【短編】月曜のメルティ・ストロベリー・ステップ(2026.2.16.Mon)
「クッキーすら、柚月ちゃんに渡せなかったよ……」
高校からの帰り道、古びた公園のベンチにへたりと腰を下ろす。
褪せた色のベンチが、ぎぃと音を立てて軋んだ。
握りしめた袋に目を落とす。
中には、昨日作ったクッキーがぎっしりと詰まっていた。
うさぎ型をした色とりどりのアイスボックスクッキー。
友達として、柚月に贈るためのもの。
可愛らしい袋をそっと撫でると。ため息が、ひとつ零れ落ちる。
映り込んだ自分の顔が、ひどく歪んでいた。
バレンタイン前日の金曜日に、チョコを渡すはずだった。
前日に準備した、チョコレートロリポップ。
チョコの部分は、うさぎの形をしている。
キャンディーとうさぎが大好きな、柚月だけを想って作った特別なチョコ。
ずっと、ずっと、柚月が大好きだった。
これを渡して、自分の気持ちも伝えられたら。
――そう、思っていたのに。
「バレンタインも、今日のクッキーも渡せないなんて……わたしの馬鹿」
金曜日、柚月はチョコを山ほど貰っていた。
貰う度に、困った顔でチョコを見せにくる柚月。
増えていくチョコの甘い匂いに、むせそうになる。
困るなら、断っちゃえばいいのに。
背中に隠した紙袋の紐を、きつく握りしめる。訝しげにのぞき込む柚月。
その視線を避けるように、軽口を叩く。
紙袋の中で、チョコの揺れる乾いた音が響いていた。
放課後、ロッカーの中を覗き込み、小さくため息をつく柚月。
声をかけると、柚月は目を潤ませながら振り返った。
――こんなに食べきれないよ。
困ったように柚月は笑う。
「小鳥、これ……一緒に食べながら帰ろうよ」
精一杯の笑顔で、頷いた。
その日の帰り道は、いつもの何倍も長かった。
のろのろと歩く柚月の隣で、彼女が貰ったチョコを食べる。
生チョコから溢れる苦みが、どろどろと心を黒く染めていく。
ふいに、隣を歩く柚月が足を止める。
いつの間にか、古びた公園まで差し掛かっていた。
この先を右に曲がるのが私、左が柚月。
いつもこの公園で、柚月とは別れていた。
先程まで笑っていた柚月が、急に静かになる。
見上げた柚月の顔は、影に隠れて良く見えない。
彼女の前髪に手を伸ばす。急にぱっと開かれた目と視線が絡んだ。
「その、小鳥……」
柚月が私の制服に手を伸ばす。掴まれた袖に皺が寄った。
俯いた柚月の髪が、小さく揺れている。
胸が高鳴った。
「……今日は、一緒にチョコ、食べてくれてありがとね」
小鳥は、最高の友達、と柚月は掴んだ腕をぶんぶんと振る。
頭が真っ白になった。
『友達』――その言葉が心臓を容赦なく刺していく。
寄った眉を隠すように、軽く口角を上げた。
つま先立ちをして、柚月の頭を軽く撫でる。
さらりとした髪が指をすり抜けていく。
柚月は少し目を開いたが、そのまま身を任せて笑っていた。
去っていく柚月の背中をぼんやりと眺める。
熱い雫が、頬を伝って流れ落ちていった。
歩くたびに、背中のリュックにしまい込んだチョコが潰れる音がした。
結局、チョコは渡せずに金曜日は終わってしまった。
錆びたブランコの音が響く。ぼんやりと顔を上げると、冷えた風が肌を撫でた。
改めて手の中の袋を見つめる。
クッキーの意味は、『あなたと友達でいたい』。
袋から覗くクッキーに、白い息がかかった。
昨日の言葉が頭の中を過る。わたしはただの『友達』でしかなかった。
だから、せめて月曜日にクッキーを渡そう。
そして自分の気持ちに整理をつけよう。
……そう、思っていたのに。
「……やっぱり、渡せなかったな」
零れ落ちた言葉が、じっとりと地面に染みを作っていく。
滲んでいく地面が、汚い自分の心の様で嫌悪感を抱いた。
黒い地面を、足でぐりぐりと踏みつける。
どれだけ踏んでも、地面の染みは消えなかった。
「あれ、小鳥だ」
ふいに後ろから声がかかる。少し低くて、でも甘い声。
柚月だった。
小さく跳ねる心臓。
ゆっくりと振り向くと、自転車に乗った柚月がにこにこと笑っていた。
自転車から飛び降りた柚月が、右隣に腰を下ろす。
塾の帰りにたまたま通りかかったようだった。
肩が触れ合うような距離。柚月から香る、甘い苺の匂いに目を細める。
「柚月ちゃん、苺のキャンディー舐めてるでしょ?」
「ばれちゃった」
柚月は小さく舌を出す。
そして、ふと思い立ったように胸ポケットの中を漁った。
横目で眺めていると、いたずらっぽい笑顔をこちらに向ける。
「小鳥。口、開けて?」
「……え?」
白い指が唇に軽く触れる。ころりと舌の上に転がり落ちた球体。
口の中に広がる苺の香りに、息が詰まる。
指先が、ゆっくりと頬を撫でて離れていった。
「美味しいでしょ。苺味だよ」
ちょうど一個余ってたんだよね、と柚月が小さく笑う。
とろける様に甘い苺の味。
舌の上で軽やかに転がるキャンディーの音が、鼓膜を揺らす。
いつの間にか、柚月が静かにこちらを見つめていた。
その視線は、クッキーに注がれている。
――渡すなら、今しかない。
目を伏せると、ぎゅっと手を強く握った。クッキーの袋が小さく音を立てる。
わたしたちは、これからもずっと友達だから。
そう言い聞かせながら、柚月に袋を差し出した。
「柚月ちゃん。これ」
「……うん」
「……いつも、ありがとうの気持ち。バレンタイン、渡せなかったから」
そっと手から袋が離れていく。
「うさぎの……クッキー?可愛い」
瞑った目を開くと、柚月が照れた表情で笑っていた。
いろんな角度から袋を眺める彼女に、そっと息をつく。
冷えた指先同士を、絡めては戻す。
ふと、隣の柚月が静かなことに気づく。
彼女は、じっとクッキーの袋を見つめながら俯いていた。
伏せた瞼が小さく震え、吐く息は細く白い。
眉を寄せる彼女に、胸の奥がざわついた。
舌を転がるキャンディーがべたついている。
伸ばしかけた右手が、宙を彷徨った。
――もしかして、クッキーが嫌いだったのだろうか。
焦燥感に駆られて口を開く。
「柚月ちゃん。クッキー……」
「小鳥」
視線を上げた柚月と、ぱちりと目が合った。潤んだ黒い瞳。
一瞬絡んだ視線は、さっと逸らされる。追いかけるように手を伸ばした。
指先が柚月の前髪に触れる。よけた髪の奥で、静かに瞳が光っていた。
静かに滑り落ちた手に柚月の指先が絡む。
そのまま引き寄せられて、ふわりと体が横に倒れ込んだ。
冷えた左耳に、甘い息がかかる。首元に回された腕が、ひどく熱い。
「……柚月、ちゃん?」
目のすぐ下に、制服のリボンが揺れていた。
胸に押し付けられた柚月の心臓が、どくどくと動いている。
左肩を冷たい風が通り過ぎた。
柚月の腕の中にすっぽりと納まった、わたしの体。
頬に熱が集まった。心臓が壊れそうになる。
近くて、苦しくて。
胸の音を聞かれたくなくて。
この熱を、どこかに逃がしてしまいたかった。
体を小さく動かす度に、ぐっと腕に力が籠められる。
柚月が左手に握った袋が、肩に擦れて乾いた音を立てていた。
柚月の息がそっと近づく。
「……小鳥は、知ってる?」
普段より少し低い声。柚月の鼻先が耳を掠め、くすぐったくて顔を避ける。
頬に滑らされた右手で、ぐっと顔を引き寄せられた。
眼前の黒い瞳から、目をそらすことが出来ない。柚月が優しく頬を撫でる。
「キャンディーって、大好きでずっと一緒にいたいって意味……なんだって」
息が止まった。甘い苺の匂いが離れない。
ぼやける視界のその奥で、柚月が口元を緩ませていた。
頬を撫でる指先が、溢れた涙を拭いとる。
――柚月ちゃんは、わたしのことが、好き……?
口の中で、キャンディーが砕けてゆく。
甘くて鋭い欠片が、舌に絡みついて喉の奥へ落ちていった。
体中に痺れが走り、溶けるような心地に酔いしれる。
欠片を飲み込んだ心臓が、どくりと音を立てた。
もう、逃げなくていいんだ。
「ねえ……ゆづちゃん」
首へまわされた左手に、そっと手を重ねた。
腕が柚月の持つ袋を押し、クッキーが1つ2つと割れていく。
静かな呼吸の奥で、2つの心臓の音だけが響いている。
何もかもが熱かった袋の中で、クッキーが粉々に砕けていく。
手を離し、柚月の胸元を握る。
「クッキー、割れちゃった」
腕の中で、かすれるような声で呟く。
柚月が小さく笑う。
鳥籠の中の鳥。さしずめ、わたしは柚月の籠で飼われる鳥のようだった。
――もう、逃げなくていいのだ、と胸の奥が叫ぶ。
頬に当てられた柚月の手に、そっと頬を摺り寄せた。
「ゆづちゃん。明日、チョコ……渡すから」
「……うん。待ってる」
完全に柚月に体を預けると、頭を慈しむ様に撫でられる。
白い息に混ざる、甘いため息。
温かい腕の中で、甘ったるい苺の香りに身をゆだねる。
鳥籠の内側で、ゆっくりと鍵のかかる音が響き渡った。
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