた。
「……なにか、居ます」
出来る限り小さな声でサクラさんに伝えると、彼女が身を固くするのが伝わってきた。
「サクラさんの正面よりちょっとだけ左。多分、80メートルくらい先、畑の所です」
このモノクル、ズーム機能とか着けるべきだろ。
この距離の暗視モードじゃ形が当てにならない。ただシルエットは微妙だけど、それなりの大きさはありそうだ。
「……来た……多分やつよ」
サクラさんがかすかな声で告げる。
「見えるんですか?」
問いかけに無言で頷く。裸眼の視力はそれなりに良いほうだったけれど、俺には暗くてさっぱりだった。
そもそも暗視モードじゃ色の判別は出来ない。
「薄っすらとだけどね。斑の羽……別の固体ってことは無いでしょうね」
「どうします?」
「このまま。気づかれてない内はギリギリまで時間を稼ぎましょう」
サクラさんの言葉に頷いて、少しでも目立たないように身を屈める。
幸いにしてこっちには気づいていないらしい。あいつの目と耳がどの程度良いかは解らないが、出来る限り長い時間気づかれないことを祈るばかりだ。
蟲人らしき影の動きは緩慢としていて、あぜ道を左右に行ったり来たりしている。
それでも少しずつ近づいてきているのか。モノクルに映る影が少しづつ大きくなっているように感じられた。
……もどかしい。
日の出まで後どのくらいだ?
日が昇ればここに村があることには流石に気づく。そこから救援が来るまでは時間稼ぎ。戦っている時間は出来る限り短いほうが良い。
火時計を使っていないのが悔やまれる。
村までの距離は後どれくらいだ。おおよそ50メートル?夜明けまでの時間は?夜空は薄っすらと明るくなってきている気がしないでもない。
影が村の手前で止まる。そのままソコで寝ていてくれれば……。
「……っ!」
サクラさんが息を呑む。二の腕を強く掴まれた。影がこちらに向けてまっすぐ動き出す。
「気づかれたっ!半鐘ならして!あたしは門の前で時間をかせぐっ!」
サクラさんが櫓を蹴って宙に身を躍らせた。グラリと揺れて体勢を崩す。
「武器も持たずに!くそっ!」
下を覗くと、門の支柱を蹴って蟲人らしき影の前に降り立ったところだった。
「ああもうっ!」
せめて俺の剣でも持っていけばいいのにっ!
櫓につけられた半鐘を叩く。1回、2回、3回。……鬼の襲来を告げる鐘の音が村に響いた。
明日も23時頃投稿予定です。