12 小さなバケモノ、メイドになります④
「ふにゃ……持ち方、むずかしい……」
バケツの取っ手を両手で持ちながら、ぐらんぐらんとよろけるユール。
その横でシャルロッタは、しゃがみながら真剣な眼差しを向けていた。
「まず、利き手で雑巾を持ってください。バケツはその逆の手で支えるように。……そう、体の近くで。遠くに持つとバランスを崩します」
「ふにゃ……にゃるほど……」
言われたとおりに真似する。
よたよたとバケツを持ち、ふらふらと歩きながらも、なんとか窓の前に到着したユールは、勢いよく雑巾を取り出し———
「とりゃっ!」
ビシッと窓に叩きつけた。
「……いえ、拭くときは優しく、円を描くように。まるで窓が赤ちゃんだと思ってください」
「……まるで、赤ちゃん……」
ユールは神妙な顔になり、両手で雑巾を包み込むようにして、そっと円を描く。
「……赤ちゃん拭き拭き……よちよちふにゃふにゃ……」
「変な呪文唱えないでください」
「ふにゃぅっ!?」
注意されてビクッと肩を震わせるも、すぐに「えいえいおー」と小声で気合を入れながら拭き続けるユール。
窓がピカピカになってくるにつれ、シャルロッタの表情もふんわりと緩んでいく。
「上手です。ユール様、ひとつ終わりましたね」
「ほんと!? えへへ……ふにゃ、メイドさんなれてる?」
「えぇ、少しずつですが、確実に成長しています」
「ふにゃぁ……シャルロッタ、やさしい……」
褒められて、しっぽがぶんぶん元気よく揺れ始める。
が、その反動でバケツが傾き———
「ふにゃっ!? お水こぼれっ———」
ばしゃああっ!
見事にバケツの水が床にぶちまけられた。
「……」
「……」
「……あの、ユール様。次は床の拭き掃除をしましょうか」
「ふにゃぁぁぁ……ううぅ、ごめんなさぁい……」
※※※
「……ふにゃ、床ぴかぴか〜……」
濡れた床をすっかり拭き終えたユールは、雑巾を両手に持って、どやぁっと胸を張る。
その姿をシャルロッタは柔らかな目で見つめ、ふっと微笑んだ。
「よく頑張りましたね。では、次は紅茶の注ぎ方を教えましょう」
「ふにゃっ!? こうちゃ……! のむやつ!!」
「そうです。今回は“注ぐ”ほうですよ?」
シャルロッタが手招きすると、小さなテーブルの上に銀のティーポットと、白磁のティーカップが一式並べられていた。
ぽこぽこと湯気を立てるポットからは、甘い香りの紅茶が漂ってくる。
「うわぁ……おいしそう……」
「ですが、まずは注ぎ方です」
シャルロッタが背後からユールの手をそっと取り、ポットの持ち方を教える。
「持ち手はこう、反対の手は蓋を押さえて。そう、安定させてゆっくり傾けると———」
「ふ、ふにゃ……こ、こう……?」
ぷるぷると腕を震わせながら、ユールはポットを傾ける。
茶のしずくがちょろりと注がれ、カップの底にぽたんと落ちた。
「……できた! ふにゃ、おちゃそそいだ!!」
「ええ、でもまだ足りません。もう少しゆっくり、落ち着いて———」
「よーし、ふにゃパワー注入〜〜!」
傾けすぎた。
どぼどぼどぼっ!!
「あああっ!? ふにゃああ!? とまらないぃぃぃ!!」
カップの縁を越えて、テーブルの上に紅茶が広がる。
ユールは慌ててポットを戻すも、その拍子に「こてっ」とお尻からこけた。
シャルロッタがさっとティッシュを差し出しながら、思わず吹き出しそうな顔で言った。
「……まずは、ポットと気持ちを通じ合わせましょうか」
「ふにゃぁぁ……ポットさん、きげんわるい……」
うるっとした瞳でカップを覗き込むユールの耳が、しょんぼりと垂れ下がっていた。
だけど、次の瞬間。
「でも、ふにゃ……もっかい、やりたい!」
瞳がきらきらと輝く。
転んでも、こぼしても、めげずに立ち上がるその姿に、シャルロッタは思わず———
「ふふっ、はい。ではもう一度、頑張ってみましょう」
ふたりの間に、紅茶の香りと、ほのかな温もりが満ちていく。
数時間後。宮廷の時計は21時を指していた。
一日中、メイドとして奮闘したためか、ユールはメイド服を着たまま、リフィナのベッドで寝息を立てている。
リフィナとシャルロッタは、その様子を扉の隙間から覗き、廊下で小鳥の囀りの声量でコソコソと話し合った。
「張り切っていましたね、あの子」
「はい。初日で慣れないことをさせたのか、ぐーすか寝ていますね」
まるでその声音は、母親のようなそんな慈しみを孕んだものだった。
「明日は庭の掃除と、本棚の片付けを教えようと思います」
「ふふっ、そうね。よろしくね、シャル。それと、もし可愛らしい場面を見せて来たら魔導印写板で撮っておいてもらえる?」
どこから取り出したのか、黒曜の板をそっと掲げた。
表面には魔素の揺らぎが蠢き、それを見つめて居たシャルロッタはわかりやすくため息を吐いた。
「あの、殿下。お言葉ですが、あなたのユールへの愛はもはや親バカの範囲を超えているかと……」
「事実だから仕方ないじゃない」
そんな話し声が聞こえて来たのか、ベッドで寝息を立てていたユールの瞼がぴくりと動く。
「……ふにゃ、おかーしゃんとちゃるろった、何か話してりゅ……」
微睡まどろみの瞳を手の甲で擦り、むくりと体を起き上がらせた。
「……ふにゃあ、お星様も眠たげぇ……」
窓から差し込む月光を浴びながら、覗き込む。
今夜は下弦の月。半分だけがぼんやりとした光を放ち、もう半分はひっそりと影を落としている。
「———ふにゃっ?」
ユールの星の瞳の残滓が、ゆらゆらと蠢く。
何かの違和感を感じ、キョロキョロと目線を動かした。だが、その違和感の正体は曖昧。
「……気のせい? ふにゃああん、おねむっ」
一方。同時刻。
フィオルデイン帝国の西部地方。一人の蒼梟フリュエル騎士団の青年が、顔を真っ青にさせながら建物の影に隠れて居た。
「な、なんなんだよあいつ! 包丁を持って襲って来やがって……!」
青年の目線の向こう。腰の曲がった一人の老婆が、ゆったりとした足を動かしながら呟いている。
「———ドウシテ、ダレもイナイんだい?」
月の光が銀色に尖った刃先を照らす。
彼女の瞳は、真っ暗闇に包まれたみたいに『なかった』。
青年はその彼女のなんとも言えない不気味さに、息を止める。
(……くそっ! まさかこれが、ロシュ団長の言っていた『幽霊事件』なのかよ!? まじで不気味すぎる……!!)
ユール「ひゅ〜ドロドロ〜」




