k-519
ここのところ色々なことが立て続けに起きすぎている。頭の中がぐちゃぐちゃで思考がまとまらない。これは一人になって考える必要があるかも。そんな時にうってつけの場所がある。
そう、俺がこの異世界に転移して、レスタの街には住まずに引きこもっていた小屋だ。あそこなら、一人静かに考え事ができる。
イトシノユリナに作ったアトリエも、今となってはひっきりなしに誰かしら来るようになってしまった。基本一人を好む俺としては、由々しき事態だと常々思っていたのだ。
というわけで、駅経由でポータルで転移。片腕には小型犬サイズになったアッシュを抱えて。誰にも行き先を告げないというのがミソで、これを伝えると結局一人になれないので意味がない。
小屋側のポータルから出ると、イトシノユリナよりもだいぶん空気がりんとしていた。吐く息が白い。もう直ぐ雪がふるな、これは。
俺は警備の兵士たちに挨拶をし、小屋に入る。ジョバンニさん夫婦に挨拶を済ませ、俺は自分の小屋の扉を開ける。もわんとした暖気が俺と腕の中のアッシュを包む。どうやら気を利かして暖炉に火をつけてくれていたらしい。
さて、何をするということもない。存分にのんびりしよう。
俺はアッシュのペットホテルの亜空間に入れておいた秘蔵の黒ビールの樽とスモークペッパーチーズ、黒ビール用に開発したジョッキを取り出す。
ジョッキにアイスの魔法を軽くかけてキンキンに凍らせてから、黒ビールを注ぐ。注ぎ方はジョッキを斜めにして、泡が過剰になったらジョッキを置いてしばらく泡が落ち着くのを待つ。そして継ぎ足していく。そうすると凍ったジョッキの冷たさが黒ビールに伝わり、喉越し鮮やかに飲むことができるのだ。
それと俺が投資した農場兼食品会社が開発したスモークペッパーチーズと一緒に飲む、飲む。うまい。
アッシュも、僕も! と小型犬のような仕草でせがむので、チーズの切れ端をやる。チーズをはぐはぐと食べるアッシュを眺めながら、俺は暖炉の焚き火に薪をくべる。
続いて俺は、備え付けのフライパンと、もってきた椎茸(ほぼまんまの風味のキノコ)、塩を取り出す。そして、キッチンで火を起こし椎茸を塩のみで焼く。ジュー。
石づきの部分は絶対に無駄にしてはいけない。むしろ細かく切ってカリカリに焼くと、独特の風味がして、これがまた酒に合う。傘の部分は水気を多く含むので、より念入りに塩焼きをする。
塩焼きには自分なりにこだわりがあって、焼肉の焼き立てが美味い理論。だが焼肉はタレにつけるので、焼き立てを水分に浸して引き算して食べることになる。だが塩焼きは汁気で引き算することなく口腔へ直行することになるので、その分焼き立てというアドバンテージが存分に引き出せる、という理論だ。
むろん焼肉の焼き立てを秘伝のタレに一瞬つけて、間髪いれずに口腔へインすることが至高であることを否定することではないことだけは、申し添えておく。
さておき、椎茸の塩焼きは、その一連の動作で音と匂いで酒が飲める最高の一品の一つであると確信している。
最後にカリカリに焼けた、塩焼き椎茸の傘部の風味を存分に口腔で堪能しつつ、どっしりとした味わいの黒ビールを喉奥に流し込みジ・エンド。これぞ最高の贅沢と言っても過言ではない。
酒盛りの余韻を楽しみつつ、俺は暖炉の炎のゆらめきをボーっと眺めながら、心を落ち着かせていた。これはいい。火を見ると落ち着くのはなぜなんだろう? なんて考えたりして。
さて、そういえばここのところ忙しすぎて忘れてたけど、俺はなんでこんなに忙しく働いていたんだっけか。そもそも、貴族になって領地を与えられた、領民に対して責任がある、さらには勇者と神獣の育ての親として世界を救う義務がある。そんな風に考えていた。
神獣と言われているけどアッシュは俺の家族だ。ターニャもそう。アッシュとターニャに何かあれば俺の最愛のユリナさんが悲しむ。だから俺は二人を守るために頑張る。それは当然のこと。
ただ、規模感としてはそれで十分なはずなのだ。世界を救う? 俺が? 笑ってしまう。思い上がりも甚だしい。
確かにラフィットは悪いやつなんだろう。だがそれはこの世界に始まったことじゃない。元の世界にだって正義者面して戦争をふっかけ、罪もない子供の命を奪うような権力者は掃いて捨てるほどいた。そんな強大な力に俺みたいな小市民が抗うことができるのか、って話だ。
できることなら、おとなしく、波風立てず、こじんまりと生きていたい。そんな波乱万丈な人生なんて真っ平だと思うのが、そもそもの俺という人間なのだ。
暖炉で赤熱した薪がパチパチと爆ぜ火の粉が舞うのを、ぼんやりと眺める。
「ただまあ、かかってくる火の粉は払わないと火傷しちゃうってこともあるからなあ」
ラフィットと彼をとりまく環境、ターニャやアッシュを狙ってくる輩はかかってくる火の粉だ。
やはり、強くなるしかないか。
そうしなければ、この世界で生き抜くことができないというのなら、やるしかない。本当はそんなこと面倒臭いので嫌だけど、自分の家族のこととなれば話は別。俺はいくらでも頑張れるさ。
「それが終わったら存分にのんびりする!」
俺はジョッキの黒ビールをちびりとやってから、大きな声を張り上げた。それを見たアッシュはまるで子犬がそうするように、首を左45度に可愛く傾けたのだった。




