09 小さなバケモノ、メイドになります①
(……ここ最近、殿下が壊れました。えぇ、あの少女が来てから情緒がおかしくなりました。むしろ魔法によるものかもしれません)
深夜。時計は二時を回っていた。
外は濃紺の空から星屑の海が漂い、白銀の月が灰色の雲に覆われそうだった。
時計の秒針が静寂を支配し、その中でシャルロッタは机と向き合い、白い紙の上に羽ペンを走らせている。
「……はぁ。疲れますね、この時間帯までメイドたちの育成資料を書くのは」
ぱた、っと書き終えた紙を重ね、インクを乾かすために少しずらす。
「……それにしても、ここ最近あの少女を観察していましたが……ほんとにバケモノというかマジの子猫ですわ。そのお陰様か、殿下も親バカになりましたし」
頭が痛くなるのを感じ、そっと指先をこめかみに添えた。
ふと、視線が机の隅に置かれた一冊の資料に目が入る。
以前、見つけた古文書。それを静かに手に取る。
「……危険な存在、ではないんでしょうか」
彼女の脳裏に蘇るのは、毛布にくるまるミノムシ状態、母猫ならぬ保護者となってしまったリフィナの後ろをついていく子猫状態、ここ最近リフィナから貰った純白のローブを肌身離さず着ている姿。
情けないふにゃっとした声で、何度リフィナが溶けたことか。
「……ですが、村壊滅した当日、その場にいた証言者が言うには、あの少女が魔導書を持っていた……と。星魂族の危険な魔法は、感情が暴走することがトリガー。……個人的に調べてみようかな」
走らせていた羽ペンの手が止まる。
それと同時に、シャルロッタの眉が下がった。
「……私のこと、怖がってるかな」
そんな彼女の漏らした言葉は、誰にも届かない。
暗闇の空気に吸い込まれていった。
※※※
翌朝。時刻は六時。
早朝の宮廷を規則正しい靴音を披露し、片手に掃除道具を構えながら汚れている窓の方へと歩んだ。
水魔法で少量の水で濡らし、その上からタオルで拭き取る。
そんな時だった。情けない声がシャルロッタを呼ぶ。
「ちゃるろった……!」
シャルロッタの腕が止まる。
目線を下げると、ローブに身を包んだユールが目の前にいた。
「おはようございます、お早いですね。ユール様」
「ユール、はやおき! えらい?」
褒めて欲しそうなキラッとした目線で見上げるユールに、シャルロッタは唇を結ぶ。
「……えらいですね。ユール様」
最初の頃よりも冷たかった彼女の声色は、冬から春に移り変わるようなそんな穏やかさが滲んでいた。
そんなシャルロッタの言葉にユールは、キラキラ輝く笑みを浮かべる。
「にへへ、ちゃるろったにほめられた!」
ユールは、軽やかな足取りで廊下を歩く。
その小さな背中を見つめ、シャルロッタの頬はほんの少し上がっていた。
※※※
十二時。朝の冷たさはもう名残を失い、昼の陽が石畳にほんのりと温もりを落としていた。
シャルロッタはセレスティア宮廷を出ると、昼食のざわめきを背に、ひとり足を運ぶ。
数分も歩けば、荘厳な石造りの門が見えてくる。
建物の壁には蒼い梟の紋章。フィオラシオンの剣と盾を預かる者たち——蒼梟騎士団の詰所だった。
その扉の前に辿り着き、剣を交錯している若手の騎士団に声をかける。
「ご機嫌よう。ロシュ団長はいらっしゃいますか?」
「シャルロッタさん。ロシュ団長なら今、上官室にて作戦会議を行っております」
騎士の案内にうなずくと、シャルロッタは軽やかに一礼し、詰所の中へと足を踏み入れる。
廊下に響くのは、革靴と石床が打ち合う乾いた音。吹き抜けの空間には訓練の声がこだまし、重厚な空気が漂っていた。
(……久しぶりですわね、ここに来るのは)
無駄なく磨き上げられた鎧、整然と並ぶ武具。
その中を、クラシカルなメイド服を纏ったシャルロッタが優雅に歩く。
だが、立ち止まった瞬間——背筋を伸ばしたその佇まいは、並び立つ騎士たちと何一つ違わなかった。
重厚な扉の前で立ち止まり、シャルロッタがノックの準備をしようとした、その瞬間——
ガチャリ、と音を立てて扉が開く。
中から現れたのは、長身で風格ある男。紺の軍服に蒼梟フリュエルの徽章をつけた、精悍な顔立ちの騎士団長だった。
「……ロシュ団長。ご機嫌よう、急にお尋ねしてしまい申し訳ございません」
シャルロッタが深々と頭を下げる。
ロシュは顔色ひとつ変えず、抑揚のない言葉を放った。
「いや、構わない。何の用だ?」
「殿下からお聞きしました。———ユール=ヴェルニアが村を壊滅した夜、その場にはフリュエル騎士団の数人がその場に急行していた、と。そこでなんですが、資料を見せてもらえないでしょうか」
彼女の言葉に、ロシュは眉を顰める。
「ちなみに聞いておく。何のためにだ?」
「———私事になりますが、あの少女を知りたいのです」
毅然ある振る舞いを見つめたロシュは、ため息をひとつ吐く。
「ほんと、貴女は殿下のメイド長ですな。無茶なお願いをする」
シャルロッタは肩をわずかに跳ねさせた。だが、その揺れは瞬き一つの間に消え、代わりに静かな微笑みが形をとった。
「だって私、殿下のメイド長ですもの」
「———っ」
ロシュの岩のような無表情さが、ほんの一瞬見開かれた。だが、すぐさま目線を伏せてため息ひとつ。
「仕方ない、殿下のメイド長ならば。それに、あの子猫と戯れている様子を見ると、落ちたんだろ」
「仰る通りです」
またため息を吐いたロシュ。
「……仕方ない。着いてこい」
ロシュの背中は、大きくて、まっすぐだった。
その後ろを黙ってついていく。コツ、コツと規則正しい足音が、古い石造りの廊下に響いた。
どこか冷たい空気の中で、シャルロッタの視線がふと看板を捉える。
古びた木に刻まれた、ひとこと。
《《記録保管室》》
扉の前でロシュが立ち止まる。無言で振り返ったその顔は、いつもと変わらないはずなのに……なぜだろう、どこか、彼の背中が語っている気がした。
「入れ」
扉の奥へ、一歩、踏み込んだ。
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