第12話 行けど野山の屍の如く
第12話
行けど野山の屍が如く
地獄の生活は3年ほど続いていた。
絶望していた誠一の容態に変化が現れてきた。
片言ながら言葉を発せるようになってきたのだ。
それと同時に、若干ではあるが表情にも変化を出せるようになった。
「ああ、、う・・」
とだけ唸るような言葉で、誠一は感情の表現や要求をなんとか示すようだった。
半年も経つとまた少し変化が見られた。
深雪が耳を近づけてよく聞くと、徐々にではあるがしどろもどろにも単語に近
い言葉を喋るようになっていた。
季節は晩夏、この地方の農繁期を迎えていた。
その日も早朝から義一と田んぼへ向かった、通常四、五人で2日間で終わる作
業も、女手と老人のふたりでの作業は熾烈を極めた。
折からの猛暑、夏の直射日光はいやおう無く2人に降り注がれている
天気予報は台風の接近を告げていた、上陸の恐れがあればにより早めに刈り取
らないと、稲がなぎ倒される事は目に見えている、近隣の農家も人手不足によ
り必死で我田の刈り入れに忙殺されて、他家への手伝いなどとても期待できな
かった。
昼過ぎに義一を田に残し、深雪は家で寝たきりの2人の面倒を見に帰った。
一通り昼の介護を終わらせ田んぼに戻ると、義一がいない。
「お父さ〜ん ! どちらですか?」
叫べど返答がない。
いやな予感がした、田をそのままにしてサボるような人ではないのだ。
「お父さん!! 何処ですか?」
必死で声を出し叫ぶが返答は皆無だった。
よーく田んぼを見回すと、右の畔近くの稲が不自然になぎ倒されている。
畔を走りその場所へ急いだ。
義一が倒れていた。
「グオー、グオー。」
顔を半分近く田んぼに沈めてはいたが、運良く水面から突出させた口と鼻
で大きな鼾をかいている。
深雪は倒れている義一の姿に愕然となりながらも、咄嗟にその大鼾の意味
を悟った。
「脳卒中。」
深雪は叫んだ。
「キャー、誰か、誰か助けて〜!!!。」
ここいらの水田に深雪の悲鳴が響き渡った。
救急車が呼ばれ水田から引き上げられた義一は命こそ取りとめはしたが、
家で寝たきりの2人同様、" 肉塊 "と化した。
過酷な労働や介護が、この老人の体力を奪っていった。
精神的な責任感が、とことん寡黙な老人を追い詰めていた。
肉体は精神力から要求される激務に耐え切れなかったのだ。
とうとう壊れてしまった。
病院から1ヵ月後戻った義一は体重が38キロしかなかった。
意識は戻らず、医師の診断では
「意識はいつ戻るかわかりません、戻らないかもしれません。
これからは自身で嚥下出来ませんから、当面点滴で
繋いでの栄養補給が必要です。」
「器具は貸与いたします、ひと月分の輸液を処方しておきます、
毎月なくなる前にまた当院の薬局で購入してください、保険はき
きますが老人健康保険の実費分の1割は当然掛かってきます。大
変とは思いますが、頑張ってください。」
深雪は、医師のこんな説明さえ耳に入らなかった。
「とうとう私一人になっちゃった。」
涙は出てこなかった、呆然と虚空を睨み呪いの言葉が口をついた。
「神様っているの?いるんだったら今すぐ私を殺してよ。」
「それも出来ないんだったら、神様、あんたが死んでよ、消えろよ。」
家には3つの " 糞袋 "と荒れ放題の農地、ぼろぼろの三十路女が
残った。
かろうじて息をしている3つの " 屍 ”とその横に寄り添う絶望者。
夢も希望も金も無く、寝る暇さえない生活が続こうとしていた。