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よみ人しらずの昔噺(フェアリーテイル)  作者: ルクス
第一巻 百花繚乱の歌合
3/3

男もすなる日記といふものを(2)

「なんか……大した収穫もなかったのに無駄に疲れた……」

 夜。ぐったり、と業平は宿の食堂で突っ伏していた。あれから貫之とかいう変人のしつこすぎる追跡から何とか逃れるのに相当の体力を消耗した。おかげで、先ほどから遠くの方で業平に熱い視線を送っている数人の女達に構ってやる余裕もなく、彼は食器を片付けてくれた女将に小さく礼を言う事しか出来ない。

「随分とお疲れだね、在原さん」

「いや、可愛い子犬を助けたつもりが、とんでもない狂犬に追いかけられましてね……」

「あらあらそいつは大変だ」

 豪快に笑った女将に対してのろのろと顔を上げた業平は、両手を上げてわざとらしく首を傾げてとぼける。どうせ女性関係の揉め事だと思われているのだろうが、本当にそうならどんなに良かったか、と業平はため息を吐きたくなる。しかし、いつまでもあんな奇妙な男のことを引きずっているわけにはいかない。自分にはこの街に来た目的があり、それを果たさなければ前に進めないのだ。彼は気の抜けた表情から真剣そのものな顔つきになり、それはそうと、と話を切り替えた。

「女将さん、《本意(アビス)》について、何か知っていたりしませんか?」

 その途端、あら、と驚いたような顔になった女将は、机を拭いていた手を止めて業平の方へ向き直る。

「全く久々に聞いたね、そんな言葉」

「この街には《本意(アビス)》の痕跡を示すものがあったとか。……この世の全てを支配している力の源への手掛かりが、ここにあったらしいですね」

「まさか、ただの昔噺だろう。ここ最近じゃ誰も口にしないよ。《本意(アビス)》なんて空想上のもんだって言う奴も少なくないさ」

 あんた意外と夢見がちなんだね、などと笑い、厨房の方へ歩いて行ってしまう女将の後ろ姿を見ながら、ここもまた空振りか、と業平は舌打ちした。今まで長いこと《本意(アビス)》についての言い伝えや伝説を追いかけてきたが、それら全てがガセネタであった。結局自分は幻を追いかけているに過ぎないのかもしれない、と不安になりそうになるが、それを打ち消すべく、業平は立ち上がる。そのまま二階へ続く階段を登りながら、必ずあるはずだ、と自分に言い聞かせた。これしかもう、彼女を救う手段は残されていない。不確定の情報に縋るしかないのである。

「とにかく今日はもう寝るか」

 色々考えても埒が明かないと判断し、業平は誰に対してでもなくそう呟いて自分の借りている部屋の襖を開けた。

「……」

 視界に飛び込んできた光景に、思わず絶句する。

 夕飯を食べる前は綺麗に整頓されていた部屋が、何故か乱雑になっているのはまだいいだろう。いつの間にか真ん中に布団が敷いてあるのも、ぎりぎり許せるかもしれない。だが、その布団の上に横になっていた人物が、部屋の入口あたりで突っ立っている業平を振り返り、

「あ、おかえりー」

 などと、手をひらひらさせて言ってきたところで。

「……てめぇこんな所で何してんだゴラァアアア!?」

 業平は、山賊も顔負けな野太い声で怒鳴った。

 するとそれにきょとんとした顔になったそいつ──紀貫之はごろりと寝返りをうって、何してるって、と答える。

「助けてくれた恩人を追いかけて、泊まってる宿に不法侵入して部屋の中物色して眠たくなったから布団敷いて寝て恩を仇で返しまくってるけど、何か問題ある?」

「ありまくりだろ! むしろ何で問題ないと思った!? ていうか自分で不法侵入って言っちまってんじゃねえか、犯罪って分かってんだろお前!」

「いや、何か業平ならいけるかなって」

「そんなふわっとした動機で立派な犯罪やってんじゃねえぶっ殺すぞ」

 拳に力を込めながらとりあえず後ろ手で襖を閉めた。天下の好色男、在原業平様が男と一緒の部屋に泊まっているなどと妙な噂が広まってしまったら困る。今後の女性への聞き込み(ナンパ)が上手くいかないのは非常にまずい。業平がそんなことを思っていると、貫之が布団の上で座ってこちらを見上げ、でもさ、と不満そうに言う。

「あんた女の子なら部屋に入れるわけじゃん? 六歌仙の在原業平と言えば、(セフレ)取っかえひっかえのクソ野郎って有名だもあっこれ本人に言っちゃ駄目って権兵衛君が言ってたわやっぱなし、何でもない」

「全部言ってんだろもう遅いだろ」

「いやいや、言ってないって。誰も顔だけが取得のナルシストとは言ってないじゃん嫌だなあ業平君は自意識過剰なんだからあ」

「それは俺も言ってねぇよ! お前だろ!」

 業平は怒鳴り、まじまじと貫之を見下ろした。これが例えば年頃の美女であるなら何とも心躍る状況であるのだが、残念なことに目の前のこれは紛れもなく男だ。多少細身であるとはいえ、完全に男。さらに残念? なことに、業平には男色の趣味はなかった。よって、導き出される結論はただ一つ。

「今すぐ帰れ。さもなきゃ路地裏でチンピラに使った紅葉で今度はてめぇを串刺しにするぞ」

「いやん乱暴!」

 何故か胸のあたりを押さえながら勢い良く立ち上がった貫之は、しばらく不満そうな顔をして口を尖らせていたが、突如何かに気がついた! というきらきらした笑顔になって業平を指差した。悪い予感がして顔をひきつらせた業平とは対照的に輝いている瞳をこちらを向けたその青年は、にかっと笑ってみせる。

「あ、じゃあさ! 女なら(・・・)良いんだろ!?」

「は? いや、それはどういう」

「なら、これで解決だ!」

 楽しげにそう言った貫之は袖をひらひらと揺らして布団から飛び退くと、数回手をリズミカルに叩き、弾む声でさらに続けた。

「《男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり》!」

 その瞬間、光が部屋を包んだ。目を開けていられないほどの明るさに業平は咄嗟に目を瞑る。しばらく経ってから、恐る恐る、ゆっくりと薄く目を開いてみると、業平は今度こそ驚愕の表情になって声を上げた。

「お、お前っ……!?」

 そこには──少女が立っていた。

 朱色の着物を身につけている彼女は、長い睫毛で縁取られた瞳で業平を見つめている。つやつやと輝く長い黒髪、上品な様子で赤く染まる頬と白い肌、僅かに覗く手足は細くて柔らかそうだ。突然の出来事に混乱する気持ちを隠せない業平だったが、その少女の瞳が紫がかった黒であること、そして悪戯が成功したような顔で笑っていることから、躊躇いがちにその名を呼んだ。

「貫之、か?」

 すると我慢出来ないとばかりに少女は吹き出し、けらけらと笑う。その笑い方が先ほどまでの青年と酷似していたため疑惑は確信に変わった。この目の前の少女は間違いなく紀貫之だ。

「どうだ、これで何も問題はないだろう?」

 そう言ってみせた声も男のものではなく、鈴の音のような愛らしい少女のものである。業平は未だに信じられないという顔でまじまじと観察していたが、やがてこれが変装やからくりではなく本物であるという結論に至り、無意識的に頭を抱えた。が、そこでとある矛盾に気がついた彼はがばりと顔を上げて貫之──女の姿ではあるが他に呼び方もないだろう──を見下ろした。

「って、お前、歌詠(スキル)使えたのかよ!」

 そう。今日チンピラに絡まれていた様子から見て、てっきり貫之は歌詠(スキル)を使えないのだとばかり思っていたが、この現象は間違いなく彼の歌詠(スキル)によるものだ。ならばわざわざ業平が助ける必要もなかっただろうに、と不審げな顔になっていると、少女の姿をした貫之は、首を横に振って否定する。

「いやいやいや、俺が使えんのはまじでこのしょーもないやつだけよ。だってあんた考えてみ? チンピラに絡まれた時これ使ったところでどうなるっつーの。もっと状況は悪化するだろ。絶対にやべぇことになるだろ。春画(エロ漫画)みたいになるの嫌だよ俺。見るの好きだけどさすがに自分が描かれるのは無理まじ勘弁」

「……確かに。お前と会って初めて、共感できたな」

「だろ? だから歌詠(スペル)っつっても、あんたみたいな大層なもんは使えねぇんだ!」

 どうだ参ったか! などと何故か得意げに胸を張って両手を腰にあてる貫之。細い腰まわりと豊満とは言えないもののふっくらした胸が強調され、業平は思わずたじろいだ。女の身体など見慣れているはずなのに、有り得ない状況と衝撃のせいで動揺してしまう。貫之からなるべく目を逸らしながら、業平はさらに質問を続けた。

「それは分かったけど、お前、何で俺に付きまとうんだ。助けた礼なら別にいらないから、出来ればもうあまり関わりたくな」

「はいよくぞ聞いてくれました! そこが本当に重要な問題なんだよ!」

「…………頼むから話を聞いてくれ」

 げんなりと呆れたように言った業平の言葉は例によって無視され、貫之はぐいっと業平に顔を近づけてくる。その顔には相変わらず無邪気な笑みが浮かんでいたが、瞳だけは真っ直ぐ強い光を宿していた。そんな貫之の様子に思わず押し黙った業平の肩を強く掴み、彼はさらに口角を吊り上げる。

「あんたさあ、《本意(アビス)》を探してるんだって?」

 その、言葉に。

 目を見張って力強く貫之を押し返した業平が、今度は貫之の胸倉を掴んだ。少女の身である彼は衝撃に顔をしかめるが業平は構わずに低い声音で問い掛ける。

「お前、何か知ってるのか」

 それは、先ほどまで阿呆みたいな応酬を繰り広げていた者と同一人物だとは信じられないほどに冷たい唸り声のようで、普通の歌人であればそれだけで震え上がってしまいそうな威圧感だった。

 ──しかし。

「痛ぇなあ」

 聞こえてきたのは緊張感の欠片もない軽薄な声。貫之は掴まれている自らの着物を見下ろし、皺になったらどうすんだよ、などと眉をひそめていた。

「答えろ。《本意(アビス)》について、何を知ってる」

「別に何にも? あんたの得になるような情報は持ってないぜ。俺もあんたも同じ、足踏み状態だからな」

 ただ一つ言えるのは、と貫之は目を細める。照明の灯りに反射して紫が光った。彼はお返しとばかりに業平の着物を掴み、ゆっくりと口を開く。特徴的な犬歯が覗いた。

「この街に《本意(アビス)》はねぇよ」

 確信を持っているようなその口調に、業平は頭に血が上るのを感じる。貫之が男の姿のままであったら殴っていたかもしれない。しかしさすがに可愛らしい少女の顔を殴る気にもなれなかった業平は、鋭い目つきで見下ろすにとどめた。全力で掴んでしまったせいでひどく乱れた着物の奥から、もちもちした肌と胸の谷間が覗く。見てはいけないものを見てしまったような何となく気恥ずかしい気持ちになり、多少乱暴に貫之の身体を突き放した業平は、着物を整えている貫之に向かって吐き捨てた。

「お前に何が分かる」

「……分かるよ」

「はは、妙な歌詠(スキル)しか使えない癖に?」

「俺には分かる。ずっと探してきたから」

 はっと顔を上げた。そこにもう少女の姿はなかった。いつの間にか男に戻っていた貫之が、壁に背を預けて立っている。業平は彼の言っていることがよく分からなくて、怪訝そうな表情になった。

「《本意(アビス)》を探していた? お前がか?」

「ああ、随分と長いことね。……ざっと三世紀くらいは探してるね」

「せめてもうちょいマシな嘘にしろよ。ていうかちょっと真面目な雰囲気出してきたと思ったらすぐそれかよお前はよ!」

 業平は怒鳴ったが、心のどこかでは貫之の下らない冗談にほっとしていた。先ほどまでのぴんと張った糸のような空気が和み、肩から力が抜ける。へらへらと笑っている貫之は、いやあごめんごめん、などと反省していなそうな口調で言った後に続けた。

「まあさすがにそれは冗談だけどさ、探してるってのはマジだよ。この街にも《本意(アビス)》への手掛かりがあるらしいって噂を聞いたから来たし。んで、あんたのこと追いかけてたら、色んな人に《本意(アビス)》のこと聞いてるからさーおおこりゃ仲間じゃん! って思ってついつい不法侵入しちゃったわけよ」

「出来心で犯罪すんな。って、まあ、なるほどねえ……」

 まるで予想外の展開に、業平は腕組みをして考え込んでしまった。まさか自分以外で《本意(アビス)》を探している者がいるとは思っていなかったのだ。女将も言っていたが、ほとんど伝説上の存在であり、どちらかというと神やら精霊やらといったものの類に近い。この世の全てを動かしている無限の力──それが《本意(アビス)》であった。それが人なのか、武器なのか、歌詠(スペル)なのか、はたまた知識であるのか、何も分かっていない。

 先ほど貫之は、業平のことを仲間と呼んだ。だが、もし《本意(アビス)》が何か実体のあるものだったら、取り合いになる可能性もあるのだ。今まで孤独に《本意(アビス)》を探し求めてきた業平にとって貫之の存在は支えとなるかもしれないが、逆に邪魔になるかもしれない。そんな考えに行き着いた彼は、頭を掻いて複雑そうな表情になりながらも、それで、と貫之を向き直る。

「この街に《本意(アビス)》がないってのは、本当か」

「まあ、多分な。だけど、無駄足になると判断するのはまだ早いっつーか、手掛かりくらいはあるかもしれねぇよ」

「……何かアテは?」

 そんな業平の問いに、貫之は悪巧みをしているような意味ありげな顔になり、人差し指を天井に向けてくるくると回す。

「勿論。昔から、人間より知識を蓄えていて正確なもんが俺らのすぐ近くにあるじゃん」

 そう言って彼は明後日の方向を指差し、ふふん、とより一層瞳を輝かせた。

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