第6話 専 修 ” せんじゅ ”
第6話
専 修 ”せんじゅ”
その日、朝の勤行が終わり、仕事として与えられていた過去帖の整理をしていると
住職から呼ばれた。
急いで庫裏へ顔をだすと床の間を背に住職が座っていた。
こっちに来て、最初の入堂の際、親父から言われたとおりの正式な挨拶して以来、
住職とは久しぶりの直対面となった。
勿論すごく緊張している自分がいる。
「そこへ座りんさい。」
座卓の向こうから住職はそう言うと、まっすぐ対面する場所を促した。
何事か?と思い、神妙な面持ちとなり住職を直視した。
「半年過ぎたか?・ ・ ・、北陸はどんなもんや?・ ・ ・。」
「はぁ、はい。」
「帰りとうはないか?・ ・ ・ 、こんな生活、厭でたまらんのん違うか?」
「・ ・ ・ ・なんとか大丈夫です。」
「寺に来て、何ぞわかったか?、少しは”己”が見えたか?」
「は〜、己が見えるなどというまでにはとても至ってはいませんが、すごく親に
甘えていた事だけわかりました、それにしても”きつい”生活です。」
「きつい生活か?人間、生まれて来た時から”苦”が始まるんや、その一つの例
として”背負うもの””身に着けてしまうもの”がどんどんと増えよって、得た
もんによって、かえってがんじ絡めになっとるもんや。わかりんさるか?」
「ん〜、・ ・ ・ ・。」
「今ひとつ”ピン”と来ん見たいやな、あんな、シュウ君、例えばや、便利なも
のや楽しい道具などに、本当に必要なものは有るか?少し考えてみー。」
「(人間生きて行くことに本当に必要なもの)という意味ですか?」
「そーや。現代社会は生活に便利な道具、品物は溢れているやろ、でもそんな物、
無くても生きていけるんとちゃうか?いたずらに禁欲を押し付けているわけやあ
れへん、ただな、修行として”秀道君”がわざわざ君をここに寄越した理由、わ
しにはわかる。
本来京都の本山に行って1年そこらで”教師資格”を取って”僧”となる道もある、
この宗派は小学生ですら”得度”を与えるので有名や。
せやけどな、君の父親はあえて君をここに送り込んだ、”出家”するゆー事、僧に
なることがどないな事かわかって欲しいんやろ、君にとってはここでの事は人生で
大変貴重な時間と成る筈や、そこでまず本当に必要なもの、いらない物を見分ける
”眼”を持ちなさい、
それが”僧”としての第一歩と成るんや、”専修”すると言う事、なにも念仏だけ
やないんや。」
「専修ですか?・・・」
住職のこの話、抽象的な表現でよくわからなかった。
わからない事は聞いてみるのが一番と思い、
「具体的にどうすればいいのですか?専修とはどういうことですか?」
「わからんか?」
「は、はい、今一おっしゃる事がわかりません。」
「ほな、一つだけ教えたる、” 専修 "つまり”修 ”することに専念することや、
心の中にも外にも君は持ち物が多すぎる、捨てることから始めなさい、何かを得た
い思って修行をしてはあきません、得るものは自然と得られるもんや、いろいろ捨
てる事によって初めて”得られるもの”に気がついてほしいんや、せやさかいまず
は携帯電話を捨てなさい、その後はいろいろ自分で考えなさい。取捨選択、選択
(せんじゃく)本願あるのみ。」
言われた瞬間(ギクッ!)とした、この辺境の地でも唯一、俗世間の東京と繋が
っていた心の拠り所を否定された。
「あ、あの〜・・・それはちょっと無理かもしれませ・・・ん」
「心外かの〜?せやかてそれさえも出来んようならば、今すぐ荷物を抱えて帰
京せないかんの〜、シュウ君にはその方が”ええがいね〜”、・・・・話は終わりや。」
「あの、携帯電話を捨てなければ、” 帰れ ”ということですか?」
「ほーや、そんな”いじっかしい”もんいつまで使ことる、今の君には必要ないんや。」
あっさりと結論らしい返事をして、住職は先に庫裏を出て行った。
最後に付け加えられた ” ええがいねー ”というフレーズに携帯電話に固執した
俺に対する軽蔑の意味が籠められているようだった。
毎晩、アパートで寝る時間も惜しんでメールをしていた事が見透かされていたのだろ
うか?
よくよく考えてみると、ここの家賃、生活費はすべて親から仕送りされていた、携帯
の通話費用とて、親の口座から引き落とされていた。
親がいなけりゃ修行さえできない自分がいた。
季節は冬本番になりつつあった、チラチラと落ちる雪に心の中まで冷え込んできた。