100日後にワニに食われる聖女
異世界恋愛6作目です! このネタ上げるよ! と言われたので、直ぐに食いつきました! ワニみたいですね!
「これは聖女である君にしか頼めないことだ」
私こと『レネート』は王宮の一室に呼び出されていました。表に見張りも立たせて、聞かれては不味い話なのだということが分かります。
しかし、そう言った依頼は珍しくはありません。例えば、病気で美が損なわれたり、呪いで異形に変えられていたりと。公に出ることのできない方達の治癒を行い、秘密を保持するのも私達の仕事なのですから。
「はい。それで、依頼と言うのは?」
「外ならぬ私。『セレク』の依頼だ」
依頼者は自らを覆っているヴェールを外しました。露わになった姿を見て、私は思わず息を呑んでしまいました。
平べったく前方に伸びた頭部は緑色の鱗に覆われ、口にはズラリと凶暴な歯が生え揃っています。細長い瞳孔は、人間の物とは明らかに違います。
「そのお姿は、呪い。ですか?」
「あぁ。何時、呪いを掛けられたのかは分からん。だが、症状は進行している」
長い袖を捲ると、肌もまた鱗に覆われていました。
人間を異形へと変貌させる呪い。古来より、政敵や敵対者を葬るのに使用されて来た物で、最終的には人間の姿は完全に奪われてしまいます。
「分かりました。治療を試みます」
昔はどうしようもありませんでしたが、今は解呪や祝福などの研究も進み、それらを修めた聖女達の存在もあり、昔ほど脅威では無くなっていました。
私は解呪を試みます。術式の分析、使用者の悪意に満ちたトラップ等が無いかも調べて、打ち立てた術式を用います。
「解呪」
セレク様を覆っていた鱗が剥がれ落ちて行き、人間の体を取り戻していきます。伸びていた頭も縮まって行き、人間の頭部へと変化していく……最中に、事件は起きました。
「あが。あがががが!!」
「せ、セレク様!?」
頭を押さえながら、尋常じゃない悲鳴を上げました。これには堪らず、表の見張り達が部屋へと駆け込んできました。
「セレク様!? 貴様、何をした!?」
見張りの方達から剣を突き付けられます。と言っても、私も何が起きたかサッパリです。ですが、このままだと不味いという雰囲気は伝わってきます。
「何が起きているか分かりませんが! 今のままで不味いなら!」
少なくとも。半人状態であった時は安定していたので、私は解析の際に覚えていた術式を唱えます。再びワニに戻す為の物でしたが、使ったことがない物だったので、加減がとても難しい。故に、事故は起きる物で。
「ガルルルルル……」
「……セレク様?」
ペタペタと巨大な体を4つ足で支えて歩きながら、長い尻尾を引き摺りつつ近寄ってきます。そして、彼は言いました。
「余がセレクである」
「おい。付いて来い」
間もなくして、私は連行されました。全くの冤罪とは言い切れませんが、私は賢明に治療に当たっただけだと言うのに、どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか?
「被告、レネートは聖女でありながらセレク殿に呪いを使用した。聖女の名を傷つけた罪は重い。よって、死罪を言い渡す」
裁判官の判決に息が詰まりますが、弁護側に立っている教会の先生が声を上げてくれました。
「待って下さい。呪いは使用者が死んだ場合、解呪が不可能になる場合があります。もしも、被告が供述通り、何者かに陥れられた上で治療を行ってしまったのなら、彼女を殺すのは事態を悪化させるだけです」
先生の厳しいながらの弁護が身に沁みます。呪いの中には、使用者が死ぬことで解呪が難しくなる物があり、今回のパターンも該当するかもしれません。
「弁護側。教会側で解呪の方は出来ないのかね?」
「腕利きを何人も寄こしましたが、一向に改善される気配がありません。呪いの中でも、かなり特別な方でしょう。ですが、可能性はあります?」
「どうやって?」
「変化に立ち会ったレネートを解呪に当たらせるのです。こうなってしまった原因の一端に彼女がいるならば、手掛かりは掴みやすくはなるでしょう」
「なるほどな。だが、長い時間はやれんぞ。どれほどで出来る?」
先生と裁判官が私の方を見ます。短すぎる日数を言えば、結果を残せないのは明白。長い日数を言えば、逃亡の恐れがあるとして思われる。
解決のために誠意ある対応に必要な日数を、私はこの場で言い渡さなくてはならない。意を決して、口を開く。
「100日です! 100日下さい!」
「もしも、100日以内にセレク殿を戻せなかった場合は?」
「その時は、私が彼の贄になります」
周囲が騒めいた。ワニが狂暴な生物であると言うことは、皆が知っている。期日までに間に合わなければ、私の命は無いも同然。
ならば贖罪として、セレクさんの糧となるほどの覚悟を示さねば、今の私は自由を得ることも出来ないでしょう。
「その言葉に嘘は無いな?」
「はい」
「良かろう。レネート! これより100日以内に、セレク殿を元の姿に戻せ! さもなければ、貴殿は贖罪として己の身を差し出すべし!」
「誓います!」
こうして、いつも通りに住むと思っていた聖女の仕事はとんでもない事態へと発展していくのでした。
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「それで。しばらく、君は私と一緒にいる訳か?」
「その体じゃ色々と不便でしょうし、私も研究をしたいので」
偽証や匿う可能性などがある為、私は教会に出入りすることが禁じられました。故にセレクさんの住まいへと、お邪魔している訳ですが。
「セレク。この女は一体誰なんだ?」
「トルート。いや、なに。私をこの様な姿にした、張本人だ」
「……あぁ、解呪の件か。ほら見ろ。教会なんかに頼るからだ」
トルートと呼ばれた男性はくすんだ赤髪と、猛禽類を彷彿とさせるような鋭い眼光が特徴的な方でした。賭けている丸眼鏡も相まって、少し冷たい印象を受けます。
「外に頼る所が無かったから仕方ないだろう?」
「セレクは気にし過ぎなんだ。第一、あのワニ面で何が不満だったんだ? 知的であり、暴力的でもある。素晴らしい面持ちだったじゃないか」
「よせ。頭が重くて適わん。今は楽だが、視線が低くて不便だ」
ノシノシと歩いているセレクさんを微笑ましく見守っていた所で、トルートさんから舌打ちをされました。
「ふん。こんな事態を招いておきながら、君は呑気に観察か。聖女ってのは気楽な物だな」
「これも解呪の為に必要なことです。誰が、彼にこの様な呪いをかけたかを知る為には、交友関係から知って行く必要がありますから」
適当に言い訳を言ったのが伝わったのか、トルートさんは眉間に皺を寄せていました。ですが、実際に敵対勢力や心当たりがありそうな人間を探すのは解呪を行っていく上では必須と言えるでしょう。
「セレクさん。貴方に恨みを抱いたりしている人とかはいますか?」
「数え切れない程いるな。この地位に立つ為に落として来た他者に、私を妬む者。一々、覚えていられない」
「だが、そいつら全員が呪いを使えたとは思えない。おい、女。呪いと言うのは、誰でも使える物なのか?」
トルートさんから扱いが悪いことが気になりますが、セレクさんをこんな目に遭わせた手前、何とも言えません。故に、質問に素直に答えます。
「簡単な物なら庶民でも出来ますね。例えば、お腹が痛くなったり、くしゃみをしたりとか……」
「では、私に掛けられた呪いレベルは?」
「人を、人ならざる物へと変貌させる呪いは相当に高レベルな物です。かなりの知識が必要でしょう」
庶民でもしょうもない呪いなら、ちょっとした知識があればできますが、変化は相当に高レベルな物です。なので、かなりの知識と、それらを手に入れる為の環境が必要となって来ます。
「だとすれば、君をそんな姿へとした者達は大分限られそうだな」
「知識があって、環境もある者か……」
「これに関しての調査は慎重にやらないと駄目ですよ。言い掛かりだった場合は、名誉棄損で何を言われるか分かった物ではありませんからね」
「分かった。慎重にやって行こう」
100日以内に真実へと辿り着けるのは、不安になる幸先ですが、やらなければ私が餌になってしまうのです。出来ることは全て、やって行く必要があります。
翌日、セレク様と一緒にご飯を食べながら、今後の方針を考えていました。しゃがみ込んで、ワニにエサ……食事を提供するのは、ちょっと楽しいですね。
「今、失礼なことを考えていなかったか?」
「とんでもありません。それで、今後の方針ですが」
「トルートや遣いに頼んで、探りを入れて貰うことにした。犯人探しはこちらでやるとして、お前は聖女としての仕事と。私の仕事の代わりをして貰う」
首を振った先、机の上にはたんまりと書類。色々と術式の研究もしたいと言うのに、どうしてこの様な仕事を押し付けられるのか。
「あの、こういうのは使用人の方にやらせるべきでは?」
「こうなることを狙って、潜り込んだ使用人もいるかもしれんだろう? もしも、そう言った者達が居た場合に備えて、お前がやれ」
何ということでしょう。ひょっとして、私は聖女から待女へと転職したのでしょうか。しかし、負い目がある手前、無碍には出来ません。
「分かりましたよ」
「机でやるな。私が見えんだろう」
一々、机とセレクさんを往復する面倒なことをやらされる羽目になりました。
書類には何やら訳の分からないことが書かれていましたが、セレクさんの目がギョロリと動き、文章を斜め読みしています。
「分かるんですか?」
「あぁ。これは治水関係の話だな。中々にいい案が出ている。サインしてくれ」
床に板を敷いて、腹ばいになりながらサインをしていきます。驚くべきは、その目を通し、理解をする速さと正誤性です。
「ふむ。これは駄目だ。不許可を出せ」
「漁業の為に、新しい種を放つ許可が欲しい。これ駄目なんですか?」
「この書類で持ち込もうとしている奴はな、非常にデカくはなるし繁殖力も凄いが、この種以外が居なくなる。それが知られたら、買い叩かれる」
あ~。この魚ばかり作っている所。となれば、数もいるでしょうし安く買い叩こうとする人も出て来るでしょうね。水産資源が、それだけしかなくなるのですから。
これだけの書類仕事をバリバリこなせるのが本当に凄いです。追加の仕事も舞い込んできたりして、全てが終わるのは夕暮れ位になっていました。
「つ、疲れましたぁ」
「ご苦労だった。日々の業務に差支えが無いなら、今すぐ問題がある訳でも無いか」
四足歩行でノソノソと歩き回っている様子を見るに、セレクさんに疲労の様子は見当たりません。後半、殆ど文章を読まずにサインだけしていた私よりもピンピンしているのは凄いと思います。
「いつも、これだけの仕事をしているんですか?」
「あぁ。高貴なる身分には、責任が伴うからな」
権力者と言う立場に甘えて、やんちゃをする人も少なくはありませんが、こういった方を見ると『ノブレス・オブ・リージュ』という言葉が思い浮かぶようです。
少し疲れたので、部屋内をグルグルと動き回っていると。オイ、と声を掛けられました。
「何をしている?」
「いや、ずっと腹ばいだったので、ちょっと動きたくて」
「ならば、庭を散歩しよう。私と一緒に」
彼の道を先導する形で、私はドアを開け、玄関を開いて、庭へと出ました。肌を撫でる風が気持ちよく、思わず背伸びしてしまいます。
「いやぁ、気持ちいいですね」
「そうだな。頭も痛くなくて、快適だ」
セレク様はゴロゴロとしていました。人間が行えば、はしたないってレベルじゃありませんが、ワニなので何も問題がありません。しばらく、堪能した後は一緒に歩くことにしました。
「レネート。お前はどうして聖女になったんだ?」
「どうして? と言われましたら、特に理由はありませんね」
別に人助けがしたいという訳でも無く、誰かに恩があると言う訳でもなく。食事と住む場所が貰えるという話を聞いて、教会に入って勉強している内に聖女になっていた。という位、何処にでもある話です。
「意外だな。聖女の連中は、使命感に燃えていると思っていたんだが」
「そんな熱意ある子達ばかりじゃありませんよ。聖女と言うけれど、何でも屋みたいな所もありますしね」
私が行う解呪の様な仕事もあれば、乞食や貧民に炊き出しを行ったり、教義を説いたり、子供達の世話をしたりと。用途は多岐にわたります。
「そうなのか。今まで、大変だった仕事とかはあるのか?」
「色々とありますね。やっぱり、解呪関係ですかね。いやぁ、これってね。完全に解呪が出来たら、犯人が誰か分かっちゃうんですよね……」
なので、誰かの呪いを解くことは、そのまま裁判へとも繋がる事なのです。間接的に、私が誰かを追い詰めた。と思うと、やはり良い気持ちはしません。
「私の場合もそうなるのか?」
「ですね。その時は、やはり裁判を?」
「勿論だ。君の無実を晴らす必要もあるからな」
そうでした。犯人を見つけなければ、私は食べられてしまうのです。比喩的な意味ではなく、マジな意味で。
「ですよね。……もしも、良かったらで良いんですけれど。セレクさんのことを聞いても良いですか?」
「構わんぞ。何が聞きたい?」
「いやぁ、どんな人なのかなって。これから100日だけの付き合いになるかもしれませんけれど」
「どんな人と言われたら、何と言えばいいのか」
「ご家族とかは?」
「父と母はおらん。家族と呼べるのは、トルート位か?」
早速、踏んではいけない所を踏んだ気がしますね。ですが、変に躊躇ったりすれば、余計に気まずくなるので押し込んでみましょう。
「トルートさんとは、仲が良いんですか?」
「あぁ、幼少期から一緒でな。共に図書館の本を読んだり、知識人から教えを乞いに行ったりしてな。私が、この地位まで上り詰めることが出来たのは、アイツのおかげと言っても過言ではない」
「良いご友人さんなんですね」
だから、私が邪険に扱われていたのでしょう。男同士の友情と言うのは、私には想像し難い物ですが、彼の声色が優しくなっている所を見るに、大切な物だということは分かります。
「あぁ、掛け替えのない友人だ。同時に、少し申し訳ないと思っている」
「どうしてですか?」
「アイツは何時も怯えているんだ。私が、私の父や母の様に死んでしまわないのかと」
「病気。ですか?」
「分からん。ただ、両親共に頭が破裂して死んだらしい」
思い出すのは、セレクさんに解呪を施した時のことです。あの時の彼は、頭を押さえて苦しんでいました。
「破裂。とは物騒ですね、何か呪いが?」
「いや、それが何も無かったらしい。トルートが、お前達を信用していないのもソレが原因だ」
セレクさんの両親が死んだ手掛かりすら、手に入れられない連中。と考えれば、彼のぞんざいな態度の理由も分かる気がします。
「うーん。医師などには見せましたか?」
「とっくに見せたよ。それでも原因が分からないと」
呪い以前に、セレクさんは色々と抱えていた様です。と、この様に彼の仕事を手伝った終わりに、庭を散歩しながらお互いのことを語り合うのが日課となっていました。
100日目という期限の中で、他にも優先するべきことは沢山あるだろうと思っていたのですが、彼との交流が次第に大事な物へと変わって行くのが自分でも分かりました。そんな、ある日――。
「セレクさん! おはようございま――」
「ガルルル……」
彼の部屋は惨状になっていました。机や本棚が齧り千切られ、彼の瞳孔が私を捉えています。
「セレク、さん?」
「グッ。グッ。グッ」
まるで、クシャミをしている様に思えましたが、これは鳴き声なのでしょう。何時もの知性的な振る舞いは何も感じられず、ただ獣となった何かがいるだけでした。深呼吸をして、脳内で術式を描きながら唱えます。
「解呪」
淡い光が彼に降り注ぎます。彼を縛る根底から解くのではなく、以前の術式に巻き戻して上書きするような感じなので、応急処置と言うのが正しい所でしょう。
これは上手く行ったようで、正気を取り戻したのか。彼は荒れ果てた部屋をグルグル見回していました。
「これは、私が?」
「……恐らくは」
私は、今まで何処か楽しい日々だと勘違いしていたのかもしれません。
本当は、自分から人間性が消えてしまい、本当に畜生になるかもしれないという恐怖もあったと言うはずなのに、セレクさんは一言も口にしていなかったのです。私は、自分のことばかりを考えていました。
「セレクさん。私、絶対に戻して見せます」
それから、彼の仕事を手伝いながら夜には解呪の手掛かりを掴むために研究を続け、時折。セレクさんが出した遣いが持って来た情報から、相手を訪ねたりして、時には邪険に扱われながらも、私は只管行動していました。
そして、残りが3日に迫った頃。遣いの方が、誰にも秘密で。という条件で、私を呼び出しました。
「レネート様。もはや、セレク様が正気で居られる時間は1日の半分もありません。貴方も研究は進んでいますか?」
「進んではいるのですが、結果を言っても。大丈夫でしょうか?」
「……はい」
研究を続けてきた結果。これだけの術式は相当な知識が無いと組めないもので、加えて。聖女を罠にかけると言う悪意も無ければ出来ない物でした。そして、何よりも、この呪いの一番特徴が。
「これ、本当はセレクさんを助けるために掛けた呪いなんですよね?」
「……恐らくは。セレク様のご両親は、常人よりも脳が肥大し易く、内部から破裂してしまう病があったのでしょう。セレク様も、頻りに頭を押さえていました」
人間の頭部とワニの頭部。どちらが大きいかは言うまでもありません。そして、こんなことをする動機がある人間はただ一人。
「だから、セレクさんの体を変えようとした。そうですよね、トルートさん?」
「バレていたか」
柱の陰から、姿を現したトルートさんの手には短剣が握られていました。秘密を知った者達を生かしておくつもりはないということでしょうか。
「どうしてですか? セレクさんは貴方の友人でしょう?」
「友人だからだ。君も見ただろ? 解呪をしようとした時、セレクがどうなったのかを! 人間の肉体は彼には狭すぎるんだよ。だから、解放して上げたんだ!」
「勝手な理屈を言わないで下さい! 今の彼が、どれだけの恐怖を抱えているか。知っているんですか!?」
「知っているさ! でも、全てが無くなる。そう、この変化。いや! 転生が終われば! だから、お前達は邪魔なんだよ!」
彼が投擲した短剣は、遣いの人の腕に命中しました。私も迎撃の準備を整えます。ある程度の荒事も経験して来たので、ヒョロガリな彼を組み伏せられるつもりではいました。ただ、予想外なことがあったとすれば。
「ヒョォオオオオ!!」
「……え?」
彼が自らに呪いをかけて、鳥の様な人間になっていたことでしょうか。腕を翼の様にはためかせ、上空へと跳び上がってからの蹴りが強烈に突き刺さり、私は吹っ飛ばされてしまいました。
「ふん、生きているのか。しぶとい奴だ」
痛みで動くことが出来ません。まさか、こんな風に呪いを使う人が居るとは思いませんでした。槍の様な嘴の先端をこちらに向けて、にじり寄って来ます。
「お前を啄んだ後、死骸はセレクと一緒に頂くとするよ」
嗜虐癖も無く、悪意も無く、獣の様に淡々と餌にありつこうとする無機質さに震えあがります。私の命は、ここで終わるのでしょうか。全てを諦めた瞬間でした。
「ガアアアアアア!!」
「ギャアアアアア!?」
暗闇に紛れて現れたのは、ワニ。いや、セレクさんでした。彼はトルートさんの体に食らい付いたままのた打ち回っていました。
私が見た時の様に和むようなゴロゴロではありません。得物を引き摺り倒し、地面へと打ち付ける狩人の技と言えるでしょう。
「セレク! どうして!」
「グッ。グッ。グッ」
唸り声をあげるだけで、会話にすらなっていません。強靭な顎で獲物を噛み千切り、咀嚼していました。トルートさんは這いずりながら逃げようとします。
「そんな、これは、何かの間違いだ……どうして、僕が」
「ガアアアア!!」
友人の訴えも耳に届かないのか。セレクさんは、彼を丸吞みにしました。腹の中に彼を収めながらも、ゆっくりと私に近付いてきます。
「あぁ、そっか。もう期限でしたもんね」
意識も朦朧としていますし、お腹を触ってみたら血がベッタリと付いていました。さっき、蹴られ時についでに引っ掻かれたのでしょうか? 聖女の力で癒そうにも体力が足りません。
「ガルルルル……」
いつの間にか遣いの方も逃げ果せていたみたいですし、あと一人分は私になりそうです。100日目にはまだ早いですが、彼を戻せなかったので仕方がないことでもあります。
「良いですよ。私、死んじゃうのなら。貴方の手で」
無責任だと思います。彼の尊厳を取り戻すことも無く、自分勝手な死を願うのは恥ずべきことだと思いますが、それが最初の約束なのですから。そっと目を閉じて、私は意識を手放しました。
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「起きろ。起きてくれ! レネート!!」
聞き慣れた声を前に、私は目を覚ましました。目の前には、見慣れたワニ面と人間の肉体が合わさった生物……。
「キモ! って、セレク様!?」
「良かった。目を覚ましたんだな!」
これは一体、どういう事でしょうか? 何が起きたのか分からないままでいると、不意に扉が開かれました。そこには、教会の先生が居ました。
「目を覚ましましたか」
「先生。これはどういうことで……」
「まず、お前が寝ていた間に起きたことを話しましょうか」
私が目を覚ました後。トルートの凶行は、遣いの方から全て伝えられ、私の無実が証明されました。それだけではなく、セレクさんがトルートさんに引導を渡したことにより、呪いも解かれて……何故かワニ面だけが残りました。
「私が寝ていた間にそんな」
「3日間の出来事だがな」
皆がバタバタしている間。私は寝こけていたようです。あんなことがあったのだから、仕方ないかもしれません。
「先生さん。少し席を外して貰えないだろうか?」
「……分かりました」
伝えることだけ、伝えてくれた先生は部屋から出て行きました。残されたのは、私とセレクさんの二人だけ。なんだか、緊張します。
「今回の出来事。本当に助かった。君の尽力が無ければ、私はただの畜生に成り下がっていた」
「そんな、私なんて結局。最後には蹴られて気絶しちゃいましたし」
「いや、君が尽力してくれなければトルートの凶行は表沙汰にならなかった。だと言うのに、君を危険な目に追い込んで」
……本当は、彼も辛い筈です。長年の友人を自ら手に掛けてしまったのですから。私は彼の手を握りながら言います。
「今日、約束の100日目なんですよ」
「100日目。と言われても、君の無実は証明されたのだから」
そっと、私は彼の顔を撫でました。手にはゴツゴツとした鱗と、しっとりとした感覚。正にワニ面です。
「いいえ、結局。全てを戻すことは出来なかったんですから――これからの私の人生、頂いて貰えませんか?」
言った後、耳まで真っ赤になりました。食べて貰うと、頂くを掛けて言ってみたのですが、いや。何を言っているんでしょうか? 聖女として以前に、うら若き乙女としてどうなのだろうかと思っていると。
「……では、貴方の人生を頂きましょう」
伸ばされた手を取りました。これは、100日後にワニに頂かれる聖女の話。
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