1.『アルトリウス』
ティアゲーメン市。この国で最も活気がある場所。その都市の北西、四番街の裏通りには、地下への入り口があるという。華やかな表層に対し、地下は危険な香りで満ちている。アリの巣のように張り巡らされた地下道。錆びた鉄パイプと煤けてヒビの入ったコンクリートを、パチパチと明滅するネオンが彩る。無法者が群がるこの場所に、凡そ似つかわしくない格好の二人組の姿があった。二人は意図的に人通りの少ない道を選んで進んでいた。
「先輩、そのアルトリウスってのは本当にこんな所に居るんすか?」
黒いスーツの女性が唇に人差し指を当てる。
「しー……あまり軽率に喋らないで。ここは地下。聞き耳を立てる連中なんてのはザラ。しかもスーツなんて着こんでるんだから尚更注目されちゃう。私達の口から少しの情報も出しちゃいけないの」
「……はぁ……」
同じスーツを着た男が不服そうに返事する。お互いの間に気まずい無言の時間が訪れる。またしばらくすると男の方が喋り出す。
「……でも先輩、なんでオレらが聞き耳立てられるんすか?他にもっとやばいヤツもいるじゃないですか」
「新人くん。警察がこんな場所に居たら、彼らは何を考えると思う?……まず初めに警察は捜査のためにここきたのだろうと考える。これは別にいい。デタラメな情報を高値で売ってくるけど、無視すればいいだけ。問題はもう一つの方。警察が汚職をしているかもしれないという疑い。公人の汚職は格好のエサ。特に私達は汚職一つで命を失う。そうやって法律で定められてるからね。それが付け入る隙になるの」
「いやでもオレらは汚職なんてしてないじゃないですか。与えられた仕事やってるだけっすよ」
「与えられた仕事が、真っ白だとは限らない。いい?私達の任務は完全に極秘。上に不都合な事があれば、すぐに切り捨てられる」
彼女は後輩のほうへ振り向いて、にこやかに首を傾げる。
「だからさ……そのうるさい口、閉じといてくれない?」
「す、すいません……」
トラウマ級の笑顔が後輩に降りかかる。
「着いたよ。ここが目的地」
二人の視線の先には、廃墟にしか見えない建物があった。先輩は二階へ続くコンクリートの階段を登る。その後ろに後輩も続く。階段を登った先には扉があり、その脇に掛札が掛かっていた。
「狩人アルトリウス・準備中……って、先輩、まだやってないっすよ」
「大丈夫。居るはずだから」
彼女は躊躇なくドアを叩く。バンバンバンという音が階段を下って通路まで響く。彼女は手を止める事なく叩く。そうして数分間ずっと叩き続けていると、中から声がした。
「ちょっと!分かった!居ます、居ますって!」
彼女が手を止めると扉が開かれた。中から全身鎧の男が現れる。
「……ったく、いつもいつも、準備中の札が見えないんですか?」
「無視しちゃイヤだよ。アルトリウス」
「あーもう、さっさと入ってください。そこの君も」
「あ……はい」
三人は中に入り、ソファに腰掛ける。
「……あ、あのアルトリウスさんすよね。僕はミネって言います。レイ先輩の部下っす」
「なるほど、君がレイの次の被害者ですか。お気の毒に」
「違うもんね?ミネ君。わたしと居るのはイヤじゃないよね?」
「嫌な事は、はっきり嫌って言わないと後が辛くなりますよ」
アルトリウスの言葉を聞いて、レイはムッとした。
「あ、あの本題に入りましょうよ。先輩、アルトリウスさん」
ここで止めなければ長くなるなと思ったのだろう。ミネは無理やり話の流れを変えた。そのおかげでレイもアルトリウスも少し我に帰った。
「……で、今度は一体何の用ですか?」
「私から説明させてもらうね」
そういうとレイはこほんと咳払いをした。
「最近、化物達が活発化してるのは知ってる?」
「ええ」
「その影響かは分からないけど、ついこないだ、禁忌区で観測史上最大の化物の群れをとらえたの。それでね、警察は計573名からなる討伐隊を編成した。民間の狩人とも契約して各部隊を禁忌区に配置。各自抗戦の末、化物の群れは退けたんだけど……大体300人位死んじゃった」
「話が見えませんね。退けたのならいいんじゃないですか?」
「問題はここから。作戦終了後に正体不明の化物が現れたの。化物は甚大な被害を出して逃走。結局、行方は分からないまま、禁忌区の入場許可の期間がすぎちゃった。今から入ろうにも正式な許可の発行には大体三ヶ月かかっちゃう。そもそも許可を得れたところで、引き受けてくれる様な人は皆死んじゃったし」
「……なるほど。それで私が禁忌区に違法侵入しろと」
「君、そもそも違法で営業してるし、そういうアウトな事やってもお咎めないでしょ?」
「お咎めが無いわけじゃないんですけどね。貴方達が私を捕まえられなかっただけで」
「だって君、強いもん。それに警察が法律上無理な仕事も任せられるし。だから警察は君の捜査を解除して協力を持ちかけたの。私達がグレーと分かっていながら君とコネクションを持つのはそういう事」
アルトリウスは、なんだかなぁといった態度である。
「……分かりました。引き受けましょう」
「うん、いつもありがとう。アルトリウス」
彼女はにこやかに言った。
「その化物の姿、最終確認地点を教えてください」
「じゃあ、まずは写真を……ミネ君、ここに」
ミネは「ハイ」っと短く返事をして、鞄から分厚いファイルを取り出した。レイはファイルを受け取ると、手際よく目的のページを開き、アルトリウスに見せる。そして指を差しならがら説明を始めた。
「化物の容姿はこれ」
「……」
「最後に確認できた場所はここ。禁忌区第三ゲートから入って北西に30キロの地点。第八観測所がある所。あとそれから、この化物との戦闘で奇妙な報告が上がってる」
「何ですか」
「化物が使う特異な能力。魔術の行使を制限する力。ただ、今回の討伐隊は逃げる事を優先したから、詳細についてはよくわかってないの」
「……成程」
「ああ、あとこっちも見てほしいっす。第八観測所までの―――
時計の針が頂点を回るまで、三人は話し続けた。レイは少し疲れたと言って、アルトリウスにバスルームを借りている。その間、アルトリウスはじっくり書類に目を通す。ミネは集中が切れたようで、書類を置き、駄弁り始めた。
「そう言えばこの地下ってめちゃくちゃ複雑っすよね。先輩とはぐれたら地上に出られなくなっちゃいますよ」
「あー、確かに私もよく迷いますね」
「えっ、ここに住んでるんすよね?キツくないすか?」
「まぁ、近くで日用雑貨などは買えますから」
「いやいや、いいんすかそれで……」
ミネは立て続けに質問する。
「あの……ちょっと話変わるんすけど、アルトリウスさんはバディとか弟子とか居ないんすか?一人で切り盛りしてるってのも珍しいっすよね」
「居ませんね。私について来れるほどの優秀な狩人は、そもそもここに来ずに地上で活躍してるでしょう」
「スゲー自信ありますね。そんな強いんすか?てかアルトリウスさん、どうして非合法で狩人なんて―――
「ミネ君、ずかずかと踏み込み過ぎ。ちょっと失礼だと思う」
ミネが喋っている途中、横からレイが割り込んできた。彼女の髪は、まだ少し湿っている。
「湯加減はどうでした?」
「気持ちよかったよ」
「よかったです。最近水道の調子が悪くて、温度がうまく調節できませんでしたから」
「そうなんだ……それよりもシャンプーが合わなかったかな。もっと良いの置いといてほしいな」
「ん?さすがに図々しいですね」
レイはソファに腰掛ける。
「予定は立った?」
「ええ、明後日、禁忌区域に向かいます」
「想定より早くて助かる。禁忌区に入るにはあの壁を越えなきゃいけないけど、行けそ?」
「無理だと言ってもやらせるでしょう。貴方は」
「ふふっ、正解」
レイは小悪魔めいた笑みを浮かべる。しかし、レイとアルトリウスのやり取りを聞いて、ミネの方はあたふたと動揺を見せる。
「ちょっと!あの壁をなんの手引きも無しに超えるなんて無茶っすよ!」
「……そうなの?アルトリウス」
「いえ、問題ありません」
「そっか、良かった」
ミネと違って、二人は呑気な態度だ。
「ああ、ったくもう!オレは知らないっすよ!」
ミネは呆れて頭を抱えた。アルトリウスはそんなミネの喚きを聞き流して、大きなあくびをこぼす。
「ふわぁ……そろそろ眠くなってきたので、もう帰ってください」
「泊めてくれないの?」
「一人じゃないと眠れませんので」
「ざーんねん」
レイは肩をすくめた。ミネはせかせかと書類を整理し、帰る支度をする。アルトリウスもミネを手伝い、出口まで見送った。
「それでは、調査が終わったら、こちらまで連絡してほしいっす。目的は調査っすけど、討伐しても構いません。その場合は討伐した地点を記録してください。……てかそれ以前の問題っす!警備兵に捕まってもオレらは助けられないっすよ!」
「……気遣いどーも」
アルトリウスはめんどくさそうに返事する。
「お金は明日中に振り込んどくね。良い報告待ってるよ。それじゃあね」
「ええ、では」
バタンと扉が閉まる。アルトリウスは二人が階段を降りるのを窓から確認する。完全に一人である事がわかると、彼は目を瞑り、虚空に話しかける。
「……正義、写真の怪物は君の同類ですか?」
彼の瞼の裏には、異形の姿が映っていた。その異形の声が、アルトリウスの脳に直接語りかける。
―――分かりません……少なくともあのような者……見たことが御座いませぬ故……―――