鬼と鬼人 1
蟲人がこちらに向かって飛翔した瞬間、サクラさんが弾けたように飛び出す。
狂ったようにまっすぐ突っ込んでくる蟲人に向かってハルバードを全力で振り下ろした。
その直撃を受けた蟲人は、弾かれたように山となった倒木に突っ込み、轟音響かせて反対側へと抜けていく。
「……こっんのぉ〜」
一抱え以上ある倒木をサクラは両手で持ち上げると、野球のピッチャーの様にそいつを蟲人に向けて投げ込んだ。
「ふたっつ!みっつ!よっつ!」
それも連続で。
木くずと土煙が巻き上がり、視界を覆う。
広場に落ちていた倒木の半数近くが、今の一瞬のやり取りで吹き飛んだ。
「……やったんだか?」
「はぁ、はぁ……まさか。鬼族は鬼族を殺せないのよ。それより早く逃げて。あいつ、狂ってるわ」
嫌な感じがしたのはそれが原因か!
「ハンスさん、村へ。大きな街に救援要請を。多分俺達じゃ倒せません」
「お前さん達はどうすんだ?」
「アレの足止めを」
「それなら俺も……」
「いえ、ぶっちゃけ殆ど役に立ちません。俺も魔術で足止めくらいか出来ませんし……サクラさんも二人面倒見るのは骨が折れるでしょう」
バキバキと気味の悪い音と共に木くずが舞い上がる。積み重なった倒木を押しのけて、奴が出てこようとしてるんだ。
「アキトも逃げなっ!」
「足止めの魔術ぐらい使えますっ! 森歩きなら、ハンスさん一人が一番早い」
「わかった。死ぬんでねぞ」
森の中に消えるハンスさんを見送って、弓を構える。あんなのと接近戦はしたくない。
「サクラさんも逃げましょうよ」
「その余裕があったらそうしたいわね。あ〜……曲がっちゃったかぁ」
振りぬきざまに打ち捨てていたハルバードを拾い上げる。柄の真ん中位から30度ぐらい背に湾曲してしまっていた。
幹が裂ける音が響いて、羽音と共に蟲人が飛び出した。
「どっちにせよ、飛ばれてちゃ厄介ですねっ!」
狙いを定めて矢を放つ。狙いは羽。どうせ胴体には刺さらないだろう。
狙い通りに飛んでいった矢を、蟲人は舞い上がって避ける。
そしてソレとともに急降下。
「もいっちょっ!」
今度は当たって鈍い音を立てた。だが頭に直撃したはずの矢はあっさり弾かれて、さしたる苦痛を与えた様子もない。
「このっ!」
突っ込んでくる蟲人を、サクラさんが迎撃する。だが横薙ぎのハルバードは機動を変えた蟲人についていけず空を切った。
飛ぶ速度が早くないのが幸いだが、こう飛び回られると戦いづらい。
「降りた瞬間に羽を狙います」
「気をつけて!ヘタしたらパンチ一発でお陀仏なんだから」
上空を飛び回って居た蟲人が地面に降りる。距離は7メートル。この距離ならはずさない。
今だっ!
矢を放った瞬間、腕を振り上げた蟲人が目の前に居た。
「へっ?」
横からの衝撃ぶぶっ飛ばされて転がる。
「がぁっ!」
「キシェェェェェッ」
サクラさんの声と、蟲人の鳴き声が重なった。
「……がはっ」
転がりながら、なんとか勢いを殺さずに跳ね起きる。
なに?なにが起こった!?
顔を上げると、蟲人に向かってハルバードが飛んで行く!
サクラさんは?さっきより森に近いところで片膝を付いている。蟲人も俺が居たはずの位置より随分と離れている。
くそっ、なんだあれ!?
多分助けられたんだろう。サクラさんは攻撃を受けて、それと同時に反撃をして、更にハルバードをぶち込んだってところか。
飛ぶより跳ねる方がずっと速いとか反則だろっ!
「応急手当」
駆け寄りながらサクラさんに治癒魔法をかける。
「ありがと。油断してないつもりだったけど油断した」
「こっちこそ、全く動けませんでした。使ってください。魔王謹製の剣です。そんじょそこらの武器よりは丈夫なはずです」
魔王剣を抜いて渡す。俺じゃ接近戦が出来ないことはよくわかった。
起き上がってくる蟲人に倒木を投げつけるているサクラさんに剣を渡す。
倒木は重量はあるけど、こんなの時間稼ぎにしか成らないな。
「借りるわ……私には軽いけどいい剣ね。早く逃げてくれると助かるんだけど」
「置いては行けませんよ。倒せないんでしょう?」
ジリ貧になるのは見えている。
たとえ蟲人のほうもサクラさんを殺せなくても、負傷した所を他の魔獣に襲われでもしたら事だ。
「とは言っても、打つ手が無いわよ?」
「そうですね……なにか考えます。少し時間を稼いでください」
「あんまり期待はしないでねっ」
サクラさんが蟲人に向かって駆け出す。剣が持ってくれりゃ良いが……とにかくなんか作戦を考えないと。
「可視化・魔素」
可視化モードを起動する。蟲人の体は紫色に染まっていて、そこから魔力が溢れ出している。
アレを散らしても効果があるとは思えない。
ステータスカードを引っ張りだす。
体力:101
魔力:17
体力も魔力もだいぶ減っている。これだとまともな魔術は後2回ってところか。
……だめだ、魔力が足らなくてアレの動きを封じるとかは無理。
ほかに出来そうな事は……そういえば!
「可視化・気体」
可視化モードで辺りを見回す。……あった。森のガスが溜まってる所。
来た時に確認したとおり、この広場の入口から右脇に延びる窪地に、濃いガスが溜まっている。
あそこに落として蓋をすれば、時間稼ぎぐらいには成るかもしれん。
「……だけど、薄いか」
モノクル越しにも底が見える程度の濃度。もっと濃いところは……あった。
開けた木々の先、濃い黄色の靄が湧き出している。あそこから湧き出したのが窪地に溜まってるのか。
近づいてみると、そこは幅5メートル、深さ3メートルほどの竪穴だった。これなら蓋もしやすい。
「風膜」
防御呪文である風障壁や、その下位版である風障膜より更に弱い魔術。
強い風や空気を防ぐ魔術を使って、竪穴にフタをする。
後はどうやって個々に落とすかだけど……。
サクラさんの方を見ると、蟲人と切り結んでいる。
若干サクラさんが押しているように見えるが、攻撃は有効打に成っていない。
鬼の呪いのせいか、それとも魔力で強化されているせいかわからんが、アレじゃ先に体力が尽きたら一気に崩れる。
「サクラさんっ!こっちに!気失いの森のガスが溜まってるところがありますっ!」
「了解っ!ちょっと大人しくしてなさいっ!」
サクラさんの一撃が蟲の脳天に決まり、頭が潰れ、跳ね飛ばされる。
きりもみ回転して森に突っ込んでいく蟲人に倒木の追い打ちをかけると、こちらに向かって駆け寄ってきた。
「この剣良いわ。受けても壊れないし。そして話には聞いていたけどきりがないわ。有効打は入るけど、すぐ回復されちゃう感じ」
「殺せない呪いってそんなんなんですか。足とか落とすのは」
「やってみたけど、落ちた足が飛んでってくっついたから止めたわ」
この世界は理不尽に満ちている。
「ここ?」
「ええ。落ちないでくださいね。普通じゃ見えませんけど、かなり濃いガスが溜まってます。漏れないように魔術で蓋をしているんで、濃度はどんどん濃くなってますよ」
「この中に叩きこめばいいのね?」
「それだとガスが散っちゃうんで……そうですね、真上を飛行させてください。魔術で落とします」
「……わかったやってみる。でもこれでダメだったら、貴方はさっさと逃げること」
「そうならない様に祈っててください。っと、後これ」
「小瓶?」
「アリのギ酸です。目とかにかけられませんかね」
視界を奪えれば逃走しやすくなる。
「なるほど。……多分、効果ある。ごめん、それお願いできる?私じゃすぐ再生されちゃうけど、貴方だったらいけると思う。一瞬動きを止めるから、まずはそれを」
そういうものなのか。
「了解。後は重しが欲しいんですが……」
そう言うとすぐにサクラさんは辺りを見回して、太い木に向かって魔王剣を振るう。
「でいっ、でいっ、でいっ!」
ミシミシと音を立てながら、あっという間に木が倒れていった。
「重しはこれでいいでしょ」
……剣と蹴りで一抱え以上ありそうな木を切れるもんなんだね。
「来るわよ、下がってっ!」
見ると臨戦態勢の蟲人が宙に舞い上がったところだった。くそ、1分も待ってくれないか。
そのまま一気に下降し、地をはうようにして煙を上げながらこちらに向かってくる。
速いっ!
慌ててサクラさんの背後に回る。さっきよりずっと速い。飛んでる最中に地面を蹴ってんのか!
「こいつぅぅぅっ!いまっ!」
飛び込んでくる蟲人をサクラさんが手前の地面に向かってはたき落とした。
蓋を開けたギ酸の小瓶を、大きな複眼めがけて投げつける!
「キシェェェェェッ」
瓶が砕け、ギ酸が撒き散らされる。体表面に痛覚は無いはずだが、蟲人が叫び声を上げた。
「そぉれっ」
飛びのいていたサクラさんが間合いを詰めると、蟲人の胴体をおもいっきり蹴りあげる。
竪穴に向かって跳んで行く蟲人。それが空中でくるりと一回転して羽を広げた。
「束縛糸っ!」
最後の魔力を使って発動させた魔術が、蟲人の片羽を縫い付ける。
俺の魔力では完全に動きを封じることは出来ない。
それでも片側の羽の動きを束縛するだけで、蟲は地に落ちるのだ。
「おまけでこれもっ!」
切り倒した巨木と、転がっていた倒木や岩も含めた幾つかを、穴に投げ込んでいく。
高さ10メートルはあろうかという木が穴から生えて、不思議なオブジェ見たくなっている。
「キ……シェ……ッ……」
バキバキと樹の幹を砕く音は聞こえるが、叫びはさっきよりずっと弱々しい。上手く行ったかっ!
「よし、なんかよさ気だから逃げるわよっ」
「言われなくてもっ!」
広場の入口から森の中飛び込む。
通ってきた道をとにかく後ろを振り返らず全力で走駆け抜けた。
□□□
どれだけ走っただろう?
途中で何かが崩れる音が後ろから聞こえた。だいぶ遠く成ってからだ。
「はぁ……はぁ……とりあえず真後ろには居ないみたいだけどっ」
「はぁ、はぁ……ですね。とりあえず休みましょう」
地面に座り込んで息を整える。くっそ、何だあれ。
速度も力も段違い。鬼人化するとああもヤバイのか。
「あっちのほうが……足が速いから……悠長にしてる時間は無いわよ」
「はぁ……はぁ……ええ、すぐ出ます」
体力:95
魔力:4
良かった。まだちょっとだけ魔力が残ってる。
「はぁ……はぁ……追っかけてきてますかね?」
「多分来てるわ。見失ってるとは思うけど、道がはっきりしてるもの。それくらいの知能は蟲人にもあるわよ」
「それなら……忍び足」
なけなしの魔力を使って、消音の魔術を発動させる。
「足音や衣擦れの音を消す魔術を使いました。多少は追跡をかわせると思いますが……もう魔術は打ち止めですけどね」
継続的に魔力を消費する魔術だから、どれだけ保つか……。
「……ありがと。ちょっとその異状なレパートリー気になるけど」
「まぁ、それは機会があったらってことで」
「行きましょう」
再度森のなかを出口に向かって走りだす。
足音、体に触れる草木のからの音だけが見事に消えている。
「そういえば、剣返すわね。ありがとう」
走りながら剣を受け取り鞘に納める。
「いえ。……ハルバードは捨ててきちゃいましたね」
「あなたの弓もでしょ。仕方ないわよ」
そういえば、一撃をもらいかけた時に放り出してそのままに成っていた。
「今はとにかく逃げましょう。生きていれば後でなんとでもなるし」
「同感です」
それから走り続けること1時間半あまり。なんとか森の入口までたどり着く。
忍び足の効果は30分と持たなかったが、どうやら上手いこと追撃をかわせたようだ。
「……み……水っ!」
荷から水筒を取り出して一息つく。キツイ。森のなかを走るのは相当きつい!
「ハンスさん、無事村に向かったみたいね。家の前に書き置きがあったわ」
どうやら家を確認して戻ってきたらしい。
「はぁ……余裕ありますね。ふぅ……怪我は大丈夫なんですか?」
一応治療はしたけど、蟲人の攻撃がそう軽かったとは思えない。
「うん。大丈夫みたいね。見てよこれ」
言われるまで気付かなかったが、サクラさんのレザーアーマーの左わき腹辺りには、大きな切り込みが入って白い肌が見えていた。
「治癒魔法が聞いたのか、傷一つ残ってないから。体の痛みもあれで取れたし」
「……応急手当にそんな回復量は無いはずなんですけど」
鬼が鬼を殺せないってのは、向こうからこっちも有効だったのだろう。なんにせよ、無事でよかった。
「あなたの方は?」
「特に問題は無いですよ」
幸いにサクラさんにかばわれたのであいつの攻撃は受けていない。
「そう。……なら、村まで戻りましょうか」
「大丈夫ですかね?戻って」
村にあいつを引き寄せてしまったら目も当てられない事になる。森のなかよりは見晴らしも良いし、迎え撃つなら平原でも構わない。
「……ここから出てくるとは限らないわ。あいつがここを迂回して街道や村に出たら被害が出るもの。それにどの程度ちゃんと情報が伝わってるかわからないもの、戻るしか無いわ」
確かに。それに救援が来るまで時間を稼ぐにしても、いつ来るかわからない物を待ち続けるのはキツイ。
「そういうことだから、走るわよ」
「……それは勘弁してもらいたいですね」
今日は一体どれだけ走ればいいんだ……。
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明日も21時に更新予定です。