第8話 報恩講に遅れた人
第8話
報恩講に遅れた人
正月を前に除夜会が行われた。
寺の人間にとっては年末、年始は休む暇などない。
除夜の鐘を撞きに来る門徒さん達の世話をする。
小さい子供などは親と一緒に担ぎ上げ鐘を打たせる。
”ゴーン”と鳴るたびに門徒客と目を合わせ合掌、何時終わるのか、わかりようも無い。
12時の時報が鳴り終わるや否や、本堂では住職、先輩僧などフルキャストで修正会
の読経がはじまる、まだその列には参加させてはもらえない。
鐘撞きの客がまばらになったところで、坊守さんのお手伝いで、参拝客へのお
茶の給仕接待をする。
炊事場では門徒会の奥様達が湯のみの洗浄を手際よくこなし、慌ただしく夜が明けてゆ
く。
「シュウ君、お正月にも実家に帰れなかったんやね〜、可哀想やね〜、せやけど修行一
年目やからしかたないんや、こらえなあかんで〜。ほれお年玉や。」
そういうと、和服に羽織った割烹着の襟元からポチ袋を取り出し、そっと隠れるように
手渡してくれた。
坊守さんが優しく気遣ってくれたのは、着任以来はじめてのことだった。
「あ、有難うございます。」
「三が日が終わると、少しは時間ができるやろ、でも8日には”大御身”にはじまって
報恩講と続くやろ、せやから4、5、6日と交代で休暇取ることになっとるはずや、
シュウ君も金沢あたりでも遊びにいったらええわ。」
こんなたわいも無い会話さえ一年近く経たないとこの地の人たちは出来ないのだ。
用心深さもあるが、人見知りが強い地方なのだ、なかなか心のうちは見せようと
しない、独特の寒さ、厳しい気候、重たい雪、冬が人を無口にさせているのかもしれない。
1月9日から始まった報恩講、初日、2日目と門徒客は多かったが、1週間の期間中
中だるみがあった、最終日には本山から僧が派遣され説法がある、そのため大勢の参
詣客が寺に集まっていた。
説法は在家信者に対しておもしろ可笑しく仏法を説くもので、どうしても対象者が在家
のため、この日は、はじめから在家要式ですべてが進行する。
開経偈のあと、分類偈、重誓偈、と続き正信偈のあとすぐ説法となった。
説法士の話術は巧みの極致であり、聞く人を笑わせては感動させ、感動から日頃の反省
を促す、下手な噺家などではとても太刀打ちできない素晴らしいものであった。
聞き入る門徒の中には涙を流している人がいた、1人や2人ではない、相当数の門徒衆
が感涙に咽んでいる。
(トメさん、説法もここまでくりゃ一流だぜ、法螺なんて言わせねーよ。)
一時間近く説法は続いただろうか、そのあと7、8人の相談事を受付る、説法士による
仏事相談や、人生相談は評判がよく、懇切丁寧に指導をしている。
悩み事や先祖の供養の方法、結婚希望のことなどを含め、よろず相談所みたいであった。
一通りの相談事が終わった、今日参集した門徒、僧侶入り乱れての”なーも阿弥陀仏”
の大合唱によりすべての予定行事は終わった。
そのあと数時間で、まさか俺の人生の価値観を、大幅に転換させる出会いが待ち受けてい
るとは、夢にも思わなかった。
運命のその人は現れた。
すべて門徒衆が帰り、最後の家族連れを見送ったあと、正門を掃除していた時だった。
目は虚ろで髪の毛には艶も無くザンバラ髪で、着ている物はいかにも粗末で汚れており
最初は乞食かと見間違う程だった。
「あの〜、今日は報恩講・・・・・でしたよね?」
年の頃なら40歳位だろうか?可細くも不安げに質問をしたその女は明らかに
疲れ果てている様だった。
「報恩講は1時間ほど前に終わりましたが。何か?・・・」
その女の” ミテクレ ”から判断して、あまりにもつれなく答えた俺に対し、
恨めしそうな目で一瞥すると、
「今日、昼過ぎに時間を作り、やっとのことで歩いてきました、どうしても話を聞い
て頂きたくて急いだんですが、間に合いませんでした、でも今日は高名なお坊様がお
みえと聞きまして、是が非でもお目通りをお願いしたいんです、相談事があるんです。」
「相談と言われましても、説法士の方はすでにお休みになられてると思いますよ。」
俺は、何とか門前払いをしようとした。
その人は俺の態度をみて、このままでは寺に入れないことを悟り、
「こ、これを・・・」
と言い、何か紙を取り出した、紙と思われた封筒には" 紹介状 "と表書きがされ、裏面
には、東部地区の門徒会支部長、”谷口”の名前が書かれていた。
裏書を見て俺は言葉を失った、”谷口 "といえば門徒会の中でも一番の寄進者である、
いわば当寺の筆頭スポンサーであった。
「こちらへ。」
と言い、慌てて庫裏の上がりガマチに腰掛けさせ、坊守さんを呼んだ。
「シュウ君、その方にお茶をお出ししなさい。」
そう言うと、坊守さんはその女を凝視してからすぐさま住職を呼びに奥に消えた。
女は出された番茶に手も出さず、虚ろな眼差しで” ボー "と何を見ているわけでもなく
ちょこんと座ったままであった。
注視するわけでもなく俺も呆然とその人を見ていたが、腕や肩が微妙に震えている、
冬の寒さも手伝ってはいるのだろうが、何処となくこの人が背負っている”問題 "の大き
さを可細い体躯の震えが物語っていた。
玄関先の天井に敷設されたターミナルのランプが外線電話1番の使用を表示していた。
きっと坊守さんが門徒支部長の" 谷口 "さんにこの人の身元を照会しているのだろ。
「どうなされた?」
奥から住職が出てきて口を開いた。
「あんたの事、谷口さんから" 宜しく "と口伝があったわ、大まかな事は聞いたけんやど
、せっかく説法士が見えとるでの、相談してみるのも良いかもしれん。」
「それでは、、、お会いさせて頂けるのですか?」
「その前に、あんたも大層な覚悟でここまで来たんやろ、相談の前にもう心は決まっとる
ん違うか?、最後の一押しが欲しゅうて、来たのやったらお門違いになるんやで?」
「・・・・・・」
しばらくの沈黙の後、
「和尚さんの言わはる通りだと思います、それではいけないのでしょうか?」
「確信をもって自分で決めている事、何で人の意見が必要なんや?、ここは救われない迷
い人に阿弥陀様が道をお示しになる所や、自分で自分の道がわかった強い人、自力行の人
に、何を相談しなあかんのか?」
「・・・・・・」
またその女はしばらく沈黙し、
「う、うううう〜、」
とうとう嗚咽がはじまった。
「これこれ、泣かんでもよろし、逢わせん事もないが、一つ約束できるか?」
「・・・・・・・・」
「相談して説法士が言い渡したことに従えるか?、それが今あなたが心に抱いている事に
同じでも、違っていても、信じて進んでいけるのか?まったく正反対のことになるやもし
れんで?」
「・・・・・・」
「どないやねん?黙っとったらわからんがね。」
またしばらくの沈黙の後、女は覚悟を決めたような顔つきとなり、
「お、おまかせします。助けてください・・・・。」
と言った。
「シュウ、客僧を呼んできなさい、そのままの着衣で構わないと言って・・・。」