06 小さなバケモノ、ふにゃってます②
セレスティア宮廷、小食堂。
重厚な扉の前に、二名の侍従が静かに控えていた。
腰の位置で揃えた手は微動だにせず、背筋は糸のように真っ直ぐ。
まるで大理石の彫像がそこに二つ置かれているかのようだった。
扉近くの壁際には、給仕の青年が銀盆を両手で抱えている。
皿の縁ふちを磨き上げたばかりの布を指に挟み、緊張した面持めんもちで控えていた。
暖炉で温められた室内は心地よいはずなのに、三人の表情には固い空気が漂っている。
(……皇女殿下のお連れになったあの子が来る……)
小さな噂はすでに宮廷中に伝わっていた。
昨日処刑予定だったバケモノ。
しかし殿下はその子を保護し、今日から共に生活されるという。
扉前の侍従が、そっと喉を鳴らした。
「殿下、お越しです」
ゆっくりと扉が開かれていく。
月光のような静けさをまとったリフィナが姿を現した。
その腕の中で———、
「ふにゃ……?」
小さな毛布の山が、もぞっと動いた。
侍従も給仕も反射的に息を呑む。
リフィナの胸元に抱かれたその小さな存在は、
毛布をかぶったまま、穴からそろりと顔をのぞかせ———、
「……ここ、ごはん……?」
怯えと期待がまぜこぜになった、ふにゃっととろける声を漏らした。
その瞬間、格式高い小食堂に、わずかな揺らぎが走る。
侍従の眉がぴくりと動き、給仕の青年は落としそうになった銀盆を慌てて持ち直した。
(こ、こんな……子供……? いやしかし、昨日のバケモノだと……?)
思わず視線が揃ってリフィナへ向く。
皇女はその全てを優雅に受け流し、淡く微笑んだ。
「ユールさん、ここが小食堂です。朝ごはんをいただきますよ」
ユールは毛布からちょこんとだけ顔を出し、
きょろきょろと室内を見渡した。
長いテーブル。
準備された銀食器。
整列する侍従たち。
壁に掲げられた織物。
そして、暖炉の炎。
どれも見たことがない非現実の景色だった。
「……ひ、人がいっぱい……」
毛布がもぞっと沈む。
リフィナはそれを察し、そっと腕を揺らして支える。
「怖くありませんよ。皆、私の指示であなたをお迎えしているのです」
「……ふにゃ……」
それでもユールは毛布をぎゅっと握ったまま、
人の視線が気になるのか、ひたすらリフィナの首元に顔を寄せた。
侍従のひとりが、声を慎重に落として言う。
「……殿下、御席の準備は整っております。どうぞお進みくださいませ」
「ええ。ありがとうございます」
リフィナは静かに歩み始める。
そのたびに、ユールの毛布がふわふわと揺れ、
まるで毛布の妖精が抱えられて移動しているようだった。
テーブルに近づいたところで、ユールがそっと顔を上げた。
「……おにんげんしゃん……あれ、たべるとこ……?」
「ええ。ここで食べるのですよ。ミルクも運ばせています」
ユールの瞳がほのかに光った。
「……ミルク……」
震えと不安で萎んでいた鼓動が、一瞬だけふんわり膨らむ。
しかし同時に、侍従たちの緊張した視線を感じて———、
「……ふにゃっ」
小さく跳ねるような声をあげ、また毛布に潜り込んでしまった。
侍従たちは硬直し、給仕の青年は皿を落としそうになり———、
リフィナだけが、まるで春風のように柔らかな笑みを浮かべていた。
「大丈夫です。ユールさんは怖がりなだけですから」
そのひと言は、場の空気をすっと和らげた。
宮廷の冷たい緊張がすこし緩む。
そしてユールは毛布の隙間から、そろ〜っと目だけを出し、
机の上に置かれた銀の小皿を見つけて———
「……あれ、ミルク……?」
希望の光がふわりと灯ったのだった。
そんな時、廊下からコツ、コツ、と規則正しい靴音が、廊下から小食堂へ近づいてきた。
侍従が反応し、スッと姿勢を正す。
「———メイド長、入室されます」
扉が静かに開かれた。
姿を現したのは、黒と白のクラシカルな装いに身を包んだ女性。
深い紫の髪をきりりとまとめ、胸元には梟のバッチが静かに光っている。
シャルロッタ=アークオン。
皇女付き筆頭メイド長。
「失礼致します、殿下。……朝餉の進捗状況を確認に参りました」
落ち着き払った声。
無駄のない動作。
張り詰めた空気に、一本の鋼が通ったような緊張感が走る。
だがシャルロッタの視線は——
自然とリフィナの腕の中の毛布へと向かった。
毛布が、もぞっ。
そして。
「……新しい、おにんげんしゃん……?」
ぴょこりと顔を出したユール。
シャルロッタは、オーバースカートの裾を軽く持ち上げ、頭を下げる。
「シャルロッタ=アークオンと申します。殿下から話は伺っております、ユール様」
「……あ、ふにゃ……ユールでしゅ」
シャルロッタの振る舞いに、分かりやすいほどの驚きを見せる。
リフィナは胸に抱いていたユールを、静かにハイバックチェアに座らせた。
「ふふっ、慣れるまで時間が掛かりそうですね」
リフィナの言葉を耳に、シャルロッタのスモークグレーの瞳がほんの少し細まる。
(……この子がユール=ヴェルニア。噂通り、殿下が保護したのですね。でも、なぜこのバケモノの子を? 殿下は———なにを考えているんでしょうか)
まじまじと見られることに慣れていないのか、ユールはリフィナの腕にギュッと顔を埋めた。
「緊張しますよね。大丈夫ですよ、ユールさん」
リフィナの優しい手つきがユールの背中を撫でた。
その光景を見守っているシャルロッタは、お手本のお辞儀を見せた。
「朝餉のお邪魔して申し訳ございません。失礼致します」
「あら、シャルも食べて行かないの?」
「はい。ユール様、殿下とお二人の方がよろしいみたいですので」
シャルロッタはユールを見つめたのち、再び規則正しい靴音を小食堂に響かせた。
扉を閉め、朝の光が廊下を差し込む中、シャルロッタは疑念に包まれる。
(……ユール=ヴェルニアをこの目で見たのは初めてでしたが、あれはバケモノと言うより子猫。……その中でも、だいぶふにゃってますね)
顎に手を軽く添え、窓の方に視線を移す。
(まさか殿下、情が移ったからあの子を保護? ……油断してはなりません。あの子を調べないと。もし万が一———星魂族がこの国に被害が出た場合、殿下が負える責任は限られているでしょうから。それを阻止しなければ)
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朝餉・あさげ=古い言葉で朝食
オーバースカート=ドレスやスカート、スリムなパンツなどの上からさらに重ねて着用するスカート




