第9話 苦行、難行有りといえど その1
第9話
苦行、難行有りといえど その1
客僧の説法士は人懐っこい顔で庫裏に現れた。
俺はその場の雰囲気からみて当然の如く遠慮して退席しようとし
たが、
「シュウさん、あんたも聞かなあかん、一緒に座っとりなさい。」
説法士からそう言われたので、一応住職を見ると、頷いている。
興味が無いとは言えなかったが、出来るだけしかたなく同席する様
な態度で、ギャラリーとして加わった形となった。
優しい声で説法士はその女に語りかけた。
「どうなされた?・・・・思いの丈をお話なさい。」
「わ、わたし、このままでは、家族三人をこの手で殺すところでした、
でも業罪を犯すよりは、もう・・・・死のう思たんです。
毎日いつまで続くのかわからない地獄の日々、生きて行く事に疲れ果てま
した。
僅かな友人は私の境遇を見て、(家族や財産全て捨てて出直せ)と言いま
した。
集落の周りの人たちもが言いました、(あんたまだ若いんやから、離縁せ
ー、そのほうがええやろ。)と・・・。
迷いはじめました、迷ったんです。突き詰めて行くうちにどうしようもな
くなりました。頭の中には” 死のう ”” 死のう ”という言葉で一杯に
なってしもて、・・・・・・・
その時です、家を訪ねてくれた門徒の支部長さんからこちらの報恩講の話
を聞きました。(高名なお坊様が来るから相談してみたらどうか)と言わ
れ、何とか時間を取って駆けつけたんです、寝たきりの三人から与えられ
た半日の時間、お昼から報恩講が始まるのはわかっとたんやけど、車はな
いし、家を出たのが2時すぎてもうて、バスは5時まで来んいうし、歩い
て辿りついたときにはもう、報恩講は終わってしもて・・・・
う、うううう・・・。」
その女は、嗚咽交じりにやっとのことで話し始めた。
「たしかあんたの家は那谷の奥のほうやろ、そいたら歩いて3時間
はかかるな、しんどかったやろ・・・よう来んなさった、時間はあるさか
い、ゆっくりでええからなるべく詳しくお話しなさい。
でもその前に・・・・・・、あんたよう飛び込まんかったな、踏みとどま
ってくれて、ありがとうな・・・・。」
「???」
説法士の( よう飛び込まんかったな )の言葉にその女は一瞬驚き
の表情となった、今日の投身自殺の失敗を鋭く見抜かれたことに、一重瞼
の虚ろな瞳が一瞬大きく見開かれた。
と次の瞬間、
「ウ、ウ、ウ、ウワーーン!」
勢いその女は畳に突っ伏して号泣しはじめた。
中年の女性がまるで子供のように泣きじゃくっている。
女性といえども、大人が衆人構わず大泣きをしているのを初めて見た。
「うん、うん、えらかったな、しんどかったな〜、怖かったんやろ、もう
大丈夫や、大丈夫や。」
「深刻な内容やさかいな、悪い思たけど、面会の前に”谷口”さんに連絡
取ったんや、ここまで来て私等に嘘つかんでもええよ、あんた朝10時頃
には家出た、言う話しやったで、バス乗り換えて三国の" 東尋坊 "に行
ったんと違うか? それこそ一人ぽっちで長い長い時間、崖の上で考えと
ったんちがうか?寒さと怖さで震えとったんやろ?。
可哀相に、可哀相に・・・・・・・。
ほのかにや、潮の香りがまだあんたから匂うとるんや・・・。
なんぼなんでも" 那谷 "からここまで8時間はかからんからの、でもええか、
よう聞きや、あんたが死ねなかったんやのうて、あんたの体を飛び込まん
ように阿弥陀さまが見えない手でしっかりと捕まとってくれてたんやで、
今日この寺へ" 来た "のはそういう" ご縁 "があったんや、そやけど、えら
い怖かったやろ・・・・・、飛ばんでよかった、よかった。」
その女はひとしきり泣いていた、それをじっと見守る説法士がいた。
泣き声が次第に小さくなり、それからポツリポツリと身の上を語り始めた。
その人は震える唇を抑える様に必死で語り、時折涙を拭くため頬に伸ばす細
い手先は無残にもひび割れて、アカギレだらけ、指先はことごとくむくみ、
色白であることがより一層とこの人の悲惨さを増しているようでもあり、日
々この女が営んでいるであろう極限的な生活を物語っていた。
名前を山本深雪と名乗った、8年ほど前に富山県西部から
現在居住の農家に嫁いで来たという、実家も農家で双方の父親どうしが知り
合いだったため、一応お見合いをしてから結婚をしたということだった。
26歳で入嫁して8年、34〜5歳にはとても見えないほど老けている、
最初に見たときは40後半から50歳に近い中年女性と思えたほどだ、化粧
っ気もなくおざなりに切りそろえた” ボブ ”スタイルの頭髪は美容院など
で切られたものとは思いがたく、家族介護の合間に自ら散切りし
たものなのだろう。
嫁いで僅か3年も経たない冬に、この人の家族に最初の悲劇が襲った。
それはこの人が抱え込む苦行の序章に過ぎなかった。