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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

【短編】月曜のメルティ・ストロベリー・ステップ(2026.2.16.Mon)

掲載日:2026/03/03

「クッキーすら、柚月ちゃんに渡せなかったよ……」


 高校からの帰り道、古びた公園のベンチにへたりと腰を下ろす。

 褪せた色のベンチが、ぎぃと音を立てて軋んだ。


 握りしめた袋に目を落とす。

 中には、昨日作ったクッキーがぎっしりと詰まっていた。

 うさぎ型をした色とりどりのアイスボックスクッキー。

 友達として、柚月に贈るためのもの。


 可愛らしい袋をそっと撫でると。ため息が、ひとつ零れ落ちる。

 映り込んだ自分の顔が、ひどく歪んでいた。


 バレンタイン前日の金曜日に、チョコを渡すはずだった。

 前日に準備した、チョコレートロリポップ。

 チョコの部分は、うさぎの形をしている。

 キャンディーとうさぎが大好きな、柚月だけを想って作った特別なチョコ。

 

 ずっと、ずっと、柚月が大好きだった。

 これを渡して、自分の気持ちも伝えられたら。

 ――そう、思っていたのに。


「バレンタインも、今日のクッキーも渡せないなんて……わたしの馬鹿」

 



 金曜日、柚月はチョコを山ほど貰っていた。

 貰う度に、困った顔でチョコを見せにくる柚月。

 増えていくチョコの甘い匂いに、むせそうになる。


 困るなら、断っちゃえばいいのに。


 背中に隠した紙袋の紐を、きつく握りしめる。訝しげにのぞき込む柚月。

 その視線を避けるように、軽口を叩く。

 紙袋の中で、チョコの揺れる乾いた音が響いていた。

 

 放課後、ロッカーの中を覗き込み、小さくため息をつく柚月。

 声をかけると、柚月は目を潤ませながら振り返った。

 

 ――こんなに食べきれないよ。

 

 困ったように柚月は笑う。


「小鳥、これ……一緒に食べながら帰ろうよ」

 

 精一杯の笑顔で、頷いた。


 その日の帰り道は、いつもの何倍も長かった。

 のろのろと歩く柚月の隣で、彼女が貰ったチョコを食べる。

 生チョコから溢れる苦みが、どろどろと心を黒く染めていく。

 

 ふいに、隣を歩く柚月が足を止める。

 いつの間にか、古びた公園まで差し掛かっていた。

 この先を右に曲がるのが私、左が柚月。

 いつもこの公園で、柚月とは別れていた。

 

 先程まで笑っていた柚月が、急に静かになる。

 見上げた柚月の顔は、影に隠れて良く見えない。

 彼女の前髪に手を伸ばす。急にぱっと開かれた目と視線が絡んだ。


「その、小鳥……」


 柚月が私の制服に手を伸ばす。掴まれた袖に皺が寄った。

 俯いた柚月の髪が、小さく揺れている。

 胸が高鳴った。


「……今日は、一緒にチョコ、食べてくれてありがとね」

 

 小鳥は、最高の友達、と柚月は掴んだ腕をぶんぶんと振る。

 頭が真っ白になった。


『友達』――その言葉が心臓を容赦なく刺していく。


 寄った眉を隠すように、軽く口角を上げた。

 つま先立ちをして、柚月の頭を軽く撫でる。

 さらりとした髪が指をすり抜けていく。

 柚月は少し目を開いたが、そのまま身を任せて笑っていた。

 

 去っていく柚月の背中をぼんやりと眺める。

 熱い雫が、頬を伝って流れ落ちていった。

 歩くたびに、背中のリュックにしまい込んだチョコが潰れる音がした。

 結局、チョコは渡せずに金曜日は終わってしまった。




 錆びたブランコの音が響く。ぼんやりと顔を上げると、冷えた風が肌を撫でた。

 改めて手の中の袋を見つめる。


 クッキーの意味は、『あなたと友達でいたい』。


 袋から覗くクッキーに、白い息がかかった。

 昨日の言葉が頭の中を過る。わたしはただの『友達』でしかなかった。

 だから、せめて月曜日にクッキーを渡そう。

 そして自分の気持ちに整理をつけよう。

 ……そう、思っていたのに。


「……やっぱり、渡せなかったな」


 零れ落ちた言葉が、じっとりと地面に染みを作っていく。

 滲んでいく地面が、汚い自分の心の様で嫌悪感を抱いた。

 黒い地面を、足でぐりぐりと踏みつける。

 どれだけ踏んでも、地面の染みは消えなかった。


「あれ、小鳥だ」

 

 ふいに後ろから声がかかる。少し低くて、でも甘い声。

 柚月だった。


 小さく跳ねる心臓。

 ゆっくりと振り向くと、自転車に乗った柚月がにこにこと笑っていた。

 自転車から飛び降りた柚月が、右隣に腰を下ろす。

 塾の帰りにたまたま通りかかったようだった。


 肩が触れ合うような距離。柚月から香る、甘い苺の匂いに目を細める。

 

「柚月ちゃん、苺のキャンディー舐めてるでしょ?」

「ばれちゃった」

 

 柚月は小さく舌を出す。

 そして、ふと思い立ったように胸ポケットの中を漁った。

 横目で眺めていると、いたずらっぽい笑顔をこちらに向ける。

 

「小鳥。口、開けて?」

「……え?」

 

 白い指が唇に軽く触れる。ころりと舌の上に転がり落ちた球体。

 口の中に広がる苺の香りに、息が詰まる。

 指先が、ゆっくりと頬を撫でて離れていった。

 

「美味しいでしょ。苺味だよ」

 

 ちょうど一個余ってたんだよね、と柚月が小さく笑う。

 とろける様に甘い苺の味。

 舌の上で軽やかに転がるキャンディーの音が、鼓膜を揺らす。


 いつの間にか、柚月が静かにこちらを見つめていた。

 その視線は、クッキーに注がれている。


 ――渡すなら、今しかない。


 目を伏せると、ぎゅっと手を強く握った。クッキーの袋が小さく音を立てる。


 わたしたちは、これからもずっと友達だから。

 そう言い聞かせながら、柚月に袋を差し出した。


「柚月ちゃん。これ」

「……うん」

「……いつも、ありがとうの気持ち。バレンタイン、渡せなかったから」


 そっと手から袋が離れていく。


「うさぎの……クッキー?可愛い」


 瞑った目を開くと、柚月が照れた表情で笑っていた。

 いろんな角度から袋を眺める彼女に、そっと息をつく。

 冷えた指先同士を、絡めては戻す。


 ふと、隣の柚月が静かなことに気づく。

 彼女は、じっとクッキーの袋を見つめながら俯いていた。

 伏せた瞼が小さく震え、吐く息は細く白い。

 眉を寄せる彼女に、胸の奥がざわついた。

 舌を転がるキャンディーがべたついている。

 伸ばしかけた右手が、宙を彷徨った。


 ――もしかして、クッキーが嫌いだったのだろうか。


 焦燥感に駆られて口を開く。


「柚月ちゃん。クッキー……」

「小鳥」


 視線を上げた柚月と、ぱちりと目が合った。潤んだ黒い瞳。

 一瞬絡んだ視線は、さっと逸らされる。追いかけるように手を伸ばした。


 指先が柚月の前髪に触れる。よけた髪の奥で、静かに瞳が光っていた。

 静かに滑り落ちた手に柚月の指先が絡む。

 そのまま引き寄せられて、ふわりと体が横に倒れ込んだ。

 冷えた左耳に、甘い息がかかる。首元に回された腕が、ひどく熱い。


「……柚月、ちゃん?」


 目のすぐ下に、制服のリボンが揺れていた。

 胸に押し付けられた柚月の心臓が、どくどくと動いている。

 左肩を冷たい風が通り過ぎた。

 柚月の腕の中にすっぽりと納まった、わたしの体。

 頬に熱が集まった。心臓が壊れそうになる。


 近くて、苦しくて。

 胸の音を聞かれたくなくて。

 この熱を、どこかに逃がしてしまいたかった。


 体を小さく動かす度に、ぐっと腕に力が籠められる。

 柚月が左手に握った袋が、肩に擦れて乾いた音を立てていた。


 柚月の息がそっと近づく。


「……小鳥は、知ってる?」


 普段より少し低い声。柚月の鼻先が耳を掠め、くすぐったくて顔を避ける。

 頬に滑らされた右手で、ぐっと顔を引き寄せられた。

 眼前の黒い瞳から、目をそらすことが出来ない。柚月が優しく頬を撫でる。

 

「キャンディーって、大好きでずっと一緒にいたいって意味……なんだって」


 息が止まった。甘い苺の匂いが離れない。

 ぼやける視界のその奥で、柚月が口元を緩ませていた。

 頬を撫でる指先が、溢れた涙を拭いとる。


 ――柚月ちゃんは、わたしのことが、好き……?


 口の中で、キャンディーが砕けてゆく。

 甘くて鋭い欠片が、舌に絡みついて喉の奥へ落ちていった。

 体中に痺れが走り、溶けるような心地に酔いしれる。

 欠片を飲み込んだ心臓が、どくりと音を立てた。


 もう、逃げなくていいんだ。


「ねえ……ゆづちゃん」


 首へまわされた左手に、そっと手を重ねた。

 腕が柚月の持つ袋を押し、クッキーが1つ2つと割れていく。


 静かな呼吸の奥で、2つの心臓の音だけが響いている。

 何もかもが熱かった袋の中で、クッキーが粉々に砕けていく。

 手を離し、柚月の胸元を握る。


 「クッキー、割れちゃった」


 腕の中で、かすれるような声で呟く。

 柚月が小さく笑う。

 鳥籠の中の鳥。さしずめ、わたしは柚月の籠で飼われる鳥のようだった。

 ――もう、逃げなくていいのだ、と胸の奥が叫ぶ。


 頬に当てられた柚月の手に、そっと頬を摺り寄せた。


「ゆづちゃん。明日、チョコ……渡すから」

「……うん。待ってる」


 完全に柚月に体を預けると、頭を慈しむ様に撫でられる。

 白い息に混ざる、甘いため息。

 温かい腕の中で、甘ったるい苺の香りに身をゆだねる。

 鳥籠の内側で、ゆっくりと鍵のかかる音が響き渡った。



ここまで読んでくださりありがとうございました。

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