「規則ですので」と婚約者は眼鏡をクイッとあげるのですが
「そこの君、校内での男女の30センチ以内の過度な接触は禁止されている。それが規則ですので、すぐに離れなさい。破廉恥だ。」
よく晴れた昼下がり、私の婚約者のカリム様は神経質そうにフレームなしの細いツルの銀の眼鏡をクイッとして冷酷な口ぶりで言った。
「「ひぃ……! すみませんでした!」」
そう言ってただ手を繋いでいただけの男女は恐怖からか顔を青くさせて蜘蛛の子を散らすかのようにして去っていった。
そっとカリム様に見つからないように、自分の目線をさげて手元を見る。
この手はなんなのでしょうね。
「カリム様がずっと握りしめてるこの手は、破廉恥にはならないのですか?」
そう言うとキョトンとした顔をされたかと思えば、やれやれと言いたげに彼は言った。
「何を言ってるんです? 僕たちの関係は婚約者ですよ。手つなぎは愛情表現という神聖なものです。そのような俗物的なものではありません。」
「先ほどの彼らも婚約者同士だったかもしれませんが。」
「可能性の話はしてません。」
『そうですか』とうなずくしかない。彼は伯爵家の次男、私は子爵家の嫡女。強くは出られない……が、これはダブルスタンダードではないの? そう思う私がまちがっているの?
「僕のピクシー、床が少し濡れています。君は妖精だから飛べるかもしれないけど危険だから、私に寄り添ったほうがいいです。」
そう言って私の手を離したかと思えば、今度は私の腰を引き寄せてくる。これはゼロ距離では? そしてさすがにピクシー呼びは恥ずかしい。
「カリム様、床は乾いてますよ。あとこんなふうにされると歩きにくいですし、ピクシー呼びはやめてください。私の名前はマリーベルです。」
「何を言ってるんですか よく見てください、あそこが濡れていますよ。ふふ。本当にかわいい僕の妖精アリア。」
私の腰をつかんでいる反対の手で眼鏡をまたクイッとあげた。
それって『ピクシー』を『妖精』に言い換えただけよね。そしてなぜ『マリーベル』が『アリア』になるんだろうか。
たしかにカリム様が指を差した辺りに水滴がついている。
「――そうですね。ご配慮ありがとうございます。」
私は軽くほほえみながらそういうしかなかった。
◆◆◆
『規則メガネ』
――彼が裏で呼ばれているあだ名である。彼はそのあだ名の存在を知ってるのか知らないのか私はわからない。
他人の目をあまり気にされない方だから。
このあだ名からわかるように学園のほぼ全員に避けられている。何の役員でもないのに規則を持ち出すのだから当然だ。
彼は人を選んでいっているし、自分は規則の範囲外であるという注意書きが入るが、言っていること自体はおかしくはないため言われた相手も何も言えない。
「君! 廊下は右側通行だ。規則だ。」
「そこの女生徒! 髪飾りが華美すぎる。規則違反だ。」
そしてトレードマークの眼鏡をクイッとあげる。
私も何度も遠回しに行動を咎めることを指摘していたのだけど、変わらない。私の努力を知ってくれているからか、ほかの方達から私は避けられていないのは本当にありがたいことだ。
「アリア、今日の髪飾りは先週プレゼントした僕の色のものだね。昼休みは僕が作ったクッキーを中庭で食べよう。」
カリムは目尻と眉を少し下げて甘く囁くように私にいった。
髪飾りはシルバーの蔦の装飾の土台に細やかなルビーの宝石が付いていて、学園につけてくるには少々派手なものだ。
さっきの女生徒よりももっと派手だと思うのだけど、もう何も言うまいと私は小さく頷いた。
彼は悪い人ではないし、正義感が強い。私を溺愛してくれるのは女冥利に尽きる。
でも自分の物差しで測る癖があり、なぜか私はその理から外れている、そのことが気になる。
――浮気は彼の規則上ないそうだからいいか。今、これだけ溺愛してくれているし。
そして私の家は商会を営んでいるから神経質で計算に強い彼が婿として来た場合、裏に引っ込めればかなりの戦力になる。
だけど本音を言えば、子爵家から伯爵家へ婚約解消または破棄なんて言えない。
カリム様への強い違和感を強引に胸の奥にしまい込んだ。
◆◆◆
カリム様は我が家の商会を暇があれば手伝ってくれる。まだ婚約者の段階では見せられないものもあるから少し困ってしまうと言っているのだけど、カリム様はわかってくれない。
そんな彼が半ば強引に我が家の商会についてきたある休日だった。
「平民の少年! ここは貴族街にある商会の店舗だ。ここにそんな平服で来るのは許されない。」
奥の事務室で番頭と話していた私は、その大声で慌てて店内に戻った。そこには5歳くらいのとても可愛らしい天使みたいな少年とカリム様がいた。
何を言ってるの? わが子爵家の商会は平民、貴族の差はない。お客様を大事にすることをモットーにしているので、これは捨て置けない。損害が出るなら婚約の継続の可否も考えるべきところにきたのかもしれない。
そう思っている間にカリム様はヒートアップしているし、可愛らし――いえ、天使様は泣きそうな顔をしていた。
「いいから、さっさと出ていきなさい。汚らわしい。」
そういってカリム様は天使様の胸元を突き飛ばして商会からおいだそうとした。
「あぶないわ!」
突き飛ばす前から既に走り出してた私は、なんとか転ぶぎりぎりのところで少年をキャッチできた。
「うわぁ、お姉さん! ありがとう!!」
そういって少し赤らめた顔がますます天使様だった。
「なんてことをされるのですか!! お客様に怪我を負わせようとするなんて。しかもこんな小さな子供相手に!」
天使は『小さくないもん!』と言いたげにむくれた。
「アリアはこんな浮浪児をかばうのか! 僕は婚約者なんだぞ!!」
――浮浪児? この子は平服を着ているけれど、きれいに洗われているものよ。それに気品がある顔立ちだし、手入れがゆき届いた肌や髪の毛をしているわ。明らかに貴族の子息のお忍びとしか思えない。
『婚約継続は難しい』と父に相談するつもりだった私はカリム様への本気の反論は怖くはなかった。
顔をキリッとさせてカリム様に伝えた。
「あなたの自分だけのルールには従えません。婚約解消も考えています。」
彼は呆然として、口をパクパクさせ、アイデンティティの眼鏡はずり下がっていた。
「ここにいらっしゃいましたか!」
そういって商会にわらわらと屈強な肉体をした平民の格好をした男たちが入ってきた。
明らかに騎士の体格で、この天使様の護衛のようだ。
「あっ! 見つかっちゃった!」
騎士たちは天使様vsカリム様という状況を察して怒りをにじませていた。しかしこの数の護衛……もしかしたら普通の貴族ではないのかもしれない。内心冷や汗が垂れる。
「何をしている、男。この方は隣国の王太子殿下である。殿下に無礼をしたのか?」
――王太子殿下、ですって!! 無礼はしてました! かなり。でも子爵令嬢如きでは発言できない。
そう言えば、私は小さな子扱いしてしまったし、心のなかで勝手に天使様とか呼んでしまっていたわ。
「子供扱いして申し訳ございませんでした!」
「その子供扱いは嫌だけど、お姉さんは恩人さんだからいいよ。――そこの男は許せないけどね。不敬だ。」
王太子殿下は途中から冷気を放っているかのように魔王化した。怖いわ、これが王族なのね。
「はぁ、アリアは本当にかわいいね。こんな子供の嘘に付き合ってあげるなんて。王族は商会を呼ぶものでこんなところにくるわけないじゃないか。君は本質を知らなすぎる。」
ひえっ。本質を知らないのはカリム様です。この屈強な騎士たちが青筋立ててるのが見えないの?
どんどん空気が冷え込んでいるのがわからない彼は、はぁと大きなため息をついた。
そして指で出入り口を差しながら最大の地雷を踏んだ。
「ペテン師どもは出ていきたまえ。お帰りはあちらだ。」
騎士たちから殺気がこぼれた。キリッと眼鏡クイッをしても、もう理知的には見えません。
さすがにお父様も婚約解消に乗り出してくれるだろう。わが子爵家の危機です!
◆◆◆
『友誼を結ぶため隣国からやってきた5歳の王太子殿下が伯爵家令息に侮辱された』
突如そのニュースが王宮を襲い、蜂の巣をつついたような状況となった。
王宮のエリート文官たちが寝ずの対応を強いられた結果、損害は軽くで済んだ。
まず一番の懸念点であった国交は隣国の王太子殿下が勇敢な少女がいたことを絶賛し、無事維持されることが決まった。我が家はギリギリの状況であったが九死に一生を得た。
そしてカリム様は知らなかったとはいえ、王太子殿下を突き飛ばし怪我をさせようとしたことにより、ご実家の伯爵家の降爵が決まり男爵家となった。そして慰謝料として領地の三分の二の返納が決まった。
その流れで私とカリム様は婚約破棄が決まった。隣国の王太子殿下の鶴の一声で王命にて解消ではなく破棄となった。
あっけなく婚約生活にピリオドがついた。
それにしても感謝しかないわ。更に『学術都市である隣国へくればいいよ』と後日お会いした時に王太子殿下に声をかけていただいたし。頑張って今は留学を認めてもらおうと両親を説得中なの。
ちなみに、思わず口が滑って『感謝で天使様にみえます。』といったらムスッとされていた。ムスッとされてもかわいいわ。不敬なので絶対に言わないように気をつけよう。
カリム様は思想に偏りがあるということで、学園を退学して、領地で再教育を受けることになった。実質蟄居である。
そして今日は我が家の応接室でのカリム様との最後の面会となった。
「カリム様、あちらに行かれてもお元気で。」
婚約者時代は少し距離を取っていた侍女が私の背後に、彼には使用人が大分減ったのか、もしくは監視なのか彼の隣に彼の兄がピッタリとついて座っている。
カリム様は、いつもの眼鏡をクイッとあげて、言い放った。
「何を言っているのだ。また婚約を結べばいい。一緒に僕の領地に来るのが必然だ。」
――何をいっているのかしら。百歩譲って復縁したとしても嫡女が彼の領地へ行くわけがないわ。
後ろにいる侍女は顔を青くしているし、彼の兄は思わず隣にいる弟を目を見開いて眺め、完全に身体が固まっていた。
「この際だからはっきり言います。」
こういい出したとき、カリム様は期待に満ちた顔を、彼の兄は石化、侍女は応援をにじませた顔をしていた。
「第一に私は留学します。第二に復縁しません。第三に金輪際カリム様には会いません。」
私は毅然とした態度できっぱりと言い切った。更に言葉を重ねた。
「カリム様には大事にしてもらっていたとは思います。ですが、規則を他人に押し付けるのになぜか自分に関係するものは除外……。遠回しではありますがおかしいと何度も言っていたのに聞き遂げていただいたことはありません。これ以上は付き合えません。そもそもカリム様が見ていたのは私ですか?」
慌てたようにカリム様がいった。
「何を言っているんだ? あたりまえだろう。僕はきちんとアリアを見ていた。アリアは僕の婚約者だ! 愛さなければいけない規則なんだ!!」
「え? 規則、で大事にしてくれていたのですか?」
「そうだ! 僕はアリアを愛し、アリアの過ごしやすい環境を作らなければいけない。そのために規則で守られた秩序のある楽園を作らなければいけない。その安全な住処でアリアは暮らすんだ。そのためにアリアに、僕の楽園の民の印として僕の色のアクセサリーを身に着けさせたし、僕の作った食べ物を与え、愛情を持って君を育ててきたんだ!」
私を育ててくれたのは両親です。でもそんなことじゃない! 楽園? 育てる? ダブルスタンダードの背景にはこんな濃すぎる事情があったというの? 私はこれ以上考えてはいけないと慌てて思考を閉じた。
そして震えそうになる声を必死に押さえつけて叫んだ。
「――無理です! そもそも『アリア』ってなんですか? 私は『マリーベル』です!! 親しい方たちは『マリィ』と呼んでくれます。もうあなたの顔も見たくないし、名前を呼びたくもありません! 私のことは永遠に忘れてください!」
「僕だけに許された愛称だ。妖精は歌を使って魅了する。マリーベルという名前にはアリアという愛称もあるだろう? だから君はアリア――君は僕の妖精だ!」
まるでこちらの話を全く聞いていないのか、なにかに酔っているかのようにうっとりさせて語る。一刻も早く目の前から消したい、この存在を――。
「だから君は僕のそば――」
その時石化が解けた彼の兄は『大変申し訳ございません、マリーベル嬢!!』と言いながら、もみ合いでズレて落ちそうになってる眼鏡をした弟を回収していってくれた。
大変そうですががんばってください。隣国からお兄様のことは応援しています。
両親は留学に反対だったけれど、しばらくこの国を離れたほうがよいと判断して許可してくれた。これだけがあの最後の会談の利点だった。
――そして私は心機一転、留学のため旅立った。
◆◆◆
その後の『アレ』については母国にいる父から留学先に手紙がとどいた。
そこには、こう書かれていた。
領地での再教育は断念し、療養に切り替えたこと。それでもどんどん悪化して、閉じ込める意味も含めて北の保養所に移されたこと。人形を『アリア』と呼び規則正しい生活を送っていること。おそらくはアリアという人形を溺愛しているから私のところに姿を現すことはないだろうこと。
こんなにもうららかな天気なのに、読み終わったあとブリザードが吹いているような錯覚を感じた。隣国での生活を楽しんでいた私は水をさされた気持ちだ。
手紙を畳んで引き出しにしまったあと、気持ちを落ち着けるためにほっとする温かいハーブティーを侍女に淹れてもらって口をつけた。冷えてしまった心がじんわりと体温が戻っていくような感じがする。
――私のことは永遠に忘れてと言ったのに分かってはもらえなかったらしい。
だがもう『アレ』は私の前には現れない、忘れてなかったことにしよう。
次は家族に歓迎されるような恋をしたい! 切実に。
この隣国で明日もがんばろうと気合を入れた。
最後までお読みいただきありがとうございました!
最初は溺愛ヒーローのつもりだったのに着地がおかしくなりました。
面白いと思ってくださったら、ブックマークや★での応援をいただけると励みになります。




