【08】曇天
◇
太陽光四輪駆動くんの後部座席。
荷物を出来る限り全部助手席に移動して、横になれるスペースを作った。
「──大丈夫、でありますよ。ちょっと疲れが、出ただけ、であります」
そう言うシェフちゃんの顔は熱に浮かされている。
目もとろんとしてる。
とにかく、布という布でくるんだ。
暖房もかけた。バケツに水を張っておいてあるのは、簡易な加湿器のつもりだ。
今できることは……これくらいだ。
「大丈夫……であります。すぐ、治ります、から」
「そう、なのか?」
「はい。心配をおかけして……。ああ。ヒラタケ……明日に回そうと思うであります」
「ああ。分かった」
「……今日のお昼、ご飯……お腹、空いちゃうかも、なので……干し肉、とか」
「大丈夫。大丈夫だよ」
「……あと……作り置きの、飴、ある、であります、から」
「ああ。ありがとう、シェフちゃん」
シェフちゃんは、すっと眠った。
限界だったんだろう。そんな中でも、食事の心配ばかりしてくれて。
……。
私は……拳を握っていた。
さっき。シェフちゃんの身体をタオルで拭いた。
その時に、見つけた。背中の……化膿した傷。
四本線。手のひらサイズの長い傷。あれは、きっと引っ掻き傷だ。
『はい! 可愛くて大好きであります! 実は今日も昼過ぎに見かけて撫でていたであります!』
猫の爪の痕だ。
──数日前の、猫に占拠された病院の話をした日。
気付けばよかった。きっと昼過ぎに見かけた時に、じゃれて引っ掻かれたのだろう。
たかが引っ掻き傷──と甘く考えてはいけない。
そこから感染症にだって繋がるんだから。……私は。唇を噛んだ。
「……隊長、殿。……」
起きてるのか? いや、寝言みたいだ。
でも、私の服の裾を掴んで、離さない。
「……大丈夫だよ、シェフちゃん。大丈夫だ」
頬を撫でる。熱く上気した頬。汗が辛そうだ。
瞑った目から涙が落ちている。
呼吸も、早い。風邪みたいな症状にも思える。
それに、たったこれだけで──最悪の、ことになんか。なる訳が。
なる。訳が。
喉が渇く。
からからに乾いていく。
手の先から血の気が抜けているようだ。
カサカサになった手を擦るように握る。
どうしたらいい。
私が……シェフちゃんに何を出来る。
運転席で私は蹲る。
私は、モシン・ナガンを抱きしめるようにして頭を抱える。
空は暗い。今日は曇天だ。
だから。余計に胸がきつい。
後ろから聞こえるゼイゼイとした声。
時折する咳の音。
一晩、眠ったら治るだろうか。
……私は医学なんて習ってないけど……いつも病気は夜に悪化する気がする。
子供の時、昼は熱が下がっていても、夜はいつも辛かった。
……夜、眠って……朝、目が本当に。覚める……?
震えた。
自然と、喉が震えた気がした。締まったみたいにきつい。
どうしよう。どうしたら助けられるんだろう。
シェフちゃんなら薬草の知識がありそうだ。
でも、この状態じゃ探して貰うのは難しい。
もし教えて貰って探したとしても、私が見つけられるだろうか。
毒草を引いたらもっと大変なことになる。
……こんな世界になっていなければ病院に行ったり薬局で薬を買えばあれくらい治ってしまうんだろう。
勿論、この世界にそんな都合のいいものは──。
あ。──……あった。
ある。そうだ。あったじゃないか。
猫に占拠されていた病院があったじゃないか。
あの建物は、多分だけど、私たちが眠った後に出来た物だ。
だとしたら。
……薬が。まだ使える薬があるかもしれない。
時間を見た。
まだ正午過ぎ。
今からあの病院があった場所に戻れば……夕方より前に付ける筈。
「シェフちゃん」
私はそう呟いていた。
気が付いたらもう既にキーを回して、アクセルを踏んでいた。
いつもは気になどならないジープの低いエンジン音が、今日だけは心臓を逸らせた。
◇
約8メートル。
猫の可視距離は、約8メートルだ。
その距離なら人間の顔を識別することは可能。じっと見れば、その距離は20メートルまで伸びる。
人間の可視距離が視力1.0で約5メートル。視力2.0なら約10メートルと言われている。
私の視力は両目とも1.2だった筈。だから、私が見えていれば、相手も見える。
そう考えて行動すればいい。
こちらの装備。
モシン・ナガンの有効射程は400メートル。かの有名なシモ・ヘイへなら2000メートルは行ける。
私はヘイへのような腕はないし、有効射程距離をフルに使える技能も無い。
だけど大丈夫。有利だ。
……巨大猫には、当たり前だが銃火器は搭載されていない。
可視距離に入ったとしても、こちらが先手を打って攻撃できる。
車のアナログ時計が『 16:12 』と表示されている。猫は夜行性だ。
それを加味して考えると、この16時という時間は、人間にとっての朝4時に相当する──と、何かの漫画で読んだことがある。
となれば、そんな時間は人間なら『おジイちゃん』くらいしか起きていない。
突入するには今の時間が最適。
「……シェフちゃん。シェフちゃん」
小声で、シェフちゃんの耳元で私は彼女を呼ぶ。
シェフちゃんはぐったりしている。だけど反応があった。
大丈夫。大丈夫だ。
「少し離れる。薬を見つけてくるから」
シェフちゃんがもぞっと体を動かした。手を、伸ばしてきた。私は手を握る。
「すぐ戻る」
「……たい、ちょう」
「うん?」
シェフちゃんは──笑った。壊れそうな、笑顔で。
「私は……大丈夫で、あります、から。だか、──」
掠れて。聞こえなかった。
だけど、なんて言ったか分かったよ。
私の手を握る手にもう力が抜けて。
シェフちゃんはすっと目を閉じた。手をそっと布団たちの中に戻した。
『無理しないで。』シェフちゃんが言った言葉を思い返してから。
「……大丈夫。無理じゃないよ」
シェフちゃんには見えないかもしれない。
でも、私は微笑んでみせた。下手な笑顔を、シェフちゃんの為に。
◇




