【09】猫
◇
病院。
猫病院、と名付けよう。
サイコロみたいに四角い病院だ。
二つ前の路地から体を出して、ナガンに付いているスコープで見る。
猫。やっぱりたくさんいる。外にも猫が沢山いる。
巨大な猫は……見当たらない。
通常の話だが。
縄張りに外敵が侵入した際に、猫を含む小動物の取る行動は一つ。
安全圏まで撤退する。
そして外敵を観察が基本の筈。
そう、小動物は生存を優先する。筈だ。
だから。私は、正面から行くことに決めていた。
そして出来る限り、音を立てない。
通常サイズの猫たちが何をしてきても大丈夫だけど、騒がれたりして巨大猫が来たら一大事だから。
ふと扉が開く。猫が外に出て来た──なるほど。観察して分かったが、入口は重さで開閉する自動扉のようだ。
それで猫が我が物顔であの病院を占拠している、のかもな。
夕焼けが傾いている。そろそろ時間が無い。
急ごう。
物陰に沿い、風向きだけは気にして、出来る限り音を出さないように私は病院へ近づいた。
幸い、罠や見張りがいる訳じゃないようだ。
扉までは難なくこれた。後は、なるべく音を立てないよう、ゆっくりと扉を開ける。
マットが引かれている床に重さが掛かると開く単純な仕掛け。
だから、ゆっくりとそこを踏めば……ゆっくりと開く。
館内は、暗い。だが、橙色の非常灯だけは付きっぱなしのようだ。
廊下の先までしっかり見える。これなら出会い頭じゃなければ大丈夫。
……息を殺す。耳を傾ける。ああ、猫たちの気配は当然だがある。
しかし、襲ってくる気配はない。幸いだ。
猫たちは人という種もかなり減ったこの世界じゃ、縄張りに入って来た私をそこまで警戒していないのかもしれない。
薬品保管室、みたいな部屋を見つければ……。
院内の見取り図もどこかにある筈だし、大丈夫。静かに行動すれば平気な筈だ。
順調だ。けど。
問題は、……あの巨大猫か。
──外には居なかった。
外出中なら有り難いが、流石にそうならないだろう。きっと、この院内──巣の中にいる。
暗く白い院内を進む。
床には土の後がある。何度も猫たちが往復しているのだろう。
そういえば、獣臭さはあるが糞尿の臭いはないのは幸いだった。
猫たちの糞は外に集中していた──きっと元家猫で、躾けられていた猫が子供たちをそう教育したのだろうか。そう思うと微笑ましい。
微笑ましいが……襲い掛かられたら。
私は銃を構えたまま、腰のベルトに挟んだ重さを再確認する。
ナイフがある。刃渡り20センチほどのサバイバルナイフ。
一応、これも持ってきたのだ。……銃が使えない時は、これを使う。
一歩、踏み込む度に世界が揺れるような感覚に陥る。
心臓の筋肉が張ったように強張る。
踏み込めば帰れない薄暗い迷いの森のような、不安と恐怖が胸に注ぎ込まれていくように。
この角を曲がったら、巨大猫が襲い掛かってくるかもしれない。
窓を割って出てくるかもしれない。
上から落ちてくるかもしれない。
──私の足に絡みつくのは、そんな幻想。
でも。──少しだけ、瞼を閉じる。
今、一歩を踏み出す勇気が欲しいから。
だから。シェフちゃんの、顔を思い出す。
そして……あの辛そうな顔も……思い出す。
助けたい。だって、私は。
シェフちゃん。
よし。
呼吸を整えた。行こう。
大丈夫。何にも出会わず薬さえ入手して、後はさっと帰ればいい。
そしたら車に乗って、アクセルを踏み込んで逃げれるだけ逃げる。
そしたら安全。車に乗ってしまえば勝ちだ。
この角を曲がって──。
『ニャ?』
「あ」
角でばったり。徘徊の巨大猫。
こんな時間に徘徊するなんておじいちゃんくらいしか──おじいちゃん。
ああ、お前、おじいちゃん猫なのか。いや、納得してる場合じゃ──
シャァッ! と蛇の威嚇のような耳を裂く程の雄叫び。
猫は飛び掛かって来た。じゃれつく訳じゃない。
「っ!」
モシン・ごめんっ!
勢いで振り下ろされた猫爪を銃の横面で防ぐ。
照準器が逝った音と自分の腕から聞いたこと無い軋轢音がした。
折れた訳じゃない、ただ、筋肉が悲鳴を上げている。
お……重いっ。なんだ、この力。
やばい。何か──っ!
銃口は壁を向いているが、今はそれでいい……っ!
引き金を、無理矢理に引く。
雷撃のような振動と音──流石の巨大猫も人生で一度も聞いたことのない音に、跳び上がった。しめた。
銃身を握って、野球バットのように銃を真横に振る。
空を切った。巨大猫が後退る。臆している。
この機に手間取らない。
目線を外さず、銃を手元に手繰り、正しい向きで持ち直す。
巨大猫はすぐに飛び掛かった。この棒が武器だと本能で気付いたのか。
くそ。出鱈目に発砲した。外した。次だ。
二回。三回。
当たった。
夥しい血が噴出した。
至近距離で、巨大猫の肩を撃ち抜いた。
『──シャァッ!!!』
嘘でしょ。──なんで、怯まない。
いや、違う。
分かってるのか。
ここで怯んだら、狩られると──っ。
あ。
べぎゃん
何の音か、分からなかった。
何が起きたのかも分からなかった。
ただ、頬から左肩が、燃えてるみたいな感覚で。
胴体が、床の冷たさに気付いて、ああ私は転がっているのだと気付かされた。
鼻血も出てる。体が痛い。
あの巨大猫に引っ叩かれたんだ。それで、きっと壁に体をぶつけた後、顔から床に落ちた。
ああ……なん。ぁ、痛い。
折れて無いけど、何、この痛み。
痛い。……痛いよ。
あ。
──私の手が震えた。
振り向きたくない。
呼吸音で分かる。
私の後ろの呼吸音。
這いつくばった、私の背中を見ている。
巨大猫が、そこに居る。




