《腐敗の扉》
「ここが……」
森に入って三日目の朝。《腐敗の扉》があるとすれば奥だろうと、イリスが先頭に立って進み、そして大きな収穫を得た。
遺跡があったのだ。朽ちてボロボロに崩れてはいるが、まだ形状を保っている部分も多く、建築様式から相当古い年代のものだと推察出来る。
遺跡は綺麗に切り出された石材で建てられているが、表面は乾燥した泥がへばりついており、その上から更に蔦や苔で覆われているため調査するのは面倒そうだ。
ほんの一部分ですら取り除くのに時間が掛かる。
「まるで町のようだな。使われている文字は古文書と一致してように見えるが……やはり私では断言出来ないか」
「どことなく妖精語に似てるけど、微妙に読めないな……」
「妖精語か、なるほど。恐らくそれが元になっているか、違っても近しい存在のものだろう。しかし、私達は考古学者ではなく冒険者だ。大人しく“アーティファクト”を探そう」
遺跡の広さは大きめの村と同等以上だ。自然に飲み込まれかけているものの、崩落した地面の下に下水道の跡があったりと、一定以上の水準を保っていたのは間違いない。
しかし、なぜ今までこの場所が未発見だったのだろうと、イリスは思った。三日掛かったとはいえ、探索が不可能な距離ではない。銅等級ならまだしも、鉄等級のパーティーであれば問題なく対処出来る魔物ばかりだったからだ。
今まで遭遇した魔物はゴブリンにミミクリースパイダー、レッサートレントばかり。レッサートレントは刺激しなければ無害なため、主に二種類の魔物を倒し、時には躱してここまで踏み入った。二回ほど野生の猪に遭遇したが、魔物ですらない動物のためイリスとリアムがそれぞれ一体ずつ倒して回収してある。
「ふむ、この建物が怪しいね。しかし入り口が見当たらないな……」
念入りに探索しながら遺跡の奥に進んでいくと、一際巨大な建物が地面に埋もれるように建っていた。
『「リアム、リアム。上の方に入れそうな穴があるわ」』
「本当か? イリス、上の方に入れそうな空洞があるみたいだ」
瓦礫や魔物に注意しながら周囲を探索していると、浮遊していたリギルが建物の上部に空洞を見つける。
下からではちょうど死角になる位置であり、なるほど地上からでは見つけにくい入り口だ。
「少し苦労しそうだな」
「俺は飛べるけど、イリスはどうする? 狂風に運んでもらうか?」
『「イリス一人なら運べるけど、リアム以外の人にはあまり力を貸したくないわ」』
「……いや、私は私で登るとするよ。妖精の機嫌を損ねたくないしね」
そう言って魔法の鞄――腰の雑嚢がそうだと猪を回収した際に教えられた――からかぎ爪付きの縄を取り出すイリス。それを投げ、しっかり引っかかったことを確認すると、彼女は器用に壁登りを始める。
リアムは幼い頃からそうしてきたように、建物の入口まで気楽に飛んでいく。羽がなくても飛べる理由は、これは当たり前の現象なのだと世界に認識させられる神秘を保有しているからだ。
「――さて、ではようやく本調査だ。もっとも、空振りに終わる可能性もあるがね」
建物の中はかなりの暗さだ。リアム達が見つけた入り口はちょうど太陽の方向にあったため光が差しているが、奥の方は何も見えない闇となっている。
それを見てイリスは松明を取り出した。
「頼むよ」
「たしか……〈着火〉」
道中教わった魔法を唱えると、ボッと松明に灯が点る。それを奥へ向ければ、少しではあるが視界を確保できる。
「この階はそこまで広くなさそうだが、念のため近くにいよう。遺跡にはアンデッドが出やすいからね」
足下に転がる、大部分が風化した白骨死体を指してイリスが言う。
「これはさすがに動かないが、風化していない死体には気を付けるように。それと、鼠にも。魔物ではないが、厄介な病気を運んでいる場合もある」
『「なら風を起こすわ。そんなもの外に飛ばせばいいのよ!」』
「「…………」」
先程からリアムの背中にくっついて離れないリギルが、突如風を集めて入り口へと誘導する。突風ではないが踏ん張らないと飛ばされる、不思議な風だ。
ときどき、骨の残骸に混ざって悲壮な様子の鼠がチューチュー鳴きながら飛ばされていくが……リアム達は何も見なかったことにした。
以降は何のトラブルもなく、順調に下に続く階段まで辿り着く。
「……スケルトンが二体か。あれなら君でも倒せるだろう」
「あれならここからでも倒せると思う。〈■■■■〉」
階下で番人のように突っ立ていたスケルトンを倒し降りると、空気中に嫌なモノが混じっていることに妖精達が気付く。
「嫌なモノか……」
「もしかして“アーティファクト”か?」
「かもしれないね。《腐敗の扉》なんて名前なんだ、嫌なモノを空気に混ぜるくらい出来るだろうしね」
『「くさーい……」』
『「あまり居たくないわー……」』
「ごめん、少し我慢して……」
清潔な布で口と鼻を塞ぎながら、ゆっくり階段を下っていく。
長い階段だ。緩やかな螺旋状になっている。そして下へ足を進めるほどに空気が重く、目で分かるほど汚れ始めた。
埃のような、胞子のような細かい粒子が空気中を漂い始めたのだ。
「……これは……予想以上にマズイな……」
イリスが顔を顰めるのも無理はない。空気を汚しているそれらの粒子は、壁や天井に所狭しと生えているカビのようなナニカから発生していたのだから。
リギルが風邪で飛ばそうにも屋内では誘導できる方向に限りがあり、ルーはそもそも専門外だ。
リアムであれば多少マシにすることも出来るが……浄化は神官の領分のため、これも大した効果は得られなかった。
「っ……なるほど、これが〈腐敗の扉〉か。迷い込んだ冒険者は全員殺されていたのうだね」
「腐敗している……遺体を媒介に広がっていたのか」
「そうみたいだ。私達も、あまり長居するべきではないだろう」
緩やかな螺旋階段の先に広がっていたのは、見るも無惨な地獄だった。
転がっている遺体は腐敗し、空気の汚染の原因であるナニカの苗床に。鈍い音を立てて動き続ける歯車は血と思われる汚れが大量にこびり付いている。
壁、床、天井、それら全てが土色に染まり、そしてそれら全てが腐敗したナニカによるものだとリアム達は分かってしまう。
「……クソみたいな“アーティファクト”だ」
「同感だね。さっさと破壊しよう。中心の歯車が恐らく核だ」
空間に降り立つと、イリスは魔法の鞄から赤い宝石を取りだし、それを歯車の上にばらまいた。
「それは?」
「宝石を用いた魔法だよ。魔法が使えない人でもそれなりの効果を発揮する、魔導具のようなものと考えていい」
説明しながら同じものを幾つも取りだし、それを更にばら撒く。
起動するには対になる宝石に〈爆発〉と唱えればいいらしく、そうすれば全ての宝石が連鎖的に爆発する仕組みとなっているようだ。
「それにしても、一体どこから魔力供給しているのだろうね……これだけの仕掛けなら、かなりの量が必要だろうに」
「魔力供給…………」
「天井から流れているが、供給元までは辿れない。あそこの装置が関係しているとは思うが」
二〇以上の宝石をばら撒き終えたイリスが指で示した先には鳥籠のような装置がある。魔力はその鳥籠から歯車へと流れているらしいが……リアムには別のものが見えた。
魔力云々はリアムにはよく分からないが、神秘に関するものならば見ることが出来る。どれだけ神秘が濃くても、保有する神秘の絶対量が多いリアムに視認することの出来ない存在はいないのだ。
だからこそこの場に――古文書として扱われるほど古い年代の遺物にソレがいることに、リアムは驚愕を隠せなかった……
「妖精……!」
「なっ、妖精を動力源にしていたのか!」
枷をつけられた妖精が、衰弱している妖精が、虚ろな目で鳥籠に囚われていたのだ。