N-091 長老達
夜明け前に、リーザ達と操船を交替する。
乾季の日差しは強いがカタマランは2重屋根だから、小屋の中は涼しい。それに船を走らせているから、窓を開ければ風が入る。
疲れもあって直ぐに眠ったが、次に目を覚ます頃には氏族の島にかなり近付いているんじゃないかな。
ふと目を覚ます。
窓からのこぼれ日が小屋の壁近くにあるという事は、かなり日が傾いているって事だろう。
体を起こして小屋を出ると、まだ夕暮れには程遠いがだいぶ太陽が傾いている。
数時間は寝ることができたようだな。小屋に戻ってサリーネを起こして、海水をオケに汲んで顔を洗う。
サリーネはそのまま食事の支度を始めたのを見て、リーザ達と操船を交替するために操船櫓に上がった。
「おはよう。交代するよ。ところで、今、どの辺りだい?」
「今夜の月が登るころには氏族の島に帰れるにゃ。それじゃ、後はお願いするにゃ」
そう言って2人が櫓を後にする。
リーザに代わって、それ程奥行の無いベンチに座ると舵輪を持つ。
海面が眩しく輝いているからサングラスは必携だな。操船櫓の上だと、大きな麦わら帽子も少し邪魔になる。
しばらく被ってなかったが帽子があったな。あれを麦わら帽子を加工して作れないだろうか? 操船櫓の上では役に立ちそうな気がするぞ。
それに、バックミラーも欲しいところだ。
待てよ。確か誰も鏡を持ってなかったんじゃないか? 少なくとも鏡を使っているところを見たことが無かったな。
この世界に鏡が無いというのも考えにくいんだが、初期の鏡は銅鏡だったらしいから、海では錆びて使い物にならないのかもしれないな。
だがガラスがあるんだから、ガラスで鏡を作ればそんな事にはならないはずなんだが……。
ライズが、お茶のカップとタバコ用の箱を持って上がってきた。
ありがたく、パイプにタバコを詰めて一服を楽しむ。灰皿だと落としそうだが、タバコの火種は箱の中にある素焼きの入れ物に入ってるから、安定してるし、紐で箱の取っ手をベンチの背もたれに結んでおけば安心できる。
お茶のカップは手前から引き出した小さなテーブルに乗せておく。
「ちょっと、聞いても良い?」
「何かにゃ?」
「ライズ達は自分の顔を見ることがあるの?」
俺の質問に最初は何のことか分からずに驚いているようだったが、やがてニコリと笑顔を見せた。
「鏡で見るにゃ。起きたら直ぐに鏡を見るように母さんから言われたにゃ」
「後で見せてくれないか?」
「良いにゃ。でも皆持ってるにゃ。たぶん同じ物にゃ」
そう言うと、櫓を下りて行った。
バタンと小屋の扉の音がしたから、自分の鏡を取りに行ったんだろうか?
しばらくすると、ライズが戻ってきた。
「これにゃ!」
小さな手鏡をポケットから取り出した。
コンパクトって感じじゃ無いな。取っ手がついてるから手鏡になるんだろう。やはり、ガラス製だ。
「商船には色々売ってるにゃ。これは13歳の時に買って貰ったにゃ。嫁に来た時に、これより大きな鏡を貰ったにゃ」
「ありがとう。大切にしなきゃね。俺が鏡を見たかったのは、この枠に鏡を付けたら、後ろ振り返らずに見られるんじゃないかと思ってたんだ」
ライズが手鏡を枠に持って行き確かめてるぞ。ふ~ん、と言いながら納得してる。
「あった方が便利にゃ。2つ付けると良いにゃ」
「結構値が張るのかい?」
「それ程でも無いにゃ。売ってる中で気に入らないなら、作っても貰えるにゃ」
特注できるって事か。それならバックミラーが作れそうだぞ。
サリーネにカタマランの改造費として請求してみよう。
嫁さん達が夕食を終えると、サリーネが操船櫓に上がってきた。今度は俺が下りて夕食を取る。
まだ日が暮れていないから、ランタンは準備しているだけのようだ。
夕日の下で食べたのは米粉の団子スープだ。簡単にできるから船を走らせている時には都合が良いらしい。
それに結構お腹に溜まるからな。少し酸味があるのは野生のパイナップルの切り身らしい。何となくエキゾチックな味に仕上がってるぞ。
食事が終わると、お茶の入った水筒とカップをカゴに入れて貰い、再び操船櫓に上る。ライズ達は保冷庫に氷を入れて食器を魔法で綺麗にすると、ベンチに座ってお茶を楽しむみたいだな。
しばらくはサリーネが舵輪を握ってくれるようだ。
隣で、南西に向かう船団の列を見ながらのんびりと過ごす事にした。
夕日が沈むと急速に闇が辺りを包む。
それでも、十分に前方を進む動力船を見ることができるし、サリーネ達は先頭のバルトスさんの船に翻る吹流しまで見えるんじゃないかな?
俺には、動力船の船尾に掲げたランタンの灯りで、先に進む船の存在が分かる位だけどね。
・・・ ◇ ・・・
上弦の月が中天に掛かるころ、俺達は氏族の島に戻ってきた。
入り江の入り口は、東西から張り出した岬のような岩が続いているから、夜間はちょっと不安ではあるのだが、ネコ族には十分その存在を見ることができるらしい。
とは言え、商船が定期的に出入りしているし、軍船だって寄ることがあるらしい。
岬の存在を示す構築物は、早めに作った方が良いのかも知れないな。
各桟橋の突端にはランタンの灯りが小さく瞬いている。
入り江に入ったところで船団を解き、各々の動力船が桟橋のいつもの場所に船を進めて行った。
カタマランはエラルドさんの船の隣だからな。エラルドさんが桟橋に船を停めるまでは、少し離れた位置で待つことにした。
どうにかカタマランを停泊させた時には、入り江の中に動く船は無かった。俺達が最後になったようだな。
アンカーを下ろして、僚船とカタマランをロープで繋ぐと温くなったお茶を飲みながら船尾のベンチでパイプを楽しむ。
明日は、朝から忙しそうだ。サリーネ達は保冷庫に氷を作って投げ入れていたから、鮮度は落ちていないだろう。
生憎と商船は来ていないから燻製になるんだろうけど、また御神輿のように皆で担いでいくんだろうか?
翌日、甲板の賑わいで目が覚めた。
まだ夜明けだよな。だいぶ大勢の人の声が聞こえるぞ。
衣服を整えて甲板に出ると、グラストさんやラディオスさん達が嫁さんを連れてやってきている。
サリーネ達も、他の嫁さん達と保冷庫の蓋を開けて獲物を再度検分中だった。
そういえば、俺達男はガルナックを突いたし、カタマランに引き上げるのに苦労したから獲物の大きさは知っているが、動力船やザバンに乗っていた嫁さん達は初めて見るのかも知れないな。
自分達の旦那が獲った獲物を見て、改めて旦那さんの腕を見直しているようだ。
だけど、賑やかだな。あの中に入って行く勇気が俺には無い。
「カイト、こっちだ」
ぼ~っとして、嫁さん達の様子を見ていた俺に声を掛けてくれたのは、バルトスさんだった。
「全く、賑やかな限りだ。お前が唖然とする表情を見たのは初めてだよ」
そんな事を言って皆と一緒に笑っている。
ラディオスさんが渡してくれたカップを一口で飲んだら……、これってお酒じゃないか! 朝から飲んでるのか?
グラストさんが、空になったカップに新たに酒を注いでくれた。
「まあ、俺達の獲物を見てあれだけ騒げるんだからたいしたものだ。実際に見たのは今日が初めての嫁さんもいるからな。今夜はたっぷりと飲ませて貰えるに違えねえ」
だったら、朝から飲まないでくださいと、突っ込みたいぞ。
「それで、ガルナックは燻製ですか……」
「昼まで待って来なければ、燻製にするしか無さそうだ。それまで預かってくれ。氷は嫁さん連中が追加したからだいじょうぶなはずだ」
となると、見学者が大勢やってきそうだな。
お茶位は出さないといけないだろうとカマドに目を向けると、すでにポットが2つも乗っているぞ。サリーネ達に抜かりはなさそうだ。
2匹目のガルナックと聞いて、今度は長老が全員やってきたぞ。
目を丸くして見ていたが、その後はベンチに座ってライズが差し出した冷えたワインを飲んでいる。お相手はグラストさん達に任せておくが、相変わらず飲んでるな。
そんな場違いな席に、グラストさんの指示で俺とバルテスさん、それにゴリアスさんが座っている。ベンチが足りずに隣のエラルドさんの船から2個拝借してるけど、返さなくて良いぞと言われてしまった。ますますカタマランが集会場になってきたな。
「1年で2匹はいまだかつてない事だ。聖痕とはかくもありがたいものだな」
「あのカガイの後に2匹では、他の氏族も認めざるをえまい。全く痛快じゃな」
「ですが長老。前回はカイト一人で獲ていますが、今回は……」
「バルトスに聞かせて貰った。そのような漁を思い付くとは、さすがじゃ。グラストやエラルドがいなくとも……、いや、カイトさえおらずとも、それならガルナックを仕留められるだろう。自分の技量を試すのも方法ではあるが、船団を率いるならやはり集団で漁をするのが本来だと我らも感心した次第じゃ」
集団で銛を打つのはクジラ漁では聞いたことがあるが、俺個人としては銛は個人とすべきだと思うな。
あれは、皆がガルナックを突きたいと言うのを納得させるためだったと言うのが本当のところだ。
「銛は個人の腕に左右される。素潜り漁とは元来そのような漁じゃが、集団となると、個人の力量を大幅に超える事も可能じゃと分かっただけでも、バルトス達の将来に役立つことができよう。それにしても……、ガルナックは大きいのう」
長老達は、ご機嫌だな。今が春と言った感じだが、俺としてはこれからが大変な事になると思っている。
ロデナス漁は、カゴ漁の専用船とその獲物を運ぶ船が完成すれば定期的なロデナスの供給が可能になる。
まだ完成には程遠い石作りの桟橋もあるし、カタマランを主体とした船団なら氏族の漁場を広い範囲で巡ることができる。
ある意味変革の時になっているのだ。ガルナックを獲って喜んでいるのが懐かしくなるほどに変化するかも知れないぞ。
「バルトスにゴリアスなら十分若手を率いることができるだろう。長老会議に顔を出すのじゃ」
バルトスさん達は黙って頷いている。俺達にとっても都合が良いな。エラルドさん経由で伝わる情報よりは早く伝わるかもね。
結局、ガルナックは燻製になるようだ。
前と同じように丸太で組んだ神輿に括られて桟橋を運ばれていった。
「カイト。甲板はもうちょっと広くしないとダメにゃ」
「そうだね。ある意味集会場になってるしね」
サリーネにそう答えたけど、浜辺に集会場を作っても良さそうだな。柱と屋根だけでもあれば、ちょっとした集会もできるし、雨の日にカゴを編んだりすることができるんじゃないか?




