02 小さなバケモノ②
———目の前に現れた光の輪郭に、少女の目がゆっくりと焦点を結ぶ。
暗闇に溶けていた時間が、ランプの灯によって無理やり引き戻されてくる。
差し込んだ光に、少女———ユールの銀糸の髪がほのかに光を浴びた。
雪よりも淡く、星よりも冷たい。
「お、おい……あれが……」
「……本当に星魂族か?」
騎士達の声がひそひそと交錯する。けれど、ユールの耳にはもう届かない。
彼女はただ、静かに呟いた。
「……食べれるの……?」
少女の瞳が揺れる。
夜の帷を閉じ込めたような深い藍色が潤み、涙に晒された金の粒子は、静かに光を宿していた。
そして———
ぶわっ、と。
堰せきを切ったように、瞳から大粒の雫が零れ落ちる。頬を伝うその涙は、凍え切った心がようやく溶けた証のようでもあった。
ユールは、ふらりとよろけながら身を起こす。
そして、光の中に立つ騎士———ロシュの姿を捉えた瞬間、小さな手足で地を蹴った。
「ふにゃあああああん……!!」
それは、悲鳴でも、呼びかけでもない。
ただただ、溢れる反応のままに発せられた、救いを求める叫び。
ユールはそのままロシュへと飛び込む。小さな体で思いっきり抱きついた。
痛いくらい強く、震える指先で彼の服をギュッと掴んで離さない。
「……にんげんだ……ミルク飲みたい……っ!」
「……なんだこいつ」
ロシュの掠れた声が漏れ出る。
後ろに控えていた青年は、目を大きく開けた。
「ロシュ団長、この子、子猫の生まれ変わりかなんかっすかね……」
「知らん。まぁ———捕まえる手間が省けた」
ロシュの手は、ユールの襟首を掴む。
彼女の体は、容易く宙をぶら下がった。ぶら~んと揺れながら、彼女は呆ほうけた顔で瞬きを繰り返す。
「ふにゃ?」
「ユール=ヴェルニア。貴様は外へ出ることが許可された」
彼の言葉に、ユールの瞳の星々が光り輝く。
そんな汚れ切らない表情とは言えど、ロシュ達の目つきは変わらない。
———ユールは、バケモノだから。
※※※
「……ふにゃ、ここ……どこぉ……?」
ユールは、ぶらーんと宙に揺れながら、首をゆっくりと動かした。
目に映るのは、広く静かな廊下。
足元に敷かれた銀白の木が、歩くたびにほのかに甘い香りを漂わせる。
壁は、白銀に淡く滲む桃と青の鉱石で覆われ、陽の光を受けて、花のようにきらきらと光っていた。
見上げれば、天井に吊られた聖燈が、琥珀色の灯りをふんわりと落としている。
それはまるで、寒さのなかに咲く光の蕾。
「きょろきょろするな」
低く落ちた声に、ユールはびくりと肩を揺らした。
けれど、その視線は止まらない。
廊下の向こう、窓の外では白い雪が音もなく降っていた。
まるで、この場所にだけ時間が流れていないような、そんな静けさ。
「おにんげんしゃん! あのしろいの、なにっ!」
ロシュの後ろに控えていた青年が、びくりと肩を揺らす。
「ゆ、雪だよ……」
「ゆき……? 白い、ミルクの、あじ?」
目線を上に上げて、ロシュを見つめる。
大きい目に吸い込まれそうな無垢な瞳で見てきたが、ロシュは顔色ひとつも変えることなく、ただ低く告げる。
「雑談は結構。時間がない、行くぞ」
ロシュが歩み始めると、その反動でユールの体はぶらーん、ぶらーんと横揺れする。
無抵抗。ぬいぐるみモード。かと言って、大人しいわけでもなく、きょろきょろと目線を動かしては時折、「おぉ……」と声にならない感動を噛み締めていた。
———そんな時だった。
「……へくちっ!」
小さなくしゃみが破裂する。
その一発、炸裂したにも関わらず騎士たちの足が止まることはない。
ユールは自身の体をギュッと抱きしめ、唇はぶるぶると震え、鼻の先は真っ赤。
「ふにゃ……しゃむい……」
その時だった。
ロシュが小さく息を吐く。
背中のマントをひと振りで外すと、言葉もなく、ユールの上にふわりと掛けた。
乱暴でも、冷たくもない———けれど、やっぱり雑だった。
「……ぬくぬく? あいがと、おいわしゃん!」
太陽のような笑みがぱあっと咲く。
弾む声が響いた瞬間、冷たい空気すらあたたかく変わった気がした。
外に降る雪さえ、触れれば溶けると思わせるほどの、まぶしい光がそこにあった。
「……お岩?」
ロシュは眉を顰ひそめた。
だが、ユールはそんなこと気にせずに彼のマントを大事に抱きしめる。
「にへへへ……ぬくぬく……ふにゃあぁ」
後ろで眺めていた青年と男は、息を呑んだ。
「あれが本当にバケモノなのか? 俺から見たら、ただの子猫だぞ」
「……あ、あぁ……。だが、署名八割……。陛下の言葉は絶対だからな……」
彼らの言葉にロシュは軽く目線を後ろに向ける。
「私語はやめろ。それと油断はするな———バケモノは、バケモノだ」
冷たい一声に、青年と男はぴくりと肩を震わせた。
「りょ、了解っす……」
「……あぁ、わかっている」
騎士たちの会話が続くなか、ユールはただ、宙を揺れていた。
ロシュの手に首根っこを掴まれたまま、ぬくぬくのマントに包まれ、ぶら〜ん、ぶら〜んと。
きょろきょろと視線は忙しく泳いでいたが、やがて、彼の横顔にふと目が止まる。
しばし見つめたのち、マントの端を小さな指先がぎゅっと握りしめた。
ぶかぶかの布に包まれたまま、細い腕が小刻みに震える。
ぽた、ぽた、と落ちる雫がマントの布地を静かに濡らしていく。
だれも気づかない。ぶらさげられたその小さな体が、涙を飲み込みながら揺れていることに。
ユールの唇はきつく閉ざされたまま、声ひとつ漏らさなかった。
廊下を進んだ先に、重厚な扉にたどり着いた。漆黒の鉄を基調にした壮麗な芸術品。
磨き込まれた表面には、緻密に掘られた梟が描かれ、広大に広げた翼は気高く、どこまでも雄大さを示していた。
その美は力を誇示するだけでなく、帝国という存在そのものを芸術へと昇華させていた。
「着いたか」
ロシュの低い声が静寂を破る。
静かに扉は開かれ、彼らはユールを連れて大広間に入った。
天井は高く、空のように遠い。
壁には金の刺繍が織り込まれた紋章旗が幾重にも垂れ、蒼梟フリュエルの鋭い眼差しに吸い込まれる。
光を吸った赤い絨毯が、まっすぐ壇上まで伸びている。
「ふにゃ? おいわしゃん、ここどこ?」
ユールは目線を上げた。
ずらりと彼女を見下ろす見物人。
貴族、重役、市民———。
彼らの目は、まるで忌々しい動物を見るかのような色だった。
ロシュの足が止まる。
彼が向く視線の先には、半円状の壇上と、そこへ続く階段。
左右には鎧を纏った騎士団の列が並んでいる。
ユールは壇上の方へと目線を向ける。
「あれ、ミルク飲むとこ?」
誰も答えない。
空気が張り詰めている。
ただ静かに———、
鐘の音が、鳴った。
ひとつ。
ふたつ。
大広間に響き渡る。
席から立つひとりの女性は、声低く少女に告げた。
「ユール=ヴェルニアさん。———貴女を今から、処刑に致します」
リフィナ=フィオラシオンの言葉に、ユールは首を傾げるばかり。
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ふにゃ教へようこそ(΄◉◞౪◟◉`)




