13 小さなバケモノ、遭遇する①
フィオルデイン帝国、蒼梟本部。
黒曜石の壁の艶が月明かりによって反射し、青の旗に記された蒼梟の画風が、ゆらりと揺れる。
冷たい風が肌を撫でる。ロシュの髪がサラッと運ばれ、彼の持つ一枚の紙も静かに揺れていた。
「———幽霊事件。セリノ市でも、発生したか」
彼の唸るような声色が、静かな帝都の中で囁く。
部下の一人であるレインが背後から鉄靴を響き渡らせる。
「出発の準備、できてるっすよ。団長」
「了解だ。セリノ市待機所にいるクロウエルの報告によると、刃物を持った老婆が彷徨っているらしい。冷静な瞳はない。警戒せよ」
「了解っす」
静寂に包まれた帝都ブルメリアの中で、馬の足が地面を蹴る。鬣が揺れ、馬の荒い息が空気を震わせた。
背後から着いてくるレインは、言葉を投げかける。
「俺たちだけでいいんすか?」
「時間帯も時間帯だ。それに、魔獣じゃないのだとしたら、少人数でいい」
冷静な一言とは裏腹に、ロシュの内心はとても穏やかなものではなかった。
(それにしても、ここ最近本当に多いな。突然暴走する人間……。だが、突然正常に戻る奴もいれば、何故か遺体として発見されるものも多い。———何かの呪いか? それとも、魔法によるものか? ……チッ、ほんとに訳がわからない)
セリノ市。
建物の影にうずくまっているクロウエルを見つけたロシュは、彼の肩に手を添えた。
「うひゃあああ!? ……って、団長かよ!!」
「すまない。報告を受けて早急に来た。老婆はどこにいる?」
クロウエルの瞳は、うるうると潤み始める。
その涙滴は彼の頬をなぞりながら、ポタポタと石畳に落ちていった。
「俺、怖かったんですけどぉぉ!」
子供のように泣き喚く彼に、ロシュとレインはそっとため息を吐いた。
「情けない声を出すな。老婆はどこだ」
「す、すびばせん……住宅街方面に向かって行きました……」
「わかった。レイン、お前はここでクロウエルを見ておけ。おそらく、再び老婆と遭遇したら、今度こそ失神するだろ」
「了解っす。団長は平気っすか?」
ロシュは腰に携えている剣の取っ手部分に手をかけた。
「平気だ」
そんな彼の横顔を見たレインは、軽快に口笛を鳴らした。
「さすがっすね、団長」
彼らを置いてセリノ市の住宅街へと足を進めるロシュ。鉄靴が石畳を軽く蹴り、金属の音が静寂を破る。
ロシュの夜空を思わせる瞳の奥は、決して警戒の色を施さない。そのためか、ずっと彼の手は腰に携えている剣の取っ手を握ったままだった。
何かの音が路地裏の方から聞こえてくる。
彼の目線が、そちらの方へ向かった。
しゃがんだまま動かない人の影。
丸まった背中、ボサボサな髪と思わしき影。
「———おい。そこで何をしている」
彼の低い声に、人影の肩が跳ねる。
ゆったりと起き上がり、路地裏からのっそりとその姿を現した。
目がくり抜かれたみたいに、瞳は真っ黒。老婆のしわくちゃの顔は、無表情さを見せつけ、ロシュの瞳の中にその姿を写した。
「……手に持っている刃物をこちらへ渡せ。無駄な抵抗はやめろ」
彼の警告が聞こえないのか、老婆は動かない。———ただずっと、彼を見つめるばかり。
「チッ。おい、聞こえたんだろ」
彼の最後の警告に、老婆はニマリと微笑みを見せた。しわくちゃの頬が上がり、口角が異様に長い。
「———サミシ、かっタノ」
「……何を———っ!?」
老婆の伸びる影で視認ができなかったが、ロシュの表情が珍しく崩れる。
すぐさま無表情さを保つロシュだが、彼の目線が捉える先には———小さな子猫の遺体。
※※※
翌朝。
小鳥の囀りが帝都の中を響き渡らせ、聖堂の鐘が朝の知らせを音で知らせる。
その音が聞こえたのか、ユールはもぞもぞと布団の中で動き、隣で眠っているリフィナの頭に亀みたいな遅さで乗った。
「んぐっ……」
ユールはペチペチとリフィナの頬を叩く。
「痛いです……」
眠たそうなだらけた声で、小さく反論する。
ユールは微睡の視界の中、口を開いた。
「ユール、メイドしゃんだから……おかーしゃん、おこすの……ちゃるろったから、そう言われた……」
リフィナはユールの脇に手を添え、沈んでいた体を起こす。
「それでもペチペチ叩かれると痛いですよ、ユール」
「ふにゃっ! ……ごめんなしゃい」
「せめてチューとかでお願いします」
チューという単語に、ユールは首を傾げる。
その反応が愛らしかったのか、リフィナはぎゅむっと唇を閉じた。
(可愛すぎてママ溶けそうなんだけど……!!)
そんな時、扉のノックが数回され、シャルロッタが姿を現した。
「殿下、ユール。朝食の準備が完了した模様です」
「わかったわ、シャル。行きましょうか、ユール」
ユールを呼ぶ時だけ1オクターブ上がるリフィナに、シャルロッタは『またか』とため息が出そうだった。だが、もう諦めた。
———殿下には何を言っても無駄だ。
それが彼女の胸の奥をかすめた瞬間、リフィナの暴走機関車にブレーキをかけられる者は、もうどこにもいなかった。
※※※
朝食を食べ終えた後、ユールはシャルロッタに命じられ、せっせと床拭きを開始した。
「ふにゃあああああ!!」
ユールの叫び声が廊下に響き渡る。
四つん這いになって雑巾を握りしめ、床をキュッキュと拭いていくが———
「シャルロッタぁ……おててがぁ……いたいぃ……」
「がんばってください、ユール様。掃除はメイドの基本です」
シャルロッタは背後で手を組み、穏やかな微笑を浮かべながらも一切容赦はなかった。
ユールはぷるぷると震えながら、もう一度雑巾を持ち直し、床に額がつきそうなほど低姿勢で拭き続ける。
「……ふにゃあ……ピカピカ……でもぉ……腰がぁ……」
へろへろとしながらも、それでも進むユール。
頑張って拭いた床に、ピカリと朝の陽光が反射して、虹のような輝きを落とした。
「おお……ユール様、そこは完璧です。見てください、鏡のような輝きですよ」
「ふにゃっ!? ほ、ほんと!? ふにゃあ……! てんさいふにゃぁ〜!」
ほめられて、しっぽがブンブン跳ね上がる。
だがその勢いで、手元のバケツがひっくり返った。
「ふにゃああああ!? み、みずがあああっ!」
バシャアッと床に広がる水。
シャルロッタは沈黙。
そして数秒後、にこりと笑って言った。
「……では、今度は拭き直しですね」
「ふにゃぅぅぅぅ〜〜〜〜〜ん!!」
どこかから、小鳥の笑い声のような囀りが聞こえた。
※※※
セレスティア宮廷——朝。
兵士に案内され、ロシュはゆっくりと廊下を歩いていた。
いつもよりわずかに遅い足取り。
裾には泥と血のような跡、頬には薄く切り傷。
その姿に、すれ違う使用人たちは言葉を呑む。けれど、ロシュの瞳はどこか焦点が合っておらず、遠くを見据えるようだった。
すると———
「ふにゃ?」
角を曲がった先で、何かがぴょこっと飛び出してきた。
ロシュの脚に、やわらかい衝撃がぶつかる。
「おっと……」
しゃがみこむロシュの前にいたのは、雑巾を手にしたユールだった。
彼の裾を見て、ユールの鼻がひくひくと動く。
「……くちゃいにおい……」
ロシュは答えず、ただその小さな顔をじっと見つめる。
ユールはさらに彼の頬をじーっと見つめて——
「……ここ、いたい? きず……」
ロシュは目を伏せ、ほんのわずかに息を漏らす。
「……気にするな」
だがユールは首を横にふる。ぽすん、と彼の膝に乗るように近づき、ちいさな手で頬にそっと触れた。
「ふにゃ……いたいの、いたいの、ふっとべ〜……」
そのまま手を合わせて、「おいわしゃん」と口にする。
静かに微笑うでも、にこりともしないその声に、ロシュの肩が一瞬、ぴくりと震えた。
「……」
「……なおった?」
無垢な笑顔。
「……いや。すまないが、急ぎだ。リフィナ殿下は……?」
「おかーしゃんなら、ちゃるろったといっしょに、おへや……」
その言葉を最後まで聞く前に、ロシュは踵を返して歩き出す。
ユールはそんな背中をしばらく見つめ、ぽつりと呟いた。
「……へんなにおい。……こわいにおい」
評価、ブグマしてくださるとふにゃが舞い踊ります(((´◉ᾥ◉`)))




