N-094 トウハ氏族の漁場は広い
通常よりもやや速い速度で、船団は一路南を目指して進んでいるようだ。
そう言えば、目的地を聞いてなかったな?
この方向で、夕方まで進路を変えなければサンゴの崖のある漁場もしくはその先にある真珠貝の捕れる漁場になるな。
どちらも東西に長く伸びた砂泥の深場があるから、潮通しは良いはずだ。曳釣りには絶好の場所になる。
「まだ準備はしないの?」
「まだ早いよ。道具は全て揃ってるから、始めるのは簡単だ。だけど、今日はこのまま進むんじゃないかな? 曳釣りをすると速度が遅くなるからね」
「ラディオス兄さんはオリーさんと一緒に父さんの船に乗ったみたいにゃ」
「だいぶお腹が大きかったからな。この漁の最中に生まれるんじゃないか?」
「お母さんがいるから大丈夫にゃ」
サリーネが小さなカゴを編んでいる。自分で竹を割いて編めるんだからたいしたものだ。俺も教えて貰ったけど、才能が無いみたいで皆に見放されてしまった。
漁で使うカゴは嫁さん達が編めるからだいじょうぶだろう。その代わり、他の仕事をすれば良い。
そんな考えで、プラグの針を砥石で研ぎ始めた。3本針だから、この世界で手に入れられるか微妙だが、タックルボックスには予備が数本あるからしばらくは使っていられるだろう。
とは言え、他の連中の事を考えるとこれもドワーフに試作を依頼すべきなんだろうな。
「贈り物の準備はだいじょうぶだよね?」
「サディ姉さんの時と同じに用意してるにゃ。双子でもだいじょうぶにゃ」
ネコ族の出産で双子は稀らしいけど、前例があるからね。足りないよりは良いだろうし、布なら他に使い道もあるだろう。
「そうだ! 甲板の周りの網を編んでくれた人に、こんな網を頼んでくれないかな?」
「横長にゃ。それに幅もないし、網目は大きいにゃ。これで魚を獲るのかにゃ?」
「大きいのを入れるんだ。この長い方にはロープを使って欲しいな。できれば4つ作って欲しいんだけど」
「頼んでみるにゃ」
快く返事をしてくれたけど、漁具と思っているようだな。まさか、これに包まって寝る事になるとは考えもつかないだろう。
両端に鉄の輪を作っておけば、小屋に吊るのも簡単だろう。フックも必要だな。それは商船のドワーフに頼んでみるか。
昼近くなったところで、ライズ達と操船を代わる。
嫁さん達3人で昼食を準備し、先に食べて貰おう。船団は真っ直ぐ南に進んでいるし、間隔も50m近く取っているから接触することは無い。俺でも安心して舵輪を握っていられる。
初日は真っ直ぐ南に下がる。夕方近くに小島の周辺にアンカーを下ろして一泊し、翌日は昨日と同じように南へと船を進めた。
昼頃に数隻のロデニルのカゴ漁を行っている船団と遭遇した。昼過ぎだから、のんびりと根魚釣りをしてるようだ。カゴは朝早くに上げたのだろう。
運搬船がいないところを見ると、もう一つ船団があるのかも知れないな。
「ロデナスは良い収入だったにゃ」
船尾のベンチで、今まで書き溜めたメモを見ながら次のカタマランの概略図を書いていると、隣にお茶を運んで来たサリーネがポツリと呟いた。
「確かにね。だけど、俺達には他の手段があるし、1つぐらい漁の対象が減ってもだいじょうぶだろう?」
「分かってるにゃ。昔遊んだ友達も乗ってるにゃ」
素潜りで無理をしたんだろうな。俺達も気を付けねばなるまい。あまり深場は潜らないようにしよう。
そうなると、次の船で海底を浚う漁を試したいものだ。
カゴ漁にも曳釣りにも使える船だが、ある意味海上のプラットホーム的な役割もこなす。
水車を船首部に持つカタマランは船尾に大きな甲板を持つ。今俺達が乗っているカタマランよりも更に大きな横幅7.5mもの大きさだ。横幅7m奥行4.5mの小屋は、運搬船と同じく2部屋が作られる。
船尾に門型の柱を建て、横梁に滑車を付けて動滑車の付いた熊手で海底を浚うのだ。
上手く行けば良いのだが、ダメでも多目的に使うことができる。
結構大型だから、いつ頃できるか分からないけどね。
「このまま進むと、夕方には前に曳き釣りをした漁場に着くにゃ」
「そうだね。だけど、バルテスさんの事だ。もう少し先に向かうんじゃないかな?」
同じ場所で釣るなら芸が無いと言わざるを得ないな。
もう少し先に行っても良いんじゃないか? 俺達の漁場は船で5日間の範囲という事になっている。
ナンタ氏族の漁場は南に下がったはずだから、トウハ氏族の島を中心として考えるなら動力船で南に3日下がっても何ら問題は無い。
前の島で婚礼の漁に出た時は大きなシマアジが突けたんだよな。この島に移ってから誰もシマアジを獲っていない。バルトスさんの今回の曳釣りの獲物としてシマアジを考えてるのかも知れないぞ。
夕刻になって近くの島に停泊する。
特に何も言ってこないところをみると、やはり明日も南下するつもりのようだ。
グラストさんとエラルドさんの動力船がバルテスさんの動力船を挟んで停泊してるのも、2人が気になったと言うところだろう。
今頃は、更に南を目指すとバルテスさんが答えて、2人を呆れさせているかも知れないな。
「どうやら、もう1日、南下するようだね」
「もう少し先が真珠貝の獲れる漁場にゃ。その先はまだ行ったことが無いにゃ」
「近場で、結構獲れるからね。でも俺達の漁場は島を中心に動力船で5日ってとこだろう? 少し速度を上げているから、明日で通常なら4日目になるんじゃないかな。そこでどんなのが釣れるかも氏族の船団を率いる人達は知りたいと思うよ」
大まかな海図は手に入った。だが、その海域のどの辺りにどんな魚がいるかは、漁をしてみないと分からないし、季節に寄っても異なるだろう。
とりあえず、あちこち漁をしてみるのが一番だと思う。
そんな経験を蓄積して、氏族の季節ごとの漁場と漁の方法が段々と固まっていくんだろうな。
「たぶん漁は早くても明日の夕方からだろう。今夜から保冷庫に氷を入れといてくれないかな」
「寝る前に、【アイレス】を3回ずつ使って氷を入れとくにゃ」
ライズが即答してくれたけど、それだと18個のツララが入るって事だな。とりあえずは明日一日は持つだろう。
翌日、相変わらず南に進む。やはり新しい漁場を探すのが目的のようだ。
「東の空が怪しいにゃ。雨が降るにゃ!」
リーザの声に東を見ると、怪しいなんてもんじゃないぞ。滝が迫って来るように見える。
急いで甲板に張り出した小屋の梁に天幕を広げる。甲板半分位までの屋根になるんだが、日除けにもなる優れものだ。
サリーネは小屋に入って、開けてある窓を閉めている。操船櫓の前方にも屋根に跳ね上げた窓を下しているようだ。
水の運搬用の容器を船尾のベンチに縛って、口を開けておいた。口が広がっているのはデザインだと思っていたが、雨を受けやすくするためのものでもあるようだ。
溜まった雨水をお茶にして飲むことができる。あの雨なら、半分位は溜まるんじゃないか?
急に暗くなったかと思うと、豪雨が襲って来た。気のせいか気温も下がった気がするな。
小屋の扉付近から後続のエラルドさんの船がかろうじて見える状態だ。操船櫓でも前後の船をどうにか視認できる状態だろう。
全く、この世界の雨はとんでもない代物だぞ。こんな雨が日本に振ったら、あちこちの河川は直ぐに氾濫してしまうだろうし、土砂崩れだって起こりかねない。
時間的には昼過ぎなんだが、周囲は夕暮れ時の明るさだ。ランタンに火を入れて甲板の天幕の外れ近くに吊るしておく。
船の形が分からないほどの雨だが、灯りなら見ることができるに違いない。
「全く凄い雨だな」
「でも、雨が降らないと氏族の島の滝も枯れてしまうにゃ。畑は畝を高くしてあるからだいじょうぶにゃ」
小屋の扉のところでパイプを楽しんでいる俺の傍で、サリーネはお茶を飲んでいる。
カマドは完全に屋根の下だから、こんな時には安心だな。炭火で調理するから、煙もあまり出ない。煙がたくさん出るようだと、煙突や空気の流線も考えなくちゃならないところだ。
そんなところに、ライズが小屋から出て来た。操船櫓への出入りは甲板からハシゴを使って入ることも出来るが、櫓の半分が小屋の屋根に出ているだけだから、小屋の中からでも出入りできるように改造してある。
2つのカップにお茶を入れて、再び小屋に入って行った。
「中々便利にゃ。前みたいにずぶ濡れにならなくて良いにゃ」
「作った時には気が付かなかったんだよな。でも、新しい船も同じに作るから心配しないで良いよ」
よく考えたつもりでも、意外と抜けてるところがあるんだよな。
だけど、このカタマランを作ったおかげで、色々と見えてきた部分もあることも確かだ。
今回の曳釣りは考える時間がたっぷりあるから、この機会に新しいカタマランの概念を固めておこう。
豪雨が突然止むと、雲が切れて当たりが急激に明るくなる。
ランタンを消して、夕暮れ近い西の空を眺めたが、まだ雨雲があるらしく今日は夕日を眺める事は出来ないみたいだ。
サリーネが夕食の支度を始めるのを見て、俺も曳釣りの道具の準備を始める。竿は3本で良いだろう。
ヒコウキを両舷に、潜航板は船尾という事で、竿のガイドにリールの糸を通し、大型のヨリ戻しを介して道糸と仕掛けを繋いだ。
ヨリ戻しは、向こうから持ってきたヨリ戻しをドワーフに見せて試作して貰ったものだが、真鍮製の割にはじょうぶにできている。
できたところで、ベンチの片隅に立てて置く。ギャフとタモ網、それに使うとは思えないが銛も1本倉庫の枠に入れて置いた。枠の端には、棍棒まで吊り下げられている。各自の軍手は小さなカゴに入って同じように吊り下げられているから、何かあれば手伝って貰えるだろう。
小さな島を右手に見て通り過ぎると、急に目の前が開けて来た。
周囲に島はあるのだがどう見ても10kmは離れていそうだ。穏やかな海にも少しうねりが見られる。
ブオォォ……と、ホラ貝の音が聞こえて来た。
船団の船足がゆっくりと速度を落とす。
そんな中、黄色の旗をなびかせながら、グラストさんの船が左手を逆に進んで来た。
「東に向かって曳釣りをするぞ。船の間隔は20FM(60m)だ。分ったか?」
船団の動力船とすれ違いながら、グラストさんとラスティさんが交互に声を張り上げる。
了解したことを片手を上げて伝えると、向こうも手を振ってくれる。
直ぐに、操船櫓の2人に伝える。
曳釣りの準備は出来てるから、屋根裏から白の旗竿を引き出して櫓のハシゴに結び着けた。




