第15話 未 遂
第15話
未 遂
ひと月ほど悩んでいた、当然である、深雪にとってのん子の夫の提案は魅力的
であり、だが一方で見方を変えるとひどく残酷な仕打ちにも他ならない。
ただ今の生活を続けていてもなんら打開策は見つからないだろう。
いづれ深雪自身も過労で倒れるのは目に見えている。
ここらでケジメをつけなくてはならないのだろうか?
深雪は散々悩んだ挙句、寝たきりの3人に一人一人この制度のことを話した。
無論、答えを期待していたわけではない、すでに死人と同様の義母、義父は
返答など出来ようはずもなかったが、誠一の反応だけが気に掛かった。
寝たきりの3人に話すということは、心が半分決まりかけていることを、
深雪自身おぼろげながら認識し始めていた。
「この人たちを捨てるのだ・・・・」
最後まで尽くさな無ければならない、という”善”なる思い込み、
ここまで奉仕したのだからもう勘弁して欲しい、という誘惑という”悪”。
深雪の中での葛藤は際限なく繰り返す。
でも何が”善”で、何が”悪”なのかさえ突詰めるとわからなくなってきていた。
順番として最後の誠一の枕元で必死に震える声を抑えながら話し始めた。
「誠一さん、ごめんね、私、もう疲れちゃった・・・・ごめんね。」
涙声でなかなか話が進まない。
「あのね・・・友達の紀子がね・・・」
「あーあー!!」
突然誠一が呻いた。
呻きながら誠一は、何とか頭をゆするようにして頷いているようにも見えた。
よく見ると誠一の目にも涙があふれていた。
表情を作ることさえ困難な不具者の涙。
その変えようにも繕うことさえできない切ない顔。
誠一の顔からは、深雪に何かを伝えようとする万感の思いが読んで取れた。
「あなた・・・、ごめんなさい、許してください。」
きっと、紀子たちが訪問してきた時、寝たきりの耳で話を聞いていたのだろう。
「こ、 コ ロ シ テ ク デ・・・」
誠一の口からやっとの思いで吐き出された返答は「殺してくれ」の一言だった。
「あなた!!何言ってんの?!」
誠一がまた口を動かした。
「ミ、ミユキサン! オ、オ ネ ガ イ デ ス、 コ ロ シ テ ク ダ サ イ・・・」
自分の女房にさえ”サン”付けする夫がいた。
そうなのだ、一番申し訳なく思っていた人はこの人なのだ。
寝たきりの”穀潰し”をいやおうなく続けなければならない病人。
その気持ちさえ理解しようとしていなかった自分自身に気がついた。
これ以上の快方の見込みは無く、その寿命が尽きるまで生ける屍として寝ていなければ
ならない”糞袋”の気持ち・・・。
一番辛かったのは私ではなくこの人だったのだ。
涙ながらに自身の殺人を懇願する”夫”。
その切なくもやりきれない”願い”に深雪はある種の思いがよぎった。
「殺してしまえば楽になる、逃げるより自信でこの家族にケジメをつけるのだ。」
「殺してから私も死のう。」
「そうだ、それが一番良い、、、3人を打ち捨てて離縁して後ろ指を差されるより、
すべてが無くなれば・・・・」
「生きながら後悔の念に苛まれ続けるより、わたしも死んでしまえばなにも無くなる。」
人間、極限の状態が続くと誰しも”狂気”となる。
このとき極限の極限が深雪を狂気の修羅と化した。
今の深雪には前後の見境どころか、すでに同続殺人という犯罪さえそれほど悪いことに
は思えなくなっていた。
深雪は無意識のうちに誠一の首に両手を回し絞めはじめていた。
懇親の力を込め、動かぬ良人の首を締め上げる。
妻に首を絞められた誠一は、表情を帰ることが出来ないにも関らず、嬉しそうにも、
満足そうにも見える。
「私もすぐ逝きますから・・・少し我慢してください。」
「少しだけ苦しいけど、すぐ楽になりますから・・・」
こんな言い訳の反芻が心の中で舞い踊り、一首の恍惚感に浸っている深雪がいた。
誠一の修羅三日月の如きやせ細った体躯は、酸欠から微妙に反りかえり痙攣が始ま
ろうとしていた。
「ゲホッ!ゲホッゲホッ!」
誠一は断末魔に咽頭を詰まらせて大きく咽返った。
はっ!として深雪は我に帰った。
「うそ!わたし、、、なんてことを・・・いや~!!うあわ~!!!!!」
幸い、今の深雪の腕力ではとうてい絞殺を完遂するには充分とはいかなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい。うあわ~!」
泣き声とともに懺悔する深雪の怒号が家中に響いた。
それは、完遂出来なかった自身の弱さを罵ったものなのか、危うく無抵抗の夫を殺してし
まう犯罪への反省なのか区別はつきようもない。
「一人の女として人の道を歩きんさい。」
といった結婚前に贈られた母親の言葉が思い起こされた。
「お母さん、お父さん、ごめんなさい、わ、わたし弱いんです。」
「犯罪者の親にしてしまうところでした・・・。」
この時の深雪の懺悔は、この夜の殺人未遂を契機に深雪の取りまく身内に、そして深雪
自身の生き様への”懺悔”となっていた。
幾ら悔いても深雪の置かれたこの環境には、何の変化をもたらすものでないことだけは
事実だった。
どうすればいいのか?もう深雪自身では判断がつかなくなりつつあった。
深雪は”フッ”っと頭を持ち上げ周りを見渡した。
なぜか今の行為を誰かに見られていたような気がしたからだった。
田舎の一軒家の夜半、当然訪れる人などはいない。
だが深雪を見ていたものがいた。
この家の宗旨本尊である阿弥陀如来が仏壇の中にひっそりと立っていたのだ。
大きな大きな加賀仏壇。
仏壇にはいろいろあるが、この地方はとりわけ大きい。
独特の仏壇は先祖より信心深かった家系の象徴だろう。
その阿弥陀如来の立像に深雪は見られていたのだ。
「阿弥陀様、わたしはどうすればいいのですか?」
信心深い訳ではなかった、いつもはおざなりに手を合わせていた深雪が、初
めて真剣に仏壇に手をあわせたといってもいい。
夫を殺そうとした女、人に手を掛ける極悪人にすがれるものはもう信仰しかな
いのか?
深雪は日常の業務として蝋燭に灯りをともし、時々には花を替える程度で信仰
というより習慣として行っていた"お参り”。
無論、阿弥陀如来が何を言ってくれるわけではない、無信心の代償なのか?
仏像などただの”こころの寄り代”であり人造物、人がつくった製品なのだ。
ただ深雪は阿弥陀如来を見つめている内に、一つの考えが浮かんできた。
「そうや、最後の最後は門徒支部長の谷口さんに決めてもらおう。」
「人迷惑な話やけど、信仰に厚い人、門徒衆の中では人格者や、きっと何か
答えが有るかもしれん、谷口さんが決めてくれるんやったら誰も文句ない。」
こんな驕りにも似た考えに深雪は支配され時間は過ぎていった。
数週間の時を経て、深雪は門徒支部長の谷口に連絡をとった。
「最後に相談として谷口さんと話をした、言うわけか?」
説法士は少し考え込むような顔になったのも束の間、
「あかん、それはあかん!」
自信に満ちた顔となり、深雪に向かい言い放った。
「絶対にあかん!何考えとんや!あんた今すぐ家に戻りなさい。」
同情してくれるのかと半分期待していた深雪の耳には、にべも無く冷たくも
厳しい説法師の言葉が返ってきた。
深雪は一瞬”ポカン”としていたが顔には失意が色濃く現れてきた。
茫然自失する深雪にゆっくりと説法士は話し掛け始めた。