よん。
「生意気な目付きだなあ、アイリ! 」
母親の男が家にいるときは出来るだけ部屋の角でじっとしていたのだが、その日は楽しみにしていた料理番組の日だった。甲高い声の女シェフが楽しそうに料理を披露してくれる、いつもみている番組。前世の記憶を思い出して以降、毎週みていたのだ。
だから、『てれびみてもいい?』ってたった一言言ってみただけだったのに。
家に来た時から酒の匂いがしていたのに、最近の平和さにすっかり油断をしていた。
男の"躾"は足技が主だ。小さい身体に命中しやすいお腹をメインに狙ってくる。
身体強化の魔法を勉強しておくんだったと、いまさら言っても仕方ない。泣き叫ぶとさらに足が飛んで来るから、グッと耐える。あとで回復魔法を掛けよう、あまり得意ではないけれど。
「ユウミ、躾が足りねえんじゃねえの? これじゃ弱いか?泣きもしねえな。もっと、おら!」
「……ねえ、大家がうるさいからさあ。」
「そうやって甘くするから、ガキは付け上がるんだぜ。ほら、もう我が儘言いません、って大きな声で! 」
「も、わが、まま、いいませ、ん――」
「声がちいせえよ、ほら! おら! 」
「ちょっと、カズくん、静かにしてよ……っ」
「……んぐっ、ゴホゴホ。痛あ。」
ベランダに出されて、一息つく。回復魔法は学生卒業レベルしか取ってこなかったのを後悔する。骨はくっついたと思うが、位置が合っているかは自信がない。
仕事が土と木、草魔法ばかりだったし、得意もその分野だったから、他の専門外の魔法は本当にへなちょこだ。だって怪我をしても、教会に行けば良かったんだもん。それに前はこんなに痛い思いしたことなかったし。
ゴミの日までしばらくあるため、ベランダにはゴミの袋が山になっている。私はゴミ袋をクッション替わりに寄っ掛かる。滅菌掛けてあってもちょっと臭いが、痛いより全然マシだ。現世では誰よりも私を優しく包み込んでくれるのは、人間ではなくゴミ袋って笑える。
「…ちょっと、派手な……ケンカしただけです。……はぁ……はぁ。あー、スミマセン。……気を付けますんでー……。」
玄関の方で声が聞こえる。私がベランダに出されたのは、玄関のチャイムが鳴ったからだ。大家か隣人かはわからないが、男の足技がなかなかの派手な音量で注意しに来たようだ。壁も薄いから煩いだろう。
「……ほらあ、だから言ったじゃん。次はケーサツ呼ぶとか言うし、もぉ、やめてよね……え、ちょっとお! 痛い! 痛いよ、止めてよ! ねえ! もう、知らないからね……!」
今度は母親が蹴られてるのか。鈍い音が2~3発した後に、乱暴にドアを閉める音がした。
あの男、出ていったのか……?
そっと窓から中を覗くと、項垂れた母親だけが残っていた。これに懲りてあんな男とは別れて欲しいものだ。
覗いている私に気がついた母親は、ぎろりと睨んでから横になった。どうやら、私はまだベランダ待機らしい。季節がら、保温の魔法も使った方が良さそうだ。
あのあと暴力男とは別れたのかあいつは家に来ることはなかったが、母親の冷たさはもとの通りに戻っていた。家を綺麗にしても、料理を作ってもじろりと睨まれるだけ。声をかけても無視される。殴ったり、風呂に沈めたりはなくなったが、だんだん家に居ないことが多くなった。
たまに、帰宅しても私のための食材はほとんどない。菓子類とパンの類いを少し持って帰るだけだ。
それでも2日に一回は帰っていたのだが、今回は4日以上帰ってきていない。
母親が帰宅しなければ、食料は徐々に減っていく。またお腹がぐうぐう鳴ることが増えた。
いよいよ5日ほど帰ってこないことから、冷蔵庫のものも早めに時間経過のない収納魔法に入れた。悪くなって捨ててしまうのは、さすがにもったいなさすぎる。コカトリスっぽい卵も大切に使おう。
いくら小さい身体だとはいえ、12日食料補給がないのは辛い。収納魔法のアニモ草もどきの炒め物があと一皿とあめ玉がいくつか入っているだけになってしまった。
アニモ草の最後の一皿をあたためて、太陽神と三人の月の女神に祈りを捧げる。
なぜ、私がこんな目に会わなくてはならないのか。目からポロポロと涙が溢れていくのを、そのままにして食事を口に運ぶ。味付けは塩を多く入れすぎたようだ。確実に足りないが、あめ玉はもう少しあとにまわした方がいいだろう。マグカップに注いだ白湯を飲み、少しでも胃にモノを満たす。
『タケウチさーん? 市役所の家庭課の者ですー! いらっしゃいますかー? 』
最後のあめ玉を味わっていた時に、チャイムが鳴った。"約束"の女の声だ。
布団に転がっていたけど、頭だけ上げる。扉をぼんやりと見やる。
応えてはいけないと言われていたが、さすがに私の気持ちも空腹で落ち込んでいた。助けを求めたかった。あめ玉1コは全くお腹の足しにはならなかった。
前世の私は食いしん坊だった。甘くしたパンも具がたくさん入ったスープも、魔獣肉のソテーに辛めのソースを掛けたものも、氷魔法を使った果物のソルベも。また食べたかった。あの味を知っているからこそ、耐えられなかった。
美味しいものが、食べたかった。
おなかが、空いていたのだ。
「―――あ、あの! 」
※漢字間違い修正しました