香坂遥とラブレター[前編]
我が友、香坂遥は名探偵である。
あたしも詳しいわけじゃないけど、警視庁の偉い人の娘で将来の夢は刑事になることっていう本物だ。
記憶力や判断力もよくて、成績も優秀。名探偵の名探偵たる由縁だ。
もっとも、体力の方には問題を抱えていて、体育の成績は中の下といったところだし、たいていはあたしの後ろの席で分厚い本を読んでるもやしっ子だ。運動面を何とかしないと将来の夢は遠いぞ。
で、今日みたいなたいていでない時、特別に何かトラブルがあって相談に来る人がいたり、そうでなければごく稀に彼女をからかってみよう、なんてのが来てたりする事もある。
前者の場合は、2言3言で問題を解決してお礼を言われて別れる、っていうのがパターンだし、後者の場合は適当にあしらわれて追い返されるのがパターンだ。今日は
「ホント、あんたってつまんないわねぇ」
どうやら後者のようだ。
罵声を浴びせたのはクラスメイトの小島さんで、でも完全に諦めたわけじゃないらしく、どちらかというと挑発するようなイントネーションだ。実際、まだ遥の表情をうかがっている。
それでも遥が反応しないでいると、いいかげん諦めたらしく、すっくと立ち上がって、はぁ、とこれみよがしに肩をすくめてから、立ち去っていった。
「どうしたの?」
遥は別にそこまでつまらない娘じゃない。口数は少ないけどたいていは相手の話題に合わせて会話をする。些細な事で角を立てわざわざトラブルを起したりする事をしないだけだが。
「好きな人はいるのか? だって」
遥がつまらなそうに答える。
ははぁ、それは無理だ。男に限った話じゃないけど、噂話のネタを求めてそんな事を聞いたって、拒絶されるに決まってる。彼女はそういう興味本位の質問は受け付けない。そういうところは不器用で、適当に受け流すっていうのができない。学年一の人気者でサッカー部期待の星、斉藤君と言っておくとかいうあしらい方がね。みんな「いいよね」って言ってんだし、先週末の練習試合で大活躍して株を上げたばかりだ、そういう質問の答えには適当だと思うんだけど?
「嗤うつもりの相手に?」
はぁ、陰で嗤うための詮索だと見抜いていらっしゃいましたか。
別に会話を聞いていたわけじゃないけど、彼女が言うなら実際そうだったんだろう。こと、ものごとを観察し、洞察するって事に関して遥は滅多に間違えない。小学校からの付合いだが、3回、いやあれを数えていいのかは微妙だから、2回しかなかったと思う。
それに相手はあの小島さんだ、彼女の性格を考えればありそうな話だ。悪い人じゃないんだけどね……。
確かに、相手が陰口をきくつもりで聞いてきたんだったら、学年のトップアイドルなんてぶつけるわけにはいかない。いい物笑いの種だ。
「じゃ、しょうがないか」
「そう」
言って彼女はひとつ溜め息をつき、ショートボブの髪を揺らした。そして中断していた読書を再開するのだった。
事件はその翌日に起きた。いつものようにあたしが時間ギリギリに登校すると、何だか空気がおかしい。クラスメイトが遠巻きに遥を見てひそひそ話をしていたりする。
「おはよ、遥。……どうしたの?」
「ラブレターのようなものが届いてた」
へぇ、それはそれはと、流そうとしてあたしは驚く。
「って、ラブレター!?」
「のようなもの」
何だか知らないがこだわりがあるようだ。
「好きです、とか書いてあるんでしょ」
こくりと頷く。ショートボブの髪がサラっと流れる。
「じゃ、ラブレターじゃない」
何が不満なんだろう? 彼女の不満気な態度は分からないが、クラスメイトの態度には納得がいった。これは好奇心による包囲網なのだ。気持ちは分かる。
しかしそこでチャイムが鳴り、あたしの話は遮られてしまった。
次の休み時間。あたしは廊下で素早く遥を捕まえた。
人前では色々と話しづらいだろうから、そのまま人気のない適当な空き教室に連れ込む。ふふふ、逃がさないわよ。
「さて、ゆっくりと話を聞かせてもらいましょうか」
あたしは遥とドアの間に立ちはだかると、宣言した。
「そうね……まずは、これを見て」
素直にそのラブレターを渡す遥。よーしいい子だ。
薄い緑の便箋2枚に思ったより奇麗な字が並んでいる。なになに、以前からずっと気になっていました……。
「あれ? これまだ続きがあるんじゃない?」
2枚目を読み終わったあたしは不満の声を上げる。途中で切れていたし、あたし的に肝心な差出人の名前がまだ出てきていないのだ。
「差出人を教えないためそこまで、それが大切だから」
大切って、そんな殺生な。
「それ、誰かが作った偽物」
え? 遥が告げたつまらない事実にあたしは驚く。あたしは気付く事ができなかった。
でも、これが偽物だとして、それでもあたしにこれを見せたって事は、何か考えがあるって事?
遥は小さく頷くと、正面からあたしの目を見て言った。いつもの冷静な声で。
「協力して」
逃がしてもらえそうにないのは、あたしの方だった。