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次の朝

 一瞬、私も彼女も呆気に取られた。

 鳴いた犬は、私の枕元にいる、ぬいぐるみだったのだ。けれどイメージがどこか本物の犬と重なっていて、素晴らしい忠犬に見えた。

 彼女の手が緩んだ。でも、ふりほどく気にはなれなかった。袖をつまむ彼女の手があどけなくて、なんだか見捨てる気になれなかったのだ。

 私は空いている方の手でぬいぐるみを引き寄せ、胸に抱く。


 彼女の言う「親友」が、あまりにも軽く聞こえる。

 私が思う「親友」の定義が、彼女とは大きく食い違っている。具体的にどこがどう、とは、きっと説明できないけれど、でも絶対に違う。

 親友は、こんな痛い力で私を引っぱらない。

 私は泣きそうになって、彼女に抱きついた。


 彼女の声が、脳裏から離れた感覚がした。


「ごめん、行けない。私は、行けない」

 手首から伝わってくる、抱きついた彼女の身体から漂ってくる彼女の心は、寂しい色をしている。

「友達じゃないの?」

「友達だけどっ」

 私は泣きそうな震えを背中に感じた。恐怖だ。暗く澱む彼女の顔が、みるみる崩れていくように感じられた。実際、崩れていたのだろうと思う。けど私は認めたくなかった。

 彼女が壊れていくことにではなく、私が怖いと感じていることに。

 私は彼女の手を握りなおし、目を見て言った。

「友達だから、行けない」

 怒りでか悲しみでか、般若のように歪んだ彼女の顔が、哀れだった。


「この子、覚えてる? あなたが欲しがってくれていた」

 私は胸に抱くぬいぐるみを、彼女に示した。そうだ。確か彼女が、いいなぁと言ってくれたことがあるはずだった。

 珍しく灰色一色なのである。精悍な顔をしているものだから、アヌビスと名付けてある。小学生時代に、漫画に感銘を受けて名付けたのだ、ちょっと恥ずかしくはあるのだが、けど今も気に入って抱きしめている。

 この名をいいと言ってくれた友達も、いたからね。

「お供に連れてって。きっと、あなたを守るよ。番犬になるよ」

 本当なら私が守っていくべきだった。申し訳ない気持ちでいっぱいになると、アヌビスを受け取ってくれた彼女がやっと笑ってくれた。

「あなたのせいじゃない」

 困らせてゴメンね、ありがとう、と。

 最後に笑顔だけを残して彼女は、溶けて消えた。

 目覚めた時、私は私の心が作りだしたご都合主義な夢だったなと自戒したものだったが、けど、ひょっとしたら現実だったのかも知れないとも思えて、明け方の暗闇を悶々と過ごしたのだった。

 暗がりの中では、ぬいぐるみをどこに落としたのだか見つけることができなかった。


 疑問は、すぐに解消した。

 朝のニュースに、彼女が映ったのである。

「あ、ねぇ、この子ひょっとして小学生の頃の……」

 母が、起きてきた私に話すものの、私の耳は母の言葉を素通りさせてテレビに引き寄せられていた。

 二年前に亡くなって森に埋められていた、当時中学生の女の子。

 不思議と恐怖はなく、やっぱり、とだけ思ったものだった。


 彼女が発見された時、犬の鳴き声が聞こえたらしい。というのは、その後のワイドショーが取り上げた話題である。それはそうだ、普通のニュースでは報道されないだろう。

 そして白骨化したにも関わらず、犬のぬいぐるみを抱きしめていたらしい、などとも。

 劣化していない、私のぬいぐるみを。

「そこまで来ると嘘くさいっていうか、後から誰かが抱かせてやったのかっていう話になるし、ちょっと、ねぇ」

 と苦笑する母に真実を告げたら、何て言うだろう?

 抱かせてあげたのは、あなたの娘なんです、なんて。


 救いとは言えないかも知れないが私にとって救いだったのは、イジメからなる自殺などではなく他殺だったことで、しかも犯人が捕まったという報道だった。ここでもアヌビスが活躍したようで、犯人いわく、犬が追いかけてきたので慌てて逃げて転んで怪我をし、しかも転んだ先に警察官が立っていたとかいうことだ。

 本当にきちんと番犬を果たした彼は、一緒に棺に納められて焼かれて、天国にまでお供をしてあげている。

 葬儀の夜は、歩き去る彼女と、彼女を追って毅然と背を向けてくる灰色の犬を夢みたものだった。


 以来、私は毎年この季節になると栗きんとんを持って、墓参りをしている。

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