14話「間話——宰相と冒険者」
「リシア様捜索に向かったネルス様からの連絡が途絶えました」
暗い室内。締め切ったその部屋には獣のような匂いが充満しており、かしずきながらそうこの部屋の主に告げた男は顔をしかめながら床を見つめていた。床には血の跡が付いている。
それが誰の血なのかを男は想像をする気も出なかった。
「魔霧の森……噂通りか。兵一匹も帰ってこないとは……ふん」
それは一瞬、獣の唸りのように聞こえる声だった。
「グレアス中佐が、ネルス様が勝手に魔蒸兵を動かしたと激怒しているとか……」
「青二才が生意気に……俺の名は出ていたか?」
「いえ……ですが、こちらが私兵を動かした事自体は知っているような口振りでした」
「ちっ……これだから無能は困る。なあ、お前分かるか? ただ小娘一匹逃げられただけでどれだけ俺の計画が遅れているかを?」
荒い鼻息が近付いてきている事に男は気付くが、動く事は出来ない。顔を上げたい衝動に駆られるも、何とかそれを抑え込む。
「あらゆる手段を行使して、あの森からリシアを引きずり出してこい。燃やしてもいい、壊してもいい。リシア以外のサキュバスは……根絶やしにしろ」
頭頂部に鼻息がかかるのを我慢しながら男が言葉を返す。
「あらゆる手段……ですか」
「あらゆる手段だ」
「かしこまりました」
「お前は……無能ではないよなあ?」
「勿論でございます……コーン卿」
「ならいい。行け」
「はっ!」
男は視線を床へと向けたまま、下がり、部屋から出た。
ドアが閉まりきる前のほんの隙間から、見えた光景。
黒い尻尾が揺れ、その奥のベッドの上で手足がバラバラになった全裸の女が横たわっていた。
女の恐怖で歪んだ顔と目が合った男は、ドアが閉まったと同時に駆け足でそこを去った。
次にああなるのは自分かもしれない。そう思いながら。
☆☆☆
魔霧の森、外縁部。
「なーんかやな感じだな、この森」
「スタウトは大体どこ行ってもそう言うじゃねえか」
戦斧を担いだ大柄な茶髪の男——スタウトがぼやいていると、それを茶化すように軽鎧を纏った盗賊風の男がスタウトの脇腹を小突いた。
「いや、違うぞピルス。ここはその中でも特にやな感じだ」
「そうかねえ? 俺にはただの森にしか見えないが。ざっと見たところ罠もないし」
バンダナを頭に巻いた盗賊風の男——ピルスが軽薄そうにそう言うが、周辺を見渡すその視線は鋭い。
「ほら、くっちゃべってないで周囲警戒! でもあたしもスタウトに賛成。ここは……長居したくないかも。ラガーはどう思う?」
「……エールがそう言うぐらいだ。よほどの化け物が潜んでいるぜこの森」
スタウトとピルスの後ろにいた男女がそう会話しながら油断なくそれぞれの武器を構えていた。
金髪の女——エールは細い身体に鎖帷子と関節を鉄で補強した鎧を纏っており、右手に短杖、左手にはバックラーを装備していた。
赤髪短髪の無精髭の生えた男——ラガーは刃に魔方陣のような刻印がされているロングソードを構えており、左手には盾を装備している。
彼等四人組はアークベルク帝国の帝都であるアルベルンで名を馳せる冒険者クラン【金色の杯】のメンバーであり、冒険者ギルドでの格付けはAランク。最低ランクがFで、最高ランクがSと考えると彼等は——相当な実力者である事が分かる。
リーダーであるラガーは魔法剣士であり、予め仕込んだ魔術を刃に纏わせる魔術武器——魔器と呼ばれる武器【仕込みしデュベル】を所持している。
魔器の数は非常に少なく、売るだけで一生分は食べていけるほどの価値があると言われている。
それを所持している時点で——彼がこの帝国内でも有数の実力者である事が証明される。
それを支えるのが魔術師であるエールと、怪力と耐久力が持ち味である重戦士のスタウト、罠探知や鍵開け斥候などの地味ながらも冒険者に必要なスキルを備えたピルスだ。
彼等は4人で数々の依頼をこなし、数々の伝説を打ち立てた。
そんな彼らに舞い込んだ極秘依頼が——魔霧の森で消息を絶ったとある御仁の捜索及び救出だった。
依頼報酬はなんと全額前払いだった。しかもそれはそれこそ平民ならば10年は暮らしていけるほどの大金。そして依頼達成した際の報酬は別にあった。
「騎士に任命してくれるって話だからな。多少やな感じでも行くしかないぜみんな」
騎士に任命。それはつまり一世代のみではあるが貴族になれるという事だ。
どんなに冒険者として名を馳せようが、ラガー達はしょせんは平民だ。
どうあがいても、貴族になれない。
それほどに貴族と平民の間に高い壁はあるのだが……。
「冒険者として駆けだして5年。ようやくこの日が来た。命を賭けるには十分だろ?」
「ラガーだけじゃなくて私達全員だもんね。依頼者はよっぽどの大貴族よ」
「俺、騎士になったら結婚する」
「そういう話は依頼前にすんじゃねえよ馬鹿スタウト」
それぞれが、夢を抱いている。
ラガーは純粋に騎士に憧れていた。
エールは貴族にしか伝承されない魔術理論を求めていた。
スタウトは身分違いの恋人と結婚する事を望んでいた。
ピルスはさっさと冒険者から足を洗って貴族相手の商売を始めたかった。
彼らは気合い十分だった。
あの星に——ようやく手が届くと……そう信じていた。
目の前に、それを打ち砕く存在が現れるまでは。
「っ! 来るぞ!」
ピルスの声と共に木々の間から現れたのは——真っ黒に染まった鎧だった。
わるいやつと冒険者