01:機械の町の七不思議(前)
VRMMORPG――「リエル・オンライン」。工業の町の片隅で少年型のエルフは座り込んでいた。半年間、ほとんど毎日同じ場所にログインし、決まった時間にログアウトするこのエルフのレベルは124、初心者狩りにはあわない。どうにか初心者卒業程度のレベルである。
また彼のジョブは旗から見て定かではなかったが、一切の装備品をつけていない衣服だけの状態であった。黒い髪に、黒の目。エルフとしてはらしくないそのキャラはこの町の新・七不思議として定着しつつあり、彼の正体についてはいろいろな憶測が飛んでいた。
たとえば隠しイベントを開始するNPC説、驚くべきことにこれが有力説であった。しかし話しかけたPCによる「超おびえられたあれはPCだわ。しかもかなりびびりの」という言葉によって消えた。次に「死んだ、もしくは引退した友人をずっと待っている説」「頭がおかしい説」「ただのゾンビのAFKだろ」などなど諸説が続く。ちなみにゾンビ、というのはこのリエルオンライン内におけるVRモードを使用しない状態……3Dグラフィックモードでのプレイヤーの通称である。AFKとは「away from keyboard 」の頭文字から離席の意味を表しているネットゲーム用語だ。
だが、この説はすべて仮説の域を出ることなく、今日まで謎であった。
そして今日もそのエルフ、「ゆた」はリエルの世界に訪れた。
* * *
涼しい風と、対照的な人々の熱気。秋口に入ったマキナシアの空気と石畳の路地の冷たさを全身で感じながら、少年型エルフ、PC名「ゆた」は座り込んでいた。
VRMMOというのは感覚ごとのダイブというのは現実のしがらみ……身体のハンデ等を一切持ち込まない。ニュースでいっていたが、そんなVR技術をリエル・オンラインの販売元ならびに運営会社である株式会社リグレタは独自に開発したというから驚きである。
現実ならば体を苛んでいるだろうじわりとした打撲や火傷の痛みから解放される時間、ゆた――現実名「基内 柚汰」がここに座っている時間、というのは彼にとって唯一の幸福の時間であった。今はほとんど会うことが出来ない実父が買ってくれたPCにプリインストールされていたリエル・オンラインとPC、VR機器等々はすべて柚汰が住む部屋……とは名ばかりのゴミ捨て場と物置の中間のような場所の隅にひっそりと隠されている。母親も、最近家に来て柚汰を殴る変な人(父と呼べ、と言われたがあんな知らない人を父さんとなんて呼べない。あれはゴミを見る目で自分を見る)も、物置の臭気に、部屋には立ち入ることがなかったから隠すのにはちょうどいい。ここは、柚汰にとって唯一の「自由」のある場所だった。
声を出すのすら怖い、戦うなんてまっぴらごめん。人を眺め、痛みから逃げるだけでゆたがログインする理由になった。親切なひと――ゆたがいつも座っている角の向かい側にある武防具屋の店主、里里里里里さんというプレイヤーに一度街中でPK襲われたゆたが助けてもらった上、レベルの非常に高い狩場にPTを組んで行って片方の人に狩ってもらい、自分は莫大な経験値だけをもらってレベルをあげるという方法でレベルを上げてもらった。生産職はたいてい「死なない程度にレベルを上げてもらう」ということでこの方法をよく依頼するとか。まあ、里里里里里さんは「まあ、人付き合いしてるうちに戦えるようにもなったからねー」とひげもじゃのおっさんには似合わない軽い口調で笑っていた。
人ごみを眺める。行きかう人々は現実のものよりも鮮やかに見える。これが非現実の風景である、と言ってもゆたはまだ信じきれずにいた。もしかしたら地球の裏側にこんな場所があるのかもしれない、そう思っては「そんな場所に行きたい」と落ち込むのだ。
ふ、と視界に白いものが映った。人ごみの中でも一際光を反射する白い龍人PCが静かに人ごみの中を歩いていた。背は高いが、細身で穏やかそうなこの男性型のジョブがドラゴンスレイヤーであることはにわかには信じがたい。それにしても、龍人なのにドラゴンスレイヤー。……ちょっと笑ってしまった。
「ねえ、そこの君」
いつの間にか目の前に白い龍人がいた。自分に合わせ、人ごみの中でも座っている。緑色の目がじいっと僕を見ている。イベントNPCと間違われたことを除いて里里里里里さん以外のひとに声をかけられたのは久々だった。
目線の痛さに思わず目をそらし、乾き震える唇をどうにか制御する。
「ご、ご、めんなさい、な、なんの、ようです、か?」
「突然驚かせちゃってごめんね、謝る必要はないよ。ところでリリさんは今日いるかな?」
震えた声を出してしまったゆたに対しちょっと困ったような笑みを浮かべた龍人の声は落ち着いた印象を与えるものだった。話しなれているんだろうなあ、と思うと同時にヒステリックな怒鳴り声も、暴力的な叫び声もなかったことに安心して涙がにじむ。体は大きかったが、座ってくれたことも大きな要因だろう。
「えっと、リリさんっていうのは……」
「あそこの角の武防具屋さんのリリ……たしかPC名は里里里里里だっけ?」
「里里里里里さんの知り合いの方ですか? た、たしか今日はまだきてないです。月曜日はいつも六時くらいにこのへんにきます」
ちゃんと言えた、と安堵したのもつかの間。目の前の龍人はうーんとうなり声を上げて悩んでしまっていた。素材が、とか新しいドロップだとかうなっている。
「……よし、決めた。君、よかったらリリさんが来るまで僕とお話してくれないかな?」
唐突な提案だった。どこの世界でも知らないPCにはついて行ってはいけない、というのは常識である。じゃないと知らない人にホイホイついていってPKされる。そんなゆたの狼狽を察したのか、龍人は「大丈夫! そんなPKしたりなんて思ってないし! ほら、パーティー組めば殺せないし!」とあわててパーティ申請の名刺を差し出した。
「えっと……」
名前の欄が記号で表されている。УΦ……なんと読めばいいのか。
「ウーファイ、といいます。よろしくゆた君」
大きな窓がある、眺めのいい喫茶店に案内するよ。そういって承認をする前にウーファイさんはゆたの手をとり勢いよく引っ張って行ってしまった。かなり強引だなあと思いつつもまあいいかなあなんて思ってしまって、ゆたはつい笑ってしまった。
* * *
里里里里里さんの武防具店からそこまで離れていないような距離、ちょっとした路地に喫茶「歯車屋」は店を構えていた。龍人、もといウーファイさんが言うとおり、大通りのよく人が通る側に大きな窓が設置されていて間違いなく人が行きかう様が観察できるし、それでいて店内のどこか大人っぽい、渋い雰囲気は崩されていない。おしゃれな喫茶であった。
でも大きな窓があるのに誰もここに気づかないのはなぜか、聞いてみたところ魔法で建物の存在を偽装してるのだ、という。ゆたが思っている以上にこの世界の魔法は万能なものであるらしかった。
「いらっしゃいませ……ってあら? ウーsじゃない、おひさー! 今日は2ndPCねー、でもってまたお客連れ込んで。あそこの角の子?」
コーヒーの香りのする店内、カウンターにレコードと蓄音機を置くような内装の渋さとは裏腹に明るい声の女性型人狼族がそこにいた。人狼族、というのはやはりこのゲーム内に存在する種族のひとつで、男女ともに狼の膂力や外見を持ち、体つきがやや人間のようなしなやかな構造かつ二足歩行に適した形になっている戦闘種族である。燃えるような赤い髪……かどうかはわからないが頭部の毛をツインテールにまとめた人狼はまくし立てるようにウーファイさんに話しかける。
この半時間に満たない間に随分見慣れてしまった苦笑――どうやらくせらしいそれを浮かべた彼はその人狼にお辞儀をして、
「こっちではお久しぶりです青虫さん、窓側借りますねー」
とのんきに返事を返していた。その青虫、というのは聞き間違いじゃあないか、と失礼ながら彼女のステータス画面を確認する。
【Name:青虫 所属ギルド:マキナシア商工会/喫茶 歯車屋】
間違いじゃなかった。彼女の名前は青虫だった。いろいろと呆然としているゆたをよそに、ウーファイは「僕はマンダリン、彼にはホットミルクか何かを」と注文していた。マンダリンじゃなくマンデリン、と青虫さんが訂正を入れる。
この世界における食事は、娯楽の仲の娯楽である。スキルとして「調理師」はあるものの、それは非戦闘時用回復・補助アイテムの生産スキルであり、味を楽しむ場所ではない。そういう商品は基本インベントリに入れて持ち歩くことから「弁当」と呼ばれ、この町にも弁当屋は多数存在する。対してこの喫茶やレストラン、お食事処や甘味処と呼ばれる店等はスキルを無視して素直に食材を自力調理した、本物の「食事」の提供をしている。
これはリエルのVRダイブによって味覚がフィードバックされるということを知った人間が様々なアイテムに味の設定がついていることに気づき「おいしいものを太らず腹いっぱい食べてええええええええええ!」という叫び声とともに苦心の末に編み出したという。たしかに、夢だ。まあ実際に存在する食材とここのアイテムは違う。ここにおける食品店営業者というのは究極の暇人、とも言われていた。それは、間違いない。
「少年、桂皮は大丈夫?」
「あ、はい」
ゆたが青虫の問いかけにうなずくと、ウーフェイのコーヒーよりも早くホットミルクがゆたの目の前に置かれた。上に桂皮の粉末が少々乗ったホットミルクが、手の込んだ装飾の入っている豪奢なコーヒーカップに注がれている。この速さで出てくる理由はきっと「魔法」だろう。
「青虫さんはこの町でもたぶんトップクラスに料理がうまいはずだよ」
そういっていたずらっぽく笑う竜人の前にも同じようなカップが置かれる……のだが、それと同量費どの砂糖の山と、倍量が入りそうな大きなコップが付随している。
「えっと、それ……」
「ああ、入れるよ? 僕は特別、リアルでもこれくらいなきゃコーヒー飲めなくって」
それは、ない。
いくらゆたが小学生でもそれはない、と言わざるを得なかった。