ブロンズとシルバー
「いえ、お断りします」
「いやいや、それはないだろう」
リアムは即答だった。
「銀等級の先輩だよ? 君にとっても、この依頼はいい経験になるんじゃないかい?」
「……胡散臭いので」
「ひっどいな君は。冒険者とはいえ初対面の女性だぞ?」
対して女性は、冗談を言われた時のように平然としている。こうなること自体は予想していたらしい。
「……場所を変えよう。ここで続けるのは迷惑だからね」
ちらっと彼女の背後を見れば、イライラした顔の冒険者が複数名確認できる。確かにこの場では迷惑になるなとリアムも感じ、依頼書を持って二階へ上がっていく彼女を追う。
彼女と組むことを了承したわけではないが、依頼自体には興味があるからだ。興味が無ければこのまま別の依頼を受けて退散していただろう。
「まずは自己紹介からしよう。私は……そうだな、イリスと呼んでくれ。等級は見ての通り銀等級だ。――本当は神銀等級ということは内緒だぞ」
「そうですか分かりませんみなさ――」
「内緒だと言っただろう……!」
「分かりましたとは言ってないので」
「くそう、確かにその通りだ……いやこんなコントをするために場所を移したわけじゃないんだよ。話を戻そうか」
冗談とはいえ、バラそうとした途端慌てて口を塞いできた様子から、何かわけがあるのだろうとリアムは察する。でなければ、最高位の冒険者の証である神銀等級が、偽名と偽物の証を使って辺境に来るはずが無いからだ。
リチャードに教えられた常識の一つに、神銀等級がある。権力と貴族を名乗る権利を与えられ、国に属することを強要される冒険者の等級だ。中には鬱陶しいと突っぱねる者もいるが、大抵の神銀等級は国の貴族になる道を選ぶ。
さて、そんな貴族様が偽名と偽物の証を持って辺境にいる理由は? と考えるリアム。――どう考えても面倒ごとになるなんて思ってはいけない。たとえ事実だとしても。
「……二ヶ月前の話だ。王城に勤める考古学者が一冊の古文書を解読した。そこには」
「帰っても「待ちたまえ!」……」
イリスはどうやら、すでにリアムを帰す気はないらしい。何が何でも関わらせてやるという気迫が伝わってくる。リアムはどうすればこの場から逃げられるのだろうと考えるが、素直に着席している時点で逃げ道など無い。
「……そこには、とある場所に隠された遺跡に関係する話があってね。誰を向かわせるかで貴族達は揉めたんだよ。自分の派閥で独占したい、しかし自分が行くのは面倒だと。無論そんな本音は隠していたがね」
イリスは道化話でも語るように戯けているが、その内容は面白くもなんともないドロドロの政治話だ。人の世界に疎いリアムでも聞いたらマズいのではと察するほどの。
そして彼女は続ける。リンフォード王国の貴族の内情を……いっそ成り上がりを向かわせて手柄を奪えばいいという浅はかな考えを抱いた諸侯達の思惑を。
「しかし、いくらなんでも人手が足りなくてね。鉄等級以下でかつ有能な冒険者を探す手段として、少しズルさせて貰ったんだよ」
先程の依頼書を取り出し、二人が対面しているテーブルの上に載せる。リアムはそれに何の意味が……と思ったが、自身の眼に魔力を集めるとあることに気付く。高位ではないがそこそこ効果のある認識阻害の魔法の残滓が残っているのだ。
魔法に長けた者が気付くまで誰の視界にも写らない魔法だ。不可視化の魔法と言ってもいい。魔法そのものは知り合いの魔法使いに頼んで掛けてもらったらしいが……
「で、本題だけど……私と組まないかい?」
最初と同じ問い。しかし、これを断ることはリアムには出来ない。木っ端とは言え貴族は貴族。そのお願いは命令と同義なのだ。
熟考し、答えが出ない問題にリアムはついに諦める。だが返答をする前に、自分を選んだ理由を訊くことにした。魔法を見破るだけなら自分以外にも出来るだろうと。
「……返答の前に伺います。何故私を選んだのですか? 心得がある者ならばあの程度の魔法は看破できますし、等級だって昨日登録したばかりの銅等級です。常識にも疎いですし――」
「なるほど。君の考えはよく分かった。君はつまり、自分が大したことないと思っているわけだ」
呆れたように溜息をつくイリスに、リアムはその通りだと頷く。
「………………はあ。いいかい? 君は自分を普通か、もしくはそれ以下だと思っているようだが断じて違う。人には扱えないはずの魔法……妖精が使う幻想魔法を使い、人の身では有り得ないほどの神秘を宿す君は、間違いなく普通とはかけ離れた天才だよ。時代が時代なら英雄と呼ばれるほどのね」
「……でも、」
「どうしても他の理由が欲しいのなら、あと二つ付け加えよう。一つは君の後ろで私を睨んでいる可愛らしい妖精達だ」
指を立てて妖精達と口にしたイリスは、その目線をリアムから後ろ――リギルとルーへと向けた。纏う神秘を薄めていない妖精の姿を認識出来る彼女に、リアムは内心冷や汗をかき始める。妖精を認識出来るのは魔法使いだけと思っていたから。
そして、リギルとルーも認識出来ていたとは思っていなかったらしく、二人してリアムの背に隠れた。
「そしてもう一つは、他の貴族への言い訳として使いやすい銅等級……切り捨てられる新人だから」
二本目の指が立てられた時、凄まじい悪寒がリアムを襲った。
それは恐怖だ。目の前の女性から放たれる、殺すという意思に対する肉体の反応。脅しだと分かっていても抗えない圧がそこにあった。
……納得する。たしかに自分を選んだ理由としては妥当だと。リアムという冒険者は人手として使いやすく、いざとなればすぐに切り捨てられる立場にある。ただ思うだけで死の恐怖を与えられるのなら、たしかに新人冒険者ほど使いやすい駒はないだろう。
誰しもが当たり前に持つ恐怖への反応を、リアムという少年も持ち合わせていることを確認したイリスは、リアムへと向けた圧を消してから依頼書を懐にしまい、椅子から立ち上がる。
「切り捨てる云々は貴族への言い訳だから、実際のする気は毛頭無いよ。ただ、そうゆうことも出来るというアピールさ」
そう笑うと、彼女は明日の朝出発だとリアムに告げる。リアムはこの依頼を断らないと見抜いたらしく、銀貨一枚をテーブルに残して去って行く。これで支度をしろということか。
「――ああそうそう、最後に一つアドバイスだ。魔力隠蔽を覚えるといい。君ほどの神秘の持ち主なら、同格の魔法使いすら欺けるだろうからね」
方法まで教えないのはリアムへの期待か、それともただの気まぐれか。
今度こそ階段を降りて去って行く彼女の後ろ姿を、リアムは追えないでいた。
「つっっっっっっかれた……」
その日の夜。宿に戻ったリアムは倒れるようにベッドに入った。
渡された一枚の銀貨で支度は整えたが、やはり始めて目の当たりにした死の恐怖は途轍もない疲労感をもたらしていた。
「(……実際に殺されるような場面じゃなかっただけマシかな)」
リアムは知らぬ事だが、新人冒険者の死因の多くは死の恐怖にある。獲物を手にして舞い上がった少年らは、自分が最強だという錯覚に陥ってしまう。そして魔物と戦ったとき、死という恐怖の前に動けなくなり……残酷に食い殺されるのだ。
事前連絡が無いまま一ヶ月、もしくは依頼を受けてから三ヶ月音信不通になった冒険者が死亡扱いされるのも、死を身近に抱える仕事だからなのである。それを理解せずに死んでいく新人は数え切れない。
リアムはイリスに助けられたのだ。事前に死の恐怖を叩き込まれ、実際に目の当たりにしても動けるように。
『「……リアムは私達が守るわ。だから、いざという時は母様の教えを破ってでも力を使ってね」』
「……うん、ありがとうリギル。そしてルー」
自分がどうするべきか、これからどうすればいいか、リアムにはまだ分からない。けれど、道を示してくれる者がいる。守ってくれる友人もいる。
リアムが憧れた人の世界は、彼が思っていた以上に残酷で無慈悲だったが……それのお陰で目指すべき目標も出来たのも事実。イリスのような強い人間になるためにも、リアムはまず寝ることにした。