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よみ人しらずの昔噺(フェアリーテイル)  作者: ルクス
第一巻 百花繚乱の歌合
2/3

男もすなる日記といふものを(1)

 自分の名前を呼ばれた気がして、男ーー在原業平は目を覚ました。さらりと風に揺れる茶髪に切れ長の瞳。端正に整った顔を僅かにしかめ、彼は上半身を起こす。場所は、スマノマチと呼ばれる小さな街。その隅にある腰掛けで惰眠を貪っていた彼は、大きく伸びをしてから周りを見回した。時刻は昼過ぎであるため、住人達ものんびりと歩いていたり話していたりと非常に平和な光景が広がっている。ゆっくりと立ち上がり、未だぼんやりとしている頭を何とか回転させる。藍色の狩衣を着込んでいる彼は腰あたりの汚れを払うと、懐から取り出した扇子で口元を隠しながら欠伸をした。いつ綺麗な女子たちに声を掛けられるか分からないのだから当然の配慮である。

「業平様、こんな所で何をしているのですか?」

 ほら、この通り。

 色鮮やかな朱色の着物を着込んだ娘が、目元を赤く染めながら話しかけてきた。扇子で口元を隠しているが、明らかに弾んだ声音が彼女の感情を物語っている。ぱちん、と音を立てて扇子を閉じた業平は、緩やかに口端を持ち上げて微笑んだ。

「ああ、少し寝てしまっていてね。もうすぐで宿に戻ろうと思っていたところさ」

「そうなのですか。……あと、どれ程この街に留まって下さるのです?」

 その問い掛けに、業平は少し目を細めて考える素振りを見せる。しかし再び笑顔に戻ると、静かに娘に近づき、その耳元で囁いた。

「貴女が望むのなら、いつまでも」

 そんな魅惑的な言葉に娘はさらに顔を赤らめて、まあ、などと言う。それからあたふたして、もう行きますわ、と呟いてから半歩後ろに下がった彼女に業平は笑みを絶やさぬまま頷いた。

「それではまた会いましょう、美しい人」

 とどめの一言により、娘はこくこくと何度も頷いて足早に立ち去っていく。その覚束無い足取りの後ろ姿をしばらく眺めていた業平だったが、やがてふうと大きく息を吐き、顔を背ける。その顔には既に何の感情も浮かんでいなかった。

「……《本意(アビス)》が見つかるまでは、この街に留まるしかねぇんだよ」

 低く吐き捨てられた声は、先ほどまでのにこやかな好青年のものとは思えないほど冷たい。髪をがしがしと掻きながら、周りに人が居ないかを確認してから、大体、とさらに続けた。

「この街ブスしかいねぇのかよ! 可愛い子の一人や二人や三人や十人くらいいるかと思ってたのに、ふざけんなって話だわ」

 つい数十秒前、美しい人、と呼びかけた男と同一人物であるとは思えぬ暴言を吐き、どかりと腰掛けに乱暴な動作で彼は座る。そのまま腕組みをして、平和すぎるほどに平和な街の様子を凶悪な表情で睨みつけた。

 この街に来て最初の一日が、何の成果もなく終わろうとしている。その事実は間違いなく業平の機嫌を急降下させていた。《本意(アビス)》が存在していた、という伝承だけを頼りにこんな辺境の街へ来たにも関わらず、呑気すぎる住人達と平和ボケしている雰囲気に業平が舌打ちしそうになった回数はすでに両手では数え切れないほど。とりあえず周囲の人間──主に女性──に聞き込みをしていたものの、まあそのような伝説を信じていらっしゃるなんて浪漫があるお方、とりあえずお茶でもご一緒しませんかだの何だの黙れブス顔面ぶん殴るぞと殺意を抱いたのみで終わった。大体近くにある関所も廃れて荒れ果てているようなド田舎だ。こんな所に手掛かりがあると信じた自分が馬鹿だったのかもしれないが、逆にこういう所だからこそ何か秘密の洞穴とかそういういかにもな場所があると思っていた。紛れもなく馬鹿だ。と、結局自分の元に戻ってきてしまうイライラをぶつけようがなく、業平は空を仰いだ。まだここに可愛い年頃の女の子がいれば鬱憤を晴らすことも出来るのだろうが、それも叶わない。

「あー……どっかに転がってねぇかな、ストレス解消になりそうな物か人間(サンドバッグ)

 小さく、とんでもないことを言い出した業平は、そのまま目を閉じた。こういう時は寝るのが一番だ、と現実逃避の思考に走る。そうして、うとうとし始めた彼は再び夢の世界へと旅立とうと──。

「ちょ、ちょっと勘弁して下さいよぉ!」

 したところで、素っ頓狂な男の声が聞こえてきて、業平は片眉を吊り上げて薄目を開いた。声の方を見れば、そこには屈強そうな男二人に引きずられるようにして路地裏に連れて行かれようとしているひ弱そうな青年がいた。淡い紅色の直垂(ひたたれ)姿のその青年は、胸倉を掴まれて半泣きである。まるで馬の尻尾のようにゆらゆら揺れている、寝癖なのか整えきれてない束ねた黒髪と、まだあどけなさを残した顔つき。その瞳には涙が浮かんでいる。

「俺、本当にお金とか持ってないんですって!」

「うるせぇな、騒ぐんじゃねえよ」

「おい、もっと奥行くぞ。人に見つかる」

「ぎゃああああああ助けてぇえええええっ!?」

 絶叫を上げながら、軽々とその体を持ち上げられ路地裏に連れて行かれる青年。やがて悲鳴すら聞こえなくなり、先ほどまでの平和な街並みが戻る──といった、何だかお決まりすぎるような、絵に描いたような展開に。

「……えぇ……」

 業平はげんなりと呟いた。

 こんなお約束(テンプレ)的展開ある? と思わず左右を見回すが、彼の質問に答える者は当然ながら居ない。どうしたもんか、と業平は頭を抱えた。まだ来たばかりのこの街で揉め事を起こすのは得策ではないが、かと言ってあれを見逃すほど冷血漢でもない。それにちょうどストレス解消がしたかったところだし、と誰に対してかは分からない言い訳のようなものを頭の中で並べて、ううんと唸る。しばらくそんな風に迷っていた業平だったが、やがて何かを決心したような顔で勢い良く立ち上がり、男達が消えていった道の方に向き直った。

「よっしゃ、悪人退治(ひまつぶし)と行きますか」

 僅かに楽しそうな声音でそう宣言した彼は、ひょこりひょこりと軽い足取りで路地裏に入っていった。ちょっと居酒屋でも覗くように、顔だけを出して様子を伺う。するとそこでは、これまたお決まりな展開で、行き止まりの道の隅っこで丸まって震えている青年と、彼を恫喝している不良が二人、という状況が繰り広げられていた。やるならもっと上手くやれよなあ、とうんざりしながらも、業平はゆっくりと彼らに近づいた。最初にこちらに気付いたのは青年だった。怯えきっている瞳が業平を捉え、その表情が驚きへと変わる。その変化に気付いた男達が、怪訝そうな顔で振り返ってきた。

「ああ? 何だ、てめぇ」

「いやぁ……うーん、まあ、正義の味方的な感じの人? よくこういう場面で登場してくる奴いるだろ、あれだよあれ」

「何ふざけたこと言ってんだ、お前も痛い目に遭いてぇようだな!」

「一昔前の悪役の台詞だろそれ!」

 業平が呆れ返って叫ぶが、男達はまるで聞いていない。こういう時の悪役って本当に話聞かないよなあ、などとため息を吐き、業平は大袈裟に肩をすくめた。俺がヒーローってこの世も末だ、などと自虐的に笑えば、それが逆鱗に触れたのか、男達は怒りを露わにする。

「余裕そうだな、坊ちゃんよお。だが……いつまでそんな態度でいられるだろうなあ」

 にやにやと嫌な笑みを浮かべている男は、右手を業平の方へ突き出し、詠み(・・)始めた。

「《天津風雲の通ひ路吹き閉じよ》」

 それに、業平は僅かに目を見開いた。男の掌の先には、光で描いたような複雑な紋様が空中に浮かんでいる。先刻まで微風すらなかった路地裏に、髪を乱れさせるほどの風が吹き抜けた。

「《をとめの姿しばしとどめむ》」

 男がそう言い終わった瞬間、紋様の中心から光るものが業平に向かって飛んでくる。風と共に迫るそれは、先の鋭く尖った刃であった。己の肩や足に向かってくる刃を見た業平は、驚愕の表情のままそれを見つめ──。

「……へぇ、こんなド田舎にも、歌詠(スキル)が使える奴いるんだな」

 笑った。

 そのまま左手を上げ、よく通る澄んだ声で詠む。

「《ちはやふる神代もきかず竜田川、からくれなゐに水くくるとは》」

 手の先に浮かんだ紋様が眩く光ったかと思うと、凄まじい速さで赤い閃光が放たれた。それは刃を弾き飛ばし、そのまま男達の肩に突き刺さる。

「ぐあああああああああああっ!?」

 痛みでうずくまった男が肩を見下ろせば、鮮血を浴びてさらに赤く染まった紅葉が深く刺さっていた。震える手で紅葉に触れると、それはぼろりと脆く崩れ落ちる。

「けど、他人の歌詠(スキル)を使って俺に勝とうなんざ、甘いんじゃないか?」

 勝ち気に口角を上げた業平に、のたうち回っていた男達が怯えた顔でこちらを見上げた。

「なん……何なんだ、お前……っ」

「さっきの歌詠(スキル)、こいつ、もしかして」

 業平を指差してガタガタと震えている男達が言いかけた言葉を、

「六歌仙の一人──在原業平」

 今まで黙りこくっていた青年が、ぽつりと漏らす。その瞬間、ひぃっと引き攣った悲鳴を上げて男二人は立ち上がって壁にもたれ掛かった。そして頭を勢い良く下げ、すみませんでした! と、もうお約束の王道ど真ん中ストレートの負け犬の台詞を叫ぶと、彼は極力業平から距離をとるようにして路地裏から脱兎の如く逃げ出す。後に残されたのは、呆然とした様子の青年と、困ったような顔で男達が去っていった方向を見つめている業平のみであった。

「六歌仙、ねえ……よく分かんねぇけど、俺も偉くなったモンだなあ」

 ぶつぶつと呟いてから、業平はちらりと足元に視線を落とす。すると小さくしゃがみ込んでいた青年は真っ直ぐにこちらを見上げていた。薄く紫を透かしたような黒い瞳はきらきらと輝いており、見た目の年よりも若い印象を与えている。間抜けに開いたままの口からは、犬を彷彿とさせる尖った歯が覗いた。穴が開くほどに見つめられすぎて虫の居所が悪くなってきた業平が、何だよ、と口を開きかけた、その時。

「あんたすっげぇな! ザ・ますらをぶりって感じ!」

「……はっ?」

 先ほどまでの震えているものではなく、よく響く快活な声で彼はそんなことを叫ぶと、がばりと立ち上がってさらに続けた。

「さっきの歌詠(スキル)もすげぇ! (スペル)は知ってたけど実物初めて見たなあ、紅葉綺麗だし強いし最高だね。やっぱ六歌仙って強いんだー……噂はすごい広まってるけど実際のとこどうなんだろうなーって思ってたけど、全然余裕そうだったし、流石! よっ六歌仙! 的な? 今日あのチンピラに絡まれてうわーついてないわー厄日だー先週ちゃんと方違えしたのに、ラッキーアイテムのフンコロガシもちゃんと持ち歩いてたのに何でーって萎えてたけど、あんたのお陰で超ハッピーだしまじで今日まで生きてきて良かっ」

「ストップ。一旦ストップで」

 ぐいぐいと顔を近づけてくる青年の顔面を掴み、業平は無理やり距離をとらせた。すると何を勘違いしたのか、はっ、と気がついた顔になった青年は、一歩下がって満面の笑みを浮かべる。

「そうだ、まだ名乗ってなかったな。俺は紀貫之! 助けてくれて本当にありがとう感謝感激!」

 そんな風に得意気に名乗った青年──貫之は、相変わらず輝いている瞳で業平を見上げていた。

 しばらく無言だった業平はとりあえず頷いた。それから大きく息を吸って、吐く。もういい大人であるし、色々大変な経験もしてきた。これしきの事で平静を守れなくなるようでは、それこそ六歌仙とやらの名が泣くだろう。だから彼はもう一度、大きく息を吸ってから、止めて。

「お前さっきまでとキャラ違いすぎだろどうなってんだよ! 何かちっこい奴が絡まれてて可哀想だなーって思って助けてやったらうるせぇわチワワか! 大体ちょくちょくおかしいだろ、方違えをそんな軽いノリですんな、あとラッキーアイテムがフンコロガシって何だ! どんな占いだよそれ!」

「え、あんた知らないの? そこの角曲がったところにある千代婆ちゃんの占い屋さん」

「知らねぇよ!!」

 今日、というかここ最近で一番の声量が出た。六歌仙の名声とかもうどうでもいいから、この目の前の意味が分からない男のことを誰か説明してくれ、と業平が眉間を押さえると、こちらを覗き込んでくる貫之はなおもうるさく喋り続ける。

「おっ、どうした? 頭痛が痛いか? ああこれ和歌でも文でも絶対やっちゃいけない表現って誰か言ってたわ。でも本当に頭痛い時って、頭痛が痛いんだよ! って思うよな。めちゃくちゃ痛い時は文法とか修辞法とかどうでもいいって感じだよな、うんうん、俺は分かるよ業平の気持ち!」

「え、待って本当にうるさくない? しかもいきなり名前呼び捨てにしてきやがった」

「ところでさ、六歌仙って呼ばれてどんな気持ち? ねぇねぇ、もう鼻高くなっちゃって、はーい俺が六歌仙の在原業平様だよーそこら辺の女の子皆食っちゃうぞーってやっぱり思うもんなの? あ、でもごめんなさいブスは六歌仙キャンペーン対象外なんですよー的な? ブスをキャンセル、略してブスキャンしちゃう感じ? でもブスのキャンペーンでもブスキャンだから何かもうややこしくな」

「うるっせぇえええええええ!」

 路地裏に絶叫が響き渡り、間もなくチンピラも真っ青なほどのとんでもないスピードで飛び出してきた業平は、夕焼けで橙色に染まりかけている街を全力疾走することになる。

 これが──紀貫之との、初めてにして最悪の出会いであった。

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