鬼と蟲人 9
翌朝。
日が昇る前に朝食を済ませ、日の出とともに森に入る。朝の森は流石にまだまだ冷え込みがキツイ。
暖房着って魔法があったと思ったが、魔力が怪しいのでさすがに使えないな。
「ネズミがかじった後ばっかりね」
入り口近くの広場に置いた肉は綺麗になくなっていたが、残っている痕跡から喰ったのはどうやらネズミのようだった。
「昨日の所まで行きましょう」
道順はわかっているし、昨日使ったため道も開けている。
サクラさん、ハンスさん、俺の順番で森のなかを歩く。
……なんだろ。昨日よりちょっと黄色が濃いな。
「森のなかで気を失いやすい日ってのはあるんですかね?」
「さぁ?そういや、穏やかな日が続いた時のほうがまずいって、じっさんが言ってたっけかなぁ」
ん~……水溶性なのかな?
それからしばらく森のなかを歩く。
帰りがけに仕掛けた罠を2つほど確認したが、どれも獲物はかかっていなかった。
「そろそろ広場なんだけど……まって!」
昨日立ち寄った中では一番奥、木々が倒されていた広場に差し掛かったところで、突然サクラさんが立ち止まる。
しゃがみ込み、サクラさんが小さい背を更に低くして、広場の様子を伺う。
「サクラさん?」
ハンスさんと一緒に物陰に身を潜め、サクラさんの方に声をかけると……。
「多分居た。昨日、餌を置いた一番大きな木の根元」
「どれ……あの赤いやつかぁ」
「アキト、ラッキーよ。ベニホシだわ」
「何がラッキーかわかりませんけど、どうします?」
そう言いながら、一度魔素モードに切り替えて、サクラさんの呪いの様子を確かめておく。上手くいった場合、これがどうなるのか。
「逃げることはないと思うけど……いっぺんに出てくと警戒されるわね。目標は1匹だと思うけど、アキトは周囲の警戒とハンスさんの護衛。私が出てって仕留めるわ」
「了解」
ここは素直に任せてしまう事にする。
ハンスさんも、鬼族の理不尽な強さは理解しているためか何も口を挟まなかった。
ゆっくり木の陰に隠れながら、昨日除草して開けた広場に移動する。ここなら周囲の見晴らしもいいし、何か他にいても不意打ちをされる心配もない。
「それじゃ、殺ってくる!」
一息ついて、サクラさんがハルバートを構え木の影から飛び出す。
速いっ!
10メートル近い距離が、あっという間に詰まる。
飛び出した瞬間に向こうも気づいたようで、近づいてくるサクラさんに向かって威嚇をするが、それすらも遅かった。
「セイッ!」
一閃。ハルバードが振るわれた瞬間、蟲人の頭が宙を舞っている。
「でやっ!」
次の一撃を腹に打ち込み、そのまま切り裂いてハラワタをぶちまける。
蟲人は自前のしぶとさでしばらく痙攣していたが、すぐに動かなくなった。
「……すげー、つえー……」
もう感嘆の言葉しか出てこない。なにあれ。強い強いと思っていたけど、チートもいいところでしょ。
そりゃ、あれだけ実力あれば初心者の俺を抱えて蟲退治とか余裕だわ。
「……おったまげたなぁ」
ハンスさんも目が点になっている。
「もーいいわよ~」
飛び出してから20秒と経たたず、サクラさんがこちらに声を掛けた。
「お仕事完了。お疲れ様でした~」
「お疲れ様。いやぁ……すごいですね」
「まーねー。これくらい出来なきゃ、人類の敵を1種族でやってられないからねー」
カラカラと笑う。
やっぱ始まりの女神は何を考えてこの種族を作ったのかわからねぇな。
「ほら、解体しましょ。高値で取引されるパーツは傷つけないように慎重に手加減したんだから、頑張ってバラすわよ。ハンスさん、ソリを卸して広げてもらえる?」
あれで手加減したのかよ。
サクラさんと一緒に、村で借りたダガーを使って蟲の解体をしていく。
この作業もあんまり好きじゃないんだけどなぁ。蟲の内蔵って独特の臭がして気持ち悪いし。
内蔵を傷つけて体液をぶちまけないよう、注意しながら甲殻をはがしていく。
「羽は綺麗なものねぇ。うんうん。この赤は結構いい値がつくはずよ」
サクラさんは仕事がうまく行ってご満悦だ。
モノクルで彼女の魔素を見てみると、頭部にかけてわずかに濃くなっていた魔素が均一になっている。なるほど、確かに蟲人を狩ることで呪いの効果を無力化出来るらしい。
それからしばらく、当たりの警戒もハンスさんに任せて黙々と虫をバラす。
内蔵は持ち運びが難しいので埋めて、甲殻や羽はギルドに買取に出すのだ。
「……なんだぁかなぁ?」
解体も終わりに差し掛かり、殆どを運搬用のそりに載せたところでハンスさんが首をかしげる。
「どうかしましたか?」
「いんや、森の奥で妙な音がしてる気がすんだ」
「どっちです?」
「あっちだ」
「ん?……それ調査時の目撃場所と同じ方向ね。最初の目撃証言があったのもそっち」
妙な音か。俺には聞こえないけど……。
「そういえば、この蟲人ちょっとおかしいのよ。足が一本足らないし」
「触覚も、片側だけ少し短かったですよ。フシが1つ足らない感じで」
なんだろう、こういうのすげぇ嫌な予感がする。
大体あっさり終わり過ぎなんだ。こういう時、ゲームではもっと強いボスが控えているものらしい。
「ちょっと待ってください」
ステータスカードを引っ張りだして、呪文を組み替える。
……そういや森のなかだし、攻撃呪文が炎弾なのはまずいか。それも変えておこう。
「えっと……指向性聴覚強化」
魔術で聴覚を強化し、話にあった方向に耳を向ける。
……木の葉の擦れる音、鳥の声、獣の足音、その先には……。
「幹が噛み砕かれる音、草木がちぎれ、立ち木が倒れる音……なんだ?何かが暴れている?……終了」
「どう?」
「何かが居るのは確かみたいですね。どうします?」
「一応、こっちの依頼は片付いてるけど……」
ハンスさんの方を視る。この場合、一応なりとも依頼人側の立場なのは彼だけだ。
「なんか変なもんがいっと、森に入れねぇ。せめて確認だけでも出来ねぇか?」
「そうね。それくらいなら、まぁ範疇よね。実はもう一体居るってだけなら、大して問題じゃないんだし……勿体無いけど」
ちらっと本音が出たな。残念ながら蟲人を捕獲するようなスキルは持ち合わせちゃいない。
「アキトはどう思う?」
「このままほっとけはしないでしょう」
ろくなこと起きない気はするけど、だからと言って見過ごすのもちょっとね。
「おっけー、じゃあ、ソリはここにおいて、様子を見に行きましょう」
ソリを布と木の葉で隠し、森の奥へ向けて出発する。
どのくらい離れているのかは微妙。少なくとも小一時間は歩きそうな感じだ。
ハンスさんを先頭に、獣道を広げながら慎重に進む。
そこから体感時間で約1時間。
この辺まで来ると、黄色いモヤが視界に複数入るように成るなと当たりを見回して居ると、前が突然足を止めた。
「変だ。この辺に開けた場所は無いはずなんだぁが」
「前、随分明るいわね」
行先がやけに明るくなっている。地面にまでしっかり陽の光が届いているのだ。
「慎重に。アキトも、周りの警戒を怠らないでね」
「あいさ」
草を払うのを止め、ジリジリと進んでいく。
向かう先からは今でも時々、樹の幹を砕く音が聞こえるのだ。
10分以上かけてゆっくりと光の射す場所へ進む。
そうして見えてきたのは、唐突に開けた空間だった。
「こりゃ……何があったんだぁ」
木々が根こそぎ切断されて横たわっている。地面を覆い尽くすのは切り払われてから時間が経ったであろう茶色い草の葉。
転がる樹の枝に覆われて見えないが、おおよそ20メートル四方、ぽっかり開けた空間ができている。
「これ……カミキリムシかしら?切断面は似てるけど……でもいくらなんでもこんなには」
とてもさっきのやつと同じ種類とは思えない……っと、やばい。結構キツイ色のガスも漂ってるじゃんか。
「サクラさん、ハンスさん、気をつけて。あっちの窪地、やばいです。多分あそこに入ったら気を失う」
なにせ真っ黄色だ。
「わかった。慎重に進みましょう。何かわからないけど目視はしたいわ。でも、気づかれたくない。数が多いと、二人を守りながらはキツイからね」
「わかってますって」
しまったな。鷹の目とか設定しておけばよかった。
今からやるか?でもさっき指向性聴覚強化を使ったから魔力がキツイ。
「ちょっとだけ待ってください」
ステータスカードを出して、いくつか魔術を入れ替える。
ここに来て対人の心配はしなくていいだろうから魔術無効化などを外して、逃走する際に便利な魔法をいくつか組み込む。
「おっけーです」
「……ちょいちょい触ってるそれ、気になるけど、後にしとくわね」
森と広場の間を縫うように進む。
音はどんどん近くなっている。
数が多いようには聞こえないのが幸いか。巨大な蟲人だろうが、魔獣だろうが、サクラさんが正面からぶつかって倒せない相手はそうそう居ないはずだ。
広場を半分ほど迂回したところで音がやんだ。
「…………………」
足を止め、辺りをうかがう。
羽音がして、紅の羽が目に飛び込んでくる。
そしてそいつは、倒れた木々が積み重なった山の頂点に止まって、こちらを見下ろした。
……見下された。
ヤバイ!ヤバイ!ヤバイっ!
アレはヤバイっ!
本能が告げる。
見た目は先程サクラさんが倒したベニホシカミキリと変わらない。
「……なんだぁ、さっきと同じでねぇか」
冷や汗を浮かべたハンスさんがつぶやく。
でも違う。わかってるから、ハンスさんもあえてつぶやいた。
「アキト、ハンスさん……逃げて」
サクラさんがハルバードを握りしめてつぶやく。
蟲人が羽を広げる。
「識別」
一縷の希を抱いて、識別モードを起動する。そしてその希が儚いものであったことを知る。
「あれは……」
「……鬼だ」
蟲人が舞い上がった。
鬼人化という現象がある。
そもそも、鬼族には多量の呪いがかけられており鬼人化もその一つである。
現象は非情に簡単である。そしてその影響を受けるのは鬼族ではない。
鬼族を殺したものは鬼族となる。
たったそれだけのことである。
たとえそれが人類でなかったとしても……。
明日は21時に更新予定です。
■冒険者と狩人
狩人と冒険者の違いは、その生活基盤とターゲットによるものが大きい。
狩人は村に居を構えて日々野生動物の狩猟を行うのに対し、冒険者は街で様々な仕事を請け負う。
また、狩人が狩るのは野生動物が中心であり、人類を見て逃げる獲物を効率的に仕留める事を生業とする。
冒険者が狩るのは魔獣や蟲人といった人類に害をなす生物であり、これらは積極的に襲い掛かってくるため戦闘力が要求される。