白と黒の世界
僕は白と黒の世界しか知らない。
周りの見えるものが白と黒のたった二色でしか構成されていなかった。
どこまでも澄んでいて神々しさを帯びた白と、どこまでも吸い込まれていくような錯覚を覚える真暗な黒。
この二色のみの世界は僕にとっては生まれた時から見てきた唯一の世界だから、不便には感じているが違和感を感じることはなかった。
食べ物も白と黒、そう言うと両親は揃って、「食欲がそれで湧くの?」だとか、「よく食べようと思うね」などと言う。僕からしたら、僕の食べている料理は両親と兄も食べているのだから味は同じなのである。ただ色の違いがあるだけだ。味が同じであるのだから気にすることでもない。
人間も白と黒だ。黒い顔に白い目、口、鼻がついている。後は全部真っ黒だ。だから、僕は人を見分けることが至難だった。声で判断しないといけないのだった。
両親や学校の皆が言う、《赤色》だとか《青色》だとかには興味はあったが、自分は見ることが出来ないと諦めていた。
皆と見ている世界が違うから僕は常に一人だった。両親も二つ年上の兄に情愛を注ぐようになった。両親の情愛は兄だけに向き、僕には愛を注がなくなった。
僕は常に独りだった。一人でいることは寂しいし辛い。一人に慣れていてもこの寂寥感や苦痛にはまったく慣れない。
寂寥感や苦痛で胸が張り裂けそうになるときは、いつも星空を見る。僕だけが見ることが出来る、とても幻想的な空。黒一面の空に一つ一つが神々しさを放つ白が散りばめられている。例えどんなに星の光が弱くても、僕にははっきりとその星を認識できる。僕はこの星空を見るためだけに生まれたんじゃないか、そんな錯覚さえ覚えたこともある。周りの皆には見ることの出来ない、僕だけの世界、僕だけが見ることを許された空。この空を見ていると、白と黒だけの世界も悪くない、そう思える。
――時は進み、俺は大人になった。大人に、というより二十歳になった。二十歳の誕生日に俺の世界が崩壊した。白と黒の世界が崩壊し、色が付いた。赤色や青色、黄色などなど、おそらく皆が見ている世界が俺の目にも映るようになった。俺の新しい世界は俺には刺激が強すぎたが、それでも徐々に慣れていった。
新しい世界で驚いたことはまず食べ物だ。味に色は関係ない、そんな風に思っていた自分が恥ずかしい。色があると匂いがより鮮明に伝わってき、食欲をそそられる。口に含むと、今まで食べてきた物はなんだったのだ、と思う程の美味しさが溢れてきた。俺は涙した。
次は人間だ。人間の顔がこんなにも違いがあるとは思っていなかった。一人一人の顔が違うとは思っていなかった。両親の顔は穏やかそうな顔をしていて、兄は少し険しい顔つきをしていた。
他にも色々と発見はあった。空は蒼かったとか、自分が着ているシャツがグレーだったとか、夕日は赤く、暖かったとか。
とにかく何もかもが新しかった。世界が一変して、俺の価値観も一変した。
俺は星空を見たいと思った。黒と白の世界の時の星空でさえ、あんなにも感銘を受け、勇気を貰ったのだ。この色のある世界ではどんな風に見えるのだろう。どれぐらい綺麗なんだろう。そう思い、俺は夜中に家を出て空を見上げた。
そこには黒しかなかった。黒といっても俺が生まれてから見てきたような《黒》ではなく、少し藍色に近い黒だ。星は一つも見えなかった、輝きを放っていなかった。いや、おそらく輝いているんだろう。それが今の俺には見えないだけで、今も輝いているはずだ。自分はここにいる、と言わんばかりに主張しているはずだ。なのに見えないのは、今の世界が明る過ぎるせいだ。
今の世界が明るすぎて前の世界の輝きがくすんだのだ。俺だけが見ることが許された、あの黒と白だけの星空はもうなくなったのだ。
俺は絶望した。あの星空が無いのなら、生きている意味はない。あの星空あってこその俺だ。あの星空が自分を自分たらしめてくれた。あの星空は俺にとって唯一無二だ。
新しい世界は確かに面白いが、あの星空には到底及ばない。新しい世界は皆が見ることができる。あの星空は自分だけのものだった。俺だけの特別な世界なのだ。それが消えたのなら、自分も消えるべきだ。
俺は自分の心臓にナイフを突き立て、横に引き裂いた。血が流れ出す感覚がある。気付くと俺は地に伏していた。そこで初めて自分の血の色というものを知った。
そして俺は星になった。
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