霧散する影と溶ける影
けさはキジか何かの声がしたから目をこじ開けながら向かうと人形の水面が花壇のあたりで名残惜しさを帯びた様子で立っていたがじきにすぐに霧散した。なくなったところをいじくってみると潰れた花があり、彼女がいなくなった理由もわかってしまった。
もう少しだけ早くかけてつけておけばひとことふたことは話せただろうにと考えたあとにとぼとぼと松の葉をいっぽん抜いて奥歯でかじった。それがまあ、おいしくないことでした。
ロジンとかテレピンとかがまざったような厭な風味をのどの奥から絞り出した唾液で追放してから室内に入って医務室らしくうなだれた。昼間は退屈を潰しながら日が落ちるのを待って夜を待ったのだが、今夜はどうにも夜に目が醒めてしまった。何やら音がする。
よくよく考えれば寝ぼけた鳥とか虫が近くを通り過ぎただけなのだろうが、この校舎が見えるか見えないかぐらいの冷たく黒い靄に包まれて見えていた時が蘇った。朝日が来る頃には眠気と一緒になくなってしまったが、隣にいてくれなくてもいいからだれかが居る状態を作りたかった。
きっとすぐに来るだろうから一番いい出会い方を考えておこう。煙草をふかそうかとも思ったが、しかしそれではただの田舎の通行人といったところである。特にあてもなく校舎を歩いていると家政科の用具が保管庫にあり、その中にはどうやら閉校前に使われていた古い型番の学生帽が紛れ込んでいた。鏡を見ると学生帽といえども言われなければバレないくらいには案外似合うものでこれから着替える服装はこれで決めた。
ロッカーからあさってきたと紺色の背広の襟に階級章に見立てたテープを貼ってやり、飾緒は巾着袋用の白いひもを三つ編みにして安全ピンで止めた。腰のベルトからは革製のナタ用カバーと棒きれを下げてやった。おわかりのとおり、これで警察官になりすますことができたわけだ。
それからというものあたりを駆け回っては「おうい、誰かいませんか」「捜索隊ですよ」と声帯をふるわせた。いったい自分は迷子を探しているのか、自分が迷子なのだろうかわからなくなりつつ続けたが日は西にかくれる日が何日か続いた。
型崩れをしないように衣紋掛けに制服もどきをかけてやり寸胴鍋で沸かした湯と用具入れから取り出した白い角のある石鹸で身体を洗った。まだわずかにレモン香料の香りがするが、じきになくなってしまうんだろう。
この日も叫んで回ったがいつもと違うのは銃声が私をめがけて来たということである。いそいで逃げたが右の太腿に命中し、あたたかい液体が足を伝った。そう離れた場所ではなかったから医務室に転がり込んで素人丸だしの手当を行ったものの、視界が失われつつあり手が真っ白になっていたのを見て意識を失った。