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小さなバケモノ、ふにゃふにゃしてます。  作者: 赤羽月乃
二章 小さなバケモノ、メイドになる
12/16

11 小さなバケモノ、メイドになります③


「———なるほど。つまり、ユールは故意的にやったのではなく、感情が引き金となって?」


 ティーカップをそっと置いたリフィナの声は、どこか沈んでいた。

 けれど、怒りや呆れではない。

 ———ただ、現実を受け止める者の声音こわねだった。

 シャルロッタは真っ直ぐ、殿下の瞳を見つめる。


「……はい。個人的に、調べてまいりました。星魂族ヴェスティアの生態と、ユールが起こした村壊滅事件の現場報告の資料を読んで。———私なりにまとめた物です。ご覧ください」


 懐から取り出したのは、一枚の紙。

 折り畳まれたものを、リフィナは右手で受け取り、静かにその中身を確認した。


「……『感情が制御できない時に発動する魔法。事件の当時、ユールは魔導書を構えて、ひどく怯えた表情をしていた。何もないところに謝罪していた』? ……これが真実なのね?」

「はい。あの子がバケモノではないと言う証拠になります」


 リフィナはその紙をじっと見つめる。

 桃色の瞳は睨むほど、細まった。


(……これで、判断できましたね。ユールは……あの子は、演技でもなんでもなかった。今私たちと過ごしている彼女こそが、本心。国民の皆さんに伝える義務が、私にありますね。……ですが、彼らは信じてくれるでしょうか)


 紙の端が、リフィナの指先でかすかに揺れた。

 彼女の沈黙は、まるで嵐の前の静けさ。


「……シャル。あなたは、ユールを許せる?」


 真っ直ぐな問い。

 優しさもなければ、責める色もない。ただ、事実を見極める皇女の問い。


「いいえ」


 即答だった。

 だけど、シャルロッタの表情は穏やかだった。


「許す、許さないではなく。———向き合うべきだと、思っています。過去の罪は消えません。だからと言って、私たち大人がいつまでもあの子を怪訝するのは、礼儀に欠けています。それに———」


 シャルロッタは目を閉じ、手のひらを自身の胸に当てた。


「———あの子が、自分の過去を、恐怖を、どう乗り越えるのか。それを見守るのも、大人の役目だと思うからです」


 リフィナは羽ペンを丁寧に置く。

 そして、わずかな笑みを見せた。


「ふふっ、あなた。もうユールに落ちたのね?」

「……そうでしょうか。ただ私は、あの子を観察して、私なりの結果を見出しただけです」


 リフィナの目がニヤッと細まる。

 それはまるで、彼女を茶化すように。


「それと、もうあの子にふにゃ堕ちしている殿下にだけは言われたくないです」

「……あら、言われちゃったわ」


 シャルロッタは柔らかく続けた。


「そこで、殿下にお願いがあります。……ユールを、私の監視下に置かせてください」


 彼女の言葉には、迷いがなかった。それを見越してか、リフィナは笑みを見せる。

 春風が咲く季節のような、そんな穏やかさを含めて。


「いいわ、許可しましょう。むしろ、あの子をメイドにさせて社会経験を学ばせるのも良さそうですね」


 リフィナは紅茶を一口、そっと含んだ。


 その唇の端が、ほんのわずかに緩む。

 けれど、それはすぐに何事もなかったような公女の仮面に戻った。


(……あの目の動き、手元のカップに一瞬視線を落としたタイミング、唇の緩み方。———これは……)


 シャルロッタのまぶたが僅かに伏せられ、内心で小さくため息をつく。


(……殿下、ユールのメイド姿をご所望ですね?)


 リフィナの手元では、もう一口、紅茶が口に運ばれていた。

 どこか上機嫌なその動作のテンポに、シャルロッタは確信する。


(まったく。……この方も、ふにゃ堕ちしてるくせに)


 けれど、彼女の口元もまた、どこか緩んでいた。



 ※※※


 翌朝。

 いつものようにベットの上で丸まっているはずのユールが、なぜか居なかった。


「あれ、ユール? あの子、どこに行ったのかしら」


 寝ぼけ眼から起き上がったリフィナの髪は、皇女とは言えど一人の女性。寝癖が大変なことになっていた。

 だが、彼女の目線は忙しい。ユールを探す眼まなこが一つの場所を見つめた。

 窓から垂れ下がる尻尾がゆらゆらと揺れている。

 寝起きのまま立ち上がったリフィナは、窓の淵に手を乗せた。


「……は?」


 宮廷の屋根の端っこで、ユールが丸くなって寝息を立てていた。数羽の小鳥たちがくちばしで軽く突いている。


「ふにゃああん……すやぁん……」


 リフィナは沈黙する窓際で立ち尽くしていた。

 寝癖全開の髪を片手で押さえつつ、彼女はぼんやりと屋根の先端に目を向ける。

 そこには、鳥たちに突かれながらも幸せそうに丸くなっている白毛ふにゃが一匹。


「……うちの子、鳥から餌扱いされてるのかしら」


 静かなる朝の独り言。

 しかし、誰が聞いてもそこには深い慈しみと、「なんでやねん」が詰まっていた。



 ※※※



「……ふにゃ? これ、着ていいの……?」


 宮廷の壁際に設置されている更衣室の中。

 鏡の前で、ぷるぷると体を震えさせているユールは、眉を下げながらシャルロッタに尋ねる。

 そんな様子を目視したシャルロッタは、顔色ひとつ変えずに頷いた。


「はい。今日からあなたには、社会経験を積ませるためにメイドになってもらいます」


 着せられたのは特注のメイド服。羽毛みたいにふんわりとしたスカートに、桃色のリボンが大きく強調されたブラウス。フリルには所々に星々が煌めいている。

 スカートを指で摘み、くるりと回ってみる。


「……にあう?」

「えぇ。とてもよくお似合いです」


 シャルロッタの眼差しはとても優しいものだった。その微笑にユールはふわっと破顔を見せる。


「にへへ、褒められた! おかーしゃんに見せたい!」

「やめてた方がいいと思います。殿下が死にます」


 シャルロッタは足元に視線を落とし、静かにしゃがみこむ。

 地面に置かれた銀のバケツと、たっぷりと水を含ませた雑巾。

 それらを一式まとめて、両手でユールに差し出す。


「はい、どうぞ」

「ふにゃ……お、おもたい……!」


 小さな腕いっぱいにバケツを抱え、雑巾がぽとりと足元に落ちた。

 慌てて拾おうとしゃがんだユールの額に、バケツのふちがこつんと当たる。


「ふにゃぅっ……!」


 しゃがみながら涙目になっているユールを見て、シャルロッタはわずかに眉をひそめる。


「……まずは、持ち方からですね」

「ごめんなしゃい……」

「いえ、謝る必要はありません。これは訓練です。ユール様、少しずつ覚えていきましょう」


 シャルロッタは優しく微笑み、落ちた雑巾を拾ってユールの手にそっと握らせる。

 小さな手の中で雑巾がじんわりと重さを主張し、ユールは口をへの字にして頷いた。


「……がんばるの……!」


 そうして、ふにゃふにゃした歩き方で廊下の窓へと向かう。

 シャルロッタはその背中に少しだけ距離を取って並び立ち、丁寧に言葉を続けた。


「ではまず、窓の端から端まで、一枚ずつ順に拭いていきましょう。雑巾は濡れすぎていませんか?」

「……びちょびちょだったから、きゅってした! ぐーってして、くるくるって!」

「……完璧ですね」


 表情一つ崩さずにシャルロッタが答えると、ユールは誇らしげに胸を張っていた。

 その胸には、メイド章が揺れている。だが体の大きさに対して少し重かったのか、ふらついて壁に「ぽふっ」とぶつかる。


「ふにゃぅ……!」

「……ユール様。無理は禁物です」

「うう……りょーかい……!」


 そんなこんなでふにゃメイド、掃除修行初日。

 雑巾を小さな手でぎゅうぎゅう握って、ようやく窓の一枚に取り掛かる。


「ぺたぺた〜……きゅっきゅっ……ふにゃっ、きらきらしてきた……!」


 言葉通り、曇っていたガラスが少しずつ光を取り戻していく。

 そして、ふとユールの横に小さな影が立った。


「……あら。ユール、偉いわね」


 リフィナがティーカップを片手に立っていた。

 寝癖は完全に整えられ、皇女としての気品に満ちているが、目元だけが少し緩んでいた。


「おかーしゃん! ユール、今日からめいどさんになったの!」


 誇らしげにフリルをふわっと広げるユール。

 それを見て、リフィナは喉元を押さえて吹き出しそうになるのを堪えた。


「えぇ……とってもよく似合ってる。……その格好で飛び跳ねると、見えてしまうかもしれないわね?」

「ふにゃっ!? みえちゃうのっ!? みえたらしぬの!?」

「死にはしないけど、色々と気まずくなるから、気をつけて」

「りょーかい!」


 バケモノ。そう呼ばれていた子が、今はメイド服を着て一生懸命に窓を拭いている。

 誰かの言葉や視線を恐れながらも、それでも「役に立ちたい」と願っている。


 その姿を見て、リフィナの心の中にひとつの決意が芽生える。


(……この子を護らないと。誰よりも、わたしが)


 ユールはきゅっきゅと窓を磨いていた。

 その瞳の奥に、ほんの少しだけ、大人たちの世界に触れる勇気が宿っていた。

 

ユール「ふにゃ……がんばった! ほめてほちいの!」

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