地獄行きの電話
もし…あなたの大切な友人や家族がレイプされたら、なんて声をかける?
「そんな服着てたから」
「じゃあ家行くなよ」
「警察になんて行ったら恨まれて犯人に殺されちゃうよ」
「辛かったと思うけど切り替えるしかないと思う」
「全部忘れるのが1番」
大体の人はこの辺りが最初に頭をよぎるんじゃないかな。実際問題、身近にレイプされた人がいたらどう扱えば良いか分からないでしょ?財布を取られた、暴力を振るわれたとは違う…なんだか被害者の落ち度を反射的に攻めてしまう…。日本とはそういう社会だ。
でも、そんな社会に牙を立て反抗した女がいた。
その女は静かに狡猾に…奪われた女のために奪い返してきた。小さな尊厳を…。
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「メルちゃーん3番に保留入ってるよー。予約の申込っぽい。メルちゃんに昨日電話したって」
非常勤職員の佐々木さんが席から立ってそう伝えてくれた。席の関係で私の位置から佐々木さんの姿はお互い座っていると一切見えない。腰が痛いとお昼休みに言っていた佐々木さんを申し訳なく思いながら、私は保留3番を押し受話器を取ろうとした。
「あ、メルちゃん。なんかその人ね名前聞いても教えてくれないのよ。星浦さん出してくださいって…」と佐々木さんは早口でそう教えてくれた。今度は佐々木さんの姿は見えない。やっぱり腰が痛かったみたいだ。今度は立たなかったようだ。
「はぁ…」
あれ昨日そんなヤバい客の電話取ったかな。私は少し躊躇ってから受話器を取った。
「大変お待たせいたしました。ヴィーチェ法律事務所、事務員の星浦でございます」
「すみません。昨日電話で予約の話をとらせていただいた者なんですが…」
電話口は自分と年の近そうな男性の声だった。
「そうだったんですね、では昨日お電話された履歴を確認いたします。お名前と生年月日をお聞きして宜しいでしょうか?」
「…..」
「失礼しますお客様、私の声聞こえていますでしょうか?」
私は少し声を張って言った。
「すみません。本当は昨日、予約の電話なんて入れてないんです」
「はい……」
何故、電話口の男は嘘をついたのか、そして私を指名したのか私は少し考えて頭が真っ白になって黙り込んでしまった。これは手を挙げて先輩職員に報告した方が良い事案なのだろうか。
「えーでは…あの…お客様は今回…その…どのようなご事情でお電話をしてくださったのでしょうか?」
新卒1年目の私は、予想外の質問や予期せぬ対応を迫られると絶望的に国語力が落ちてしまう。
「あーその僕ですね…あの妹を探していて…」
「はい」
この手の電話は……親族が死んで遺産分割をすることになったけど妹が行方不明だから困って弁護士相談を検討しているのかな…。日常を生きていく中で法的トラブルなんて滅多に起こらない。そんな中、弁護士事務所に電話をするとなったら戸惑うのも無理がない。よし、弁護士相談の予約だったらいつもの対応に戻れるぞと安堵したのも束の間だった。
「あの星浦さん…戸田コオリの大学の同級生ですよね?」
「え…あ、え、はい…そうですけど…」
ドンッと大きな胸の音が一回鳴ったのを皮切りに私の胸の鼓動はどんどん早くどんどん音が大きくなっていった。
ヤバい。今この人戸田コオリって言った?え、ていうか何で私のこと知っているの?え、そうだとしたらどこから職場知ったの?なんで?おかしいでしょ?
私は突然降りかかった戸田コオリの名前に情緒が完全に乱れてしまった。
「あ、お、お、お客様は戸田コオリのお兄様…ということになるのでしょうか?」
「はい!そうなんですよ!」と電話口の男は私とは対照的にあからさまに声の調子が上がり上機嫌な態度になった。
「実はこの度ですね、私の叔父が亡くなりまして、叔父の遺書に僕達兄弟に全財産を譲ると書いてあったもんでして」
「はい…」
「それなのに妹が行方不明でして、親族一同妹の居場所を探しているのですが、星浦さん何か知らないですかね?」と男は捲し立てるように言った。
「いえ、私は知らないです…」
「そうですか…」と男は言ったが、特に落ち込んでいない予想通りという反応をしていた。
「あの…すみません。お客様、私の勤め先は一体どのように手にいれたのでしょうか?」
流石に私の会話に疑問を思った隣の席の先輩職員小沼さんが付箋で『ヤバいやつ?』と書いて私のデスクに貼ってくれた。
私は男の話を話半分で聞きながら『プライベートです』とメモに書いて小沼さんに見せた。小沼さんは私のパニクった表情を見て、心配な様子を見せつつも自分の業務に戻った。
私が小沼さんとやり取りをしている間に、男は一通り話終えていたようだ。ヤバい。肝心なところをちゃんと聞いていなかった。
私と電話先の男との間で10秒ほどの沈黙が生まれた後に 「すみません。他当たってみますんでお仕事中に申し訳ないです」と男は言って電話を切った。
私は受話器を戻した後、机の引き出しを開けて電話器にイヤホンジャックを刺した。私の勤め先は法律事務所。「言った言ってない」のトラブルを避けるために電話器には録音機能がある。
私は先程の電話の冒頭部分を早送りにして肝心の『私の勤め先をどうやって知ったのか』の答えを探した。
『あの…すみません。お客様、私の勤め先は一体どのように手にいれたのでしょうか?』
よし、ここからだ。なんとも自分の声を聞き返すと情けない。絵に描いたような新卒の電話対応だ。
『星浦さんの大学時代のご友人に教えてもらったんですよ。ほら……あのサークルの……』と男は嘲るような口調で言っていた。
男のその言葉を聞いた瞬間、私の体の中にある食道がギュウッと雑巾を絞る時のように締めらた感覚になった。
急いで男に電話をかけ直そうと、通話履歴のボタンを押したがそこに表示されたのは、非通知設定の文字だった。
私はヨロヨロと立ち上がり化粧室に向かった。
そして鏡に写る自分は案の定、真っ青な顔に真っ青な唇の自分だった。あの時のトイレの鏡で見た顔と同じだ。
嫌だ。私の日常が壊される。
私の日常が終わる。
嫌だ。嫌だ。
地獄に落ちたのは戸田コオリ1人で充分でしょ。私はあの地獄を無かったことにしたのに、誰かが何故か動き出した。電話口の男は遺産分割の為なんかに戸田コオリを探していない。これは悪意でしかない。
私の2年前の地獄が、1本の電話によって再び呼び起こされてしまった。
お久しぶりの方も初めましての方も宜しくお願いいたしますー!!