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マッドサイエンティスト

作者: 青猫

「彼女ね、絶対にまたやるよ、人体実験を。反省なんてしてないもの」

 研究室長は、さいきんやってきた12歳の若すぎる研究員の少女の事件について、こうコメントした。

「泣いて反省してましたよ、もう絶対やらないって、おうちに入れてもらえないんだって。あれは尋常ではない気迫でしたが」

 部下がおずおずといった調子でそう進言すると、研究室長は余計に語気をあらくしてまくしたてた。

「そう、反省していた、でもね、反省の根拠がまるでなっていないんだよ。『おうちにいれてもらえないから』それだけさ、彼女は哀れな実験被害者にはいかなる感情も抱いてはいない。彼女の世界はね、いかに実験が出来るかと、いかに彼女が愛している人たちに愛されるか、そこだけなんだ。性格破綻者なんだよ。飛び級進学で12で大学卒業して、ろくに友達も作らず研究ばかりして、頭がおかしくなったんだ。いや、あのいかれ具合は天性のものかな。彼女のやっていいこと悪いことの判断基準は、道徳じゃない。そんなもの持ち合わせていやしない。彼女の愛する人たちがイエスというかノーというか、ただその一点のみなんだ。彼女の今後の行動についての一番の問題は、『彼女の愛する人たち』ってやつさ。二人いるんだわかる?」

「あの、小さな本屋を経営している若旦那でしょう。でもって、もう一人は、あの犯罪者の」

「そう、本屋は大いによろしいんだ。彼は人並みに道徳もあるし、平和主義者だ。おうちにいれてあげないと脅したのはあっちだろうね、おうちにいれてあげないってだけで彼女はあんなにもあせったんだ。人だって平気で殺せるくせに。問題は犯罪者さ、あれはね、かなりのワルだよ。しかもね、彼女は犯罪者にやれっていわれたらなんだってやるよ、彼女の世界に住む数少ない人間だもの。その命令内容が本屋を悲しませるものなのかどうかなんて彼女には判断が付かないんだ。でも、今回の一軒で何か言われてもとりあえず本屋に相談するだろう。そうしたら本屋が犯罪者を説き伏せるはずさ。あの二人は仲がいいもの、問題はね」

 そこまでいって、研究室長はちょっとため息をついた。

「あの本屋が死んだときさ。彼女の善意のストッパーが消えるんだよ、なくなるんだ」


**********************


「彼女を愛させてください。神様、俺に勇気と寛容をください」

 日ごろ熱心なクリスチャンというわけでもないのに、ここ数年この本屋の若旦那は夜な夜な酒に浸りながらそんな祈りをひたすらに唱えていた。

 大悪党はその様子を慈愛深い目でみつめながら、彼の背中をそっと撫でた。

「もうそれぐらいにして寝なさい。いいころあいですよ、あなた」

 普段は冷酷な彼女も、彼にかかると骨なしだった。わが子をあやすように本屋の背を撫で続ける。

「彼女を愛させてください。神様、ほかには何も要らないんです。俺に、俺を、深い愛のある人間にさせてください。お願いです」

 本屋は彼女を無視して、うわごとのようにつぶつぶと祈り続けた。半分眠りかけていて、首がかくかくゆっくりと上下する。

「なぁ、おまえ」

 しかしそれでも眠る気はないらしく、首をぶるぶると振ると、やっと彼女に話しかけた。

「なんですか」

「継母や姉たちがシンデレラを、ダドリー一家がハリー・ポッターをいじめたのは、当然のことなんだ。自分の本質と相反するものをうけいれるのはこんなにもつらくて、難しい」

「あなた」

 悲しげにため息をつき、あやすように彼の頭を撫でた。

「彼女を愛せないのは当然なんです。自分を卑下なさらないで。あなたはあんな愚か者とは違います。あなたは彼女をいじめたことなんて一度もないでしょう」

「いじめたいんだ」

 本屋の目はうつろだった。

「いつだって首をひねりちぎられたらと思う。そんな人間なんだ。ふりをつづけたらそんな心を持てるようにいつかなるだろうか。彼女を正すのは、きっときっとむりなんだ。どこで間違ってしまったんだ。ねえ、俺は自分の醜さが恐いよ」

 彼がかつては目に入れても痛くないほどに可愛がっていた少女を、彼女の本性があらわになるにつれ…そしていまではもう塵ほどにも愛せなくっているのを、大悪党は知っていた。

 自分が拾い、育てた義務感から、彼女から愛されている自覚から、少女を見捨てようとはしなかったが、それは彼にとってそうとうの苦行だった。

 少女は十代の前半にして大学を卒業し、研究所に勤めている。同年代の子供と遊ぶことを一切せずに育てたのが悪かったのか、彼女の本性がそういうものだったのかもう本屋にも大悪党にもわからなかったが、気がついたら彼女は異常な人間となっていた。本屋と大悪党以外の人間にはいかなる愛情も憐憫も怒りもどんな感情も抱かない人間となり、同時に研究を重ねることと、この二人の関心を買うこと意外に喜びを見出せない人間となった。

 理想主義で平和主義の本屋には、彼女こそが目の敵。いつしか心のそこから憎んだが、ここで少女を見捨てたら自体が最悪になることは彼もよく知っていた。彼は自分こそが彼女の善意のストッパーであり、じぶんがいなくなったら彼女がひたすら悪行を重ねるだろうこと、そして彼女には罪を犯した自覚すらもてないことを知っていた。

 だからなにかにつけ、ムダと知りながら彼女に道徳を植え付けようとした。

 大悪党は始めこそ聖人君子のような心を持っているものだとばかり思っていたこの男の本性が、じつのところそれは理性で作った偽りの姿だと知ったときびっくりしたものだった。しかし、今では自分の器の小ささを嘆き、大きく見えるように、また大きくなるように必死であがく彼を尊敬と慈愛の入り混じった感情を持って接するようになった。

(餓えた人間が食べ物を盗みたいと思って何の罪があるだろう。彼が実際に盗まないのなら誰もその人を罰することは出来ない。普段誰かに虐げられている人間が、相手を殺したいと思ったとしても、実際に犯行に及んでいないのなら誰が責められるだろう。)

 大悪党は本屋の頭を撫で続けながらそう思った。

(生まれながらの聖人君子でなくて何が悪いというのか。天然者より彼のほうがよほど立派ではないか)

 少女が研究を愛するゆえにひどい悪事を働くことがあっても、彼は彼女の存在を全否定するようなむごい言葉は吐かなかった。言いたかったのかもしれないが、理性がそれをとめたのに違いなかった。ただひたすらに、彼女をよき道に進ませるように泣きながら説教し、いかに罪深いのか説明した。もちろん研究所を訴えることもあった。しかし少女の心には『おうちにいれてあげない』以上の脅しを与えることは出来なかった。

「ごめんなさいね」

 大悪党は沈黙の中、小さくつぶやいた。

 本屋は怪訝な顔をして彼女を見上げた。

「いいんです、意味なんてわからなくて。あなたの力に慣れなくてごめんなさい」

「なにいってるんだ、おまえはいつだって俺の力になってるよ。お前がいなかったらとっくのとうに壊れてた」

 本屋は、彼女が自分を立ち直らせることができないでいるのを申し訳なく思っているのだろうと解釈して、弱弱しく微笑んで大悪党をだきしめた。

(ちがう、ちがうんですよ)

 大悪党は彼の勘違いに気づいたが、あえて訂正せず、抱きしめられたままになった。

(あの子にまっとうな人生を歩んでほしいなんて、いっぺんだって考えたことありません。それを望んでいるようにふるまったのはあなたのため、そしてそのほうが都合がいいからという自分のため。彼女にはこれから大悪事をしてもらわないといけません。あなたが嫌がるようなことを。あなたのことは好きですが、それはそれ、これはこれ、私は自分の仕事をせねばなりません)

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