呪いの対象
「ここは…?」
どうやら俺は森の中に立っていたようだ。周りを見渡しても何も見えない。
すると、どこからか声が聞こえてきた。
「仁ー、仁ーー!!」
どこか聞き覚えのある声だ。
「綾乃さん…。」
そう言って声の方へ近付こうとした
……
「斎藤さん、斎藤さん!!」
「ん?…おわぁ!?…何だ詩織ちゃんか…」
「何だとは何ですか。昼寝してる場合じゃないですよ。依頼人さんが来てますよ。」
「あ…ああ、分かった。」
「……大丈夫ですか?顔が真っ青ですよ。」
「大丈夫大丈夫。…少し嫌な夢を見てしまっただけ。」
「…嫌な夢?」
「ああ……よし、依頼室に行ってくるわ。」
そう言って依頼室に入っていった。
依頼室には30代の男性が1人座っていた。風貌はどこにでもいそうな会社員といった感じである。呪いの対象は上司や同僚と言ったところだろうか。
「どうも…斎藤と言います。」
「あ、どうも津田と言います。」
「それで今日はどのような用で…」
「ここは…呪い代行屋と聞いたんですが…その…頼まれたら呪いをかけてくれるって…」
「はい、その通りですよ。で、津田さんは誰を呪いたいのですか?」
「その…じ……」
「え?」
「じ…自分なんですが…」
「じ、自分って津田さんご自身をですか?」
「はい……。その…無理ですか?」
「いや…出来なくはないのですが……。どうしてご自身を呪おうとするのですか?」
「その…僕会社を休みたくて…会社は大好きなんですが、最近残業続きで…休みもとれないし…。このままだと死にそうなんです。死ぬならもっと会社の役に立ってから死にたいんです。」
「…分かりました。では、呪わせていただきます。」
「あ、ありがとうございます。」
「そういうわけで詩織ちゃん、津田さんご自身を死なない程度に呪って。」
「要するに津田さんは社畜ってわけか。」
「こら、そんなこと言うな。会社のために立派に働いているサラリーマンの鑑だろ。」
「っていうか、何で自分から車に飛び込んだりしようとか思わないんでしょうか。」
「うん、俺も思ったから聞いたんだけど…」
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『死なない程度なら、藁人形ですね。』
『藁人形はおいくらぐらいかかるのでしょうか。』
『死なない程度ですので……15万円といったところです。』
『分かりました。』
『その…1つ質問してもよろしいですか?』
『はい、何でしょうか。』
『ご自分で怪我をしようなどといったことは思われなかったのですか?』
『…何度か考えました。車にはねられたり、階段から落ちたりとか…。でも死んじゃうかもしれないですよね。僕、死ぬのは本当に嫌なんです。だから呪われたほうが確実かと…』
『はあ』
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「全然意味分かんないです。」
「俺も…。」
「…津田さん すでに会社に呪いかけられてるようなものですね。」
「…そうだな。」
「そういえば斎藤さん」
「何?」
「今日嫌な夢みたって言ってましたけど、どんな夢をみたんですか?」
「……無限に出てくるピエロと戦っていた夢。」
「怖っ、怖すぎでしょ。」
「恐ろしい夢だったな……」
それにしてもあんな夢みるのは久しぶりだった。いつも忘れようとする度にあの夢をみてしまう。それも一番思い出したくもない場面でだ。
「じゃあ 呪ってきますね。」
「おう、よろしく」
鎌田は速やかに儀式部屋に入っていった。
鎌田がノロノロ事務所で働きたいと言った時、俺はある2つ試験を受けさせた。
1つ目は人を本気で呪えるかどうかという試験だった。この仕事は半端な気持ちでは出来ない。人を傷つけたり、時には人を殺すことさえもあるからだ。
初めて鎌田に呪わせた時、彼女は至って冷静だった。
確か依頼はいじめの報復だった。依頼人は4年間いじめられたせいで髪はストレスで抜け落ち、歯も何本か抜けていた。
鎌田は依頼を実行した。
呪いを執行している時の彼女の顔を見て、1つ目の試験の合格を決めた。
極めて冷静だった。まるで処刑執行人のようだった。
そして2つ目の試験
ある呪いの執行を任せた。その時の依頼は自身の横領がばれたせいで会社をクビになったのに、逆恨みでその会社の社長を呪い殺してほしいとのことだった。
鎌田に呪わせた。
鎌田は前回の時とはまるで別人のように戸惑っていた。
呪い殺す時に使う包丁を呪う対象に見立てたのっぺらぼうの人型のぬいぐるみに刺していくのだが、そこで彼女の手が止まった。
彼女の手はガタガタ震え、顔は硬直してた。
顔からは涙も出ていた。辛かったのだろう。
だが、しばらくして彼女は包丁を振り下ろした。
彼女は何度も何度も包丁を振り下ろしていた。
まるで昔の俺のようだった。
呪いが終わった後、彼女に2つ目の試験の合格を伝えた。彼女はきっと落ちると思っていたのか、とても驚いていた。
2つ目の試験で見たかったのは人の心だった。
鎌田が包丁を躊躇いもなく振り下ろしたなら不合格だった。
かといって、呪いを執行できなくても不合格だった。
俺たちは人を呪う、相手が誰でもだ。だからどんな依頼さえも実行しなければならない。
だが、人を呪い殺すとなると別だ。もちろん実行しなければならない。だが人を殺すという行為に抵抗を感じるかどうかは極めて重要だと思っている。
呪いをかけている時点でその者の大部分は人間ではなくなっている。だが、人を殺すという行為に少しでも抵抗を感じたことがあるのならまだその者にも人の部分があると俺は信じている。
俺は昔に化け物を見た。呪い殺すことに抵抗も感じず、むしろ楽しんでるかのような奴らを。奴らの顔はこの世の物とは思えないぐらい恐ろしい物だった。奴らは人間の姿をした化け物だった。
「斎藤さん、終わりました。」
「お、おう お疲れ」
「どうしたんですか?ぼーっとして。」
「いや、なんでもない。」
「そうですか。何か悩みがあったらいつでも相談乗りますよ。」
「…おう、サンキュー。」
彼女は優しい。だがその優しさのせいで時々仕事に支障が出てくることがある。
依頼にやや感情的になってしまったり。
彼女は働き始めた頃より、少しずつ人の部分を取り戻しているように思える。
だがもし、これ以上彼女の優しさによって支障が出てきたら、事務所を辞めてもらおうと俺は思っている。
それから数日後
「斎藤さん、津田さんからお電話です。」
「津田さん?ああ……はい、斎藤です。」
「津田ですが、先日はどうもお世話になりました。」
「いえいえ、それで……調子はいかがでしょうか?」
「依頼してから数日後に飛び出してきた車に引かれて、足を骨折して全治3ヶ月の怪我を負いました。これでよく休めそうです。本当にありがとうございました。」
「そ、そうですか。」
「退院したらすぐに復帰してバリバリ働けそうです。本当にありがとうございました。」
「いえ、でもお身体にはお気をつけて下さい。」
「はい、ありがとうございました。報酬はすぐに振り込んでおきます。」
「はい」
「呪われたのにありがとうございますって何か変な気分ですね。」
「まあね。今回はかなり特殊なケースだったから。」
「津田さんにお身体にはお気をつけくださいって言った斎藤さんもおかしいですけど。」
「確かに違和感は感じたけれど。」
「津田さん、心配ですね。」
「…まあね。案外また頼まれたりして。」
「その時は斎藤さんが呪ってくださいね。」
「え?」
「何か今回いまいち力が入んなかったんですよ。」
「しょうがないな…」
それから半年後
今日一日予約もなければ、来客もない。珍しい日だ。
「暇だなぁ。テレビでも観るか…。」
テレビをつけると、ある大手の会社が倒産したというニュースがやっていた。
社員の過労死の続出し、遺族からの訴訟問題を山ほどかかえてしまい、ついに倒産してしまったという。
「ここって結構ブラック企業として有名な会社ですよね。」
「そうなんだ。」
「ブラック企業って怖いですよね…。働かせる割には給料全然出なかったり。」
「……何でこっち見んの?」
「いえ、別に。」
「言っとくけどね、うちほどホワイトな所はないよ。」
「へぇー雑用ばっか押し付けてくるのに、給料全然ないじゃないですか。」
「あれだけ貰えてむしろ感謝してほしいくらいだな。」
「何ならこっちも訴訟起こしてもいいんですよ。」
「…そうなりゃ2人とも終わりだよ。」
「どうして?」
「だってここ営業する許可を得てないし。訴訟なんか起こしたらバレて2人ともアウトだぞ。」
「…忘れてた。もう、何で許可取らないんですか?」
「取れる訳ないだろ。どこに『呪い代行屋をやりたいので許可ください。』とか言う馬鹿いるんだよ。」
「それもそっか…」
そんな馬鹿なやりとりをしていると、テレビにその会社で過労死した社員の遺族の方々の映像が流れた。
それぞれ亡くなった方々の遺影を持っている。
その中である女性が映された時、
「斎藤さん、この方って。」
「…半年くらい前に依頼に来た人だな。確か名前は…津田さん。そうか…津田さん亡くなられたか。」
津田さんの奥さんは涙ながらにご主人の過酷な生活を語っていた。津田さんは退院してから次の日から毎日残業続きで、休日は一日もなかったという。
最後は会社の中で倒れ、会社の中で息を引き取ったという。
「この人…津田さんの奥様だったんですね。」
「………」
「…でも津田さん幸せだったんじゃないですかね。」
「ん?」
「だって大好きな会社で死ねたんですから。」
「今日の詩織ちゃん怖いな…。でもそうかもしれないな。自分の好きな場所で死ねたからね。」
「…斎藤さんはここで死にたいっていう場所はありますか?」
「だから詩織ちゃん怖いって。普通そんなこと考えないでしょ。」
「いや、考えるでしょ。私はカリブ海のど真ん中で静かに息を引き取りたいです。」
「なんじゃそりゃ」
ノロノロ事務所は今日も平和である。