7.せかいのはんぶんをおまえにやろう。
――魔界では、ケイトリンが塔の部屋の窓から、心配そうに空を眺めていました。
「!!」
突如、空が割れると人間界へと繋がる門が現れ、そこから大きな漆黒の鷲に乗った男がこちらへ向かって飛んできます。
鷲がケイトリンの待つ窓まで近寄ると、男は窓からするりと部屋へ入り込みました。
「ツバキ!ど、どうだった?」
「ナニが?」
ケイトリンがそわそわしながら尋ねると、ツバキはとぼけるように首を傾げます。
「何がじゃなくて!兄上たちよ・・・ちゃんと国に帰ってくれた?」
「ああ、帰ってないですよ?ついでにエサもまいておいたんで、じきにこちらへ到着するでしょうねっ。ふふふ」
「何よ、エサって・・・!?」
「俺を差し向けたのは姫様だって教えてあげました。ヤツら、アンタの身に何かあったと思ってますます躍起になってここへ向かってますよ。俺って親切でしょう?」
「ひどい、何でそんなことするのよ!!」
「えー・・・楽しいから?ねぇ姫、もうすぐ血腥い戦いが始まるよ。待ち遠しくてゾクゾクするね。」
ゾッとするような笑みを浮かべると、ツバキは憤るケイトリンの手に牡丹餅の入った包みを握らせ、「人間界のおみやげ。」と言い残し扉から出ていきました。
「そんな・・・みんな、来ちゃダメ・・・!」
ケイトリンはその場に崩れ落ちます。・・・頼むんじゃなかった。
あの時、黒い騎士アルドリッジの部下に、知った顔を見つけたのでした。
昔からアリステニア城内を探検すると時々見かけた、影のような男。甘党らしく、時々ケイトリンにおやつを分けてくれた謎めいたツバキ。何を考えているかよくわからない人物でしたが、ケイトリンは友達だと思っていました。
ある時から姿を見かけなくなり、それっきりでしたがまさかこんなところで再会するとは。兄を含む勇者たちの魔界への行軍を止めたいと相談したら、請け負ってくれると言うから任せたのに、信用してしまったのが間違いだったとひどく後悔しました。
「姫様・・・?」
ドアをノックする音に続いて、リリーの声がします。
「リリー・・・どうぞ。」
落ち込んだ様子のケイトリンを見て、リリーは驚いたように声をかけました。
「ひどい顔色・・・何かあったのですか?」
「リリーお願い逃げて。どこでもいいから安全な場所に今すぐ・・・」
「勇者様のこと、気にされているのですね?」
リリーは諦めたように笑うと、しゃがみこんでケイトリンの手を握りました。
「もともと魔王様が姫様をお連れすると決めたときから、こうなるのはわかっていたこと。姫様のせいではありません。それに、私とて魔族の端くれ。人間ごときには簡単に負けませんのよ。」
「でもっ・・・!」
「そうそう!魔王様がお呼びです。広間へ来るようにとのことですよ。」
「・・・・・・わかった・・・」
有無を言わせないリリーの笑顔に、ケイトリンは大人しく従うことにしました。
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ケイトリンが塔を降りると、がらんとした広間には誰もおらず、バルコニーへ続く大きな窓が開いていて、暖かな風がカーテンを揺らしました。
バルコニーへと近づいていくと、外の景色を見ていた魔王が気づいて振り返り、にこりと笑って手招きをします。
導かれるように隣に立つと、星の出始めた薄暮の空の下で街の灯りがキラキラと輝いていました。
「キレイね・・・!」
「なかなか見事であろう?」
ですが、町あかりを超えた先は、黒いモヤがかかって何も見えません。
「・・・あのもやもやしたものはなに?」
「ああ、あれはな、瘴気だ。」
「瘴気?」
「人間のもつ怒りや、憎しみや嫉妬。醜いドロドロした思いはみな瘴気となり、魔界へ降りてくる。さながら、冷たい空気が下へ、暖かい空気が上へ分かれるようにな。瘴気の中ではどんな生命も生きることが出来ない。人間も動物も植物も、魔族さえも。」
「えっ・・・」
「魔族の民は瘴気の侵食によって住む領土を奪われると、人間界へ出るほかない。・・・はじめは、領土に住まわせてくれと、ただ頭を垂れ頼みに行っただけだった。だが人間には、我々のように死人色の肌をした者は異端に見えるのであろう。先に無辜の民に攻撃を加え排除したのは、人間であったのだ。」
「そんな・・・」
ケイトリンは初めて知る、人間界と魔界の争いの理由に愕然としました。
魔王は淡々と続けます。
「我らは民のため、人間界への進出を辞めるわけにはいかぬ。人間の出す瘴気が止まらぬ限りな。人間とて、我らの進行を指をくわえて眺めるような真似はしないであろう。今回のように。今は小競り合いに過ぎぬが、さして遠くない未来、全面戦争になる。」
魔王は、そこまできっぱりと言い切ると、儚げに笑いました。
「お前、人間界に帰るかい?」
「・・・どういうこと?」
「姫が親しい者や仲の良い者と共に天寿を全うするまで、アリステニアには手を出さぬということではどうだ?ん?」
決断を迫るような言葉は、驚く程優しい声色に乗り、ケイトリンの心を締め付けます。
「・・・なによいまさら・・・人を無理やりさらっておいて、今さら帰れはないでしょ」
結論は、もう出ていました。
ケイトリンも魔王も、目を合わせるとほんの少しだけ恥ずかしそうに笑います。
「ならば俺の妃になれ。そうすれば、世界の半分をおまえにやろう。」
「・・・はい。」
婚約のしるしに、魔王はケイトリンの額に小さくキスをしました。
「アリステニアは、妃に譲る。」
それは魔王ヴィンスの、最大限の譲歩でした。ケイトリンはヴィンスに抱きつくと、大きく頷きました。
「ところで、魔族になる覚悟ができたということでいいんだな?」
「え?あなたの奥さんにはなるけど、魔族にはならないよ?」
「・・・そうか・・・。ならばその件は、時間をかけて説得するとしよう。」
明日はケイトリンの16の誕生日。
二人は“呪いが成就した”記念に、結婚式を挙げることにしました。