14 小さなバケモノ、遭遇する②
朝のセレスティア宮廷。
聖堂の鐘が鳴り終えたころ、シャルロッタに案内されてロシュがリフィナの私室を訪ねる。
扉が開かれると、香ばしい紅茶の香りがふわりと鼻先を撫でた。
「おはようございます、団長。朝からとは珍しいですね」
窓辺の椅子に腰掛けていたリフィナが、優雅に視線を上げる。
その表情に、ロシュはわずかに眉を動かしただけで、頭を下げる。
「少々、報告を。セリノ市にて、例の件が発生しました」
リフィナの顔から笑みが消える。
「……また、ですか」
「老婆のような女が、刃物を持っていた。発見者の報告では、人ではないようだったとのこと。……不可解なのは、子猫の亡骸が残されていた点」
「子猫……?」
リフィナの声が低くなる。
ロシュはうなずいたあと、口を開こうとするが——ふいに、足元から視線を感じた。
「ふにゃ?」
ふらりと現れたユールが、ロシュの足元を覗き込んでいた。
しばらくじっと見たあと、ユールはロシュのマントの裾を摘んでクンクン嗅ぐ。
「くちゃい……ヘンなにおい……」
ロシュは無言で立っているだけだが、リフィナの方が慌てて立ち上がった。
「ユール、失礼でしょ? 団長に……!」
「でも、おてても、くちゃい……おめめも、こわいにおいする……」
子猫のような声でそう言って、ユールはじっとロシュの頬に目をやる。
切り傷の痕に気付いたのか、そっと触れようと手を伸ばした。
「……いたいの、いたいの、ふっとべ〜……」
そして、手を合わせて静かに呟いた。
「……おいわしゃん……」
ロシュのまぶたがピクリと揺れる。
その異変に、リフィナの表情がかすかに険しくなった。
「団長……本当に、大丈夫なんですか?」
「問題ありません」
即答するロシュ。
だがその声音には、どこか乾いたものが混じっていた。
その場に沈黙が流れる。
やがて、ユールがポツリと呟いた。
「……やっぱり……おなじにおい。あのときと……」
「ユール?」
リフィナが振り向くが、ユールは首をかしげただけで、言葉を濁す。
その様子を見て、ロシュは無言で一礼した。
「これ以上、長居は無用でしょう。失礼します」
そして踵を返し、扉の向こうへと去っていく。
バタン、と静かに閉じられる扉の音。
リフィナは、しばらくその扉を見つめていた。
「ロシュ……やっぱり、どこか変よ……」
小さく呟く彼女の横で、ユールがぴと、と袖を引っ張る。
「おかーしゃん……ロシュ、なんか、やばい……」
12時。昼の鐘が帝国全体に響き渡る。
ユールはシャルロッタの手作りのサンドイッチを口いっぱいに頬張り、その姿はまるでリスみたいだった。
「そんなに慌てて食べなくても、サンドイッチは逃げませんよ」
「ふにゃにゃうにゃうにゃう!」
「……はい?」
トマトの瑞々しさが舌の上で跳ね、レタスの歯ごたえが軽快なリズムを刻む。
マヨネーズの優しい酸味が、それらをふんわりと包み込んだ。
「おいしい! ちゃるろった、ユールこれしゅき!」
「……それは良かったです。ほら、口元にマヨネーズが付いてますよ。メイドとして、はしたない格好は良くないですからね」
オーバースカートのポケットから取り出したハンカチを、ユールの口元に当てて丁寧に拭う。
そんな様子にユールの瞳はキラキラと舞う。
「ちゃるろった、おかーしゃんみたいにやさしい! ユール……優しい人たちに囲まれて、嬉しい……!」
そんな穢れない真っ白な笑顔を見せる。
シャルロッタは、息を呑んだ。
(……そういえばこの子、今はこんなふうに甘えていますが、先日までは処刑されかけていたのでしたね。村壊滅事件と、ロシュ団長が以前言っていた幽霊事件———今夜も徹夜になりそうですね)
夜。もう直ぐ24時に時計の秒針が回り始める。
辺りが静まり返る中、シャルロッタは片手に手持ち型聖燈せいとうを持ち、静寂の宮廷を歩く。
(……幽霊事件とロシュ団長は言っていましたが、幽霊、ですか。ここ最近事案が増えているとおっしゃっていましたが、そもそも幽霊事件とは何を指す言葉なんでしょうか……)
考えはまるで迷路のように、入り乱れる。
そんな時、ふと宮廷の庭に人影を発見した。
(……こんな時間に、どちら様? まさか、不法侵入……!)
急いで窓から下を見下ろす。
大きな木を囲むベンチに、一人の少女が座っていた。———ユールだった。
(……ユール? なぜあの子がこの時間帯に、ここに?)
※※※
「……ふにゃ、もうすぐで新月くりゅ……かんこんじゅうの気配……わかんなくなりゅ……おいわしゃん、たしゅけたい……」
視線を上げると、ほとんどの輪郭が闇に飲み込まれ、ぼやけた月が浮かんでいた。
あと数日後には、新月。
ユールのローブがふわりと風に揺れ、頭上にある猫耳がしょぼんと垂れている。
「———ユール?」
「ふにゃあん!?」
突然名前を呼ばれ、体がビクッと跳ねる。
すぐさま地面に丸まり、体が震えてる。
「ふにゃ、ユール、悪いことしてにゃい! 悪い子じゃにゃい……!」
シャルロッタはゆっくりと歩み寄り、手を伸ばすのを少し躊躇った。
だが、彼女の指先がユールの肩に添えられる。ユールは強張らせた体をふにゃりと力を抜く。
「ふにゃ、ちゃるろった、ユール……悪い子じゃにゃい……」
「……怖がらせてしまいました。大丈夫ですよ、あなたが悪い子じゃないのは、私も殿下もよく分かっています」
シャルロッタの腕の中で、ユールの震えが少しずつおさまっていく。
その耳元で、優しい声が響く。
「ねぇ、ユール。眠れなかったのですか?」
「……ふにゃ。おつきしゃまが……にげちゃいそうだったから……」
その声は、どこか遠くを見るように掠れていた。
「ユールね、わかるの。かんこんじゅうが……まいごになるの。そしたら、もどってこれにゃい。……にゃにかが、おこる……」
「かんこんじゅう? それは、一体なんですか?」
シャルロッタの問いに、ユールは一瞬だけ顔を上げた。
「……ふにゃ……悪いやちゅ。しんじゃったのに、いきたがる。……さびしくて、さびしくて、だれかの中に、かえりたがる……」
その声は、風に溶けるように小さく、どこか哀しみに染まっていた。
「ユールが、かんこんじゅうを、成仏させなきゃなのに……おつきしゃまが、いなくなっちゃう……」
小さな手がぎゅっとシャルロッタの服をつかむ。
「お月様がいなくなる? 新月になるということ、ですか?」
ユールは小さく頷いた。
「……ふにゃ、おいわしゃんの匂いから、かんこんじゅうの、匂い、した……。ユールが、村を壊したときと同じ匂い……」
ユールの猫耳がぴんっと立つ。
「……ちゃるろった、近く、イヤな気配しゅりゅ……」
「嫌な気配。———まさか」
風が、夜の静寂を切り裂くように吹き抜ける。
ユールの耳がぴくりと揺れ、じっと闇の奥を見つめた。
「……ちゃるろった、だめ……あそこ、みちゃ、だめ……」
その瞬間——、
シャルロッタの手にしていた聖燈が、ふっ、と音もなく消えた。
辺りに満ちる、異質な沈黙。
まるで、何かがこの世界に滲み出してきたような、そんな気配。
「……今夜は、眠れそうにありませんね」
シャルロッタが息を呑む中、ユールはそっと目を閉じた。
「———かんこんじゅう、もう、そこにいる……」
ユール「ふにゃうにゃうにゃう!」




