オーサス北東の森 その一
『「朝になったわ。朝になったのよ」』
『「起きてー起きてー」』
朝日が昇ると、二人に起こされたリアムは急いで身支度を整えて朝食を摂った。
今日は初めて冒険者らしい仕事をする日だ。少しばかり――いやかなり不穏な依頼だが、すでにイリスの手によって受理させられた以上行かない選択肢は無い。
「……早いんですね」
「そういう君もなかなか早起きだね。ま、身に染み付いた癖というものだよ」
組合に行くと、併設されている酒場の席で武器の手入れをしているイリスの姿があった。一〇個以上並べられている武器は、どれも丁寧に使われているのが見て取れる。
対して、リアムの武器は魔法と、十手と呼ばれる棒状のものだけだ。手入れの必要性が殆ど無いなどの利点はあるが、やはり剣に憧れるのが男心というものである。
「――では行こうか」
全ての武器の手入れを終わらせると、イリスはリアムを連れて足早に組合を出た。
今更だが、オーサスの町の周辺の殆どは未開拓地である。西の港街ルーバック、北の町ハルーフェオン、馬車で片道二ヶ月掛かる南東に王都リンフォード、それぞれに続く街道と小さな村々のみ。それがオーサスの周辺にある人の手が入った土地である。
そして北東の森は、北と南東の二つの街道に挟まれるようにある。森のすぐ南に山がある関係上、王都に続く街道はこの森のすぐ近くにあるのだ。しかし、森の全貌は明らかになっていない。国にとって重要な街道と面しているのにも関わらず。
……世の中には魔境と呼ばれる土地がある。未開拓地の中でも特に危険な場所を指す言葉だが、オーサスの町北東に存在するこの森をイリスは魔境並と仮定している。
森自体の名称こそ無いものの、中にあるモノ次第では命名する必要がある。そう考えながらも、彼女はいつも通りの心構えで森に足を踏み入れる。
「ここが……」
「おや、始めて見たのかい? こんなすぐ近くにあるというのに」
「……出身地はこの近くじゃないので」
素直に妖精の森から来たことを言おうか迷ったリアムだが、それはなるべく隠しておくよう言われていたのを思い出し、はぐらかすように答えた。その様子を不審に思ったイリスだが、わざわざ問い質すようなことでもないかとスルーすることにした。
森に入る。鬱蒼と生い茂る木の葉のせいで薄暗いそこは、リアムが暮らしていた妖精の森とは比べものにならないほど不気味であった。あまりの不気味さに逡巡するも、彼の両手を包む二人の妖精の手を握り返し、抱いた恐怖心を振り払う。
「思っていた以上に暗いな……未開拓地だからといって放置していい位置じゃないだろうに……全く、今度抗議してやるか」
イリスは森ではなく管理している貴族への苛立ちが勝っているようだが、しかしその気配は一切揺らがないでいる。周囲への警戒と思考が切り離されているからだ。
曰く、熟練の冒険者は無意識で警戒し、無意識で奇襲を防ぎ、考え始める頃には刃を振るっているそうだ。森に入る前にイリスが何気なく言ったこの言葉はリアムを驚かせた。そして今のイリスを見て、なるほどと腑に落ちた。
ぶつぶつと文句を言いながら枝を切り払い、草陰に隠れた木の根を避け、帰り道が分かるよう幹に傷を付けている。そしてその意識は周囲一帯に向けられているのだ。
前を進む彼女と足下の二つに意識を向けるので精一杯のリアムにはまだ真似できない技術であり、これが熟練の冒険者の基本なのだと彼は認識した。
「――ストップ。ゴブリンの痕跡がある。近くに空洞か、開けた場所があるはずだ」
しゃがみ込んだイリスの指さす先には、人間の子どもぐらいの歪な足跡が複数残っている。そして近くの雑草はところどころと踏まれたような跡があるが、リアムでは気が付かないほど僅かなものだった。
「ゴブリン……?」
しかし、リアムはそもそもゴブリンを知らない。人の世界を知らなかったのだから、魔物の名前を知っているはずもない。
「…………狡猾な魔物だ。子どもの背丈しか無いが、武器を振い簡易な罠を仕掛ける知能を持つ、森や洞窟に多く生息している魔物の一種だ」
「なるほど」
「探知しよう。先手を取って倒す……〈探し、感じる〉」
イリスが腰の雑嚢からコンパスらしく道具を取り出すと、魔法を唱えた。コンパスの針は半分しかないが、それがグルグル回転すると、やがてピタッと停止する。ちょうど、二人が進もうとした先である。
リアムは初めて見る人の魔法に興味津々だが、イリスはその視線を気にすることなくスリングショットを構えた。
「君も武器を構えるといい」
そう言って小石をあてがうと、見えないはずのゴブリンに向けて攻撃した。パシッと小石は勢いよく飛び、遠くでナニカに当たる音がした。
「まず一つ。私は地上の三を殺るから、君は枝を伝ってきている一を仕留めろ」
命中を確認してすぐ飛び出したイリスは、リアムにそう伝えると短剣を抜いて三匹のゴブリンの首を刎ねた。
リアムは十手を抜き、上に意識を向ける。
「〈■■■■■■■■〉!」
ゴブリンはすぐにガサガサ音を立てて襲い掛かって来た。リアムは横へ跳躍し、十手の先をついさっきまで自分がいた場所に向ける。
襲い掛かってきたゴブリンは錆びたナイフを手にしていたが、十手の先から伸びる刃に自分から突っ込んでしまったことで、地上に着く時には真っ二つとなっていた。
始めて生き物を殺したことに若干の戸惑いを覚えるリアムだが、これが人の世界で生きることだと無理やり納得させてイリスが駆けていった先に向かう。
「――っと、心配は要らなかったか」
が、同時にイリスが戻ってきたため、危うくぶつかりそうになった。
「ゴブリンのついでに擬態して潜んでいた魔物も仕留めたから、一〇〇ぐらいなら奇襲される心配はないよ。もちろん警戒はするけどね」
イリスの後ろを見ると、木の肌と同じ色の蜘蛛が何体か仕留められていた。この短時間で探し出して倒したのかと、リアムはあまりよく分かっていなかったイリスの強さを実感した。
もしリアムが同じ事をしようとしたならば、最低でも一〇分は掛かるからだ。
「すごいですね」
「だろう? ま、銅等級でも倒せる魔物だから、そこまで難しいわけじゃないんだけどね。あと敬語もいいよ。自然体じゃないし、一々他人を気にするのも面倒だろう?」
「……分かった」
まだ二人は知り合ったばかりだが、イリスの勘の良さや観察眼、判断力はリアムを驚かせ続ける。
『■■■■■■■■■■■■■■……』
『■■■■■■■■■……』
「『■■■■■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■』」
妖精の二人が拗ねてしまうため、あまり不機嫌にならないようリアムが宥めたりしながらも、一行は順調に探索を続けた。
魔物に襲われることが多々あったが、その全てにイリスが事前に気付いて先制したため、リアムは殆ど苦労しなかった。魔法を使ったのも最初の一戦だけで、戦闘というより講義のようだった。
そして、昼になる。