第3話 北陸の地
第3話
北陸の地
帰宅してすぐ親父のいる寺務所兼居間に行った。
親父は檀家の法事スケジュールを忙しそうに見ながら
別段、顔を上げることなく俺と会話をしている。
「あ〜、法螺吹きトメさんか〜、まだやってるのか?」
「親父、知ってるの? トメさんを。」
「シュウ、町じゃ有名人だぞ、それにうちの檀家でもあるんだ。」
「 ヘエー?!?!」
「親父の事、法螺吹きだって言ってたぜ、あんな事言わせといていいのかよ。」
「あっははは、それか〜、別に悪気があっていってる訳でもないんだよ、
それに”ひとかど”の人物でもある。」
「人物?」
「あの人は一人暮らしで身寄りもないし、淋しいんじゃないかな?」
「俺が法螺話立ち聞きしたら、300円払えって、どうしたらいい?」
「あっははははは、300円か? はははははっ。」
親父は金額を聞いて笑い出した。
「なんだよ、親父、なにがそんなに可笑しいんだ!。」
「トメさんは”人”を見て金額を決めてるのさ、5000円って云われた人もいる、
お前は、300円か?、あっはははは。」
「なんだよそれ!!」
「いいから払ってやれよ、300円。一応値段がついたんだから。」
「なんで、払わなくちゃいけないんだよ、あんなババアに。」
「金欲しくって云ってる訳じゃないんだよあの人は、きっかけさ、きっかけ。
お前ともっと話がしたいのさ、若しかしたらお前に何か見えたのかもしれないぞ。」
「どう見ても俺には”物乞い”のようにしか見えなかったけど・・・・・・。」
「葛飾区じゃ高額納税者だよ、あの人。」
「エッ?!」
「いいから、明日にでも300円払ってみろ。」
親父はそのあと黙り込み、スケジュールに掛かりきりになっていた。」
北陸の朝は早い、怠惰な高校生活からあまりの変わりように戸惑っていた。
AM3時半起床、昨晩仕込んでおいた簡単な朝食を摂り洗面後、寺へと通勤する。
寺は歩いて15分程度の場所にある。
一時間程度の掃除(作務)や境内の手入れをし、5時からの勤行に座る。
修行僧といっても見習いであり、会社で言えば試採用のアルバイト社員なのだ。
無論、袈裟などは着させてもらえない、与えられている作務衣数着の中から
季節に合った物を身に付け末席に正座する。
ボロボロの経本を数冊を渡されただけで、あとは何も教えてはもらえない。
磬子が”カーン”となったあと、開経偈から入るとこまでは理解が出来た。
そのあとはその日によって読経がそれぞれであり、経本を慌ててめくり捜す。
”詠みかた”も”作法”も教えてくれるわけではない。
すべて、自分で見よう見まねで憶えるのだ。
こっちに着いた日に住職から言われていた。
「”俗”をはなれ”得度”に望まんとする者、その覚悟をもって、習得せよ。
教えて貰わんと欲すれば”甘さ”がいでる、こころの底から
真に”要”と感ずれば己が眼は開き、己が耳も澄み渡る。
この僅かなる”修”さえ叶わぬのであれば”僧”となるにあたわず。
真の努力は”信”に通じ”信”なくば”心”なし。
出来ぬ者、在家にありて念仏すべし。
南無阿弥陀仏。」
東京を離れる前に親父から言われた言葉が頭をよぎった。
「今のお前には難しいかも知れないが、
修行はな、教えて貰うんではないんだよ、
自分に必要なものを自分で見つけ習得することなんだ、
教えられた”学び”などはすぐに忘れる、
自ら覚ったものは”自分のもの”になるんだ。
だからいくらやっても”この道”が自分の道でなければ
別の生き方を捜さなければならない。
そういう”分かれ道”に常に自分がいることを意識して
臨みなさい、駄目であれば自分で見切りをつけて帰京
しなさい、”仏縁”がなかったということだから。」
意地もあり続けている、睡魔に打ち勝つことが当面の”行”といえた。
ただ漠然と”僧”というものの存在とは何なのか?疑問が消えていない。
現代では”職業”として認知されてはいるが、それだけで良いのだろうか?
見えない先行きに期待よりも、不安が大きく前途に立ちはだかっていた。
5月半ばでも北国の朝は寒い。
正行、壱行、弐行、と”ナモアミダブツ”のリフレイン。
毎日、毎日、”ナモアミダブツ”のリフレイン。
でもまだこっちに来て一ヶ月程度しか経っていない。
うろ覚えの”正信偈”。
読俑中にもなぜか”トメさん”の顔が浮かんだ。
「シュウ、お前もそのうち立派な”法螺吹き”さ。」
と、卒業前の秋の公園で云われた言葉が耳に残っている。
法螺吹きの修行にしては大変だぜ、トメさん。