事件関係者の近くにいる第三者ほど怖いものはない
若者のテレビ離れの深刻化が問題視される昨今だが、いざ目の前にテレビ局のクルーを見るとソワソワするのが大学生だ。
私はあの日、大学の校門前で嬉々とした目で、テレビ局のインタビューに答える学生を教室の窓から見ていた。もちろん軽蔑の眼差しで。
たかが普段見慣れない大きなカメラを自分に向けられただけで、彼らは自分が主役になったとでも勘違いしているのだろうか。
そして何よりも1番不快なのは、そのインタビューに自分と同じ同性も受けていることだった。
『え〜もうなんだか信じられないって感じですね〜。』
『ねぇ〜自分が被害者だったらって考えるともうマジでヤバい!!』
『でも山崎くん本当にいい人だから、ちょっとその色々疑っちゃうかもですね』
『色々って…その被害者の方がねぇ〜……』
授業が始まる直前、皆がスマホをいじっていた。各々が使い慣れたSNSや検索エンジンでキーワードを打ち込み、そこに表示された情報をネズミのように齧り付いては周囲の友人と共有していた。
『東京氷山大学』『映画』『レイプ』
この三つのキーワードはマストだが、地上波のテレビが取り上げた今となっては、一つのキーワードを入力すれば、あの事件が表示される。
『東京氷山大学、映画部レイプ事件』
この事件はとってもシンプルだった。
映画部4年生の男が同じ部活の3年生の女をレイプした。これだけ。これだけで地上波のテレビ局が取材に来るなんてありえない、そう思うだろう。しかし、この事件は少し特別なのだ。加害者が。
主犯とされる加害者、山崎シンスケの父は、国民的映画監督の山崎タロウなのだ。父の背中を追いかけ映画監督を目指す息子。そのせいで、この映画部は事件前から注目され脚光を浴びていた。
そんな映画界期待の星が性犯罪で逮捕。世間は性犯罪を断罪するためなのか、所詮親の七光であると少年に石を投げるためなのか分からないが、この事件は大いに沸いた。
それでもSNSよりもはるかに沸いたのは、事件が起きたこの氷山大学だった。
私はこれから、以下の言葉を何度も言うと思う
『事件関係者の近くにいる第三者ほど怖いものはない。』
事件が地上波で報道されたその日、大学は教員全員が緊急会議に呼ばれ3時間目が休講となった。
いつもなら休講が知らされたら皆、一目散に教室から散るのにその日は違った。
教室に取り残された、いや自ら残った学生は悲劇のヒロインが到着するのを待った。
彼女はいつも、遅れて授業に来る。
遅刻するくせに前から堂々と入り申し訳なさそうな素振りをする彼女が…来た。
彼女が入った瞬間、教室は一瞬どよめきそして静かになった。彼女は手前の方の席に1人で座り、授業が始まっていないことを不審に思い周りをキョロキョロと見回した。
そして彼女が黒板に書かれた休講の文字を見つけるや否や立ち上がり、再び教室を出ようとした。
『ねぇコオリちゃん!山崎先輩にレイプされたのってさコオリちゃんなの?』
コオリの近くにいた女が少し声を張って言った。この女はただコオリと同じ学科なだけで、特別コオリとは交流がない。
教室は静寂になり後ろの席の者たちはコオリの発する言葉を逃すまいと席から立ち上がった。
私はコオリの方を見ずにテーブルの木目を必死で見つめた。何故分かりきったことを聞くんだ。あの事件の被害者は戸田コオリだ。学校に警察に被害を申告したのも戸田コオリだ。
それでも、自分の目の前で噂を事実に変えたい、事件関係者近くにいる第三者は止まらない。
コオリは少し唇を震わせたあと、「違うよ」と少し笑って教室を後にした。彼女は口元がとても美しい少女だった。(私は心の中でマリリンモンローの口といつも思っていた)
コオリが教室からいなくなったあと、緊張が解かれた教室は先ほど蓄えた心の声を一斉に放出した。私はその声が全て消えるまで教室に残った。
彼女が教室に戻らないことを心から願い、そしてもし戻ってきたら今度こそ彼女の手を握ろうと思った。だがコオリが戻ってくることはなかった。
コオリへの仕打ちは学生からだけではなく、教授からもあった。
事件の報道があった次の日。ジェンダー系の授業でフェミニストを主張する女教授が、緊急授業と称して、性的同意・不同意について説明を始めた。
客観的に見れば学内でレイプ事件が起きたのだから当然の対応だと思うだろう。女教授はいつもより目を輝やかせ、「社会構造がー」「男は欲をコントロールできないー」などと唾を多く飛ばしながら説明を続けた。教室はいつもより人が多く、集中している熱気があったからだろう。教授も気合いが入っていた。
でも実際授業など皆どうでも良かった。
その授業に被害者の戸田コオリも参加していたのだ。
あの女教授は被害者がコオリだと分かった上で彼女がこの授業を選択していることを知ったうえで、この性的同意の授業を行ったのだ。事件の報道直後に。
教室はコオリの些細な反応を確認するために必死だった。普段後ろの席で駄弁っている女子たちがコオリの近くに座り、教授も時折コオリに向けて同情と哀れみの目を向けていた。
後ろから見えるコオリの背中が小さく、今にも砕け落ちてしまうようにみえた。誰もコオリをそっとしておくことが出来なかったのだ。
そしてコオリはこの授業を最後にジェンダーの授業に顔を出さなくなり、1ヶ月ほど姿を見なくなった。
『事件関係者の近くにいる第三者ほど怖いものはない。』
これを痛感しながら私は残りの大学生活を過ごした。