04 小さなバケモノ④
ユールとリフィナが去ったのち、大広間を包み込むのは一つの疑念だった。
「……正気なのか、殿下は」
「わかるわけないだろ……!? だが、殿下は壮麗な方だ。……くそっ、今は殿下の指示に従うしかないだろ」
「リフィナ様は素晴らしい方だけど、あの少女を保護するだなんてねぇ……」
「ほんとに大丈夫なのかしら?」
市民の疑念。
貴族の恐れが———絵の具のように混ざり合っていた。
それを遠目から見守るロシュは、静かにため息を吐く。
(殿下の考えていることは、よく分からない。———だが、ユール=ヴェルニア。あの子自身、得体の知れない生き物だ。……はぁ、頭が痛くなる)
彼の瞳が蒼梟フリュエルの旗を見据えた。
(———まぁ、俺は殿下の指示に従うだけだ)
※※※
三時間後、十八時。
外はすっかり夜に沈み、冷たい風が静かに通り抜けていく。
風に触れた葉がさらりと流され、雪の上に落ちた。
昼に降った雪は薄く積もり、白い地面が月の光を淡く返している。
頭上には星がひっそりと広がり、静かな海みたいに瞬いていた。
満月が雲ひとつない夜空にぽっかり浮かび、白い光をまっすぐ落としていた。
その光は雪を越え、奥に佇む大きな建物の輪郭を照らす。
セレスティア宮廷は、夜の光に染まりながら静かに立っていた。
高い塔と広い屋根が雪を受け止め、うっすらと青白い色を帯びている。
壁には薄い飾り模様が彫られ、月明かりがその縁を静かになぞっていく。
大きな窓は外の寒さを拒むように厚い硝子で覆われ、内側から漏れる灯りが、雪の庭に細い道を描いていた。
宮廷の入り口へ続く石畳は、夜の冷えで硬く澄み、足音ひとつ吸い込んでしまいそうな静けさに包まれている。
その堂々とした佇まいは———、
ここが皇族の住まう場所なのだと、言葉より先に伝えていた。
宮廷の一角から漏れた柔らかな灯りが、
廊下をほのかに照らしている。
その光は奥の部屋へと続き、静かな温もりを滲ませていた。
「見てくださいユールさん。綺麗な星々が出ていますよ」
リフィナの声色は、先ほどよりもほんのり柔らかい。
ユールはビクッと肩を振るわせた。リフィナの室内の端っこで体を丸めている。
観葉植物に隠れているようで、隠れられていない。
「ふにゃ……」
リフィナの桃色の瞳がほんの少し揺れた。
(……やはり、先ほどの出来事で怯えているのですね)
暗闇の牢獄生活。
大勢の市民からの言葉。
自身が悪い事をしたとは言えど、中身はやはりただの子供、あるいは子猫。
(———演技か、本心か。それを知るためにも、今は警戒を解いて貰わないと……)
リフィナは小さく息を整え、そっと手を伸ばした。
急がず、驚かせないように。けれど、確かにユールへ届く距離で。
「……怖くありませんよ。大丈夫です」
触れる前に声だけ落とす。
ユールの視線が、観葉植物の影からぴょこっとのぞき、ちらりとリフィナの指先を見つめる。
「……ふにゃ……?」
わずかに首を傾げたその仕草は、震えているのに、どこか確かめるようでもあった。
そして———
「おにんげんしゃん……うそついてる……」
ユールは自分の胸元をぎゅっと抱きしめながら、ぽつりと続けた。
「ユール、考えてること……わかりゅ……」
声は小さく幼いのに、言葉の重さだけが静かに部屋へ広がった。
リフィナは息を呑んだ。
(……思考を読む力? 星魂族の能力、でしょうか……。この子猫の生態を理解しないと……)
リフィナはそっと腰を上げ、静かに部屋を出ていった。
* * *
どれくらい時間が流れたのか、ユールには分からない。
ただ、扉がカチリと開いた瞬間———
「……っ」
ユールの体がぴん、と跳ねた。
けれど、その緊張を溶かすように、柔らかな香りがふわりと流れ込む。
「ふにゃっ!」
観葉植物の陰から飛び出した。
リフィナの手には白い小皿。
そこから小さく立ち昇る湯気が、部屋の空気を温めていく。
ユールの瞳が、星みたいにぱぁっと灯った。
「……ふにゃあ……! おにんげんしゃん、ミルクっ!」
「はい。ミルクです。ちゃんとぬるくしてますよ」
リフィナが小皿を差し出した瞬間、
ユールはぱっと両手で受け取った。
その仕草は、宝物を抱えるみたいに慎重で、それでいて嬉しさが抑えきれていなかった。
「ふにゃ……っ」
そっと口をつける。
ぬるいミルクが舌に触れた瞬間、体の力がふにゃりと抜けていく。
肩の震えも、怯えた瞳も、ひと口ごとに少しずつ解けていった。
「……おいち……」
小さくこぼれた声は、ほっと安堵が混じっていた。
リフィナはユールの様子を静かに見守りながら、椅子に腰を下ろす。
「よかった。口に合ったようですね」
ユールはこくこく頷きながら、むぐむぐとミルクを飲み進める。
飲むたびに、瞳の奥の金の粒がふわっと明るくなった。
しばらくして、空になった小皿を両手で抱えたまま、
ユールがそろそろとリフィナへ視線を向けた。
「……おにんげんしゃん、やさしい……」
つぶやく声は小さくて、不安と安心が半分ずつ混ざっている。
「あなたが落ち着けるようにしただけです。怖がらなくていいのですよ」
リフィナの言葉に、ユールはきゅっと胸の前で小皿を抱きしめた。
「……ゆーる、もぉ……こわいの、いや……」
その言葉には、牢で震えていた時間が影のように残っていた。
リフィナは少しだけ目を伏せ、それからそっとユールに近づく。
「大丈夫ですよ。あなたが暴れたりしない限り、怖いことは起きません」
「……しにゃい……。しないの……おこられたく、ない……」
ユールはただ必死に首を振った。
その姿に、リフィナは胸の奥がさざめくのを感じる。
(この子……本気で怯えている……。本当に、ただの子供みたいに……)
そう思った瞬間、ユールの小さな手がリフィナの袖をそっと掴んだ。
「……おにんげんしゃん……ここ、あったかい……」
リフィナは、困ったような、でもどこか優しい表情を浮かべた。
「ええ。ここは寒い外とは違いますからね。ゆっくり休んでいいのですよ」
ユールは袖を離さず、そのままリフィナの膝の近くにちょこんと座り込んだ。
ミルクの温もりと、部屋に満ちる灯りの柔らかさが、ユールのまぶたをだんだんと重くしていく。
「……ふにゃ……」
安心した小さな吐息が漏れた。
リフィナはユールの無防備さに、思わず笑みがこぼれ落ちそうになった。
(……この子の無防備さ、ほんとに子猫ですね)
ユールが起きないように、そっと手を伸ばして、銀糸の髪を丁寧に撫でた。
(……これだけを見れば、演技と疑う方が可笑しいですね。……だけどそう考えると、なぜこのような子が村壊滅をしたのでしょうか)
指先がそっと髪を梳くたび、ユールの呼吸はさらに穏やかになっていく。
小さな体は丸まり、まるで暖かな巣に戻った子鳥のようだった。
「……おやすみなさい、ユールさん」
囁いた声は、夜気に溶けて静かに消える。
ふと窓の外を見やれば、満月が薄い雲の縁を照らしていた。
雪を纏った庭も、宮廷の塔も、白く静かに眠っている。
(……この子のどこに、あの力が?)
リフィナは胸の奥に沈む疑問へそっと蓋をするように、もう一度だけユールの髪を撫でた。
袖を掴んだままの小さな手は、まるで離す気がない。
(……今だけは、考えるのはやめましょう)
リフィナは椅子にもたれ、ゆっくりと目を閉じた。
部屋の灯りが柔らかく揺れ、二人の影を静かに寄り添わせる。
夜はまだ深く、セレスティア宮廷の上に、満月だけが静かに見守っていた。
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ふにゃ教へようこそ(΄◉◞౪◟◉`)




