15 小さなバケモノ、遭遇する③
(……かんこんじゅうって、一体なんなんですか。———いや、そんなことよりもユールを守らないと)
腕の中の小さな体を、ギュッと抱き寄せた。
シャルロッタの視界に映るのは、なんの変哲もないただの景色。セレスティア宮廷が静かな存在感を放ち、満ち欠けの月がひっそりと浮かんでいる。
だが、視線を下げればユールの星の瞳の残滓が、ゆらりと揺らめいた。
(……ユール?)
ゆらりと揺れる残滓が、きらりと光る。ユールは、ポツリと呟いた。
「……おにんげんしゃん、かなしそう……」
その言葉にシャルロッタのスモークグレーの瞳が、丸くなる。
(———おにんげんしゃん? 一体どこに……、見えない。まさか、幽霊……?)
「……ちゃるろった、かげ、いりゅ!」
ユールは何もない空間を指差した。
シャルロッタは目線を忙しく動かす。どこを見渡したって、この夜が更けてる深夜、庭にいるのはユールとシャラロッタのみ。
彼女の瞳が、ユールを見つめる。その瞳の奥で、戸惑いが感じられた。
(影……? ……これが、星魂族の力……)
「ふにゃ! いる! ちゃるろった、きけん!」
その声とともに、ユールの指先が震えながら宙をさす。
——その先で、空気が歪んだ。
「……!」
見えない“何か”が、風のようにすり抜けた気がした。背筋に冷たいものが走る。
シャルロッタの手にしていた聖燈が、再び、じり……と揺れる。
「ユール、これは……!?」
「かんこんじゅう……! ふにゃ、くるの、わかる……!」
ユールの両手が空中に描いた紋が、淡く光った。
次の瞬間、ぼんやりと人影のようなものが浮かび上がる。
それは、苦しげに顔を歪めながら、消え入りそうな声を漏らした。
「……かえして……」
ひゅう、と風が吹き抜ける。
そして影は、音もなく霧散した。
「ちゃるろった……こわかった……でも、ユール、がんばった……」
ユールの声は、夜の空気に溶けるように、かすかに震えていた。
その小さな体は、精一杯の勇気で立っていたのだ。
シャルロッタは、何も言わずにユールをそっと抱きしめた。
かすかに冷たい風が、木々の葉をそよがせ、彼女たちの髪を揺らす。
月はすでに、その輪郭を隠そうとしていた。
新月は、すぐそこにある。
「……あれが、“かんこんじゅう”」
言葉にすることで、それがこの世界の現実として形を得たような気がした。
見えなかったものが、確かにそこにいた。
ユールが感じた、名も知らぬ“かえして”の声。
その悲しみに満ちた気配は、胸の奥を静かに締め付ける。
何もかもが、まだ霧の中だった。
けれど——、
「……ユール。こんなこと、あなたに聞くのは本当はよくないと、わかっています。けれど……」
シャルロッタは、そっと腕の中の少女を見つめた。
「これは、あなたが“悪い子じゃない”って、証明にもなる。だから、教えて。あなたの知っていること、全部」
「……ふにゃ、ぜんぶ……?」
ユールの声が、小さく震える。
「はい。———“かんこんじゅう”のこと。そして……あなたが“壊した”という、あの村のことも。そして、あなたが誰もいないところに謝っていたことも」
ユールの瞳が、夜の水面のようにかすかに揺れた。
唇がわなわなと震え、小さな手は服の端を、ぎゅっと握る。
そして、ぽつり。
「……ちゃるろったや、おかーしゃん、おいわしゃんのためにも、なりゅ……?」
シャルロッタは小さく頷いた。
ユールはぽつりぽつりと、話し始めた———。
「ふにゃ、……ユール、カナルちほー? の、小さな村で拾われたの……。空腹でたおれてるところ、しんせつなおじいちゃんとおばあちゃんに拾われて……」
シャルロッタは黙って頷き、ユールの言葉に耳を傾ける。
「おじいちゃんおばあちゃん、しゅごくやさしかった……ユールのこと、まご? みたいに可愛がってくれてた……美味しいもの、たくさん作ってくれた……」
ユールの星の瞳が、遠い記憶を映すようにゆらめいた。
「……でも、おっきなおつきしゃまが現れたとき、ユール……みんなに知らせないといけにゃかったのに、どんくさかったから、かんこんじゅうが、村にはいってきた……」
「……おっきなおつきしゃま……満月のこと、ですね? かんこんじゅうが来たって、なぜ?」
シャルロッタの問いに、ユールはほんの少しだけ震えた声で答える。
「……ユールが、いるかりゃ。星魂族、だから……ねらわれちゃった」
「なぜかんこんじゅうと言うのは、ユールを狙って?」
ユールは俯く。
「星魂族は、成仏すること、できりゅ……かんこんじゅうを、冥土に導くこと、できりゅ……おつきしゃまはおほししゃまの魔力をつかって」
「星魂族の魔法、星魂魔法のこと、ですよね」
シャルロッタの一声に、ユールは目を見開いた。
「ちゃるろった、どこでしょれを……?」
「調べたんです。———あなたのことを、知るために」
ユールの瞳がうるうる潤み始めた。
シャルロッタは眉を下げ、苦笑いを浮かべながら手を握る。
「話が逸れましたね。続きをお願いします」
「あ、うゆ……。それでね、かんこんじゅうがむらのひとたちに取り付かないように、ユール、がんばった……。でも———」
ユールの声が、震え始める。
目尻に大粒の涙が溜まり、それはポタポタと落ちて行く。
「……ふにゃ、ぐすっ、おじいちゃんや、おばあちゃんに取り憑いちゃって……ユール、助けたかった……けど、でも……ふたりの姿のままで、ユールを襲ってきたの……」
ユールは被っているフードで、顔を隠した。
「ユール……こわくて、かなしくて、さみしくて、感情、ぼうそうしちゃった、せいぎょ、できにゃかった……だからっ……それで……」
目の前の少女は、たったひとりで、すべてを抱えていた。
大切な人を失い、自らの手を恐れ、過去に縛られて——それでも、誰かのために立っている。
(……本当に、悪い子なんかじゃない)
シャルロッタは、そっとユールの手を包んだ。
「———もう大丈夫です。トラウマを思い出させてしまってごめんなさい」
「ユール、捨てられにゃい……? おかーしゃんからも、ちゃるろったからも、おいわしゃんからも……捨てられたら、ユール……たちなおれにゃい……」
シャルロッタは唇を開くが、すぐさま閉じた。
慰めの言葉を吐こうとしたが、どれも全て安っぽく思えた。
だけど、目の前で震えたまま雫をめいいっぱい溢れさせているユールを見て、じっとせずにはいられない。
「———捨てません。私も、殿下も、もちろんロシュ団長も。あなたが悪い子だなんて思っていませんし、バケモノとも思っていません」
シャルロッタの指先が、ユールの頬に当てられる。
冷たい雪を溶かすような温もりがあった。
「———私は、あなたの味方です。過去を変えることは出来ませんが、私はあなたの言葉を信じます」
「ふにゃあん……」
シャルロッタは小さな体を、精一杯抱きしめた。熱い雫がパジャマを濡らして行くが気にしない。
(……点と点が繋がり始めた気がします。ユールの話によると、かんこんじゅうは人に取り憑くことができる。そして、ここ最近頻発している幽霊事件。どれも偶然とは思えませんし、それに、もし比喩じゃないのだとしたら———)
肌を撫でる風によって、積もっている雪が少量舞う。
(どうやら、かんこんじゅうは私たち人間には見えず、ユールだけにしか見えない存在のようですし、幽霊事件———かんこんじゅうが関わっているものと思った方が、良さそうですね)
ユール「ユール、悪い子じゃにゃい!シャー ฅ(`ꈊ´ฅ)」




