行き先は斜め上
以前書いた小説『現実は斜め上』(https://ncode.syosetu.com/n5469gs/)の続編ですが、この話だけでも読めるようになっています。
評価、ブックマークありがとうございます!
3/5日間異世界転生/転移ランキング(恋愛)3位をいただきました。ありがとうございます!震えております((( ;゜Д゜)))
私には前世の記憶がある。
そしてここは前世で遊んでいた乙女ゲームの世界で、私はそのゲームの悪役公爵令嬢、ダリア・リベルバーに転生してしまい、卒業パーティーで婚約者である第一王子から婚約破棄を告げられた。
なんてことがあってから早一年と数ヶ月。
私は今、リベルバー公爵領の一つ、ムーワイという田舎町で領主代行の手伝いとして働いている。
リベルバー公爵家の持つ領地はいくつか飛び地になっている土地があり、ここはその一つ。すべての領地を公爵であるお父様が管理するのも難しいため、そういうところは領主代行に管理を任せている。
現在は領主代行が管理をしている領主館の一室に住み、第一王子の婚約者時代に着ていた飾りの多い豪華なドレスではなく上質ではあるけどシンプルで控えめな色のドレスを着て日々仕事に励んでいる。
将来的には女子爵となり、この町を領地として与えられることを目指している。目指さなければいけなくなった、というのが本当のところだが別に不満はない。
理由。あの第一王子の婚約者という重荷から解放され自由になったから。
自由。本当に自由。
王子妃教育からも解放されたし、腹の読みあいの社交界に出る必要もない。私付きの侍女は公爵家から連れてきたマリーだけなので、さほど人目を感じることなく仕事以外の時間はかなり自由気ままに過ごしている。
…貴族令嬢としての婚期は完全に逃してしまっているけど、それは考えないことにする。
いいのよ! 爵位持ちの女性の中には生涯独身貫いている人もいるんだから!
まぁ、なんだ。つまり、充実していた。
田舎町だが閉鎖的ではなく、気もよければノリもいい住人たちに囲まれて、仕事にも町にも慣れてきて、これからの自分が生きていく道を造り上げていく今の生活がとても充実していた。
だからこそ、今、この状況には嫌な予感しかしない!
「お久しぶりでごさいます。エリオット第二王子殿下。知らせを頂いてからこの短期間で遠路遥々御越しいただき、身に余る光栄でございます」
相手が相手なので私は最上の礼をとって挨拶する。
場所は領主館の応接室。さすがに私の生活スペースである私室には招き入れられない。
「ダリア義姉上…じゃなかった、ダリア嬢。そういうのいいから、いつも通りにして。あと突然来るんじゃねぇっていう心の声が聞こえた」
「あらあら嫌ですわ、うふふふふ」
わざとらしく困った顔をして片手を頬にあてて微笑む私と、そんな私に慣れたようにあからさまなため息をつくエリオット殿下。
エリオット・レイ・エメランド第二王子。
ミルクティー色の髪にチョコレートブラウンの瞳という、王族にしては落ち着いた色合いの少年。
私の元婚約者の腹違いの弟で、現在私達も卒業した学院に通っている。
柔和な顔立ちで人当りも良く、小さい頃から第一王子の婚約者として王城に通っていた私とは幼馴染みであり、私を義姉と呼んでくれた気心知れた仲でもある。
私と殿下をポカンと見つめるマリーに気付いて、殿下が気安く声をかけた。
侍女であるマリーは、今日は子爵令嬢としてこの場に同席するよう求められていた。
「はじめまして、マリー嬢」
「はっ、はじめまして!マリー・モルトと申します。御目にかかれて光栄でございます!」
「うん、ありがとう。でも今は非公式の場だし、僕もお忍びで来てるから楽にしていいよ」
「大丈夫よマリー、そんなに緊張しなくても。あれとは違うから」
「あれが何を指すかは訊かないでおくよ。あー、兄が迷惑をかけてスミマセン」
「とんでもないですっ!」
かなり軽い言葉ではあるが王族から直接謝罪されたことに恐縮するマリーの代わりに、私は何も応えずにニコニコ笑っていた。
エリオット殿下を責めるつもりはないが、本当に迷惑をかけられたのだ。この方の兄には。
バーナード・カーク・エメランド第一王子。
王妃殿下の嫡男であり、エリオット第二王子の腹違いの兄であり、私の元婚約者である。
さらさらの金髪に宝石のような碧眼。まるで絵本から出てきたかのような見目麗しい王子だが、その中身は自分が正しいと信じて疑わない俺様王子である。
これで馬鹿なら多少扱いやすかったか、もしくは周りからのテコ入れがあったのだろうが、学業面においても剣術においても優秀なのだから質が悪い。おかげで周りからは上から目線な振る舞いが王族の貫禄に変換されて評価され、幼い頃から婚約関係を結ばされた私はことあるごとに心をへし折られた。そしてよくエリオット殿下に愚痴っていたものである。
この時点で精神的に迷惑をかけられていたのだが、さらにやらかしてくれたのが去年の学院の卒業パーティー。
冒頭でお伝えした通り、私は乙女ゲームの悪役令嬢として今世で生を享けた。当然婚約者である第一王子は攻略対象の一人であり、ヒロインとの仲を嫉妬してヒロインをいじめた悪役令嬢は卒業パーティーで断罪されるのがお決まりのストーリー。
そんなことになりたくなかった私は学院入学後、徹底的に攻略対象とヒロインを避けた。つまり、悪役令嬢として仕事をまったくしなかったのだ。
その結果、ストーリーは斜め上に飛んでった。
一つ。私に婚約破棄を言い渡す第一王子が、なぜか白布でぐるぐる巻きにしたヒロインを小脇に抱えて登場。
二つ。悪役令嬢が起こすはずの嫌がらせイベントを、なぜか第一王子が無自覚に起こしている。
三つ。第一王子がヒロインにこっそり贈ったプレゼント(ドレス)が開封されないまま危険物扱いされ憲兵に引き取られる。
他にも挙げれば切りはないが、これだけでも乙女ゲームとしてありえない方向に飛んでいったことはご理解いただけるだろうか?
仕事をしなかった私も悪いと思う。だからってヒロイン小脇に抱えて登場、登壇する王子がどこにいるというのだ。そこにいたんだけど!しかも私の婚約者だったんだけど!
バーナード・カーク・エメランド第一王子。発音するときには「バー」と「カー」に強めのアクセントを置くことをオススメする。
そして、先程エリオット殿下がマリーに謝った理由。
それはマリーこそが乙女ゲームのヒロインであり、第一王子に小脇に抱えられて卒業パーティーに連れてこられたから。つまり、一番の被害者。
ストロベリーブロンドのやわらかな髪に温かみのあるオレンジ色の瞳。愛らしい顔立ちに小柄な身体。市井育ちの子爵令嬢で、両親の死をきっかけに父親が貴族だったことを知り祖父のモルト子爵に引き取られた。学院卒業後は貴族籍を抜けてかつて住んでいた村に戻るつもりだったが、この出来事のせいで帰れなくなり、今は私付きの侍女をしている。
念のため言っておくけど、彼女は決してお花畑脳の非常識ヒロインではない。常識もあるし仕事も出来る、行儀見習いから私付きの侍女に昇格した優秀な女性だ。ただし、第一王子をはじめとした攻略対象たちに付きまとわれたせいで貴族男性への苦手意識がある。
「それで、どなたかに何かあったのですか?」
殿下に促されてマリーと共に席に着き、早速問いかける。
直訳)あいつか?あいつが何かやったのか?
「含みを持たせなくていいよ。兄上なら離宮で謹慎してるよ。引きこもってるとも言うけど」
「引きこもってるんですか?あの方が?」
「自分で引き起こしたことだけど、黒歴史と呼ぶには十分だからね。おまけに噂が広まりすぎてるし」
あー。
卒業パーティーでの一件に関する噂は、パーティーに出席していた卒業生とその家族、つまり国内の貴族数十家の誰かからあっという間に国内のあちこちに広まってしまった。マリーが生まれ育った村に戻れなくなったのもその噂が原因だ。
一応、立太子礼が延期になった表向きの理由は第一王子と公爵令嬢の王子有責の婚約破棄なのだが、噂が未だに広まり続けているせいで、ほとぼりが冷めない。
「そのせいで立太子礼の日程がなかなか決まらない」
「しばらくは無理でしょうね」
「それで僕を王太子にするか、君たちを兄の正妃と側妃にしたらどうかという話が出始めている」
「はっ!?」
いやいやいやいや!なんでそうなる?
っていうか、今の話だと第一王子にとっても私とマリーは黒歴史を構成する一因でしょうに!当事者の誰も望んでないわ!
「嫌ですよ!それならエリオット殿下が王太子になってくださいよ!」
「僕だって嫌だよ!せっかく魔石研究が父上に認められて、それで王位継ぐつもりはないって宣言したから王妃も僕に手を出さず平和に生きられてるのに!」
兄バーナード第一王子は正妃様の子であり、弟エリオット第二王子は側妃様の子である。
国王陛下の第一子であり、正妃様の子。バーナード第一王子が王太子になるのは誰が見ても当然のことだが、それを良しとしない者たちもいる。主に正妃様のご実家である侯爵家の権威が上がることを嫌う者たちだ。
一方、エリオット第二王子のお母上は下位貴族の出身で、国王陛下に見初められたことで親戚筋の伯爵家の養女となり側妃となられた方だ。また、その伯爵家もそこまで力が強いわけではない。正妃様のご実家の侯爵家と比べればなおさら。つまり、後ろ盾が強くない第二王子を王太子に伸し上げて傀儡にしてしまおうという一派がいた。
そう、「いた」のだ。過去形である。
というのも、まずエリオット殿下自身が王位に興味がない。加えてお母上の側妃様も権力に興味がない。なぜ側妃になられたかといえば断りようがなかったからに過ぎない。国王陛下のことは愛していらっしゃるようだが、それとこれとは別らしい。
そして、エリオット殿下が幼いころから興味を持っていたのは「魔石」だ。
この世界に魔法は存在しない。正確に言うと古代の人々は魔法を使えたようだが、現代では失われた力である。それでも地中には魔力が巡っており、その魔力が結晶化したものが魔石だ。
魔石はエネルギーとして活用されていて、前世でいうところの化石燃料や電池のようなものだ。生活には欠かせないものとなっている。
そしてこの魔石、地中で結晶化しているので当然地面や山を掘ることで採取するのだが、少量であれば脈絡なく出てくることがある。ほかの鉱物の鉱山や建設現場で出てくることもあれば、庭の畑で飼い犬がやたらと鳴くから掘ってみたら魔石が出てきました、なんて報告もある。出てくることは滅多にないが、地中ならどこからでも出てくる可能性があるのだ。
ところが一定量の魔石が採掘できる鉱脈というのは数少ない。国内でも数カ所しかないのだが、その内の一つ、一番新しく発見された鉱脈を見つけ出したのがなんとエリオット殿下。しかも驚くことに偶然ではない。
今まで見つかった鉱脈や偶発的に魔石が出てきた場所から地形的特徴を洗い出し、こういう条件が重なる場所では魔石が結晶化しやすいのでは?という仮説を立て、国内の地図を頼りに条件に合う地を見つけ出した。
ちょうど父親である国王陛下から「誕生日のプレゼントは何がいい?」と尋ねられ「じゃあここを掘ってください」とおねだりしたところ大当たり。
なにそれ怖い。しかもそれが今から七年前、彼がまだ十一歳の時のこと。紛う方なく天才なんですよ、この方。
その後、貴族を招いて行われた祝いのパーティーの場で「将来は魔石の研究に専念したい!」と宣言し国王陛下もお認めになられたものだから「第二王子派」は空中分解した。
それはそうだろう。第二王子本人が事実上、王位を継ぐつもりも政に関わる気もないと宣言し、国王陛下も容認。側妃様は息子が王になることに興味がなく、正妃様の子である第一王子は自分が王太子になる気満々。
それで第二王子を王太子に、なんて声を上げようものなら正妃様に睨まれていろいろ終わりである。
逆にエリオット殿下はこれで正妃様にも第一王子にも睨まれることなく、平和に魔石研究に打ち込むことが出来るようになった。めでたしめでたし、のはずだったのだが。
「ほんっっっと何してくれてんのかな、あの人は~」
そう言って両手で顔を覆って天を仰ぐエリオット殿下。
もともと砕けた口調だったのがさらに砕けた。どうやらこの方もなかなか苦労してたらしい。
それもそうか。本来なら第一王子の学院卒業後間もなく立太子礼が行われるはずだったのが、すでに一年以上延期されている上に予定すら立たないとか。
当事者の誰も望んでない第二王子派が息を吹き返すには十分すぎる状況。
「エリオット殿下を推す動きがあるのはわかりますが、私とマリーを第一王子の妃に、とはどういうことですか?」
「そっちは第一王子派が言ってるんだよ。そうすればあの噂を打ち消せるんじゃないかって。僕含めて反対多数だけど」
「ほかに方法ないんですか…」
「あの~…」
エリオット殿下が王太子にならないためにも、第一王子を立太子させるためにも、噂を治める必要があることはわかる。でもこの方法は勘弁してほしい、と思っていたところ、マリーがおずおずと口を開いた。
「どうしたの?」
「噂を取り締まることは出来ないんですか?」
「それは、王家がってことかな?」
「はい」
エリオット殿下の問いに頷くマリー。殿下の代わりに私が答えた。
「マリー、それはね、出来るけどやってはいけないことなの。特に、この場合は」
「どうしてですか?」
「例えばね、ある国の王子がパーティーで自分の恋人だという令嬢を白布でぐるぐる巻きにして小脇に抱えて登場して婚約者に婚約破棄突き付けたら、その小脇に抱えた令嬢が私はそもそもあなたの恋人なんかじゃない!と暴露した上に、王子が贈ったプレゼントを危険物と間違えて憲兵に届け出た、なんて噂があったとするじゃない?」
「ものすごく聞き覚えがある話ですね」
「じゃあ、その聞き覚えのある噂を世間話のついでに耳にした人の内、どのくらいの人がその噂を真に受けるかしら?」
「…噂としては広く出回ってますけど、さすがに信じてる人は少ないと思います。あまりにその…突飛すぎて」
「そうよね。今回の噂は完全に人々が面白がって広まってるのよ」
噂には二種類ある。信憑性のある噂と、娯楽性の強い噂だ。
後者のほうは元々人の興味を引くちょっとおもしろい話に尾ひれが付きまくり娯楽性が強くなっていったものだ。話の種になりやすいので広まることは広まるのだが、内容があまりに突飛なものとなり原型を留めていないことも多い。だから信憑性は低い。あくまで話の種、もしくは酒の肴である。
今回の私達の噂は後者の扱いを受けている。
まぁ、実際には真実なんだけど。
一つだけ噂話で初めて聞いた内容で「令嬢をぐるぐる巻きにした布はウェディングドレス用の高級絹織物だった」というものがあり「あら、まだ尾ひれが付く余裕があったのね」なんて笑っていたら、マリーが「そういえば、子爵家に来てからも触れたことがないくらい肌触りが良かったです」と震えながら言うものだから、笑えなくなったことがある。
どうやら、何一つ尾ひれが付くことなく、真実が広まっているらしい。
「まさか、誰が見ても最終形態なのに、それが生まれたままの姿だなんてね」
「ダリア嬢。隣でマリー嬢が流れ弾受けてるからやめてあげて」
隣を見るとマリーが顔を覆って、羞恥のせいかふるふる震えている。ええと、ごめんなさい。
「話を戻すんだけど、そんな話の種や酒の肴扱いの噂を王命を受けた役人が取り締まりに来たら、民衆はどう思うかしら?」
「あ、なるほど。王家の印象が悪くなりますね」
「それだけじゃないわ。わざわざ王命を出したということは、噂ではなく真実だと思う人もいるでしょうね」
第一王子の婚約が破棄となったことは事実として知られている。
噂の内容を真に受ける人はほとんどいないが、その噂と事実を掛け合わせて「第一王子が卒業パーティーでなんかやらかしたらしい」と思う人は多い。
その「なんか」を特定されるのは王家としては絶対に避けたいところだろう。いや、すでに出回ってる噂が真実なんですけどね。
「もちろん不敬罪を持ち出すことも出来るのよ?でもその場合、裁く対象が難しいのよね」
「そもそもどこから漏れたのかもわからないしね。卒業パーティーに出席した貴族全員が容疑者だけど、彼ら全員を裁くわけにもいかないし」
「…噂を聞いて口にした平民まで含めたらとんでもないことになりますね」
私の言葉にエリオット殿下とマリーが続ける。
だから噂話というものは余程のことがない限り放置される。中にはその噂を利用する賢い貴族もいるのだが。
あ、そうだ。
「マリーは『ワインが出てくる蛇口』を知ってる?」
「ええと、ナシーヤ地方の名物ですよね?毎年秋の収穫祭の目玉になっている」
ナシーヤ地方はレザン伯爵家が納めるワインの名産地である。
この国では毎年九月から十一月にかけて各地で収穫祭が行われるのだが、ナシーヤで行われる収穫祭の目玉となっているのが『ワインが出てくる蛇口』。
「この蛇口はね、もともと『レザン伯爵の邸では蛇口からワインが出てくる』っていう噂を実現させたものなのよ」
もちろん、それはただの噂だった。
レザン伯爵自身は大のワイン好きだったそうで、もともと「レザン伯爵家には大量のワインが貯蔵されている」とか「レザン伯爵は水の代わりにワインを飲む」とかいう話はあったようだが、それが合わさった結果「レザン伯爵家の蛇口からワインが出てくる」という噂が出来てしまったらしい。
もう一度言うけど、ただの噂だ。そんなものは実在しなかった。
「しなかった」。過去形である。
噂を聞いたレザン伯爵本人が面白がって、実際に邸に作ってしまったのだ。ワインが出てくる蛇口を。
実際には蛇口を取り付けた壁の反対側の小部屋にワインのタンクが設置されているだけなのだが、これが客人に大ウケした。
それならばと収穫祭用に巨大タンクに蛇口を付けた「移動式ワインが出る蛇口」を作り参加者にワインを振舞ったところ大好評。
うん、まぁ。前世のミカンが有名な県の「蛇口からミカンジュース」みたいな話である。
「それ、実現させてしまうんですね…」
「でも、そのおかげでナシーヤのワインの名は国内に広まったのよ。レザン伯爵の評判も上がったしね。今では収穫祭に『ワインが出る蛇口』目当てに観光客が押し寄せるらしいわ」
「たしかに、本当にあるなら見てみたいですもんね」
「そこで、エリオット殿下」
黙って私たちの話を聞いていたエリオット殿下に向き直りニッコリと微笑む。
「第一王子殿下の名で、収穫祭のイベントを企画できませんか?」
ポカンとした表情のエリオット殿下とマリーに説明すると、エリオット殿下は腹を抱えて大笑いし、マリーは再び顔を覆って震えだした。ごめん、マリー。
九月。王都で開催された収穫祭にて、第一王子主催の新イベントが行われた。
その名も、「恋人運びレース」。
先に言っておく。前世の世界の北欧の国で行われていた「奥様運び選手権」。あれを例の噂に合わせてアレンジさせてもらった。
ルールは簡単。白布でぐるぐる巻きにした女性を男性が担いでの障害物競走。
噂にちなんで恋人運びと銘打ったが、男女のペアであれば恋人でも夫婦でも友人でもなんでもOK。それでも出場者に恋人、それも結婚を控えた婚約者同士が多かったのは、優勝賞品がウェディングドレスに仕立てることも出来るような高級絹織物だったから!
第一王子主催となっているが、企画したのはもちろん私で、それをエリオット殿下が第一王子にプレゼンし開催にこぎ着けた。
狙いはもちろん噂の払拭。というよりは、いっそのことパロディにして昇華させてしまえという荒療治というか。
はっきり言う。国内あちこちに広まった噂を払拭するのは無理。ほとぼりが冷めるのにあと何年かかるかわからない。だったら噂を別なものに置き換えてしまうしかない。
そしてもう一つ。なんかやらかしたらしいと思われている第一王子のイメージアップ。
レザン伯爵がワインが出る蛇口で評判を上げたのは、ナシーヤ地方の知名度を上げただけではない。噂を実現させたユーモアと自身が噂の的にされてもそれを面白がった余裕と寛容さが、特に領民から好評だったのだ。これを第一王子でやってみた。
また、想定外のプラス要素があった。
女性の担ぎ方は自由としたが、噂に合わせて左小脇に抱えることを推奨してみたところ、挑戦してみたが無理、という参加者が続出した。
うん、そりゃそうだろ。いくらマリーが小柄で華奢な女性とはいえ、なんであの王子は涼しい顔して小脇に抱えられたのか未だにわからん。あれか?ゲームのメインキャラが持ってるチート能力か? 無駄なところで使ったな!
とにかくそんなわけで、参加者を中心に「ああ、やっぱりあれは尾ひれが付いた噂だったんだね」という空気が広まり、一方で自身の噂を元にイベントを開催し収穫祭を盛り上げた第一王子は見事に人気を取り戻した。
「それで終わればよかったのにねー」
王都の収穫祭から約一ヶ月後。
今日は私達がいる町、ムーワイの収穫祭が開かれている。
そして私とマリーの見つめる先で行われているのが、例の恋人運びレース。
どういうことかと言うと。
王都で開かれた恋人運びレースが大いに盛り上がり、うちの収穫祭でも開催したい!という声が各地から上がったらしい。王都周辺の噂が上手いこと鎮火されたものだから、これを各地で行えば国中の噂もどうにかなるのでは?と考えた王家側からGoサイン出て、ここ、ムーワイの収穫祭でも開催されることになってしまった。
「ごめんなさい、マリー。まさか、この町でも開催されることになるとは思ってもみなくて…」
自分がよくある無自覚系ヒロインの得意技、「私、そんなつもりなくて」みたいな台詞を言ってることにゾッとしつつも、隣にいるマリーに謝る。
いや、本当に、心の底からごめんなさい。
ちなみにだが、私は第一王子の婚約者として知られていたこともあり、あの噂の婚約破棄を突き付けられた令嬢であることが知られているが、マリーに関しては「第一王子に惚れられた子爵令嬢」としか噂に出てこないので、恋人運びレースの白布巻かれて担がれてる女性のモデルが彼女であることは、この町の人は知らない。
知られてはいないものの、マリーからすればこの光景は自分の黒歴史を強制再生させられてるようなものだ。本っっ当にごめんなさい!
私に声をかけられたマリーは「いえ、いいんです…」と言いながら潤んだ瞳で諦めたような、そして無理に笑おうとしているような表情で私を見た。
ああああぁ!
それ身分差を気にして身を引こうとするヒロインがヒーローに見せる表情!
ごめん! そんな顔をこんな状況で引き出してしまってホントごめん!
「ダリア様。私、結婚しません」
その表情のまま、まさかの宣言をするマリー。
なんで!? 貴族男性に苦手意識持たせてしまったから、貴族なんて滅多に来ないこの町に連れてきたのに、なんでそこで結婚諦める?
「だって、参加者、賞品が賞品だから、ほとんどが結婚を控えた方たちばっかりじゃないですか! しかも来年も開催してほしいって声がすでに上がってるし! これ絶対恒例になりますよ。結婚決まったら出なきゃいけなくなりますよ~」
「だ、だ、大丈夫よ! マリーの結婚が決まったら私がお祝いにドレスを贈るわ! それならレースに出なくても不自然じゃないでしょ!?」
泣き出したマリーをなんとか宥める。
今回私は断罪を回避して、すっかり変わってしまった乙女ゲームのその後に生じたアクシデントを、前世知識を使って切り抜けた。
なんて言うと転生ものの小説によくあるシリアス王道展開のはずなのに、明らかに何かが違うのはなんでだろう? 斜め上に飛んでいった現実が行く先は、やはり斜め上になってしまうらしい。
しかしその現実は、まだまだ斜め上に飛び続けていた。
各地で行われていた収穫祭も終わり、学院が冬季休暇に入った頃、エリオット殿下がやって来た。
リベルバー公爵の手紙と共に。
「エリオット殿下。これは一体、どういうことでしょう?」
手紙を読んで返事が欲しいというのでその場で読んでみれば、内容は私の婚約に関することだった。
「なんで私達が婚約することになってるんですか!?」
私とエリオット殿下の婚約が、王家側の働きかけで内定したらしい。いや、正確には私の承諾待ち?前回の婚約があんなことになったから、お父様がそこだけは譲らなかったらしい。ありがとう、お父様!
当然内容を知っているエリオット殿下はニコニコした人当たりのいい笑顔で、
「まぁ、消去法?」
「おい待て」
なかなか失礼なことを言ってくださる。
「いやいや、僕から見てだけじゃなくて、リベルバー公爵家側からもね?」
「どういうことですか?」
「まず僕の方なんだけど、将来的に王籍を抜けることは決まってるんだ。適当な爵位と領地を与えて臣籍降下させるっていうのが有力なんだけど」
「はい」
「あちこち調査するのに貴族籍があるのはありがたいんだけど、領地を貰ってしまうと経営していかないといけないでしょ?それを魔石研究とともにやらなきゃいけない」
「もしくは、領主代行を置くかですね」
「それだって、領民の生活を預かる以上、任せきりには出来ないよね。だからね、僕の理想は爵位持ちの女性に婿入りすることだったんだ」
「…なるほど?」
「でも、爵位持ちの女性で僕と見合う年齢の未婚、しかも婚約者もいない方なんてそうそういなくてね」
「…そうですね」
「ところが、僕より少し年上だけど、将来的に子爵位を賜ることが内定している、婚約者のいない令嬢が見つかってね?」
「含み持たせなくていいですよ! なるほどそれが私ですね!?」
「そういうこと」
楽しそうにクツクツ笑うエリオット殿下。さらに話は続く。
「で、次はリベルバー公爵側の事情なんだけど、公爵は公爵でダリア嬢の婿候補を探してたんだよね?もちろん、ダリア嬢が出した条件を元に」
そう。正直私は女子爵を目指す以上、独身でもいいかと思っていたし、平民でもいいのでこちらでいい人が見つかれば、くらいに思っていたがお父様はそうもいかなかった。とはいえ国王陛下とお父様で決めた婚約があんな形になってしまったので、私の出した条件を最大限考慮した上での婿探しとなり予想通り難航していた。
「ダリア嬢の出した条件なんだけど『身分は問わず、派手な外見ではなくて、人の話を聞くことが出来て、性格に問題のない、自分の仕事を手伝ってくれる人』で間違いないかな?」
「そうですね」
決してそんなにおかしな条件を出したつもりはないのに、それでも見つからないのは、やはり私が第一王子の元婚約者だからだよなぁ。それを気にしないという勇者はこの国にはいないかもしれない。
「そこで、僕その条件に当てはまってるんで娘さんに婿入りさせてくださいと公爵にお願いしに行って」
「直球!」
いたよ勇者! まさかの国の中枢にいたよ!
「でもそうでしょ? 僕は兄上ほど派手な見た目じゃないし、小さい頃からダリア嬢の話…っていうか兄上絡みの愚痴を聞いてきたし、魔石研究に力は入れたいけど王族教育を受けてきたから領地経営の手伝いくらい出来るよ」
「いえ、ですが第二王子殿下の婿入り先が子爵家というのは…」
「身分は問わないんでしょ? あとマリー嬢に、あれとは違うから大丈夫って言うくらいには性格も保証されてるよね?」
「…そうですね」
たしかに条件には当てはまるけど、それでいいのだろうか。
そもそも、私の承諾待ちっていうことは、お父様は頷いてるということよね?
うちは別に家族仲が悪いわけではない。むしろ良い。
だからお父様は第一王子がやらかしたことに父親として怒っていたはずだ。それなのにその弟の婿入り許したりする?
「よく、お父様が許しましたね」
「切り札があったからね」
「切り札?」
柔和な顔立ちが笑みを深める。そして爆弾を落としてきた。
「公爵に言ったんだ。ダリア嬢と結婚出来ても出来なくても、僕は将来ムーワイに拠点を置きたいって」
「…え?」
拠点ってまさか、魔石鉱脈調査の?
それってつまり、この近辺に鉱脈の可能性が!?
そりゃお父様も頷くわ! 婿入りの手土産に魔石鉱脈持っていきますよって言われてるようなもの!
「ダリア嬢」
一人、思考の波にバッシャバシャと打ち付けられていると、向かいのソファに座っていたはずのエリオット殿下がいつの間にか私の元に跪いている。そしておもむろに私の手を取った。
と、同時に、私の顔に熱が集まり出す。
え、なにこれ?
「魔石鉱脈を発見してから、僕にすり寄ってくる女性はたくさんいました。僕の魔石の話に興味を持つふりをする人も。でもそれ以前から、本当に僕の話を興味を持って聞いてくれたのは貴女だけでした」
あぁ、たしかに鉱脈を発見するまでは周囲の貴族から子供の遊びと切り捨てられて、変わり者扱いされてたな。同年代で魔石に興味を示す子もいなかったから。
私は異世界要素に大興奮して聞いてたけど。
「貴女は兄の婚約者で、将来義姉となる人で。別にそれで構わなかったし、満足していたのです。貴女が将来家族となり、僕は義弟として貴女のそばにいられて、これからも話を聞いてもらえると思っていたから。
でも兄との婚約が解消になり、気持ちが変わりました。貴女を再び兄の婚約者にしようという動きにも賛成できなかった。
義姉と義弟では嫌だと思ったのです」
相変わらず顔が熱い。
私を真っ直ぐに見つめて照れたように笑うエリオット殿下から目が離せない。
自分でもわかるくらいに脈が速い。言葉の続きを聞くのがこわい。でも期待してしまう。
本当になにこれ!?
エリオット殿下のことは、そりゃあ第一王子に比べたら話のわかる子で好感も持てたし話をするのも楽しかったけど、そういう対象に見たことはなかったのに。
それがどういうわけか、先ほど跪かれてからずっと胸は高鳴り、恥ずかしくて逃げ出したくて仕方ないのに、殿下に取られた手は離したくない。
なんでなんで!? どうした私!
「僕を、貴女の婚約者にしていただけませんか?」
「は、い…」
頷く以外の選択肢はなかった。条件とか、鉱脈とか、そんなの関係なく。
ただただ嬉しくて、胸がいっぱいで、エリオット殿下が愛しくて仕方ないのだ。
私の返事に嬉しそうに笑ったエリオット殿下が、私の手に唇を落とす。
その瞬間。更に顔に熱が集まり、気が遠くなりかけた。
「大丈夫ですか?」
エリオット殿下を見送った後、私はマリーと私室に向かい休んでいた。
マリーが冷たいおしぼりと水を用意してくれる。顔の火照りを冷ますために。
「ありがとう…。大丈夫よ」
いやぁ、まさか。なんというか。
自分の身に起きたことを文字に起こしてみると、
エリオット殿下に跪かれて婚約の申し込みを受けた瞬間、恋心を自覚して爆発しそうになった。
である。
なにそれ?って思うでしょ? 私もそう思う。
でも昔から感じていた疑問と合わせると、もしかしたら、ダリア・リベルバーという人物は。
テンプレのような王子様的動作にとんでもなく弱いのかもしれない。
昔から疑問だったのだ。何故ゲームの悪役令嬢ダリア・リベルバーはこんな俺様王子婚約者を好きだったのだろう、と。
あの第一王子は人前では許される範囲の俺様具合に抑えていたが、私の前ではかなり傍若無人な発言を繰り返していた。胃がキリキリ痛むのを堪えて婚約者同士のお茶会を切り抜け、エリオット殿下の研究室に駆け込み愚痴ったことが何度あったか。
ゲームのダリアは平気だったの? これに恋してたの? だったらむしろ尊敬するわーとか当時は思っていた。
でも、今日のことを踏まえて振り返ると思い当たることがある。
人目のある場所で完璧な王子を演じることが好きだったバーナード殿下は、パーティーやお茶会ではエスコートをちゃんと務めてくれて、私のことも婚約者として丁重に扱ってくれた。
そんなもんだから、そのいかにも王子様な外見と完璧なエスコートにときめきかけたこともあったのだ。私だって年頃の乙女だ。そういうこともある。が、ときめきかけた瞬間にゲームのことを思い出し気持ちが氷点下まで冷めるということを繰り返していた。
前世の記憶がある私だから、ときめくことはなかった。でも、ときめきかけてはいた。それも、今思うとテンプレ王子様的動作に対して毎回。これ、どう考えてもツボというやつじゃなかろうか?
じゃあ、前世の記憶なんてないゲームのダリアはどうだろう? …あ、確実に落ちるわ。むしろ堕ちるわ。
結果、もともと好感と癒ししかなかったエリオット殿下からのプロポーズにツボを刺激されてときめきと恋心が爆発。 …言葉にすると馬鹿っぽすぎて泣けてくる。
まぁ、もともと好きだったのだとは思う。家族以外で気を許せる人は彼しかいなかった。俺様婚約者の相手と今後の展開にいっぱいいっぱいで、恋心に気付く余裕がなかったのだ。あとエリオット殿下は私のことを義姉として接していたので、ツボ押されることもなかったし。
冷たい水を飲んで、ほうっと一息つく。
なんだかんだで上手いこと収まった私の婚約。あの俺様第一王子を更正させることに心が折れた瞬間から、私の未来はどうにもならないのだと思っていた。
せめて冤罪はふっかけられたくないと攻略対象やヒロインを避け、それでも何も変わらないのかと諦めかけたら、現実が思わぬ方向に吹っ飛んだ。
「ところで、ダリア様」
飲み干したグラスに水を注いでくれるマリーに声をかけられる。
「ダリア様は出られるのですか? 恋人運びレース」
…ん?
「いや、私、主催者側だし…」
「でも、第二王子殿下は発案者…ということになっている方の弟君ですよね?」
「…そうね」
「引っ張り出されるんじゃないですか?」
…たしかに。
エリオット殿下は表向き発案者の弟。私はレースの元になった噂の関係者。
出させられるわ。やたらとノリがいいから、この町の人たち。私が噂の関係者と分かった上で恋人運びレースで大盛り上がりしてるんだから。マリーが危惧した通り恋人運びレースを恒例化させるために今から動き出してるんだもの。
「第二王子殿下、体鍛えなきゃな~っておっしゃってましたよ」
「なんでそんなにやる気なのよ!?」
「ある意味、御披露目になりますからね」
「いやよ! そんな御披露目!」
恋人運びレースを各地で開催された仕返しとばかりに、マリーは生暖かい目で私を見てくる。あれ?もしかしてこれってヒロインからざまぁ返しされてる?
斜め上に飛んでった現実は、どこまでも斜め上を突き進むらしい。
それでも一緒に進んでくれる人達がいるのなら、決して下には落ちないように上方に向かって愉快な旅路にしてやろう。
行き先は斜め上で。
お読みいただきありがとうございました!